7話 一生分のツケ
夏休みが明けて学校に行って、久しぶりに3人で美術室に集まった。
「つらー。楽園が終わってもた」
もっつんは回転椅子の背もたれに限界までもたれ掛かりながら、過ぎ去った楽園の日々を思い出して嘆いていた。そして、マリアの方は――日に焼けていた。
「男引っかけに海か。これやからもう……」
「友だちと遊びに行っただけです!」
もっつんがガタっと椅子から飛び起きた。
「はっ、水着! どうせ撮ってるやろ。見せて、見せて!」
マリアがほらと携帯端末から出したホログラムを、もっつんが「おお! これはこれは!」と鼻息荒くのぞき込んでいる。
私も覗いた。おお! 高校生はもうビキニなんだね……
「もっつんはどうせ、夏休み中引きこもっていたんでしょ?」
「エネルギーが足りんくなるこれから先の未来、いかに日中省エネに暮らせるかで、人の優劣が決まる時代がきっとくる!」
「……せやな」
マリアは慣れた様子でもっつんの言葉を流しながら、立ち上がって、絵を描く準備を始めた。
マリアともっつんは滅多に一緒に遊びに行ったりはしない。それを仲が悪いと思う人もいると思うけれど、私はこれが二人の一番いい距離感なんだと思う。
「んで、しおりんは何しとったん?」
マリアがいなくなったので、今度は私の番だ。
「私は、家で絵を描いたり、町を散歩したり、図書館行って勉強したり……そんな感じかな」
「ふーん、散歩か……なぁそれって、別に地図データで良くない? こう、自分の前に3次元映像として再現させて、手元のコントローラとかと連動させて動かせば――」
「それはちょっと違う」
私も立ち上がって、久しぶりに絵の具の準備を始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そういえば、来月の文化祭どうする?」
絵を描いていると、隣で同じように絵を描いているマリアが話しかけてきた。
「文化祭あるの?」
「うん。文化部は少ないから、文化部のお祭りって感じじゃないけどね。一応、去年は絵を展示したりしたんだけど、今年は人数が少ないからな……」
絵を展示か。私はまだ一枚しか描けていないし、それもどちらかと言えば筆と絵の具を使う練習作品というべきものだ。
「マリアは、何か展示する絵はあるの?」
「今描いているこれは、たぶん文化祭までに完成しないし、新しいのは2枚だけかな?」
「もっつんは出さないよね……?」
もっつんは美術部で絵なんてものは描いていない。もっつんがどうして美術部なのかは本当に謎だけれど、もっつんに言わせれば、もっつんのやっているあれは新時代の『芸術』らしい。それを認めているのはもっつんだけだ。
「うーん、だから出せるのは、しおりんが1学期に描いたあの1枚と、私の2枚くらいかな。どうする? 止めとこうか?」
マリアはうーんと考え込んでいる。実は、ほんの少しだけ文化祭というものに憧れはあるけれど、展示物がないからには仕方ない。
「そうだね」
「やるで」
いつの間にか、もっつんが暗幕から顔だけを出していた。
「大丈夫。人なんて、ここまであんま来んし」
「それだったら、やる意味は……」
「文学部が出るねんで、ここで引いたら、うちらの戦いの歴史に黒星を付けることになる。そんなん先輩方のお墓に顔向けできんやん!」
まだ、先輩方死んでないんじゃないかな……?
「そうだね。そこまで固くなる行事でもないし、とりあえず出すって申請しちゃおうか」
「頼んだ部長!」「たまには働け副部長」と二人はノリノリで、文化祭への参加を決めてしまった。
そうして、あっという間に文化祭は来週に迫っていた。
「早ー。1ヶ月めっちゃ早。まだ、何もしてないし」
「ど、どうするの?」
今日こそいい加減に何か準備をしようと、今日は3人で美術室に集まった。
「どうしよっか。別にこのままいつも通り、絵だけ置いてもいいんだけど……」
「それは、おもんないやろ!」
1ヶ月何も決まらなかったものが、すぐに決まるはずがない。
「……コーヒーでも飲もか」
そう言いながら立ち上がるもっつんに、
「もっつん私も」
「あ、私も」
マリアと声を掛ける。正直、美術室で真面目に絵を描いているというよりは、コーヒーを飲みに来ているだけな気もする。
「いっそ、ここでコーヒー配ったらどうかな?」
もっつんからコーヒーを受け取りながら、私がそう呟くと、二人から同時に
「それや!」「そうしよ!」
と返事が返ってきた。
「コーヒー飲みながら、絵を見るカフェとか良いよね?」
「コーヒー飲みながら、執事見るカフェとか良いやんな?」
両方一緒にできると気づくまで、二人は今日も仲良く揉めていた。
「あのさ、これどうしよう?」
美術室の通路側には、先輩方の絵が乱雑に並べられている。そして、部屋の隅にはもっつんの作業部屋――暗幕で仕切られた謎のエリアがあった。
「……たまには片付け、しようか」
同じ方向を見つめるマリアの淡々とした言葉に「うん」と返事をしようとしたとき、もっつんが「いやや」と割り込んだ。あの、いやって。
「めっちゃめんどいから、このままにしよう。片付けるくらいやったら、うちは執事諦める」
「えっと、どういうこと?」
「どかさんと、覆っちゃえばいいやん? うちのヒューマノイドでこの部屋の半分くらいやったらいけるし、内装も色々選べるで」
もっつんがいつもあの仕切りの中でやっていることを、ここでやるということだろうか?
