第28話 特別な女性
クレアが巻き込まれた事件の詳細を調べに来たと言うアニスが去った後、俺はリビングで一息ついていた。
足腰の悪い彼女を心配した俺が乗り合い馬車乗り場まで送って行こうとしたんだが、何故か丁重に断られていたのだ。
何でも「そこにいる可愛らしい侍女の傍にいてあげて欲しい」などと言っていたのは何なんだろうな。
クレアも屋根裏部屋に篭ったまま顔を出さないのは、やっぱり悲しいからだろうか。
目の前ではライリが夕食の準備に忙しい。
先程からトントントンッとリズミカルに野菜を切る音がまな板から響いていた。
だが、時折りリズムが狂ってドン!とか力強い音が響くのは一体どうしたんだ?
普段は手際良い包丁さばきを見せるライリらしくねぇな。
そしてダンッ!と言う一際大きな音を立てたかと思うと、包丁を手にしたままのライリが俺に駆け寄って来やがる。
うおっ、一体何なんだよ!
「ご主人様! 先程の初老の女性とは本当に何にも無かったのですよね?」
少し興奮気味のライリに詰め寄られた俺は戸惑いを隠せない。
初老の女性って事はアニスの事だよな? あんな婆さんと何があるって言うんだよ……
それともクレアの事だろうか? ライリも何処かで真実を知ったのか… でも何かおかしい。
「何も無かったとはどう言う事だ?」
どうも口振りがおかしいんだが……
「二人が抱き合っていた事です! 本当にあの方が転びそうになったのを抱き止めただけなのですか?」
「ブッ! な、何を?」
思わず吹き出してしまう俺。
アイツら…… よりにもよってそんな場面をライリに見られたのかよ!
だからか… アニスが言っていたライリの傍にいてやってくれとか、今のこの状況下にクレアが姿を見せないのも… そう言う理由かよ!
「ご主人様!」
だから… その俺に向けた包丁を引っ込めてくれ!
「それ以外の何があるって言うんだよ! 俺の事はライリが一番良く知ってくれていると思っていたんだがな……」
苦し紛れにライリに判断を投げる俺。
俺が何を言ったって言い訳してるみてぇで逆効果なんじゃないかと思ったからだ。
「私が… ご主人様を一番良く知っている?」
一瞬にしてライリの表情が緩むのが分かる。
そして満面の笑みを浮かべたかと思うと、恥ずかしくなったのか、その顔を両手で覆ったのだった。
おいおい、包丁を持ったまま顔を両手で覆うなよ… 危ねえだろうが。
「そうですよね… ご主人様がお婆さんと愛し合うなんてあり得ませんから」
「その通りだよ! 俺の好みは普通の女性だからな」
「はい、私はご主人様を信じています」
その通りだ… 勘弁してくれよ。
漸く安心したのか台所に戻って行くライリ。
その台所から再び規則正しい包丁の音が聞こえ出したかと思ったら、暫くすると再度ライリが包丁を持って駆け寄って来たのだ。
今度は何なんだよ!
「ご主人様! 私は普通の女性ですか?」
なんて答えれば良いんだ… 選択肢を誤ると今度こそ危ねえぞ。
「ライリは俺にとっては特別な女性だと思ってるが…… そんな答えじゃダメか?」
「と、特別な女性ですか…… うふふっ」
その答えに満足したのか再び台所へと戻って行くライリの後ろ姿を眺めながら、絶対に怒らせたらいけねぇなと改めて心に誓う俺だった。
二週間後に王宮から失踪事件解決の協力に際しての報奨金が冒険者ギルドを通して俺へと届けられたのだが、予想以上に高額だったのにはアニスからの俺への慰謝料が含まれていたのかも知れない。
「今日はシチューにしてみました。 ご主人様、お味はいかがですか?」
俺の横に立って給仕に勤しんでくれるライリ。
いつも通りに美味いんだが… 今日のシチューは野菜がヤケに不揃いなのは我慢しないとな。
やっと普段通りの日常を取り戻した我が家に、再びトラブルの知らせが届く。
届けてくれるのは… 当然アイツだ。
「ねぇ、大変よ大変! アナタにまた侯爵様からの召喚命令が届いたわ!」
玄関を開けるなり、アンナが俺に告げる。
侯爵様だと… あのヴィッチ・パープルトン侯爵からのお呼びとは一体何なんだよ?
女郎蜘蛛と噂される程の危険な香りのする女で、好んで自分から会いに行きたくはない相手だ。
王都に向かう際の乗り合い馬車の襲撃に、あの女が関わってるんじゃねぇかと俺は考えている程だ。
あの女… 今度は何を企んでやがる。




