第44話 二人だけの世界
「数日の間とは言え旦那様と離れ離れになるなど本当は我慢出来ませんが、お爺様の願いも無碍には出来ませんの。 旦那様も少しの間だけユナがいなくても我慢して下さいませ……」
ユナが青い瞳から溢れんばかりの涙を浮かべていた。
ほんの数日離れるだけだろうがよ。
今生の別れみてぇな感じになってねぇか?
「旦那様…… 私も荷物をまとめたらすぐに王都へと参ります。 待っていて下さいませ…… クッ……」
ユナと並んでヴィッチの奴まで涙を流してやがるんだが…… この母娘はやっぱり似てるよな。
母娘の其々と結婚するとか本当にいいんだろうか…… 普通に考えたら許されない行為だぞ。
この件に関しては流石の俺も複雑な思いにさせられる。
未来で俺の息子と一緒になってくれれば良かったんだが…… 本来は俺とは正反対の大人しい性格だからな。
ユナには満足出来なかったんだろうよ。
尻を剥かれて叩かれるのを喜ぶような奴だからな…… その性癖もどうかと思うがよ。
「ああ、ライリも朱雀館での仕事があるのに王都を離れちまったからな。 流石に早く戻らねぇとフィリックの奴も困るだろうからよ。 それにアンナの怪我も気掛かりだしな」
どうしても最愛の孫と過ごしたいと言うユダ・パープルトン侯爵の願いを聞く事にしたユナはパープルトン侯爵領に数日間留まる事になった。
ヴィッチも一緒に残って本格的に王都で暮らす準備に入るそうだから、言わば親子三代水入らずって所だな。
ユダ侯爵の奴も世界樹の露の効果で心臓の病も癒えたようで今はユナの傍から片時も離れようとしない。
そのお陰でユナの機嫌はずっと悪かったのは俺の気のせいじゃねぇ筈だ。
あんまり出番の無かった気もする俺のお袋はヨハン準男爵への報告があるからと一人で先に王都へと向かっている。
俺の侯爵令嬢誘拐の罪も間違いだったと言うユダ侯爵の印の入った書状を持って行ってくれたから、これで俺の無実の罪も晴れるって訳だ。
そのお袋が別れ際にライリと何やら話してたのを思い出す。
「うふふっ、ライリちゃん、ちょっといいかしら?」
「はい、義母様。 何でしょうか?」
お袋に呼ばれたライリが嬉しそうに近寄って行ってたんだけどよ、その際にライリにお袋が何やら耳打ちしてやがったんだよ。
一体何を吹き込んだんだろうな。
まぁ、ライリが顔を赤くしてやがったから、碌な事は言ってねぇだろうぜ。
一晩だけパープルトン侯爵家の屋敷に泊まった俺とライリは王都へと戻る事になった。
俺と誰が一緒に寝るかでちょっとした騒動もあったんだが、ユダ侯爵の目の前では止めて欲しかったぞ。
完全に苦笑いしてたからな。
「じゃあ、行くとするか! ユナとヴィッチは喧嘩とかするんじゃねぇぞ」
乗り合い馬車乗り場まで見送りに来てくれた二人に忠告しておいたが、果たして仲良く出来るのか不安でしかねぇよ。
俺とライリが王都へ帰る足に乗り合い馬車を利用したんだが、流石に御者はコルツじゃなかったのに少し拍子抜けしていた。
やっぱりアイツとも縁がありそうだから、何となく会える気がしていたんだがな。
アイツは今の時点で、まだ御者として働いてはいないんだろうか?
「うふふふっ、やっと二人っきりですね」
乗り合い馬車が動き出して少しするとライリが嬉しそうに口を開く。
「そう言えばそうだな。 ずっとバタバタしてたしよ。 この姿で二人揃うとライリと出会った頃の昔を思い出すな」
もう遠い昔のように思えるぜ。
本当に色々あったからな。
「旦那様と二人っきりになる嬉しさに顔が緩んでしまうのをユナさんの前で我慢するのが大変でした。 乗り合い馬車も私達しか乗っていないのが更に嬉しくて……」
大概は誰かしら乗ってたりするからな。
まぁ、そう言う時もあるだろうよ。
それがお袋の仕業だったと気付くのは随分と後になってからになるんだが、この時は疑いもしなかったぜ。
偶然にしても余りにも乗る奴が少ないとコルツの奴が失業しちまうんじゃねぇか?
そんな事を考えているとライリが俺に肩を寄せ寄りかかって来る。
俺が肩を抱いてそれに応えてやるとライリが上目遣いで見上げていた。
その潤んだ瞳に思わず唾を飲み込む俺。
今のライリは10歳の姿だぞ! 何興奮してんだよ俺は…… やっぱり俺って本当にロリコンなんだろうか。
更に20歳のライリとベッドで夜を共に過ごした記憶までもが蘇って来る。
あの時のライリも可愛かったよな…… 畜生、何だか悶々としちまうじゃねぇか。
「旦那様? どうかなさったのですか。 やはり幼い私の方が良いのでしょうか…… この身体では旦那様との夜のお相手は難しいので、本来の20歳の身体に戻ろうかと考えていたのですが…… えっと…… 随分とお元気になっているご様子ですね」
いつの間にかライリの視線が下を向いて俺の股間を捉えていた。
「いや、ライリ…… これはだな……」
待ってくれ、これは幼いライリに反応した訳じゃねぇよ…… 多分。
あまりの状況に言い訳すら出来ずに慌てる俺。
「えっちですね……」
ポツリとライリが呟いた。
んなっ! こりゃあ参ったな……
「す、済まん……」
男って奴は悲しい生き物だよな。
情けなくなっちまうぜ。
「ふふふっ、謝る事はありませんよ。 私に対して反応して下さったのですから嬉しく思えます。 もしもこれが他の女性なら心穏やかではありませんけど……」
俺を軽蔑する事も無く、嬉しそうにしていたライリが話しながら何やら真面目な顔に変わる。
「もしも…… 私がこのまま何処か遠くに行って旦那様と二人っきりで暮らしたいと言ったら、その願いを叶えて下さいますか?」
おいおい、ライリまでユナ達みたいな事を言い出しやがったが…… 本気なんだろうか?
以前にも同じような事があった気がするが、やっぱり半分は本気なんだろうな。
「ライリが本気でそれを望むならな。 そう出来ない自分がもどかしいんだろ? 過去に来た時点で俺を独り占めだって出来た筈なのによ」
俺の答えに心底嬉しそうな笑顔を向けてくれるライリ。
お前が誰よりも俺を理解してくれるように、俺もお前の事を理解しているんだぜ。
「俺にとってライリが大切なのは最初から分かってる事だろうよ」
分かっていても言葉にしなきゃ不安になる事もあるからな。
だから恋人や夫婦は愛してるって互いに口にして思いを確かめ合うんだろうぜ。
そう思うのなら俺が言わなくちゃならねぇ事は決まってるよな。
「愛してるぜ、ライリ」
この世の誰よりもだ。
だけど…… 俺がそれを口にしたら他の女達を裏切る事になっちまう。
それは心の奥にしまわせておいてくれ。
「はい…… 私も心から愛しています。 旦那様」
ライリが目を閉じると一筋の涙が頬を伝い落ちる。
また泣かしちまったが、幸せの涙なら構わねぇだろ?
その頬に優しく手を添えた俺は躊躇う事なくライリの小さな唇に自分の唇を重ねていた。
馬車の車輪の音だけが聞こえる車内で口付けを交わす俺達を邪魔するものは何も無かった。
この世界に俺達しか存在しないかのような錯覚すら感じてしまう程に……