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Filling Children  作者: 笹座 昴
2章 人の心。機械のこころ
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5話 弱き者



「しおりん今日は部活行く?」

「行くけど、掃除当番だから少し遅れるね」

「わかった。先に行ってる」

マリアに手を振って、自分の席で皆が帰るのを待つ。

 テストまであと2週間だ。何も考えたくない気分でぼーっとしていると、いつの間にか教室には誰もいなくなっていた。

「そろそろ……やろう」

机に手を突いて立ち上がる。

 通路を塞ぐような机はないけれど、どのくらい整頓すればいいのか分からないから念のため前の机から少しでも歪んだ位置にある机を丁寧に整えた。床に視線を向けながら教室を回って、ゴミ以外の落とし物がないかを確認してから、掃除ロボットを呼びに行くために廊下に出る。

「あれ、いない……」

ロボットがいつも並んでいる場所を見ると、全員出払っていて一台も残っていなかった。私がのろのろとしていたから、他のクラスの掃除に行ってしまったのだろうか。

 こういう場合どうすればいいんだろう? 隣のクラスを覗くと、ロボットが右手にジェットブラシを装備して、高温の水蒸気で机の上を一枚一枚丁寧に拭いていた。それと同時に、左手の方に取り付けられた掃除機のブラシで、机の脚の部分まで床を丁寧に掃除しているのが見える。

 私の家にも掃除ロボットはいるから、今のロボットがあのくらいことをできるのは知っている。だけど、

「すごいな……」

毎日毎日スチーム掃除をしていれば、この学校の机の上があれほど綺麗なはずだと、私は感動していた。

 ロボットが掃除をしている姿を見守っていると、ロボットが急にこちらの方までやってくるのが見えて、私は教室の扉から慌てて跳び退いた。ロボットは教室から出て、自分で水道からタンクに水を補給し、またこちらに戻ってくる。ロボットが教室の扉に近づくと自動的に扉が開き、ロボットは速度を落とすことなく教室の中に入って掃除を再開した。


 静かに、一切の手抜きなく掃除を続ける『彼女』――彼女は嫌々やっているんじゃない。それが彼女の仕事だ。


「あれ、佐々木さんだよね? どうしたの?」

後ろから声を掛けられて驚いて振り返ると、ジャージを着た男の子がいた。同じクラスの人だったと思うけれど、名前が思い出せなかった。

「えっと、今日掃除当番なんだけど、みんなもう出ちゃったみたいで……」

ロボットが並んでいる場所を指さすと、その男の子はそちらに目をやり、「あぁ」と頷いた。

「その場合は、あいつらにそう言っておけば、あとでやっておいてくれるよ。2−Aいいぞ!」

男の子が最後にそう叫ぶと、隣のクラスで掃除していたロボットは一度止まり、「了解、しました」と返事をした。

「あ、ありがとう」

「ん。じゃあ」

男の子はそう言って颯爽と立ち去った。

 私は彼女が働く姿を、もう少し見つめてから、鞄を取りに教室に戻った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「終わった!」

1週間かけて実施されていた中間テストがやっと終わった。そう終わったんだ。今日は、結果ではなく、その事実だけを考えよう。

 今日は午前中で学校は終わりのため、美術室でマリアと向かい合ってお弁当を食べていると、珍しくもっつんが美術室にやって来た。

「もっつん、どうだった? テスト」

もっつんは扉に手を掛けながら、難しそうな顔をしている。

「まぁまぁやな」

悪かったのかな?

「しおりん。もっつんの『まぁまぁ』は信じちゃだめだよ。もっつんの理数科目は、私のダブルスコアくらいからスタートするからね」

数学が苦手なマリアはため息をついた。

「もっつん、やっぱり成績いいんだ……」

私がそう呟くと、聞こえていたらしいもっつんが「いや?」と顔を上げた。

「英語とか日本史とかは、ずたぼろやで。前、英語20点で、日本史は6点しかなかったし」

「え?」

「英語はなー、みんなも思てるやろうけど、そんなもん勉強するくらいやったら先に日本語勉強するわ。んで日本史の方は、いちいち年号やら人の名前やら『答えろ』とかおかしない? ネット繋いで先生に聞いたら一発な時代に、わざわざ聞くとかそんなんあり得んやろ。鎌倉幕府がいつできたとか、人生でそんなこと聞かれる機会、何回あるんやっちゅうねん。そんなもん聞かれたときに調べりゃええわ。それよりもさ。これからの時代、いかに早く、目的のもんを検索できるかとか、そういうスキルの方が重要やと思うねん」

