第56話 直談判
風呂から上がった俺達がリビングで柑橘系の果汁を加えた冷たい水を飲んでいると部屋のドアがノックされる。
「少しお話させて欲しいのです。 恥を忍んでお願いします」
どうやらヴィッチがやって来たらしい。
ライリと俺は顔を見合わせて溜め息を吐く。
そこまで下手に出られて無碍にも出来ないだろう。
「仕方ねぇだろ。 せめて話だけでも聞いてやらねぇか?」
「ご主人様なら、そう言うと思っていました」
ライリがドアを開けるとバスローブ姿のヴィッチが立っていた。
「どうぞ、お入り下さい」
ライリが部屋の中へと招き入れると頭を下げてから入って来るもんだから驚いた。
「まぁ、座れよ。 話って言うのは何だ?」
ヴィッチが俺の向かいのソファーに腰を下ろす。
「今までの非礼を許して下さい。 先程までは貴方と一緒にいれば、捨てられる事も無いだろうと当たり前のように考えていました。 でも小さな…… いえ、ライリさんの言葉に従って貴方が私を見捨てる選択をした事で急に怖くなって…… 今の私は何も持っていない事に気付いたら、無性に貴方に会いたくて……」
「俺はヴィッチ程の容姿なら男共は放っておかねぇと思うぜ?」
元侯爵って言う肩書きや女郎蜘蛛の噂を気にしない懐の深い奴がいればの話にはなるけどよ。
「私の命と引き換えに子爵位を蹴る選択をする男性など、貴方以外にいるとは思えません」
確かに俺みたいな馬鹿が他にもいるとは思えねぇな。
「お願いします。 貴方達と一緒に暮らす事を許して欲しいんです。 私には貴方に捨てられたら他に行く場所も無いのですから……」
そこまで言われて放ってはおけねぇけど、あの家に空き部屋は無いって知らねぇのか?
屋根裏部屋は空いているようで実は空いてねぇからな。
幽霊のクレアの部屋だとは誰も思わねぇだろ。
「ご主人様、アンナ様にも聞かなければならない事ですから、返事は保留と言う事で宜しいのでは無いでしょうか?」
「ライリがそう言うなら俺は構わねぇよ、ヴィッチもそれでいいか?」
「はい、そうして貰えたら嬉しいです」
結局、俺もライリも鬼にはなれねぇって事か。
仕方がねぇかと思っていると、更にドアがノックされる。
おいおい、今後はマリンじゃねぇのか?
「先程は失礼しました! 上官の命令だから居座るなどと言う理由は怒られて当然の事だと反省し軍を辞めて来ました! これで私を縛る物は何もありません。 ですから貴方に正式に仕えさせて下さい! それで私を大切に思えるようになった暁には婚約者の末席に加えて欲しいのです」
ちょっと待て! 既に軍を辞めて来ただと……
ライリと顔を見合わせて溜め息を吐く。
結局、それぞれの俺に対する決心が強くなっただけじゃねぇか?
ライリがドアを開けると王国軍軽装歩兵の装備を身に付けたマリンが立っていた。
おいおい、戦場にでも行くつもりかよ?
「我が英雄殿に敬礼!」
ダメだ…… コイツは絶対に俺から離れるつもりはねぇよ。
背中に背負っているのはテントに寝袋だぜ。
完全に俺の家の庭で野営する気でいやがる。
「ライリ…… コイツはどうすればいいんだ?」
俺はとんでもねぇのに好かれたのかもな。
結局、部屋に居座る二人を宥めて旧侯爵領の我が家へと連れて行く約束をした俺は漸くベッドへと横になる事が出来た。
それと引き換えにヴィッチとマリンは元の部屋で寝て貰っている。
アイツらと一緒に暮らすにしても更に二人分の部屋はねぇから何か考えなきゃならねぇぞ。
マリンはテントでも満足しそうだが、冬になったらそうもいかんだろうしな。
「ご主人様、宜しいでしょうか?」
そろそろ来る頃だと思ってたぜ。
「ああ、一緒に寝たいんだろ? 構わないから入れよ」
主寝室のドアを開けてライリが入って来る。
相変わらず枕を抱えてやって来る姿に思わず笑みが浮かぶ。
今夜もゆっくりと眠れそうも無いなと思いながら、嬉しそうに俺の隣で横になるライリを眺めていた。
「一緒にお風呂に入って、同じベッドで一緒に寝れるなんて本当に幸せです。 帰ったらアンナ様に自慢しなくてはなりません」
それって…… 冗談だよな?
動揺する俺を見ながら悪戯な笑みを浮かべるライリ。
俺はコイツにだけは頭が上がらねぇな。




