第30話 魂が導くままに
不眠不休で王都へと辿り着いたライリは王都の大通りを進んでいた。
王都に到着した後はヘンリエッタから降りており、手綱を引きながら旧ジーニアス邸を目指している。
夜中に二つ目の宿場町を発ってから1日半が過ぎており、時刻は夕方になろうかと言う所だろう。
ライリの体力は既に限界に達していた。
それを気力だけでカバーしているのだが、それは彼女を乗せて走り続けたヘンリエッタにも言える事で、その脚は王都に辿り着き安心したのか今はかなり重い。
「ごめんなさい、ヘンリエッタ。 本当にありがとう」
ライリはヘンリエッタの鼻先を優しく撫ぜながら微笑む。
無事に王都へと辿り着いた事で、やり遂げた感はあるが問題はこれからだ。
左手の中に握り締めている死霊使いの指輪が何か意味を持っている事だけは理解していた。
この指輪を使って旦那様は蘇って来たのだと聞いている。
クレアにそう言われたからだと言っていたが彼にも意味が分からないらしい。
結果として蘇って来たのだから考えても分からないのならばと深く考えるのをやめていた。
「旦那様…… 一体何が起きているのですか……」
不安な気持ちを抱いたまま、ライリは旧ジーニアス邸の前に辿り着く。
今は人手に渡ったとマリンから聞いている。
マリンにとっても辛い思い出の場所であり、訪れたくはないのだと話していた。
それは彼を失った全員に言える事でもある。
「あら、やっと来たのね。 ダーリン、案内してあげなさいよ。 いきなり私を見たら驚くと思うわ」
屋敷の中ではライリが立っている門からは遠く離れているが、彼女の訪問に気付き行動に移ろうとしていた。
彼女の名前はリーフレット。
この世界には存在しないエルフと呼ばれる種族の女性だ。
彼女にダーリンと呼ばれた老人の名前はタイザンもこの世界の住人では無い。
永遠とも言える長い寿命を持つ彼女とは違い、普通の人間の男性だが、彼らの世界に存在する世界樹の力によって何千年と言う長い年月をリーフレットと共に生きている。
「どれ…… ならば屋敷に招待しようかの。 リーフは楽しみに待っておるがいい」
「ええ、そうさせて貰うけど浮気なんかしたらダメよ」
リーフレットの言葉に苦笑いを浮かべながらタイザンは部屋を出て行く。
「ふふふっ、やっと貴方の想い人がやって来たわよ。 いつまで魂の記憶の中に引き篭っているつもりなの? それとも既に彼女の存在に気付いているのかしら?」
窓辺から庭の中央で淡く光る球体を眺めながらリーフレットが口にする。
その球体は10年以上前の戦いで死んだ戦士の魂の記憶と呼べる代物だ。
昨晩現れた時と比べると輝きが弱まっているのは彼の魂の記憶が消滅しかけていると言う事になる。
ライリは自分に向かって歩いて来る老人に気付き違和感を感じていた。
まるで自分が訪れる事を事前に知っていたかのような雰囲気だったからだ。
そして目の前までやって来て口にしたのは想像通りの内容だった。
「彷徨える魂を求めて来た者よ。 最愛の者を取り戻したくば儂に付いて来るがいい」
「やっぱり…… 旦那様はここにいるのですね。 良かった……」
彼を取り戻せるかも知れないと言う可能性に張り詰めていた緊張と疲れが一気に襲いライリはその場で倒れてしまう。
「おいっ、困った奴じゃな。 運んでやるしかないが、リーフが嫉妬しそうで気が重いぞ」
心配そうにライリを見つめるヘンリエッタを宥めながら倒れたライリを抱き抱えると屋敷の中へと運ぶタイザン。
それを窓越しに見ていたリーフレットの表情は彼の想像通りのものだった。
「ダーリン、疲れ果てているのは少し可哀想だけど彼女を起こしましょう。 もう時間が無いわ」
「そうじゃのう…… 輝きも弱まっておるしの。 ほれっ、済まんが起きて貰えるかの?」
肩を掴んで揺り起こされたライリか目を覚ますと先程の老人と眩いばかりの美少女が並んで立っているのに気付く。
そして座らせられていたソファーから立ち上がり二人を凝視する。
「怖がらなくても大丈夫よ。 私はリーフレット。 彼はタイザンと言って私の夫なの。 貴女の名前は?」
