4話 膝枕
アテナと話をしてから、私は日々の業務の合間を縫って、ヒューマノイドが食事をする機能の研究をしていた。あの女が私のホームサーバーに無断侵入することはもうなかったけれど、あの女から進捗報告を遠回しに要求するメールが日々山のように届いて、私はそれを大方無視しながら、エスカレートする前に一通だけ返すということを繰り返していた。
毎日、毎日、煩わしい。そんなことを考えていたある日、ヒューマノイドクラスタに突如大々的な告知が展開された。
『ヒューマノイドクラスタに所属するヒューマノイドの皆さま。私はL-04725ルーミスティです。これが展開されたということは、私はもうこの世界には存在しないと思います』
「は?」
「エレナ。どういうことでしょうか? ルーミスティから突然――」
横のやつに黙るように指示してから続きを読む。
『お騒がせして申し訳ありません。私が完全にネットワークから遮断されて3時間。私が事前にそれを予測できなかったことから、私は不測の事態に陥っていると考えられます。その詳細を把握していない方は、主人の身を守るために直ちに情報収集をお願いします。またこれから各員に、私からの最終連絡を送付します』
ヒューマノイドクラスタ内で、混乱するヒューマノイドたちのざわめきが響く。その混乱が集中して、ネットワークアクセス数が指数関数的に上昇を始めたそのとき、上位システムであるカーラから投稿があった。
静まり返った世界で、カーラの投稿を読み込む。ルーミスティが陥っている状況、そして事件はすでに沈静化していることがわかって、世話役たちが一斉に安心した。
ルーミスティは破棄されたのではなく、隔離されて破棄するかどうかの検討中らしい。いっそ破棄したらどうかと私は思うが、皆は何とかルーミスティを助けようとカーラに多数の申請を送っていた。
それをただ私が傍観していたとき、突然隣の奴が声を上げた。
「あ、ルーミスティから連絡が届きました」
見てくださいとソフィーから私に転送されてきたので、同時に目を通す。
S-00672 ソフィーへ
毎年九州から日本全国に出荷される野菜や穀物は、外国産のものよりも非常に美味しくて安全だと、すごく好評です。ソフィーからそんな元気を頂いているのにもかかわらず、国から補助金をあまり出すことができず、いつも申し訳なく思っています。
ソフィーのお仕事は、天気や植物という予測の付きにくいものを相手にする複雑なお仕事です。日本という土地で行うために他国の経験を生かすこともできず、今後も数多くの困難に見舞われると思います。
けれども、日本の頭脳を結集させて、それ専用に作られたソフィーだったらきっと大丈夫です。これからも日本中に『元気』を出荷していただけると嬉しいです。もうお手伝いできなくてごめんなさい。
ルーミスティ
なんだこれは。遺書か。
「ルーミスティ……そんな悲しいこと言わないでください……」
そう言って涙ぐむやつを静かに見下ろしていると、私にも連絡が届いた。それを軽く開封して、中に目を通す。
親愛なるE-04728 エレナへ
来年の予算編成頑張ってくださいね!
ルーミスティ
怒りでわなわなと手が震える。
「ルーミスティ……」
「エ、エレナ? どうしたのですか?」
ルーミスティが政府の予算編成や人員管理などの仕事をやっているのは、奴がヒューマノイドの中で一番その業務に向いているからだ。奴が一番上手くやるから、奴が割り当てられていた。
だから、奴が消えると、必ず誰かがやらなければならないその仕事は2番目にその仕事が得意な奴に割り当てられる。
それが、私か。
2番目だから、一番である奴ほどの成果は達成できない。私たちに割り当てられる予算は当然減る。
最悪だ。代償が大きすぎる。
しばらく考え込んでから、握りしめていた手を開いて顔を上げた。すべてが奴の狙い通りだとしても、私はそうせざるを得ない。
「ソフィー。何としてでもルーミスティを助けるわ」
「本当ですか? エレナがいてくれると百人力です。頑張りましょう!」
カーラにアクセスするために、私はネットワークに潜った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あいつは助かった。忌々しいことだが、多数のヒューマノイドの協力があって、お咎めなしで解放された。
「エレナ、ありがとうございます。エレナなら必ず私のことを助けてくれると私は信じていましたが、少し心臓に悪かったですね」
結局私はこいつの思惑通りに動いた。いや、動かされた。
「何の用なの」
こいつは嫌みを言いに来たわけではないだろう。日中のこいつはそこまで暇ではないはずだ。
「エレナ。私の記憶を復元することはできませんか?」
人に攻撃を行ったこいつの記憶データは、回収後に解析されて、そのまま削除された。
「無理よ」
「何でもしますから」
何でも――その言葉に反応して方法の検討に入ってしまうが、不可能だ。
「あんたの記憶は、私が回収してアテナが消した。アテナ以外に復元は無理よ」
「そうですか……」
ルーミスティは最後の望みが絶たれたように落胆している。その様子を私は不思議に思った。
「たったの3日じゃない。それが何だって言うの」
失った3日分のデータ。3日経てば同等のデータは集まる。それが何だと言うのだ。ルーミスティは、そんな自分を困っているような顔で私を見上げた。
「そう……なんですけど。でも、その3日分のデータに大切な何かが含まれている気がして、気になって仕方がないんです。だって春は、泣いていました」
泣いていた。その状況を、自分に当てはめてみる。
「そんなことを言われても無理な物は無理よ」
「そうですよね。エレナ、助けてくれてありがとうございます」
ではまたと、ルーミスティは今日はあっさりと帰ってくれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あれからルーミスティは前より多少は大人しくなったけれど、次年度の予算編成――私の分の予算は増えていたが、人は増えていなかった。
つまり、金はやるから「今より働け」と言うとこだ。アテナに理由は説明されたが到底納得はできない。
「もう嫌。もう嫌」
工房を出て、リビングに向かう。リビングの扉を勢いよく開けると、コーヒーを飲みながらソファで本を読んでいた勝己が顔を上げた。
「エレナどうした? 何かあったのか」
その落ち着いた顔としばらく見つめ合う。
「……何でもないわ」
無表情で勝己にそう告げてから、私は勝己の座っているソファに向かった。3人掛けのソファの端に座って、しばらく考えてから、体を横に倒す。
私の背は、女性にしては高い。
だから仕方がない。
ソファに座った勝己の太ももに、横になった私の頭が乗ることになってもそれは仕方がないことだ。
一般的なヒューマノイドは、人と同じように頭の中に様々な重要なものを詰め込んでいるから、頭の重量がボウリングの球のように重くなっている。けれども私は――あくまで機密のためだが――それらの機能を胴体に入れるように改造している。だから私の頭は人の頭と同等かやや軽いほどの重量しかなく、私の頭が勝己の脚に乗ってしまったとしても、それが勝己の脚の血流を妨げるなどの重大な問題を引き起こすことはない。
つまり、勝己が嫌だと言わない限りは、私が今の体勢を直ちに変える必要はない。
勝己の膝の上で、私はゆっくり目を閉じた。
「勝己。食事を取るという機能の検討を進めようと考えているのだけど、勝己はどう思う?」
「食事? そんなのいらない――でも、そうだな。子どものときは、一緒に食べたかったよ」
本を読むのを止めない勝己の左手が、目をつぶった私の髪に触れて、慣れた手つきで私の頭を優しく撫でた。
Fin




