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Filling Children  作者: 笹座 昴
2章 人の心。機械のこころ
20/56

最終話 弱虫な私


「渡辺さん。おはよう」

「しおりん、おはよう!」

渡辺さんはいつも通りだと思う。まだ、私がFチルってことを知らないのかな……?


 私の席の斜め後ろを見ると、マリアは鞄の中をごそごそと漁って授業の準備をしていた。マリアの席に少し近寄って、緊張しながら声を掛ける。

「マリア……おはよう」

「あ、しおりん。おはよー!」

顔を上げたマリアはいつも通りの明るい笑顔だった。嬉しいのに――いや、嬉しいから、心はぎゅっとなった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「始めようか」

「ねえ、それがしおりんのCOMN?」

マリアの言葉に、膝の上に置いている自分の相棒とも言えるCOMNを見つめる。

「うん。でも、国から借りているやつだから、もっつんの持っているやつの方が新しいよ」

そう言ってから、首に自分のCOMNを着けた。

「カザネ。聞こえる?」

「はい。詩織」

まるですぐ側に居るように、カザネの声が返ってきた。そして、私のCOMNから、ホログラムのカザネが姿を見せる。

「初めまして、私はヒューマノイドのカザネです。山上 真里愛さん、持田 いつきさん、詩織がいつもお世話になっています」

カザネは私の隣で二人に深く礼をした。

「は、はじめまして!」

「カザネさん。昨日はありがとうございます!」

昨日、さっそくヒューマノイドの調整をカザネに手伝ってもらった、もっつんは分かるけれど、なぜかマリアも緊張しているようだ。


「カザネ。姿を見せて平気?」

ホログラムで姿を現すのは結構重い処理だ。仕事に支障はないのだろうか。

「今は、15分の休憩中です。しかも病院のサーバールームにいるので、ネット環境も最高ですよ」

「病院?」

「カザネは、お医者さんなんだ」

マリアにそう答えると、マリアは「格好良いね!」と私に内緒話をするように笑顔で答えた。


 その瞬間あふれ出したたくさんの記憶で鼻の奥がツンとして、慌てて口をゆがめたけど全然間に合わなくて、私の頬を涙が流れた。

「ごめん。何でもない」

戸惑っているマリアにそう言ってから、流れた涙を袖で拭う。


 大丈夫。悲しいことなんてない。私は嬉しかっただけだ。

 家に帰ればいくらでも泣いてもいいから、ここでは泣いてはいけない。


「カザネにあまり時間ないし、始めようか」

「しおりん、その……大丈夫?」

「マリア。ありがとう」

私は、私の思っていることをマリアに心から伝えたあと、じゃあこれと、マリアにCOMNを渡した。


「いつきさん。実行するプログラムは、これで合っていますか?」

「はい、それでお願いします。でも、直すとこあったら教えてください!」

「わかりました」

カザネの前で、マリアが私のCOMNを着けて椅子に座って待っている。いつもより少し緊張している様子のマリアを、カザネが優しく見つめながら口を開いた。

「マリアさん。たとえ私の主人の命令であったとしても、個人情報保護法から、読み取ったデータを理由もなく、本人以外の者に開示することは禁止されています」

そう言ったカザネを、「あ、はい」とマリアは見上げている。


「しおりん。マリア絶対にわかってないで」

「う、うん。そうだね」

小声でそう言う私たちの声が聞こえたのか、カザネは少し戸惑った様子で私を見た。

「カザネ。えっと、始めていいよ?」

「では、始めます」

カザネの言葉にマリアがゆっくり目を閉じたあと――世界は一変した。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「やっぱ、すごいわ……」

世界が元に戻ってから、もっつんがしみじみとつぶやいた。

「いつきさん。並列処理しやすいように、少しプログラムを変更しました」

「あ、ありがとうございます!」

もっつんが「よっしゃあ!」と言いながら首にCOMNを着けて、私たちの視線を感じたのか「確認は後にします」とCOMNを外した。


「これで、当日も大丈夫だよね?」

「そうやな! これで当日、うちのヒューマノイドがサポートに回れば完璧や。コーヒー飲める絵本みたいな世界に、執事と変な生き物がおって絵が飾ってある。うん、ぐっちゃぐちゃ!」