「試しにあっちでやってみるか」
そう言って立ち上がったもっつんと、作業部屋に移動した。
「準備するから、二人は机と椅子用意して、コーヒー持って座ってて」
「はーい」
マリアと机を運んできて、その両側に置いた椅子にそれぞれ腰掛ける。
「もっつん準備いいよ」
「あー、内装はどんな感じがいい?」
「アンティークな洋館って感じで!」
マリアが元気よく答えた。
「はいよー。ちょっと待ってな……」
もっつんがCOMNを付けて、何か作業をしていたが、不意に顔を上げてこちらを向いた。
「じゃ、スタート」
もっつんのその言葉と共に、内装が古い洋館に変化する。テーブルを見ると、学校の四角い机が丸テーブルに変わっていた。注意してよく見ると、ときどきノイズがのるが、本当によくできていると思う。
「もっつん。これ、ヒューマノイドに手伝ってもらっているの?」
「もちろんそうやで。この広さやったら、まだ余力あるから、ボディも出せるねんけどな。これ以上となると同時には無理や」
もっつんのその言葉と共に、部屋にいつものグレーの髪の、それはそれは美しい執事さんが現れた。
「そういえば、もっつんコーヒーカップはこのままなの?」
マリアの問いかけにもっつんはうーんと悩んでいる。
「人と一緒に動くものにホログラム貼り付けるのって結構演算能力使うからな。できんことはないけど……それに、紙コップって取っ手付いてないけど、普通コーヒー飲むコップにはついてるやろ? ホログラム上で取っ手付けると、持つときに失敗するからな」
そのとき私とマリアの紙コップが、一回り大きなマグカップに変わった。もっつんの言うとおり、取っ手を持とうとすると、指が通り抜けてしまう。
「あと、目に見えるのは丸テーブルやけど、ほんまはちゃうから、端の方にコップ置くともちろん落ちるで」
「ちょっと色々アレンジした方がいいかもね」
マリアは部屋の中を見渡している。
「そうやな」
マリアの視線を追うように3人で部屋の中を眺めていると、不意にマリアが口を開いた。
「あのさもっつん。COMN着けたら、私にもアレンジできる?」
マリアのその言葉に、さすがのもっつんも少し驚いている。
「あぁ、できるけど……」
「前から、ちょっとやってみたかったんだ!」
「え? いいけど、ちょ、ちょっと待って。準備するから」
部屋の中にいた執事さんが消えたあと、もっつんは自分の首に着けていたCOMNを取ってためらいがちにマリアに手渡した。
「マリア、これ自分で着けれるよな? そんで……うちら向こう行ってた方がいい?」
「どうして?」
「今、COMNにマリアが強く頭の中でイメージしたものを、イメージ通りに出力するよう設定した。けど、慣れてないと思わぬもんも、出てくるから……」
「そうなの? まぁ大丈夫でしょ」
マリアはそう笑顔で言ったあと、もっつんから受け取ったCOMNを自分の首に着けた。
「こうかな?」
ぐっと力強く目をつぶるマリアの目の前に、カラフルな大きな青虫が現れた。目を開いたマリアはそれを見て「わー! もっつんすごいね!」と喜んでいる。
マリアが視線を向けるたびに、この世界には存在しない空想の生き物がその場に現れた。
小さい頃私がカザネに遊んでもらっていたように、目線だけで世界を描き換えるマリアの楽しげな様子を、私は不思議な気持ちで見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『警告。負荷率95 %突破』
突然もっつんの目の前に現れた真っ赤なその文字に、もっつんが慌てた様子で叫んだ。
「描画更新停止。現状保持!」
変化の止まった世界を見て、もっつんはふーっとため息をついたあと、マリアの方を向く。
「マリア、これ以上は処理能力的に無理や」
マリアは「えー」と、すねた表情をしていた。
いつの間にか洋館は消えていて、変な生き物のたくさんいる、絵本のような世界に変わっていた。ここはきっと――マリアの世界だ。
「もっつん面白いね。これ」
マリアは首に着けているCOMNに触れながら、自分の世界を見上げている。
「うちは、こういうリアルじゃないの考える苦手やから、こういうの初めて見たわ」
「本当は、動かしたいんだけどね」
「この変な生き物たちが動くんか」
もっつんはその様子を想像しているのか、「へー」と上を向いて微笑んでいた。
「もっつんありがとう。COMN取っていい?」
