第29話 幻の男爵邸
アンナから聞かされた俺へのヴィッチ侯爵からの召喚命令。
あの女郎蜘蛛は一体何を企んでやがるのか。
「今回はアナタ一人だけで来るようにとの事よ。 だから私もライリちゃんも同行は出来ないわ」
だとすれば…… 礼儀もわきまえない俺を無礼打ちする事も可能な訳だよな。
それがあの女の狙いなら見当違いだぜ。
今の俺には他の人間には見えない礼儀作法の手本とも言えるマナーの神様が憑いてくれているんだからよ。
まぁ、神様って言っても死神に近いが……
「ご主人様… 前回の会見のように騙されたりした場合に、私がいなくても大丈夫でしょうか?」
「地方領主並の実力を持つ、冒険者ギルドの力添えも絶たれると考えると… どう考えても不利な条件だと思うわ」
そんなに心配されると何だか不安になって来るじゃねぇか……
「ご主人様、ハンカチは持ちましたか? それと絶対に喧嘩なんかしたらいけませんからね!」
おいおい、まるで子供扱いだな。
ライリに心配されながら送り出される俺。
そんな母親みたいなライリの後ろにいるアンナが涙ぐんでやがる…… 縁起でもねぇな。
地獄への使者か、はたまた破滅への担い手か分からんが、侯爵邸からやって来た迎えの馬車に乗り込む俺とクレア。
『そのヴィッチ侯爵と言うのは危険な相手なのですか?』
クレアもアイツらの慌てている姿から異変を察したらしい。
「ああ、命の危険があると言っても大袈裟じゃねぇ筈だ」
黙ったまま、何やら考えていたクレアがポンと手を叩いて笑みを浮かべる。
どうやら何か思いついたらしい。
侯爵との謁見での打開策かと期待する俺。
『そうしたら私とお揃いになりますね』
お揃いとか、そう言う問題じゃねぇ!
問題は何も解決しないまま、馬車は侯爵邸へと辿り着くのだった。
「良く来てくれましたね、大剣使い。 今日、呼んだのは王都での一件です。 国王陛下からも解決に際して貴方の活躍に対する感謝の意を伝えられています。 我が領内に貴方の様な英雄がいると言う事に関して、私も他の貴族領に対して鼻が高いと言う物です」
ヴィッチ侯爵との会見は俺への賛辞から始まった。
そんなにこやかな笑みを浮かべても俺は騙されねぇからな。
「いえ、たまたま遭遇した事件を片付けたまでです」
片膝をついて侯爵と対峙しているが、俺はいつでも飛び掛かれるようにしており気は抜いていない。
「そんなに構えなくても良いではありませんか? 前回の会見の際とは違い、自慢の大剣まで持ち込んでの来訪には、この私もいささか気分を害しているのですよ」
俺にそうさせているのはそっちだろうが…
「先日、安全な筈の乗り合い馬車でも賊に襲われましてね。 少々、臆病になっているのかも知れません」
アレはアンタの仕業じゃないかと俺は睨んでいるんだぜ…… さぁ、どうなんだよ?
「確かに乗り合い馬車が襲われたと言う報告がありましたね。 ですが… 可哀想に御者も亡くなってしまい詳細が分からなくて私も困っているのです」
困ったと言いながらも、ニヤリとした侯爵の口元を見て全てがハッキリする。
面倒な事を言われたら困るからと言う理由だけで、邪魔になった御者を殺しやがったのか?
なんの罪も無い一般市民だろうがよ。
恐怖に押し潰されそうになりながらも、俺達に逃げろと言って一人山賊に立ち向かおうとした御者の青年の顔が思い浮かぶ。
ライリに朱雀館を紹介したのもアイツだったよな。
「安心しろよ… 山賊は残らず殺してやったからよ。 俺や仲間に危害を加える奴は誰であろうと容赦はしない」
怒りが俺の全身を支配して行き、背中に背負った大剣へと手を伸ばす。
そんな俺の動きを見た侯爵の眉がピクリと動いたのを俺は見逃さなかった。
どうやら俺の怒りに気付いたようだな。
『いけません、ご主人様! 今は我慢を… ライリちゃんやアンナさんを悲しませる事になりますよ!』
クレアの言葉にハッとした俺は手にした大剣の柄から手を離す。
ただ黙って侯爵に視線を向ける。
「本当に野獣のような男ですね。 益々我が手に欲しくなりました。 今日は貴方を怒らせるために呼んだのではありません。 以前、準男爵の爵位を授けると言う話を断られましたが、確かに失礼な話だったと反省しています」
「それがどうしたと?」
「男爵として迎えると言ったら承知してくれますか? 男爵位ならば領地を持つ立派な貴族です。 竜殺しの英雄に相応しい身分だとは思いますが… いかがです?」
俺が貴族… しかも領地まで貰えるのか?
小国の王に等しい身分じゃねぇか……
だが… 話が旨すぎる。
「ただって訳じゃないんだろ?」
何かある筈だ。
「私は以前、貴方の供をして来た小さくて可愛らしいあの利発な少女が気に入ってしまいました。 男爵位を授ける代わりに、あの侍女を私に差し出しなさい。 さすれば貴方は貴族としての何不自由の無い生活を送る事が出来るのですよ」
ライリを寄越せだと?
ぶさけるな…
『ご主人様、ライリちゃんを抑えれば人質同然です。 あの侯爵は貴方を意のままに操れると考えていると思いますわ』
ああ、そんな所だろうよ。
「俺はアイツの作った料理が好きだ。 アイツの笑顔が好きだ。 アイツがいない生活なんて考えてられないくらいにな。 だから… 断る!」
「ライリは俺の大切な… 家族だ!」
「ぷっ… くくっ…… 失礼しました。 馬鹿な人ですね。 あんな小さな少女のために最高の栄誉を手放すとは… まぁ、良いでしょう。 それが貴方の答えならば、後で後悔しても知りませんよ」
後悔なんかするかよ。
俺にとって最高の栄誉はライリの笑顔を見る事なんだぜ。
無事にヴィッチ侯爵との会見を終えた俺達は用意された帰りの馬車に揺られて家路に着くのだった。
『ご主人様、素敵でしたわ。 私もあのように言われるくらい尽くしてみせますから、いつまでもお側に置いてくださいね』
ポーッとした眼差しで俺を見詰めていたクレアがそんな事を口にする。
お前だって充分に役に立ってるんだぜ。
あの時、お前が俺に呼び掛けてくれなかったら今頃どうなっていたか分かりゃしねぇからな。
「俺はお前が思っている以上に感謝してるんだぜ…… ありがとうな、クレア」
一瞬驚いた表情をしたクレアが泣き出したのには俺の方が驚くのだった。
考えてみれば、お前が話を出来るのは俺だけだもんな。
もっと話をするようにしてやらなきゃいけないなと思いながら、触れる事の出来ないクレアの頭を、ただ黙って撫ぜてやる俺だった。
「ご主人様! 良くご無事でお戻りくださいました!」
侯爵邸からの馬車が我が家に到着すると家の中から走って迎えてくれるライリ。
馬車を降りた俺に飛び付いて来たくらい心配を掛けたみてぇだな。
玄関の方に視線を向ければアンナがホッとした顔をして俺達を見ていた。
俺はアンナへと片手を上げて無事を知らせてやる。
そんな俺の合図にアンナが笑みをこぼす。
『幻の男爵邸に到着しましたわ、ご主人様!』
ふっ、そうだな。
クレアの言葉に俺も思わず口元が緩む。
だがなクレア…… ここは男爵邸なんてチンケなもんじゃねぇぜ、ここは俺の王国だからな!