「まぁ、美術部なんてそんなものでしょ」

二人はそんなことを言って笑っている。

「では、詩織。時間なので、私は仕事に戻りますね」

「うん。仕事頑張ってね」

「はい」

カザネは最後はにっこりと笑って、私たちの前から姿を消した。



 「しおりん。これ」と、カザネが消えた後、マリアが私にCOMNを返してくれた。

「しおりん。さっき言いそびれたんだけど、カザネさんに、当日よろしくお願いしますって伝えておいてくれないかな」

まだ、音声くらいは聞いているんじゃないかなと天井を見上げながら、「わかった」と私はマリアに伝えた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 文化祭当日。

「結構、好評だね」

「変な世界でコーヒータダで飲めるし、それを世界一のイケメンが運んでくれるんやから当然やろ」

目の前を、もっつんのヒューマノイドがてきぱきと働いている。今日はホログラムではなく、ボディが美術室にやって来た。勝手に連れてきて、先生に怒られないのかな……?

 でもそのおかげで、私たちはコーヒーを運ぶことすらせず、ただホログラムに隠れるように座って、女の子たちが楽しそうに世界を見回す様子を見守るだけでよかった。

「カザネ。ありがとう」

COMNを介して、裏で一番働いてくれているカザネに話しかける。

「詩織。楽しいですか?」

「うん」

私は頷いた。


「そういえば、マリアは?」

さっきからマリアの姿が見えない。

「ちょっと3年生の劇覗いてくるって」

「ふーん」

「しおりんも興味あるんやったら行ってきてええよ」

「じゃあ後で、少しだけ」

今日、私は陰で働いてくれているカザネと話せるように、首にCOMNを着けている。今はまだ、隠れているホログラムから出て行く勇気がなかった。


 座って女の子たちを眺めていると、COMNからカザネの声が届く。

「詩織。入り口で1年生の女の子が3人、戸惑っています」

カザネの声に入り口に視線を向けると、入り口の方で、女の子たちが困惑した顔で美術室の中を見回していた。世界観に戸惑っているというのもあるけれど、席が空いていない。


 もっつんの方をちらりと見るともっつんはだらしがない顔で、ヒューマノイドに赤面する女の子たちを観察していた。

 固く握りしめた自分の手を開いて、しばらくじっと見つめてから、私は気合いを入れて立ち上がった。私が行こう!


 ホログラムの陰から、私は外に出た。

「ごめんなさい。今、満員なので、少し待っていてもらえますか?」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 何人か、私の首のCOMNを見て驚いていたけれど、ただ驚いただけだった。

