第5話 ヴィッチの思い
「あら、やっと来たのね。 ユナはどうしたのかしら? 一緒だと思ったのですけれど」
謁見の間に現れた俺を目にしたヴィッチの奴がすぐに声を掛けて来る。
ヴィッチの奴も妖艶な美女って感じになっているが、旦那になったコルツも大変だろうな。
平民から貴族の配偶者になった訳だからな。
さっきのユナじゃねぇが、身分に対する差別も並大抵じゃ無い筈だ。
「ああ、遊んでやったら満足したみてぇだぜ。 何処だかの部屋で大人しくしてるからな」
まぁ、間違った事は言ってねぇだろうよ。
「アンナさんから聞いたのですが、ランス国王陛下への紹介状を書いて欲しいとの話ですが、それは何のためですか?」
もう人妻だからな、昔とは俺と一線を引いてる感じがするぜ。
まぁ、その方が俺としてもありがてぇけどよ。
「そりゃあよ、王様に冒険者ギルドに加入する年齢を変更して貰うためだ。 紹介状があれば会うのも手取り早いからな」
やはり貴族と言う立場は強みだからな。
こうなったら利用出来るものは利用したい。
「私が断ると言ったら?」
ヴィッチが冷やかな顔を向けてやがる。
俺が冒険者になるのには賛成は出来ないって感じがするな。
やっぱり俺の身が心配なのかね?
随分と可愛がってくれてたみてぇだからな。
「貰えなきゃ王宮の一般用の窓口に並ぶまでだぜ。 そう言えばあの時も並んでいる時にお前と出会って色々とあったんだったよな」
あの出会いが無ければヴィッチが俺と婚約する事は無かったからな。
「どちらにしろ、冒険者になると言うのなら渡す方が貴方のためになるのでしょう。 分かりました。 書状を認めるので持って行きなさい」
ヴィッチの奴が諦めたかのように深い溜め息を吐いていた。
「悪いな、助かるぜヴィッチ。 いや、今はヴィッチ子爵様だったな。 民からも慕われているみたいで感心したぜ」
これで何とかなりそうだと喜ぶ俺。
だが…… おもむろに立ち上がると俺に近付いて手を振り上げたヴィッチ。
そして彼女の手が俺の頬を張り、謁見の間に乾いた音が響く。
その様子をアンナやライリはただ黙って見つめていた。
「そのような口の利き方…… いずれ身を滅ぼす事になると知りなさい!」
その口調は女郎蜘蛛と呼ばれていた頃の冷たい声だった。
だがよ…… なんでそんな悲しそうな顔をしてやがる。
それに俺を叩いた手よりも、お前が俺を叩いた手で押さえている、その胸の奥の方が痛そうなのは俺の気のせいじゃ無いだろう。
「この先、どのような事が待ち受けているか分かからないのですよ。 侯爵領の英雄などと呼ばれた以前のような肩書きを持たない貴方が、生き馬の目を抜くかのような貴族達の中に足を踏み入れて到底無事とは思えません」
俺を抱き締めたヴィッチが涙を流していた。
「……もう私を悲しませないで下さい」
済まねぇな、馬鹿なんだよ俺は……
死んでも治らねぇんだからな。
「ヴィッチ子爵様よ…… 無理を言って悪かったな。 この件は無かった事にしてくれ。 アンナ、ライリ! 俺は先に帰るぜ」
俺はヴィッチを振り払うように謁見の間を後にする。
その背後で俺へと縋り付くかのようにヴィッチが手を伸ばしていたとは知る由も無かった。
その少年が謁見の間を出て行った事を確認してから、押し黙る皆の前に一人の少女が姿を現わす。
そして少女が口にした言葉に皆が一様に驚く事になる。
「母上! 私はあの方の妻になりたいと考えています…… お許し下さいますか?」
それは先程、自分を辱しめた筈の相手だった。
だが…… それ以上に自分の心を掴んだ相手でもあったのだ。
「ユナ…… 彼と何かあったのですか?」
ヴィッチ子爵も驚きを隠せないでいた。
少し前までは国王陛下の曽孫にあたり、王位継承権を持つマリン・ジーニアス伯爵の一人息子、フランツとの結婚を望んでいた筈なのだ。
ヴィッチには娘が隠している本来の性格や、彼女が抱いている野心が手に取るように分かり、その事を夫にも話せず一人密かに悩んでいたのだから不思議にも思えてしまう。
貴族主義に凝り固まり、平民出身の実の父親すら蔑んでいる事を知っていたのだから。
「母上も一度は貴族位への復帰を断わって亡くなった冒険者との結婚を望んだと聞いています。 娘の私が同じ道を選んでも不思議ではないと思いますが?」
ユナがライリを睨み付ける。
彼の母親は良いとして、彼といつも行動を共にして話にも良く出て来る侍女が最大の障害になる事を本能的に察していたのだ。
「彼には将来を誓いあった相手がいるのです。 貴女の思いは絶対に叶いません。 潔く諦めなさい」
ヴィッチもライリの幸せの邪魔をするつもりは無かった。
しかし母上のアンナが彼に対し、男女の関係になる思いを抱えている事はまだ知らずにいる。
「分かりました。 でも…… 簡単に諦めたりは致しませんわ。 私は女郎蜘蛛の娘ですから」
そう言って謁見の間を出て行くユナを皆が見送ると、その場に残った大人達はまだ幼い少年少女達の主張に頭を悩ませるのだった。
「お待ち下さいませ!」
パープルトン子爵邸を出た俺を呼び止める声に振り向くと先程散々尻を叩いたユナが息を切らせながら走って来るのが見える。
何なんだよ一体?
「良かった…… 追い付きましたわ。 話は聞かせて貰いました。 国王陛下への謁見が望みとの事でしたが、私ならば取り次ぐ事も可能ですの」
普段走る事も無いんだろうぜ。
息もかなり荒くなってやがるからな。
だが嬉しい事を言ってくれるじゃねぇか!
「何だって? そりゃ、本当か!」
俺は思わず話に食らい付く。
「はい! 国王陛下の曽孫にあたるフランツ様とは仲も良いですし、何度か王宮にも訪れた事もありますもの」
曽孫までいるのかよ、あの国王陛下は……
「さっきは済まなかったな。 ちょっとやり過ぎたかも知れねぇ。 尻は大丈夫か?」
あんな事をした俺に一体どう言う風の吹き回しか分からねぇがありがてぇな。
俺の言葉に尻を抑えながら顔を真っ赤に染めるユナ。
「はい…… 私こそ反省しています。 大変申し訳ありませんでした」
ユナが恥ずかしそうに俺を上目遣いで見ている。
何だよ、やっぱり躾って言うのは大事なんだな…… あの生意気な女の子がこうも変わるもんかね?
だけどこれでアイツらの力を借りなくても何とかなりそうだぜ。
でも…… ユナはどうするつもりなんだ?
どうやって国王陛下に繋ぎを入れてくれるんだろうか…… まさか俺と一緒に王都へ行くつもりだとか言わねぇだろうな。
腕を組みながら考え込む俺に熱い眼差しを向けているユナ。
そんなユナが大胆な計画を立てている事を俺はまだ知らない。