「ええよ。じゃあこれで一旦保存しとくで」
マリアが笑顔でもっつんにCOMNを返した。
COMNを取った後も、二人は止まってしまった世界を見つめて、楽しそうに会話を続けている。
「ねぇ、もっつん……」
「なんや?」
二人はこちらを向いて、言葉の出ない私をじっと見つめている。私は、二人から目を逸らして、無理矢理口を開いた。
「あの……あのさ。ヒューマノイドがもう一人いたら、マリアのしたいこと……できる?」
「あぁ、その手もあるな! 頼むのはタダやし、頼んでみるか。うちじゃ無理でも、マリアとしおりんのお願いやったら、いけるかもしれん!」
マリアは「えっ?」と戸惑っているが、もっつんは「さぁ、行こか」と張り切って立ち上がった。その瞬間、世界が元に戻った。
もっつんが暗幕の外に出て行く――
「もっつん! 待って!」
「もっつん。それはやっぱり迷惑だよ……」
マリアの言葉にもっつんは立ち止まってこちらを振り返った。
「んー、そう? Fチルのお願いやったら、結構簡単に聞いてくれるもんやけどな」
もっつんの言うとおり、カザネが私の頼みを断るはずがない。あの忙しいカザネは私のために、どんな手段を使っても、休みを取ってくれるだろう。
カザネの方は問題ない。あとは――私だ。
震えそうになる足に力を入れて、気合いで顔を上げた。
「もっつん違うの。あのね……私、Fチルなんだ」
二人は驚いてこちらを見ている。
そして――
「しおりん、一生のお願いや! うちのヒューマノイドのAIのカスタマイズ手伝ってください!」
私につかみかかって突然そんなことを言うもっつんを見て、予想していた言葉とは少し違ったけれど、如何にももっつんらしい反応に、私は安心して笑ってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「しおりん、どうして隠していたの?」
どうして――マリアのその言葉に、色々な記憶が頭に浮かんで、端から消えていった。
「あっ、話したくなかったら別にいいからね!」
マリアは私を責めている訳ではなく、本当に疑問に思っているから聞いているように見える。手を揉んで軽く深呼吸をしてから口を開いた。
「私の住んでいた町、小さかったから。Fチルへの風当たりがきつくて……それで」
あの町に暮らして、あんなに色々あったのに――言葉にすると、たったそれだけだ。
「しおりん、せやからその町を出て、こっち来たってこと?」
もっつんの言葉に、あの町を逃げ出したことを思いだして、私は下を向いた。
「うん……」
「アホやろ。そいつら」
もっつんは吐き捨てるようにそう言ったあと
「ってことは――あはは!」
急にこちらがびっくりするくらい明るく笑い始めた。
「あぁ、悪い。しおりんのこと笑ってるんやない」
凍り付いていた私は、その言葉にやっと呼吸が戻った。
「あぁ、で、しおりんうちらも黙ってた方がいい? 別にペラペラしゃべったりはせんけどな」
もっつんは、いつもの顔で「どうする?」と私の顔をのぞき込んでいる。
まっすぐ私の目を見つめる、二人の顔を順番に見る。この二人は、思ってもいないことを言って、場を取り繕うなんてことはしない。きっと、私に言いたいことがあれば、言ってくれる。
だから、大丈夫。
「文化祭でCOMN着けると、どうせバレるし言ってもいいよ。私、隠すのもうやめる」
「うん」
「了解! で、しおりん。うちの頼み……聞いてくれるかな?」
なぜか恥ずかしそうにそんなことを聞くもっつんに、苦笑する。
「いいよ」
「よっしゃあ! しおりん、代わりにうちに何か頼みたいことある? 何でもええで!」
頼みたいことか……
私は、去年まで、あの町を出て行ければそれでよかった。それだけが私の願いで、その願いは叶った。
もう他に、私に願いなんてないと思っていた。
『二人は、ずっと私とこのままの関係でいてください』
私は何て、欲張りなのだろうか。
「今はないから、取っておく」
「ツケな!」
「うん。もっつんの『一生のお願い』のツケだから、大きなツケだね」
もっつんはマリアの方を向いて「このツケ怖いわ」と小声で告げ口をしていた。
「おっしゃ、とりあえず文化祭の細かいこと決めるで。マリア。しおりんのおかげで大抵のことはできる」
「本当に!? だったら――」
笑顔で、今後のことを相談し始める二人のことを、私は泣きたいくらいの笑顔で見ていた。




