6話 カザネ先生
早いもので、今日で1学期が終わってしまった。期末テストは中間テストよりも若干順位が下がっていた。夏休みは勉強ちゃんと頑張ろう……
少し重い足取りで、美術室に行くと、今日はマリアがいなかった。
「よお、しおりんええとこに」
分厚い黒のカーテンの隙間から、ひょいひょいと手招きされてカーテンを潜ると、「はい着けて」とCOMNを渡された。
私が椅子に座ってCOMNを着けると同時に、
「はい。スタート」
いつものように何も説明されずに始まってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『ハイスコア更新!!』
「これは、惜しい! あともうちょいで90点やったのに!」
もっつんは、宙に浮かぶ『88点』の文字を見上げながら、くーっと悔しがっている。もっつんは先月、COMNを介した興奮度測定に新しくスコア表示機能を追加した。それからもっつんは私に90点を出させることを目標として日夜頑張っている。恥ずかしいので止めてください。
「でも、しおりん、ほんまこの人好きやな……」
もっつんの言葉に横をちらりと見ると、中国風の赤い服を着た男性はまだ私をじっと見つめていた。
実は、これまで結構調べた。だけど、分からなかった――
「あ、あのさ……もっつん。この人にモデルとかいるの……?」
もっつんは、私の言葉ににやぁと邪悪そうに笑っていたけれど、そのあと正直に教えてくれた。
残念ながら、著作権の問題でモデルの男性は全員昔の人らしく、その男性は100年以上前の中国の俳優さんだそうだ。当然もう亡くなっている。それを聞いた瞬間、心がぎゅっと締め付けられる思いがしたけれど、今日は帰ってからもっつんがくれた、その人が主演の古い映画を見よう。勉強は明日からだ。
学期末なので、私は明るい日差しの中、学校を出た。
この高校での1学期を振り返れば、Fチルだとばれなかったし、平和に過ぎた。本当に、私が想像していたよりも平和な日々で、忙しかったけれど充実していた――そう私は生まれて学校と言うものが楽しかったのだと思う。
マンションの前をせっせと掃除するロボットや、空を飛んで宅配物を運ぶロボットを見上げながら、家までの道を歩く。
「ただいま!」
いつも通り誰もいないと思っていたのに、
「お帰りなさい」
珍しく声が返ってきた。慌てて靴を脱いで、リビングに向かうとカザネがリビングの扉を開いてくれた。
「カザネ、なんでいるの?」
「詩織は、私に帰ってきて欲しくはないのですか?」
ひどいです……と続けるカザネに、慌てて否定をする。
「違うよ! 日が出てる時間に帰ってきているとは思わなくて」
「あの場所でも、頼めば休みぐらいくれますよ」
カザネはそう文句を言ったあと、まっすぐ私を見た。
「お帰りなさい、詩織」
笑顔で、もう一度そう言うカザネに「ただいま」と私は笑顔で答えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『到着しました。ICカードをかざしてください』
機械音声に従って、ICカードで支払いを済ませ、私は自動運転車から降りた。
「ここかな……」
目の前には、大きな白い病院が建っている。今日はせっかくの夏休みなので、カザネの働く姿を見に来た。もちろん内緒でだけれども、敷地内に降りたった瞬間にカザネは気がついていそうだ。
のんびりした日差しの中、病院の大きな自動ドアをくぐると、受付にまったく同じ顔をした女の人が3人並んでいた。
「……」
さすがに3つ子はないと思うから、ヒューマノイドだと思う。Fチルである私でもびっくりだ。
「今日はどのようなご用件ですか?」
空いているところに並んで、そう聞かれてから、何と言おうかと今更ながらに気がついた。
「え、あの、カザネ先生……はどこにいるかわかりますか?」
「詩織様ですか?」
顔認識だと思うけれど、何も言っていないのにバレている。
「は、はい」
そう返事をした私の顔を見て、ヒューマノイドの女性はにっこりと笑みを作った。
「カザネ先生は、今こちらに向かっておられます。あと23秒ほどこちらでお待ちください」
数えてはいないけれど、ぴったり23秒後にカザネは受付に現れた。
白衣を着て、胸元に『風音』と大きく名前の書かれたバッチをつけたカザネを見上げる。
「詩織。何かあったのですか?」
真剣にそんなことを聞かれると、何だか申し訳なくなって私は正直に謝った。