 「ありがとうございます」と、下級生の女の子たちは案内をした私に、笑顔で感謝の言葉を伝えてくれた。


 人が減ってきたので、一度裏に戻る。

「しおりん。おっつかれ!」

もっつんが「はい」とコーヒーを渡してくれる。受け取って一口飲んで、ほろ苦い温かさに「おいしい」と一息ついた。

「な、結構何とかなったやろ?」

コーヒーを飲んでいるもっつんの視線は、女の子たちのいる方に固定されたままだ。その視線を追いかけると、さっき私が案内した女の子たちの笑顔が見えた。

「そうだね。私が思っていたよりも――」

「あぁ、しおりん。やけど、気をつけなあかんのは、ここにはうちがおるってことや。うちがおるから、そもそも毛嫌いするようなやつは、今日ここには絶対に近づかん」

「そうなの……?」

「自慢やないけど、うちのこと嫌いなやつ多いからな。しかも、ここの部長はマリアやし」

「マリアは良い子だよ!」

派手な外見に始めは驚いたけれど、マリアはいい人だ。すごくいい人だ。

「あぁ、わかっとるわかっとる。マリアがあかんのは化粧が派手で、スカートごっつ短いことくらいや。そんなん、うちがよう知っとる」

何かを噛みしめるように呟くもっつんを見つめる。


「ただいま!」

噂をすれば、今日も美術室を明るくする笑顔で、マリアが帰ってきた。

「お、おかえり、マリア!」

「あー! 何か、私のこと言ってたでしょ!」

ぷんぷんと仁王立ちしているマリアに、何て答えようかと焦っていると、もっつんが口を開いた。

「今日、他校生来るからって、化粧気合い入れすぎやない? ってちょうど、今しおりんと話しとったところでな」

マリアはもっつんの言葉に「えっ? いつも通りだ、よ?」と、どこからどう見ても動揺していた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 あと、30分で文化祭が終わる。体育館でやっている閉会の式に行っているのか、お客さんは誰もいなかった。

「後片付けしてもいいかもな」

「そうだね」

お客さんがいないので、3人で席に着きながら、マリアが屋台で買ってきてくれたたこ焼きをつまんでいた。

「この世界も、もうすぐおしまいだね……」

マリアはそんなことを言いながら、自分が作った世界を見回してる。

「保存してあるから、いつでも再生できるで」

「まったく同じものかもしれないけど、でも違うんだよ……」

もっつんはマリアの言葉に、何が違うんかまったくわからんと、首をかしげていた。


「あっ、そうだ。カザネさんずっと働いてくれているんだよね? もう片付けようか。カザネさんすみません」

COMNから「大丈夫ですよー」とカザネの声が届いたので、マリアに伝えようと口を開きかけたとき――

 世界がぐにゃりと大きく歪んだ。


「詩織! 攻撃を受けています」

攻撃? COMNから届くカザネの言葉と同時に、もっつんが慌てた様子で立ち上がった。

「オペレーション(防衛戦)!」

もっつんが叫んだその言葉で、歪んだ世界が元に戻った。

「なんやーこれ……どういうことやねん……」

もっつんは手元に出したディスプレイを見つめて、ぶつぶつと呟いている。

「端からどんどん書き換えられてる! カザネさん、シャノンも使ってくれ!」

「わかりました」

カザネがそう答えると、壁際に控えていたもっつんのヒューマノイドが静かに目を閉じた。


 もっつんは、うわーっと頭をかきむしりながら、何か指示を出しているのか虚空を見つめている。さっき一瞬歪んだ世界は、元に戻っていて相変わらず変な生き物がのんびりその辺をうろついているけど、攻撃ってどういうことだろう?


 そのときガラッと美術室の扉が開いた。

「よう!」

不敵な笑顔で現れたのは晃久君と金髪美女だ。後ろには春君もいる。

「まだやってる?」

春君はこの変な世界を、面白そうにキョロキョロと見回してから、様子のおかしいもっつんに気がついた。

「どうした――」


 春君がそう私に聞いてきたときに、突然金髪美女が「キャー!」と悲鳴を上げて頭を押さえてしゃがみ込んだ。そのあと、美女の体に大きく2回ノイズが入り、私たちの前からその姿がかき消える。

「レミーネ!?」

「はっ! やりました!」

カザネが姿を現して、大きくガッツポーズをしている。その横に、もう一人知らない別の女性が現れた。

「レミーネ。貴女も仕事なのかもしれませんが、イタズラにしてはやりすぎですよ」

春君が、現れた女性に「ルー!」と驚いた表情を向けた。春君がルーと呼んでいるヒューマノイドは、面影が春君とどことなく似ている。この人がこれまでお世話になってきた春君の世話役のルーミスティさんだろう。


