第42話 ご主人様の元へ
「わあっ、こんなにも味が変わるのですね。 味に深みが出た感じで、凄く美味しいです」
朱雀館の厨房では熱心な料理人達が料理を作っていた。
そこの主人であるフィリックの作る料理の腕は確かなものでライリはその技術を学ぼうと必死になっている。
彼の教えてくれる事は料理が得意なライリでも知らない事が多く、滅多にない機会に少し興奮気味になるくらいに張り切っていた。
全てはご主人様に喜んで貰うために。
「これだけではありませんよ。 一晩寝かせておけば更に旨味が増すのです。 是非試してみてください」
フィリックもライリが可愛くて仕方がないようで自分の知る知識や技術を次々とライリに教えて行く。
まるでスポンジに水が染み込むように習得して行く優秀なライリには教え甲斐かあると言うものだろう。
そんな最中、何やらロビーから聞こえて来た喧騒に二人が気付く。
「何でしょうね? ちょっと見て来ます。 ではライリ様は仕込みの続きをお願いします」
「はい、お任せください」
宿泊客同士の喧嘩だろうかと思いながら厨房からロビーへと向かったフィリックは、ロビーで目にした光景に驚愕する。
白い仮面を被った黒いローブを来た異形の集団に占拠されていたのだから当然であろう。
そして床には朱雀館に戻って来てくれた従業員の無惨な死体が転がっていた。
幸いにもランチの時間は終わっているため、客は途絶えている時間帯だった事から犠牲者は数人の従業員に限られていた。
慌てて身を隠したフィリックは、まだ自分の存在に気付いていない事を知ると厨房へと急ぐ。
まだ幼いライリだけは助けなければならない。
潰れる寸前だった自分の旅館に泊まってくれただけでなく、再建へのアドバイスまでくれた天使のような少女だけは危険な目に遭わせる訳にはいかなかった。
「ライリ様、何やら妖しげな集団に旅館が襲われています。 厨房の裏手から外に出れますので早く!」
戻って来たフィリックに話しかけようとしたライリを遮り、その手を引いて走り出す。
「一体何があったのですか?」
「何がですって…… 私にも分かりません。 こんな日中にも関わらず、しかも王都にあんな集団がいるなど聞いた事がありません!」
フィリックのだだならぬ様子から何やら一大事が起きたのだと理解する。
厨房の裏にある食材などを運び入れる扉から外を覗いたが、こちらには異形の集団がいる気配は無かったため、ホッと胸を撫で下ろす。
「どうやら、こちらにはいないようですね。 さぁ、早く逃げましょう!」
「はい!」
朱雀館の裏手にある通路を走る二人の行く手を遮るように立ちはだかる白い仮面を被った四人の者達に塞がれてしまう。
それぞれ手には髑髏を模した装飾が施されたナイフが握られていた。
「禁忌の子に速やかなる死を! 忌むべき存在を許すべからず!」
その四人の口から呪詛のように繰り返される言葉に二人は顔を見合わせる。
ライリは気付く。
彼らが言う禁忌の子とは恐らく自分なのだと言う事に。
だが思い当たる節は無いし、全く見当もつかない事態にただ困惑するのみだった。
「ライリ様…… お客様の安全を守るのが旅館の主人たる私の役目です。 私があの方達を引きつけている間にお逃げください。 お仲間の所まで逃げれば安全でしょう」
フィリックも大剣使いの噂は聞いていた。
まさか彼がその人物だとは思ってもみなかったのだが、先の美女失踪事件を解決した彼の活躍を噂で聞いて知った際には驚いている。
「そんな…… 一緒に逃げましょう!」
フィリックを見れば足は震えており、懸命に恐怖と戦っているのが分かる。
こんな時にご主人様がいてくれたらとライリは祈りにも似た思いを抱く。
禁忌の子に死をと呟きながら次第に距離を詰めて来る謎の集団の内の一人が、手にしていたナイフを振り上げる。
「グワアァッ!」
振り下ろされたナイフが前にいた仲間の頸の辺りに突き刺さる。
驚いたのはライリ達だけでは無い。
突如裏切った仲間の行動に彼らも動揺を隠せない様だった。
「裏切り者に速やかなる死を!」
手にした血塗れのナイフを呆然と見つめていた男は仲間の手によって訳も分からぬまま、ナイフで滅多刺しにされてしまう。
彼らにとって裏切りと言う行為は許しがたい事なのだろう。
『ライリちゃんを狙うとは、貴方方の行為は許す事は出来ませんわ。 互いに殺し合って死んでしまいなさい』
クレアが氷のように冷えた眼差しで宙に浮かびながら、彼らを見下ろしている。
誰にも見えなかったが、クレアは厨房からずっとライリ達の側にいたのだ。
美味しそうな料理を目にして部屋でゆっくりしていられる筈もなく、どうにかして味わう事は出来ないだろうかと考えていた所に起きた凶事に、お預けを食らった形になったクレアの機嫌はすこぶる悪い。
やがて憎しみが極限にまで高まった男が既に死んでいる男に馬乗りになりながら何度もナイフを突き立てていた手を止める。
自分の背中に深々とナイフが刺された事に気付いたからだ。
「お、お前もか…… この裏切り者め!」
クレアに憑依された事など知る由もない男は、心臓を抉るかのような憎しみの込められた凶刃によって、命を奪われその場に崩れ落ちて行く。
「き、禁忌の子に速やかなる… 死…」
背中に突き立てられたナイフが致命傷になり、その男も力尽きて倒れて行く。
だがライリへと這いずって近付こうとする執念にフィリックは身震いする。
「何故、急に仲間割れを始めたのでしょうか?」
『それは私のお陰ですわ』
クレアが自慢そうに胸を張るが、その姿を見る者は誰もいない。
今夜はご主人様にいっぱい褒めて貰おうと楽しみにしている。
(ディナーも変わって貰えたら良いのだけれど…… それは流石に無理かしら?)
血塗れで転がる死体を見たクレアはゆっくりと夕食を食べている余裕は無いだろうと思い直すのだった。
「理由は分かりませんが、逃げるなら今です! さぁ、早く行きましょう!」
ライリへと手を伸ばしながら絶命した男を横目に二人は走り出す。
とにかく…… ここにいては命の危険に晒されてしまう。
ご主人様の元へ行きさえすれば大丈夫だと言う確信を抱きながらライリは走る。
禁忌の子と言う聞き慣れぬ言葉はライリの小さな胸を苦しめるのだった。




