第30話 女心と秋の空
買い物帰りに冒険者ギルドに立ち寄ったライリは思わず手にしたアンナへの差し入れを床へと落としてしまう。
通りかかった一角にあるテーブルで噂話に花を咲かせる若い冒険者達がいたのだが、彼らが話していた内容はライリを驚愕させる程の内容だったからだ。
「そりゃ、大剣使いの奴も勿体無い事をするもんだよなぁ。 男爵位の誘いを蹴るなんて俺には考えられんよ」
「でも授けてくれる相手が女郎蜘蛛だからな… 何か裏があるって疑いたくもなるぜ?」
「男爵なら領地を治める本物の貴族様なんだぜ? 俺ならなれるもんなら、なってみたいけどな」
「違いない。 それにしても… やっぱりアイツは正真正銘のロリコンだったんだな。 あの小ちゃなメイドさえ差し出せば男爵様だったのによ」
「その通りだぜ、ハッハッハ…」
あの会見の後、その内容を問い詰めたアンナに対して答えたのは王都での連続失踪事件を解決した功績を讃えられただけだと言う話だった。
驚く事に侯爵様へ国王陛下からの御礼の言葉まで賜ったらしい。
流石は私のご主人様だとライリは自分の事のように嬉しく思っていたのだが、男爵位の話は一切聞いていなかった。
ましてや… 自分の存在がその機会を潰してしまったのかと言う罪悪感は大きい。
「あの… 歓談中に申し訳ありません。 今の話は本当ですか?」
詳しい内容が気になって仕方がないライリは、思い切ってテーブルを囲んで話していた四人の冒険者に声を掛ける。
「えっ、何だよ! 楽しく話をしてるってのに… 邪魔しやが… って… よ、よぉ…」
振り向いた冒険者の男性の顔色が変わる。
ライリの事はギルドでも良く見かけるために見知っており、彼女が大剣使いのお気に入りだと言う事も充分理解していた。
そして彼女は冒険者ギルドに所属する多くの冒険者達からも可愛がられている存在であり、今の話を彼女に聞かれてしまった事は自分達の命に関わる危険性があるのでは無いかと考えるまでに至る。
「ご主人様が男爵位を断った事に、私がどう関係しているのでしょうか?」
他の三人の冒険者達も突如現れたライリに動揺を隠せないでいる。
困って辺りを見渡せば、コチラを睨みながら舌打ちしている古参の冒険者の姿が目に入る。
他にもコチラを見ている冒険者達の視線が憎しみに満ち溢れているように思えた。
完全に冒険者ギルドを敵にまわしたのでは無いかと自分達の迂闊さを呪わずにはいられなかった。
「え、えっと… ですね。 ライリちゃんの主人が先日の侯爵との会見で男爵位を授ける代わりに、ライリちゃんを寄越せと言われたらしいんだけど、「俺の大切な女を渡せるか」とか言って断ったらしくて……」
実際には"大切な家族"と言った筈が、噂として伝わって行く内に"大切な女"に変化してしまったのは噂話の怖い所でもある。
他の三人も無言のまま、揃って"うんうん"と頻りに頷いていた。
余計な事を話すなよ!と言う周囲からの半端無いプレッシャーを受けての事でもある。
「私のせいでご主人様は男爵になれなかったと言う事ですね…… 本当に馬鹿なご主人様」
ご主人様の足枷になった事が悲しいと思うのが半分、俺の大事な女と思って爵位まで蹴ってくれたのが半分と言う複雑な心境に胸が張り裂けそうな思いになってしまう。
「この話を俺達から聞いたって言わないで貰えますか? きっと… ライリちゃんのご主人様から殺されます…… ハハハ… ご主人様だけじゃないか」
泣きそうな顔をする若い冒険者の言葉に辺りを見渡したライリは、周囲の雰囲気から彼らの立場が危ういのだと咄嗟に理解する。
「大丈夫ですよ、安心してください」
ライリが小さな声で彼らに伝えるとニッコリと微笑んでみせる。
「あなた達のお陰で私は本当の事を知る事が出来ました。 あなた達から聞かなくても、いずれ知る事になった筈ですから… 教えて下さって本当にありがとうございます。 あなた達に何かあったら私は悲しいです。 だから私を悲しませないで下さい」
周囲にも聞こえる大きな声で彼らに礼を口にしながら、彼らの身を安じるライリの姿に周囲の冒険者達の殺気が薄れて行くのを、その肌に感じた若い四人はライリが皆から好かれている理由を知ったと同時に彼女の虜になったのだった。
「あら? ライリちゃんじゃないの。 いらっしゃい、今日はどうしたの?」
建物の奥からアンナが現れる。
隣には青白い顔色をした若い女性の受付嬢が立っている事から、奥で自分の後任への教育をしていたのだろうとライリは考えていた。
そして今回も長くは続かないかも知れないと言う事を察してしまう。
数日後にライリの予想は的中し、アンナの悲痛な叫びが冒険者ギルドの建物に響く事になるのだった。
アンナへお昼に焼いたクッキーを渡したライリは冒険者ギルドを後にする。
ライリの主人が男爵位を蹴った話はアンナも知っていたが、ライリには話さない方が良いだろうと思い黙っていた。
余計な心配をさせてしまうのが明らかだと思ったからだが、自分のいない間にライリが知ってしまったとは思いもよらない。
「おっ、ライリおかえり! いつもより遅かったな。 またアンナの所か?」
庭のベンチに座り、すっかり秋めい来た風景を眺めていた俺はライリの姿を目にして声をかける。
昼間にクッキーを焼いていたからな、おすそ分けって所だろ。
「ただいま戻りました。 アンナ様にクッキーを渡してから買い物をしたので思ったより遅くなってしまい申し訳ありません。 ご主人様はまだ暫く、そこへいらっしゃいますか? 良かったら温かい紅茶をお持ちします」
何も謝る事は無いんだがな… 俺も言葉には気を付けないといかんな。
軽い気持ちで口にしちまうのを良く注意されているが、それが俺の悪い所なんだろう。
「そうか、じゃあ頼めるか? クッキーもあるんだろ?」
「はい、暫くお待ち下さい」
そのまま遠くの山々が赤く色付き始めているのを眺めながら冬の準備も整えなければならないと考えていた。
この辺りの気候は夏になれば湿度がかなり高く暑くなるくせに、冬には驚くほどの大雪が降るのだから始末が悪い。
そのため、冬には大量の薪が必要になる。
近い内に準備しておかなきゃならんな。
日を追うごとに移り変わる季節の事を考えていると、ティーセットを手にしたライリがやって来る。
トレイの上にティーカップが二個乗ってるって事はライリも一緒にティータイムを楽しむつもりか? 珍しい事もあるもんだな。
俺は座っていたベンチの中央からライリが座るスペースを空けて彼女を待つ。
久しぶりに訪れたゆっくりとした時間に安らぎを感じる俺はライリの心の中で揺れている思いになど、この時は全く気付かずにいた。