Fチルでもないのに、COMNを首に付けているもっつんは、自分で言った言葉に大きく頷いていてからこちらを向いた。

「しおりんもそう思わん?」

思うか思わないかだと、私も無駄だなって思うことがあるけど

「えっと、もっつんが言いたいことはよくわかるけど、そんなに簡単に変わらないんじゃないかな? 監視されている気がするって、ネットにあまり繋がらない人も多いし」

「それ! 上がそんな旧世代の遺物ばっかやから、ずるずるとずっとそのままになんねん!」

もっつんはそう地団駄を踏んでから、ぷいと自分の作業部屋まで行ってしまった。



 お弁当箱を片付けて、絵を描く準備をしながらさっきのことをぼんやりと考えてみる。実家環境が凄いのかもしれないけれど、もっつんは変わっている――いや凄い人だ。


 もっつんは、ヒューマノイドを一体、自分の物として所有している。

 もっつんは時折美術室にふらりと現れては、暗幕に囲まれた作業部屋で夜遅くまでごそごそと作業をしている。コーヒーを貰うために暗幕の向こうを覗いたときに見えるのは、豪華な回転椅子に座ってただ宙を見上げるともっつんと、3次元的に配置された大量の球や直方体のブロックとそれらをつなぐ配線だ。虚空に浮かぶそれは、プログラムのコードだと思う。分子構造によく似た立体的なそれが、もっつんの見つめる先でくるくる回転したり、形や色が変わったり、新しいブロックが現れては大きくなったりする。

 もっつんは、端から見ればそれをただ眺めているだけにしか見えないけれど、実際にはCOMNを通して、ヒューマノイドに思考だけで大量の命令を送っているのだろう。


 もっつんは、私がFチルだと知ったら何と言うだろう。

 「あっそうなん?」で終わりそうな気がするけれど、それは私の願望だろうか………


「もっつん。変だけど、面白いでしょ」

「うん」

そう私に聞いてくるマリアは笑顔だ。マリアは、もっつんのことを本当にただの変な人だと思っている。


 マリアは派手な外見をした子だ。前の学校だったら絶対に私とは、友だちにならなかったと思う。

 マリアは、派手な外見と同じように結構ずけずけと物事を言う。それが嫌な人は多いと思うけど、私は、表情と言動が一致しているマリアは、すごく安心できる。

 マリアはもっつんに何か言いたいことがあれば、その場でもっつんにはっきりと言う。そしてもっつんは、楽しそうにそれに言い返している。マリアがもっつんの居ない場所で、もっつんのことを悪く言うことはない。

 もっつんもそうだ。もっつんがマリアの悪口を言うときは、必ずマリアがその場にいる。まるで、本人がその場にいないときは、言っても意味がないとでも言うようだ。


 まだ美術部に入って一月だけれど、二人は仲が良いのだと思う。

 私にはそれが、うらやましかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 中間テストの結果は、真ん中より少し下だった。思ったよりは、良かった……のかな? カザネに見せると、「この問題でこの点だと、詩織は去年よりはよっぽどできています」と一応褒めてくれた。

 先生たちはテストを返した直後に、7月にある期末試験の話を始めた。頑張ろう……

「しおりん、マリア。コーヒー飲む?」

「お願い」

「ありがとう」

マリアと並んで絵を描いていると、もっつんは作業に疲れたのか回転椅子を引きずって作業場所から出てきた。「ほい」という言葉と共に、机にコーヒーの入った紙コップが2つ置かれる。

「そういえば、どうしてコーヒーサーバーがこんなところにあるの?」

あれは市販品ではなく、店に置いているような大型のものだ。

「落ちとったから、直した」

もっつんの言葉に「そっか」と答えてから、こんなことくらいでは驚かなくなった、自分の慣れというものに恐ろしさを感じてしまった。


「直した言うても、直したんはうちちゃうで」

「会社の人?」

「いや、うちのヒューマノイドや。直しとってって頼んだら、次の日の朝には『お嬢様、直しました』って、できあがったとったわ。そのときの顔、どや顔でえらいかわいかってんで」

もっつんのヒューマノイドは、興奮度計測のときに現れたグレーの髪のあのきれいな執事さんがそのままらしい。「晃久と同じことをしてる」とマリアにぼそりと呟かれて、もっつんは「自分に正直になって、一体何が悪い!」と開き直っていた。


