１話 死に行く町で（２）
「坂井先生、おはようございます」
「カザネ、おはよう」
診療所の前で車で待っていると、坂井先生が診察鞄を持って助手席に乗り込んだ。坂井先生がシートベルトを着けるのを確認してから、助手席の扉を閉め、ハンドルを握ってアクセルを踏んだ。
私たちが向かうのは、同じ町のはずれに点々と散らばって住むお年寄りのもとだ。町の中心部でさえ財政不足により少しずつ荒れた道路が目立ってきたこの町で、中心部から離れた地では、昨日訪れた柳瀬さんのところのようにきちんと整備された道路はもうほとんど残っていない。そのため、車に備え付けられている自動運転機能では、道を正しく認識できずに途中で停止してしまう。
無線通信網から隔離されたこの地域では、都会では当たり前のことでもできないことが多く――この地域だけまるで、この町ができた2000年代初頭のようだ。
そういうこともあって車は私自身が運転しなければならないが、車の制御装置と直接接続できる私は、本来ならハンドルを手で握る必要がない。けれどもここでは、人とまったく同じようにしなければ、人に怒られてしまうことがある。私はこの10年で、できるだけ私がロボットだと、人にばれないように振る舞うことを学んだ。
ネットワークにつながれば、ヒューマノイドの仲間によりデータベース化された人の振る舞いに関するありとあらゆるデータが、数多の例と共に確認することができる。最近では数時間程度では私がヒューマノイドであることは、人にはまず気づかれないようになった。
目的の家の前に着いたので、車を停止させて助手席の扉を開いた。この家の患者さんは89歳の女性で、61歳のお嬢様と一緒に暮らしている。
今年で御年67歳になる坂井先生は、助手席から降り、すたすたと歩いてインターホンを押した。しばらくしてから、61歳のお嬢様が玄関の扉を開けてくれたが、今現れたお嬢様よりも、どう見ても坂井先生の方が背筋が伸びて若々しい。
「入るよ」
坂井先生はそう一言だけ声を掛けて、慣れた様子で患者さんが寝ている部屋に向かった。車を降りた私もお嬢様に会釈をしてから、坂井先生のあとに続いた。
患者さんの部屋に入り、備え付けられている機械とアクセスをして、前回の診療からのデータをすべて受け取った。そのデータを整理して、患者さんを診療している坂井先生に経過報告をする。
悪くはなっていない。でも良くはならない。
「カザネ。前回と同じで良い」
「わかりました」
前回と同じ処方をしてから、私たちは次に待つ患者さんのところに向かうために立ち上がった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「来週で、やっと私も引退だ」
診療所に戻って、坂井先生は昼食のラーメンをすすりながら突然そんなことを言った。診療所の隅に座って有線接続によりネットからデータを受信していた私は、驚いて坂井先生の顔を振り返った。
「先生。来週私がやっと一人前になるだけで、先生には居てもらわないと困ります」
「もう私より、お前の診断の方が正しいじゃないか」
坂井先生が言うように、医療関係のデータ解析技術の改良が進んだ現在では、正答率と言った点では私の方が正確なのは確かだ。けれども
「患者さんは『人』なので、私ではどうにもならない部分はたくさんあります。それに、診療に回るのが突然私だけになれば、患者さんは困惑します」
10年間坂井先生について回ってわかったが、患者さんであるお年寄りの多くは、病気を治したくて診察を受けているのではない。
人は、誰かに構ってもらいたいのだ。
その誰かが、『ロボット』というだけで、満たされない気分になる人は多い。
「人が足りないっていうのに、どいつもこいつもわがままなんだよ。カザネの何がいけないんだ。私だって、いい加減ゆっくりと休みたいんだ……」
坂井先生は、そういつものように文句を言った。
坂井先生は私がヒューマノイドかどうかをあまり気にされない。『よく働くものを、使う。それの何が悪いんだ』といつもおっしゃられている。
人の中には、いろいろな種類の人がいることを、私はこの町で学んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「じゃあ、カザネ。今日はさっさと帰りな」
「ありがとうございます」
本日、私はやっと医者になれた。坂井先生は一言「おめでとう」と言ってくれただけだけれど、坂井先生なりに喜んで、私を気づかってくれているのはわかる。
急いで車を運転して、予約していたケーキを受け取ってから家に帰った。
「ただいま」
「お帰り！」
玄関の扉を開けると、良い匂いが漂ってきた。そして、詩織がリビングから顔を出して、玄関まで迎えに来てくれる。詩織の顔を見て、かばんの中から一枚の紙を取り出して、自分のシリアル番号が書かれた紙を誇らしげに掲げて見せた。
「詩織これです！」
「やっとお医者さんになれたんだね。カザネ、おめでとう！」
詩織は紙をのぞき込みながら、目の前でパチパチと拍手をしてくれた。笑顔の詩織をしばらく見つめてから、買ってきたケーキを手渡す。
「これ、詩織の好きなケーキです」
「なんでカザネの記念日なのに、カザネが買ってきてるの？」
詩織は呆れた顔をしてそんなことを言ったけれど、嬉しそうに私からケーキを受け取ってくれた。
「今日は、カザネに作らせるのが嫌だったから、自分でご飯作ったんだ。そのあとに食べるね」
詩織はそう言いながら、ケーキを持ってリビングに戻った。
手を洗ってからリビングに入ると、詩織は自動調理器の前に立って、皿に料理を盛っているところだった。詩織のために、お箸とお茶を用意しようとすると、「今日は座っていて」と怒られてしまった。詩織が働いているのを横目に見ながら、席に座って詩織を待った。
詩織が用意したいつもより品数の少ない夕食を前に、詩織が席に着いた。そして、詩織はごそごそと横に置いてある紙袋の中から何かを取り出して、テーブルの上に置いた。
「はいこれ。私から」
「詩織、ありがとうございます」
テーブルの上に置かれた、綺麗にラッピングされた四角い箱を詩織から受け取った。
「開けてもいいですか？」
「いいよ」
詩織は元気よくそう言ってから、「でも、それ手作りだからさ……」と呟いて私から視線をそらすように横を向いた。丁寧にラッピングをほどいてから箱を開けると、中から出てきたのは、ビーズで作られたブレスレットだ。
「詩織、かわいいです。ありがとうございます！」
「いつも何もアクセサリ着けていないけど、カザネは見た目的には26歳くらいなんだから、何か着けててもいいかなと思って。仕事中はだめかもしれないけど、行き帰りぐらいは……それに、それちゃんと雑誌見て作ったから！」
詩織が、照れくさそうにそんなことを言う様子を、私は真正面の席から録画していた。
詩織は自分が作った夕食を食べたあと、いそいそと冷蔵庫からケーキの箱を取り出して、箱を開けた。
中から現れたのは、詩織が私のために作ってくれたブレスレットと同じように、色とりどりの宝石があしらわれてたフルーツタルトだ。
「うわぁ、綺麗！ いただきます！」
私たちヒューマノイドは電気で動く。でも、いつかヒューマノイドも人と同じように、食事でエネルギーを補給できる日が来るだろうか。
そんな日が早く来て欲しいと考えながら、ヒューマノイドの設計開発の仕事に就いている仲間に、今日も私は要望メールを送りつけた。