「カザネ、ごめん。カザネがどんなところで働いているか見たかったんだ」
「……そうですか」
カザネはそう呟いたあと、一転して笑顔になった。
「ちょうど30分、時間をもらいましたので、少し歩きましょうか」
「うん」
ゆっくりと白い廊下を歩き出すカザネの後ろに、私は付いていった。
「『ここが、私が働いている手術室です!』なんて見せることはできませんし、病室も部外者の立ち入りは禁止されているので、詩織。その、すみません……」
カザネは病院の廊下を歩きながら、申し訳なさそうな顔でこちらを振り返り、そう言ったけれど
「カザネ先生。こんにちは」
「ソウタさん、こんにちは」
すれ違う患者さんと時々挨拶をする――私はそのときの患者さんたちのカザネを見る表情だけで、もう十分に満足していた。
「あとは、ここでリハビリなんかをします」
明るい雰囲気の公園に、ベンチが並んでいる。お年寄りが何人かベンチに腰掛けて、日向ぼっこしていた。そんなお年寄りたちや、公園で遊ぶ子どもたちを、カザネは私の隣で優しい顔で見守っていた。
二人で静かにただ並んで立っていると、おばあさんがこちらに近づいてきた。
「あれ、カザネ先生。その子は……?」
おばあさんの言葉に、カザネは私のことちらりと見てから、その横顔がなぜか戸惑っているように見えた。
私は……私は、カザネの何なんだろう。立場としては、カザネの『主人』だ。でも、ニコニコと答えを待っているおばあさんは、私たちからそんな言葉を聞きたいのだろうか?
「私はカザネの娘……です」
「詩織ちゃんかい?」
「えっ? あ、はい」
どうしてこのおばあさんは私の名前を知っているんだろう。そう思ってカザネを見上げると、カザネは珍しく私から目を逸らした。
「あらまぁ、こんなにかわいらしい娘さんだったら、わたし大歓迎よ!」
おばあさんの喜ぶ声に、戸惑ってカザネに聞く。
「カ、カザネ。何の話?」
「カザネ先生に、私の孫のお嫁さんになって欲しいって頼んでいるの。ひいき目もあるかもしれないけれど、優しい子なのよ」
えっ? と驚いていると、カザネは「リズムさん。その話はまた今度」と笑顔でおばあさんに答えてから、私の背中を押した。
あのおばあさんから十分離れてから、カザネは私の背中を押すのをやめて立ち止まり、重そうな頭でこちらを振り返った。
「カザネ。お嫁に行くの?」
からかうように私がそう言うと、カザネは肩を落とした。
「詩織。あの女性は、私がヒューマノイドであることをすぐに忘れてしまうんですよ」
本当に困惑しているようにそんなことを言うカザネを見て、「ふふ」と笑みがこぼれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「詩織、気をつけてくださいね」
「自動運転車で家まで送ってもらうから大丈夫だよ」
カザネは私がここにいると、気が散ってしまうだろう。私は、これ以上邪魔をしないように家に帰ることにした。
「ねぇ、カザネ。あの受付の女の人たち、ヒューマノイドだよね?」
「はい、そうですよ。ちなみに、あそことあそこのお姉さんもヒューマノイドです」
カザネはそう言いながら、調剤薬局で働いているおばさんと、待合室にいるお年寄りに中腰で話しかけている女性を示した。全然、分からなかった。
「ここにはたくさん居るんだね……」
「そうですね。この病院には本当にたくさんの人が来ますから、受付なんかは特に人の顔を覚えられるヒューマノイドが重宝されるようです。患者さんを間違えては大問題なので、私も良く聞かれますよ」
カザネはそう言いながら、患者さんたちを見つめている。きっとカザネの頭の中には、ここにいるすべての患者さんのプロフィールが入っているのだろう。
ヒューマノイドが嫌いではない患者さんにとっては、カザネは自分のことをちゃんと覚えてくれている人――それは人かロボットかどうかなんて関係なく、きっと嬉しいんだろうな。
「詩織」
カザネの声に、「ん?」と振り返ると、カザネは眉を寄せて険しい表情をしていた。
「えっと……呼ばれています。5分以内に出頭しろと指示が届いたので、私は、もう戻りますね」
出頭?
「うん。わかった」
私が笑顔で答えると、カザネは「行ってきます!」と私に手を上げて、白い廊下を颯爽と行ってしまった。
その白衣を着た背中が見えなくなるまで見つめてから、私は受付の3つ子さんに礼をしたあと、病院を出た。