「ヒューマノイドってほんと何でもできるね」

しみじみと呟いていると、もっつんの視線を感じた。

「しおりんはさ。ロボット嫌い?」

「まさか!」

そんなことあるはずはないと強調したかったけれど、そこまで熱心に言うと不自然かもしれないので自分を抑えた。

「それがええで。これからの時代な」

もっつんは話すのが好きらしく、ときどきこんな風に私たちに普段考えていることを話してくれる。

「うちはさ、ヒューマノイド持ってるやろ。しおりんもマリアも、買えるんやったらできるだけ(はよ)買った方がいいで。これからは、いかにヒューマノイドを早く所有したかで勝ち負けが決まる時代が来る」

「もっつん。あのさ、社長令嬢じゃない一般人にとってはヒューマノイドは凄く高いの知ってる?」

マリアが絵を描きながら、呆れた様子でそう指摘した。

「まぁ、今はそうやけど、それでも徐々に安なってるで。買えるくらいになったらすぐ買う。買えるまで必死に働くが、成功への秘訣やとうちは思う」

「買っても、もっつんほど使いこなす人は居ないんじゃない?」

COMNをあんなに使いこなしている人は初めて見た。私たちFチルの中でも、そんな使い方をしている人は少ないだろう。

「別にこんな使い方せえと行ってる訳やない。単純に、ヒューマノイドに働いてもらったら労働力は2倍なんや。2馬力で稼いだ金で、新しいヒューマノイドを買う。そうやって繰り返していけば、稼げる額がどんどん増えるやろ?」

ヒューマノイドは、普通の人よりもよほど上手く仕事をする。そんなヒューマノイドが増えれば、労働力不足が深刻な問題となっている日本でも、いつか職がなくなる人が出てくるかもしれない。

「それって、最終的に一部の人だけが稼げるってことにならない?」

「うん、そうなると思うで。最終的にはヒューマノイドが全人類を養ってくれるようになると思うけど、その過程にはすさまじい貧富の差が発生するやろな。やから、ロボットとは今のうちから仲良くしておくべきやと思う。毛嫌いするやつはただの阿呆や」

もっつんは、回転椅子の背もたれにあごを乗せながらそう言い切った。


 ロボットと仲良くか……私は小さい頃から、そんな世界を夢見ていた。


「そう考えれば、Fチルは得やな」

「えっ?」

幸いにも、もっつんは私ではなく廊下の方を見つめていた。

「Fチルは生まれつき、ヒューマノイドを一体所有してる。しかも、Fチルの世話役のヒューマノイドは基本スペックが一般品よりも高い上に、高価なメンテナンス費も無料。ヒューマノイド買える金持ちの数が限られる今の時代では、これは相当有利やで」

「Fチルのヒューマノイドって普通のものと、違うの?」

マリアは知らなかったらしく、もっつんにそう聞いていた。

「あぁ。できるだけ人に似せよって、ニューロン素子――脳細胞みたいなやつやな、これを限界まで積んでる。市販品のだいたい100倍くらいやな」

「知らなかった」

「つまりや。ヒューマノイドの中でも、超高級品がFチルのためだけに働いてる。Fチルは確かに生物学上の両親と呼ばれるものはおらんかもしれんけど、ヒューマノイドは年をとらんから介護費用なんてもんはかからん上に、ヒューマノイドのメンテナンスは国に保証されている。つまり、自分も働くようになってからのヒューマノイドの稼ぐお金はほぼ自分のとこに入ってくる上に、ヒューマノイドはな――そりゃあ主人のために必死に働くで」

「あのさ、Fチルのことよく知らないんだけど、Fチルが成人したら、ヒューマノイドは国に返されたりしないの?」

マリアは、私がぎょっとするような質問をもっつんにした。

「マリア、そんなわけないやん。Fチルにとって世話役のヒューマノイドは『親』やで。Fチルが死ぬまでは、世話役のヒューマノイドの所有者はFチルってことになってる。やから世話役のヒューマノイドが稼ぐ金を、Fチルは国に取り上げられることもない。人間の中には我が子のために、全財産を与える親も一応おるからな。世話役のヒューマノイドが全員(・・)同じことしても、批難することは何一つない訳よ。なぁ? ごっつ有利やと思わん?」


 私はFチルだ。私は今まで、こんな生まれ方をした自分が劣っていると――弱者なのだと信じていた。


 そうじゃないと言うもっつんの言葉を、受け入れたいのか否定したいのかわからず、混乱した頭でマリアの方を見ると、マリアも今日は何かを考え込むように、下を向いていた。



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