「私はライリと言います。 私の旦那様はここにいるのですか? 無事なのでしょうか?」
リーフレットの耳が人間とは違いかなり長い事に気付き、彼女はもしかしたら女神様なのでは無いかと思ったライリは現在起こっている不思議な事も彼女達の仕業ではないかと考えたが、仲睦まじい二人を見て思い直す。
「窓辺から庭の中央を見てごらんなさい。 淡く光る球体が貴女の求める者よ。 魂の器に入りきらなかった魂が弾き出されたようなものね」
リーフレットに言われるまま窓辺に近寄ると庭に目を向けると確かに淡く光る球体が存在しており、更にあの場所は旦那様が亡くなった場所だと気付く。
「魂の器ですか…… 旦那様は一度亡くなったのですが、同時に亡くなった息子の身体に乗り移る形で蘇ったのです。 でも10歳になるまでは、その記憶も無いまま過ごしていました。 この死霊使いの指輪と言う物の力だと言っていました」
そしてライリは二人に死霊使いの指輪を見せる。
「それがこの世界の神器…… やっと見つけたわ」
リーフレットの目が輝く、探し求めていた物の漸く手に入れる事が出来るのだ。
「人には定められた魂の器に見合った大きさの魂を身に宿すのじゃよ。 彼の大きな魂は息子の魂の器には収まりきらなかったのじゃろう。 だから何らかの原因で弾き出されたのだ。 一度弾き出された魂の欠けらは二度と元に戻る事は無い」
想像もつかない話を淡々と語るタイザンの話にライリは思わず泣きそうになる。
「そんな…… それでは旦那様は……」
二度と戻らないと聞いたライリは絶望の淵へと突き落とされた気がしていた。
一縷の望みに賭けてここまでやって来たのだ。
「早まるな、まだ話は終わっておらん。 魂の欠けらと言ってもアレは記憶の一部。 魂の記憶じゃよ。 アレを宿す器が無ければ蘇る事は出来ぬじゃろうて。 ならば…… その魂の器に戻せば良いのじゃ」
亡くなったばかりならば、それも可能だったが既に彼は墓の中で永遠の眠りに就いているのだ。
「そんな! 旦那様は10年以上前に亡くなっていますから帰る肉体もありません。 どうやって魂の器に戻せば良いのですか!」
ライリはタイザンに掴みかからんばかりに詰め寄る。
それを見たリーフレットが一瞬だけライリに敵意を抱いたのだが、彼女の気持ちを察してすぐに思い直す。
「時渡りの術と言う物がある。 本来は我らの住んでいた世界を守護する女神の力を借りたものじゃが、世界樹にも似たような力が備わっておるのじゃ。 儂が何千年以上も生き永らえているのも世界樹の力に因るものなのだが、それも残り僅かになってしもうた」
千年に一滴だけ手に入れる事が出来るエルフの一族に伝わる霊薬でもある。
今は族長の娘であるリーフレットが所有者になっており、タイザンと過ごすためだけに使っていたが、残り僅かにまで減っているのだ。
「ダーリンは私が一人残されて悲しまないように神器と呼ばれている神の力が宿った品を探してくれているのよ。 貴女が死霊使いの指輪と呼ぶ物がその一つなの。 この世の理から逸脱した強大な力を持つ存在」
このままではやがて訪れるタイザンの死による別離を回避すべく、二人は世界さえ越える旅を繰り返して神器と呼ばれる物を集めていた。
死霊使いの指輪もその一つにあたる。
「この指輪が…… この指輪と引き換えに旦那様を蘇らせてくれるのですか?」
ライリは手にした指輪を二人に見せる。
彼に渡されて以来ライリが持っていたのだ。
彼にしてみれば自分が戦いで死んでもライリが望めば死体になっても彼女を守れると言う思いからだった。
「それは分からん。 儂らには手助けしか出来んよ。 最後に残った世界樹の露じゃ…… これを使えば良い。 魂の記憶と共に過去に行き、本来納められるべき器に魂の欠けらを戻すのじゃ。 それで彼の記憶は戻るだろう。 じゃが…… 其方は今の時代には戻れぬ片道切符になるがな」
神の力では無いのだから万能とは言えないが、それに近い力を秘めている筈なのだ。
だが残り僅かな世界樹の露では片道分しか奇跡は起こせないとタイザンは考えていた。
