第58話 女郎蜘蛛の涙
「ここが私の新しい拠点になるのですね! もしも侵入者が現れたとしても、いち早く察知する事が出来ますから、私にお任せ下さい!」
旧侯爵領と呼ばれる町にある我が家へと到着した俺達の目の前で、休む間も無く次々と野営の準備に取り掛かるマリン。
玄関の横にテントを張り、その周囲には雨天の際に備え、テントに雨水が入り込まないように溝まで掘ってやがる。
お前は一体いつまで駐留するつもりなんだよ?
「ちょっと、アレは何なのよ! ライリちゃんの父親を助けに行ったのよね? 何で可愛らしい女性兵士をお持ち帰りしてるのよ……」
アンナが怒るのも当然だよな。
俺にも理解不能だ。
「旧伯爵領を接収に来ていた王国軍軽装歩兵団のマリンが世話役に就いてくれたんだが、何故か気に入られちまってな。 部隊には戻らないと言って軍を辞めて俺達に付いて来ちまったんだよ」
「ライリちゃんが一日遅れでアナタを追い掛けたから、大丈夫だろうと思ってたのに……」
「申し訳ありません」
済まなそうに縮こまるライリ。
ただでさえ小さいのが更に小さく見える。
「いや、ライリは本当に頑張ってくれたんだぜ。 俺が驚くくらいにヴィッチとマリンを突き放してさ。 だけど逆にヴィッチは傲慢さが消えて素直な性格に変わったし、マリンは自分に自信を持てない消極的な性格から俺に忠実な兵士になっちまってよ。 その結果がコレだ」
もう一方のヴィッチの奴は家に着くなり、自分も何か役に立たなければならないと思ったらしく、やった事も無いだろう家事に手を出しては皿を割ったりと失敗をやらかしていた。
今はライリに叱られてリビングのソファーに座りながら落ち込んで項垂れている。
「ヴィッチ元侯爵との婚約もダスト伯爵を陥れるための嘘だった筈なのに結局は居座る事になってるじゃないの。 マリンって子は庭に駐屯地を建設しているから良いけど、ヴィッチ元侯爵の部屋はどうするのよ! アナタがリフォームしたって言う屋根裏部屋にでも住まわせるつもり?」
勝手に駐屯地を作るのはいいのかよ。
屋根裏部屋は…… ダメだ。
クレアが取り憑いてやがるからな。
「屋根裏部屋は、ちょっと訳あって使えねぇんだよ」
「どうしてでしょう? あそこを使えば取り敢えずは問題無いと思いますが……」
『私の部屋を奪うなら…… その方を呪いますわ』
俺の目の前を漂っているクレアの顔が怖えよ、言ってる事もだがよ。
ライリも俺が屋根裏部屋をリフォームしていたのを見てたし、その時に人が増えた時のためだと説明してあった筈だから疑問に思うよな。
う〜ん…… いっその事クレアの事を話しちまうか? だが年中それを怖がられるのも面倒だしよ。
使えない理由が何かねぇか…… そうだ!
「あの屋根裏部屋は俺達の子供のために用意した部屋なんだ。 だからまだ使いたくねぇんだよ」
我ながらベストアンサーじゃねぇか?
「わ、私達の子供…… そっか、うふふっ」
「まぁ! アレは将来生まれる私達の子供のためのお部屋だったのですか? そこまで考えていてくれたのは嬉しいのですが、まだ早過ぎるような……」
アンナとライリも随分と嬉しそうだが、済まん…… 嘘だ。
ライリの言う通り、結婚すらしてねぇのに子供の部屋もねぇわな。
「うふふっ、そう言う理由なら仕方が無いわね。 でもそうなって来ると部屋はどうするの?」
アンナは随分とご機嫌になってるが、それにつけ込んで二人ずつ相部屋にして貰うのは…… 無理だよな。
マリンの部屋だって真冬の大雪でテントは厳しいだろうから必要になるしな。
俺の家だと言うのに俺の寝室すら無くなるのは流石に勘弁して欲しいんだが……
「わ、私の部屋を使って貰っても構いませんよ。 増築するなり何かしらの対策が取れるまで居間で寝泊まりしても構いません。 私は身体が小さいし場所も取りませんから大丈夫です」
最初に住み始めたライリの部屋を奪うって言うのもなぁ…… だけど仕方がねぇか。
「済まんライリ! なるべく早く対処するから我慢してくれるか?」
「はい、ご主人様! お任せ下さい」
何だか随分と嬉しそうなのは俺の気のせいだろうか?
