第31話 辞めないでくれ!
「もうすっかり秋めいて来ましたね。 私がご主人様の元に来て早いもので三ヶ月が経ちました」
庭のベンチに二人で並んで座る俺とライリ。
ライリが淹れてくれた紅茶を飲みながら何気ない会話が続いていた。
「そうか、もう三ヶ月か…… 月日が経つのは早いもんだな」
最初は大人の女性だと思って頼んだメイドが実は幼女だったのに驚いたのが懐かしいぜ。
今になってみれば、あの時にライリを選んだ事は間違いじゃなかったと断言出来るな。
「実はそろそろお暇させて貰おうかと考えています」
な、何だと! 何を言ってるんだライリは?
「お暇って… 辞めるって事だよな? どうしてだよ… 何か俺がライリの嫌がる事でもしたのか?」
正直言って想像も付かないが、そう言うのには全く疎い俺だからな…… 知らず知らずの内にライリを傷付けていたのかも知れんぞ。
「いえ、そんな事は全くありません。 ですが… もう決めた事ですから」
そんなキッパリ断言出来るのかよ。
ライリには好かれている気がしてたんだけど、俺の気のせいだったって事か。
「俺が辞めないで欲しいって言ってもダメなのか?」
一瞬だけ戸惑った感じがしたが、それもすぐに消えて事務的な表情へと変わる。
「それはありません」
冷たいライリの声が俺の耳を打つ。
そうかよ… 俺はやっぱり馬鹿だったって事か、結局本当に大切な物って言うのは手に入らないんだな……
「分かった… ライリの好きにしろよ」
俺は俯きながら答える。
「ご主人様の許可を得たので、これから侍女組合へ行って来ます。 荷物は後日運ばせて貰うつもりです。 ご主人様、今日まで本当にありがとうございました」
立ち上がったライリが俺にそう告げると深々とお辞儀をしてティーセットを手に家へと戻る。
そして後片付けを終えたのだろう…… 庭のベンチで呆然とする俺へチラッと視線を送ったライリが去って行く後ろ姿をただ黙って見詰めていた。
なんなんだよ、俺が悪いのか! いや… きっとそうなんだろうな。
ライリが悪い筈は無いからな。
ただ秋の訪れを告げる風だけが俺の問い掛けに答えるように、この身体を冷やして行くのだった。
「あっ、ここにいたんですね! さっきから玄関を叩いても返事が無いから留守なのかと……」
ライリを失って呆然としている俺の前へと走って来た若い四人の冒険者達が、いきなり土下座をしたのだ。
一体何をしてやがる?
「何なんだよ、お前らは?」
今の俺に構わないで欲しいんだがな。
何をするか分からんぞ……
「さっき… 冒険者ギルドで俺達がアナタの男爵位を断わったって言う噂話をしている所にライリちゃんがやって来て、聞かれてしまったんです! ライリちゃんが交換条件だって事も全部……」
あの話をライリが知ったのか… 知ったのならライリの取る行動は一つしかねぇだろ!
アイツは誰よりも俺の事を大事にしてくれる奴だからな。
「アナタに知られたら俺達が殺されるって落ち込む俺達をライリちゃんが大丈夫だからと言って、冒険者ギルドの建物の中にいた他の冒険者達にも釘を刺してくれて…… でもアナタにだけは謝らなくちゃと思って、殺されても構わないって…」
コイツらの心配までしてやるとはライリらしいって言えばライリらしいな。
だが… 今はコイツらに構ってる暇はねぇ!
「ありがとな、教えてくれて助かったぜ!」
それだけ伝えた俺は走り出す。
向かう先は一つだけ…… 侍女組合だ!
「あらあら、ライリさんは先方から大層気に入られていると聞いていたのに、どう言う風の吹きまわしかしら」
侍女組合をまとめる組合長の元へと訪れたライリは契約解消の報告を伝えていた。
「思う所がありまして、既に先程お暇をさせて貰いました。 それと… 組合長に侯爵様への取り次ぎをお願いしたいのですが可能でしょうか?」
組合長も職業柄、巷の噂話にも詳しいためライリの考えている事の想像はついていた。
「ライリさん… あなたは本当にそれ良いのですか? 後で後悔しても遅いのですよ」
組合長も自分が侯爵の元に行けば、大切な主人が男爵になれると言うライリの思いが分からない訳ではない。
だが貴族の道よりもライリを選んだのは彼の主人なのだ。
その気持ちを無為にしてまで、彼のために身を売り渡す必要があるのかと疑問に思えてならないのだ。
「……はい。 ご主人様は素敵な人です。 私には勿体無いくらいに素敵な人なんです。 私さえ我慢すれば…」
自分から去って来たにも関わらず、まだご主人様と呼ぶライリの気持ちは、まだ彼の元にあるのだと分かる。
止めどなく流れるライリの涙も、それを語っていた。
「おい、ちょっと邪魔するなよ! ここにライリがいるんだろ! いるなら会わせてくれって! 警備員に怪我させる訳にもいかねぇしな…」
組合長室の向こうから聞こえて来る慌ただしい声にライリが顔を上げる。
大切な主人が自分を連れ戻しに来てくれたのだ、嬉しくない訳が無い。
だが走り出して行きたい気持ちを必死に堪えているのだろう。
小さな手を握りしめて耐えている姿は見ていられないと組合長は口を開く。
「我慢しなくて良いのですよ。 あなたの大切な主人は男爵位よりあなたを選んだのです。 何を迷う事があると言うのです! ……お行きなさい、ライリ」
ハッとした表情を組合長へと向けるライリに対し、組合長は黙ったまま頷いて見せる。
それがライリの心が決まった瞬間になった。
「ごめんなさい、ご主人様!」
ライリが走り去った後に一人残された組合長は、二人の絆の強さに満足気な笑みを浮かべるのだった。
「ライリ! いるんだろ? 俺の話を聞いてくれよ、俺は男爵位なんかよりもお前に傍にいて欲しいんだよ! 他には何もいらねぇんだ、俺にはお前が必要なんだ!」
侍女組合の警備員に取り囲まれながら必要になって叫ぶ俺の目の前のドアが勢い良く開き、涙を流したライリが姿を見せる。
「ご主人様! ご主人様! ご主人様!」
俺を何度も呼びながら駆け寄るライリにギルドの職員達も道を空けていた。
俺を掴んでいた警備員達の手も離される。
「ライリ!」「ご主人様!」
抱き締め合う俺達を見ていた周囲の奴らが誰からともなく拍手を始め、それが次第に大きくなり俺達は祝福の拍手に包まれるのだった。
「もう辞めるなんて言わないでくれるか?」
「はい…… でも男爵位を断るなんてご主人様は本当に馬鹿です」
「馬鹿はひでぇな、でも俺にとってライリは男爵位なんかよりも上だって事だ。 王位とだって比べられねぇよ」
「もう… ご主人様の馬鹿… でも素敵な馬鹿です」
これじゃ褒められてるのか、貶されてるのか分からんな。
でもライリが戻って来るなら、俺は何だって構わねぇよ。
ライリを抱き締めた俺は本当に大切な宝物を無事に取り戻せた事を心の底から喜んでいた。
俺の心の中に存在していた、この小さなメイドへの限りなく大きな気持ちを思い知らされたのだった。