「もう! 2対1……いえ3対1かしら? 卑怯よ!」

この部屋のスピーカーから、苦しげな女性の声が届く。

「私は、この場の環境維持の仕事をしているんです! ルーミスティ、手伝ってくれて助かりました!」

「カザネ。無負荷状態の1対1だったら負けなかったとでも言うの? 生意気じゃない? それにしてもルーミスティ、あなたは今日仕事じゃなかったの?」

「レミーネ、もちろん仕事中ですよ? でも、今日は春に『楽しく終わるように、何かあったら手伝ってやってくれ』と厳命されていましたので」

ルーミスティさんの言葉に、春君に皆の視線が集中する。春君は「えっ……と」と頭を掻いて私たちから目を逸らした。

 春君には、『Fチルということを、隠すのをもう止める』と音声通信で伝えていたので、気にしていてくれていたのだろう。


 照れる様子の春君をじっと見上げていると、にやにやとした顔で晃久君が口を開いた。

「おい春。何、詩織ちゃんの前で格好いいことしてるんだよ」

「お……お前のせいだろ!」

我に返った春君が晃久君の首元につかみかかると、晃久君は「それもそうか。俺のおかげか」と笑いながら開き直っていた。


 『俺のおかげ』か。そんなこと真正面から認めてしまったら春君の努力が無駄になってしまうので、言うことはできないけれど、もしかしたら本当にその通りなのかもしれない。


 去年も、晃久君は皆の度肝を抜くことをやり続けて、春君を困らせていたのだろう。

 周りの皆は呆れて、春君を気の毒に思いながら見ていたのだろうな。


 それは、きっと……


「春君。晃久君。これまで黙っていてくれてありがとう」

私がそう言うと、揉めていた二人はこちらを振り返った。

「いや、別にそのくらい……」

春君が紳士にそんなことを言う隣で、晃久君が多くの女の子を落としたであろう爽やかな笑みで私を見つめた。

「あぁ、詩織ちゃん。同じFチル同士、これから仲良くしような」

「それは、嫌だ」

晃久君に笑顔で答えたあと、後ろの二人を振り返った。

「じゃあ、片付けしよっか!」

「うん」

「せやな」

二人の返事に、カザネを見上げる。

 カザネは笑顔で大きく頷いたあと、手を広げて、「パン」と一度手を叩いた――


 美術室に響くその音で、一瞬で世界は元に戻った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「マリア! 今日、掃除当番だから先行ってて!」

「うん、わかったー!」

席に座って、皆が教室を出て行くの見送ってから、立ち上がって机を整頓した。

「よし!」

廊下に出ると、今日もすべての掃除ロボットが出払っていた。またか……

 カバンを持って立ち上がり、吸引音のする隣のクラスに向かった。


 掃除ロボットが今日も皆のためにせっせと教室を掃除している。私はそれを廊下でしばらく眺めてから、教室に足を踏み入れた。

「あ、あのー」

私が声を掛けたからからか、それとも近づいたからか、彼女は手を止めてこちらに振り向いた。

「何か、ご用でしょうか」

機能はあまり多くないのだろう、たどたどしい機械音声だ。私は彼女と、目線を合わせるように少し腰を落とした。

「あの……名前を教えてもらえますか?」

彼女は何かを計算しているようだったけれど、聞き方がまずかったのか答えはなかなか返ってこなかった。


「シリアルナンバーは、02789-113Vです」

突然返ってきた声に、慌てて携帯端末を起動し、音声入力をする。

「記憶。02789-113V」

「はい。何でしょうか?」

私が携帯端末に操作する声に、名前を呼ばれた目の前の彼女が反応した。

 彼女はじっと私を見つめて、私の指示を待っている。


「この教室の掃除が終わったら、2−Aもお願いします」

「了解、しました」

私が立ち上がって、数歩離れると、ウイーンと彼女は再び働き出した。


「ありがとう……」


 私はしばらく彼女の働く姿を見つめてから、教室を出た。



 窓から漏れる灯りと街灯がぼんやりと優しく照らす道を、まっすぐ歩く。

 マンションの下から自分の家を見上げると、珍しく今日は灯りが付いていた。


 エレベーターから降りて、玄関の扉を勢いよく開ける。

「ただいまー!」

「お帰りなさい。詩織」

返ってきた声と、漂ってきた良い匂いに、私は笑みを作った。





 私は、あの町からみっともなく逃げ出して、この町にやって来た。


 与えられた場所で耐えることもできない。そんなことさえできない私は――なんて弱虫

なんだろうかと、そう思っていた。


 あのときから、何一つ変わっていないかもしれない。


 だけど、そんな自分が、弱虫な私が――

 今はもう、大嫌いではなかった。


Fin


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