「良かったなヴィッチ。 取り敢えずの寝床は確保出来たぜ。 ライリには感謝しておけよ」
話の成り行きを黙ったまま見守っていたヴィッチがホッとした表情を浮かべていた。
「はい、ライリさん。 本当にありがとうございます。 これで…… やっと居場所が出来ました」
領地も財産も命以外は全て国王に没取されちまったからな。
ある意味、頼れる者がいない奴には死刑より厳しい刑罰なんじゃねぇか?
「そう言えばまだ話して無かったが、最近色々と出費が激しくて我が家の財政事情も悪化してるから、そろそろ俺が稼いで来ようかと思ってよ。 だから暫く家を空ける事になるぜ」
ライリが暮らしていた孤児院とライリの両親にかなりの金を渡しちまったからな。
まだ貯蓄もゼロじゃねぇけど先の事を考えると不安になるし、本格的な冬が来たら雪で動けなくなる可能性もあるからな。
「あら、私を置いていくつもりじゃ無いでしょうね?」
「済まん、稼ぎに行くのは俺だけじゃなくて俺達だったな。 アンナも一緒だ」
二人なら選べる依頼内容にも幅が広がるからな。
野営するにしたって交互に寝れるのは大きい。
「私の従軍は許されないのですか?」
庭にいるマリンが窓越しに尋ねて来る。
家に入りゃいいだろうによ…… もしかして俺が入っていいって言ってねぇからか?
まさかな…… いや、コイツならあり得る。
「そんな所にいないで家の中に入れよ。 テントは寝る時だけでいいだろうが…… マリンには我が家を守って貰う重要な任務があるだろう? 俺は予想以上に敵が多いからな、頼りにしてるぜ」
まぁ、俺に喧嘩を吹っ掛けて来る奴なんか、そうはいねぇだろうけどよ。
これだけ言えば付いて来るとかは言わねぇだろ。
どう考えても足を引っ張られる予感しかしねぇからな。
「じ、重要な任務を任せて頂き光栄です。 全てこのマリンにお任せください!」
ビシッと敬礼するマリン。
だから俺はお前の上官じゃねぇんだよ。
陽も傾き食事の時間になったんだが…… ウチの食卓テーブルが埋まる日が来るとは思って無かったぜ。
クレアも入れたら六人もいるんだぜ……
ライリは給仕をするからと言ってたんだが、俺が無理にテーブルへと着かせている。
メイドとして働いている限り、仕事は仕事なのだが今日くらいは新しい家族の船出を皆で祝いたいと言う俺の望みを聞いて貰ったからだ。
「どうしたヴィッチ? まだ何か不安でもあるのか?」
和やかな雰囲気で食事をしているとヴィッチが何やら考えて混んでいる様子な事に気付き声を掛ける。
「こんなに楽しい食事は初めてで…… 正直、戸惑っています。 毒は入っていないかと恐れる必要も無いのですし、皆さんの笑顔に何やら救われる思いがします」
急に問われて驚いたようだったが、笑みを浮かべて俺だけじゃなく皆への思いを語る。
ヴィッチも色々大変だったんだな。
暗殺や誰かの陰謀とかに怯える、そんな日々を送って幸せな訳ねぇからな。
「もうそんな心配はいらねぇよ。 もしも昔の事をほじくり返して来るような奴がいたとしても俺が黙らせてやる! 俺の家族になった以上、指一本触れさせるつもりもねぇから安心しろ。 それに何て言ってもライリの料理は最高だからな。 美味いだろ?」
「はい…… 美味しいです。 うっ、ううっ…… うわぁ〜っ!」
女郎蜘蛛とか呼ばれて恐れられていたヴィッチが子供みたいに泣き出しやがったぞ。
だからと言って、まるで小さな女の子みたいに泣き出したヴィッチを俺達が馬鹿にして笑ったりする事は無い。
今みんなが浮かべている笑顔はヴィッチの幸せそうな泣き顔を見たからに決まってるじゃねぇか。