「構いません! 旦那様に会えるなら…… また愛して貰えるなら……」
彼に再び会うためなら何だって出来るとライリは強く思う。
彼の腕に抱かれた幸せな時間を再び過ごす事が出来るなら……
「その時代に既に貴女が存在しているなら触れたらダメよ。 本来存在しない筈の貴女と接触して何が起こるか分からないわ。 まだ生まれていないなら過去を変えた事で貴女が生まれて来ない歴史に変わるかも知れないけど…… 今の貴女がどうなってしまうかは保証出来ないから覚悟はしておきなさい。 それでも貴女は行くのでしょう?」
リーフレットにしても分からない事は沢山あるのだ。
自分は神では無いのだからと考えていた。
その傲慢さで滅びようとしたエルフの一族とは違う謙虚さをリーフレットは持ち合わせている。
「はい! 私の全ては旦那様と共にあります」
ライリの顔に迷いは無い。
「ふふふっ、愛されてるわね。 妬けちゃうわ」
ライリの真っ直ぐな思いをリーフレットは羨ましくも思う。
「では…… 死霊使いの指輪をお渡しします」
覚悟を決めたライリはタイザンへと指輪ん手渡すと二人に向かって微笑む。
「うむ、確かに受け取った。 ならば魂の欠けらの所に行こうの」
彼の魂の欠けらが淡く光る庭に出た三人の先頭を進むのはライリだった。
早く彼に会いたい一心での行動だ。
「旦那様…… ライリです。 お分りになりますか?」
魂の欠けらに手を差し出すとライリに導かれるかのように漂い彼女の胸へと消えて行った。
「何と! 其方の身に宿ってしまうとは…… それ程までに強く魂が引き合うとは思わなんだぞ」
流石に想像もしていなかった事態にタイザンも血相を変える。
だが当人のライリは至って平然としていた。
「もう…… 旦那様ったら、そんなに我慢出来ない程寂しかったのですか? 一体どうすれば良いのでしょう……」
ライリは彼の行動に戸惑いながらも嬉しささえ感じてしまうのだ。
「そうじゃな…… 過去で彼と結ばれるのじゃ、さすれば引き合った魂の欠けらも本来あるべき場所に戻るじゃろう」
結ばれると聞いて顔を赤くしたライリだったが、そんな事なら簡単だとばかりに笑みを浮かべるのだった。
「ふふふっ、それなら大丈夫です。 旦那様の事は私が誰よりも知っていますから、必ず私を選んでくれるって信じています」
その思いには疑いすら抱かなかった。
こんなにまで…… 魂すら引き合うのだから。
「ならば何も言うまい、最後の世界樹の露を其方に撒くとするか…… 彼の記憶が導いてくれるじゃろう。 そして見事に添い遂げるが良い」
タイザンが手にした小瓶に入った世界樹の露と呼ばれている雫をライリに向けて撒くと、彼女の身体が先程まで漂っていた魂の欠けらと同じように淡く光出す。
「幸せにね、ライリさん」
リーフレットはライリの幸せを心から祈っていた。
自分達の未来を彼女達に重ねていたのだろう。
「はい、リーフレットさんにタイザンさんもお幸せに……」
ライリが幸せそうな笑みを浮かべながら消えて行くのを残された二人は肩を寄せ合いながら眺めていた。
彼女が消えた後も暫くは消えた場所を眺め続けていた。
「行ってしまったわね。 彼女…… 少し若返って無かったかしら?」
やがてリーフレットが口を開く。
「世界樹の露を浴びたせいかも知れぬな。 口にした訳では無いから効果も薄かったのじゃろう」
確かに消えゆく時にライリは4〜5歳は若返っていただろう。
彼女も後で驚くだろうとリーフレットは苦笑いを浮かべていた。
「彼女は幸せになれるかしら?」
きっと幸せを掴むと信じているが、それを確かなものにしたいと言う思いがあった。
「あの去り際の笑顔を見れば分かるじゃろ。 既に幸せそうじゃったわい」
タイザンが当たり前のようにそう言ってリーフレットを安心させるために笑ってみせる。
「そうね…… ダーリンの言う通りね」
(私達も負けられないわ。 またいつか会えたならお互いに自慢話でもしましょう)
リーフレットは二人が会う事は無いかも知れないと思いながらも、もしも自分達の魂が引かれ合うのならば、再び会えるだろうと言う望みを抱くのだった。