くろがねの女騎士
獰猛なる女騎士アナスタシアは、まさに短剣を突き入れようとしていた。
兜をつけていない、がら空きの首筋にだ。
彼女の戦い方は至って単純だ。大剣によって相手をよろめかせ、その隙に短剣を鎧の間から突くという戦法をとっている。
豪胆な剣筋と、細やかな短剣捌きが融合した、絶妙な剣術。
全身鎧が基本である騎士、重戦士との戦いを制するものであった。
オズウェルは彼女のその戦いぶりを間近で見て、恐怖を感じたものだった。
そしてその恐怖は今、オズウェルに殺意の牙となって向いている。
伸ばした左腕が短剣を防いだ。
いいや、正しくは防げてなどいなかった。手甲どころか手そのものを切っ先が貫通している。
だが、命は守れた。
「足掻くか、オズウェル卿」
「諦めは悪いものでして。これはさっきも言いましたか?」
「初耳だ!」
力での押し合いになりそうになったのを、オズウェルは避けた。
アナスタシアの腹を脚ではさみ、横に投げ飛ばす。転がる彼女を見ながら立ち上がり、剣を抜いた。
刺さったままの短剣をつたって血が垂れている。左手はしばらく使い物にならないだろう。
右手だけで握った剣の切っ先をアナスタシアへと向ける。
「友には抜くことすら躊躇った剣を、私には向けるか。信用されてないな」
「まさか。貴女の実力を知っているからこそですよ。油断はしません」
彼女は勇猛果敢な騎士だ。
その素行や、言動について首を傾げる者は多い。戦においては騎士らしからぬ奇襲、奇策が多く、仲間であっても本当のこと伝えるとは限らない。
いまの武術とて、彼女が独自に編み出したものであり、王国の剣術からは外れている。
異端と呼ばれ煙たがられるのがアナスタシアという女騎士であった。
だが、ときにそれは、彼女の魅力であった。
赤竜王国でも変革を望む新興派と呼ばれる一派は、彼女を高く評価している。
女だてらに武勲をたてる彼女の存在は輝いてもいたのだ。まさに新しい風であると。
そしてそれを間近で見ていたオズウェルは、彼女を正当に評価している者の一人だという自負もあった。
「貴女がこの裏切りの首謀者ですか」
左手の痛みを堪えながら、オズウェルがそう聞いた。
アナスタシアであればそれは可能である。持ちうる力やつながりを活かし、その言動によって幾人かを手中で操っているのならば、赤竜王国の四分の一近くは彼女と組みすることを選ぶだろう。
それだけいれば、残った赤竜王国の者たち……オズウェルを支持した者たちに対抗することはできるだろう。
ニコラスが裏切ったとしても、納得ができるだけの戦力である。
二人はお互いに剣を向け合って、円を描くようにして間合いを保った。
剣が触れるか、触れないかの距離だ。
「裏切り? 味方につけていたつもりか? 自分が誰の支持を得て、選挙に勝ったかもわからないのか?」
「ですが、全員が参加し、全員で決めたことです」
「綺麗事を言うな、オズウェル卿。いいや、それがお前が支持を得た理由なのかもしれないな。甘い理想と言葉に、人々を酔わせて満足か」
ふざけるな、とアナスタシアは言った。
「それこそが、人を腐らせる」
唾棄するように。アナスタシアの言葉は、憎悪に満ちていた。
「平和、安寧、安泰、無風! そうやって牙を失った者の末路を知らないお前ではあるまい? いつまで腐った肉の上で寝そべっているつもりなのか。傷つかぬことを望むのに、誰かに剣を握らせて恥ずかしくないのか。……であれば、私は戦いそのものとなろう」
それはまるで宣誓であった。あるいは布告であった。
オズウェルは理解する。
この裏切り劇を仕込んだのは彼女であるのだと。
「なるほど、貴女は変えたいのですね」
「そんな甘い言葉は捨ててしまえ、オズウェル卿」
「そう言われましても」
困ったように笑いながら、オズウェルは言う。
その笑みが癪に障ったのか、アナスタシアは仕掛けた。
剣が振るわれる。最小限の動きであった。オズウェルはそれを後ろへ歩んで避けた。
連続で迫る剣は、いずれもオズウェルを殺めるだけの力があった。
大剣の射程を遺憾なく発揮し、寄せ付けない剣技に思わず唸る。
まったくもって隙がない。感情的になりながらも、剣については冷徹であった。
「どうした、その剣は飾りか?」
挑発をするアナスタシアに、オズウェルは応える。
振り下ろされた大剣を、自身の剣で受け止めた。軌道に合わせて剣の腹で滑らせ、懐に潜り込む。
肩をぶつけて、アナスタシアの体を押した。たたらを踏む彼女にわずかな隙ができ、そこへオズウェルが横へ剣を薙いだ。
王国剣術の基礎、相手を怯ませたところへの痛打である。
狙いは違わず頭へ。寸でのところで躱したアナスタシアであったが、切っ先が兜をかすめた。
甲高い音をたてて兜が飛ぶ。
再び距離をとった両者。決定的な隙であったが、オズウェルは踏み込まなかった。
いいや、踏み込めなかったというのが正解だ。
「貴様……オズウェル! よくも私の顔を!」
現れた顔は怜悧であった。
銀色の髪をなびかせ、鋭い青の瞳、朱を塗った唇。その姿は美女と呼ぶには十分すぎる。
伝説の戦乙女すらも思わせるアナスタシアの姿を初めて見て、一瞬だけ見惚れたのだ。
だが、表情は怒りに染まっている。額から流れる血が、その形相を一層恐ろしいものにしていた。
「アナスタシア卿、貴女は……」
「殺す、オズウェル卿!」
怒りのままに、彼女はまっすぐ突っ込んでくる。
鋭い一突きであった。騎乗突撃すらも思わせる勢いである。
オズウェルは、その攻めを避けようとするも、左手に刺さる短剣から走る痛みが動きを阻害した。
瞬間、オズウェルの背中から剣が生える。
だが血は流れなかった。
アナスタシアの剣はオズウェルの右脇に挟まれていた。一瞬の隙に剣の腹を押さえ込んで、その動きを封じたのだ。
瞠目したのは一瞬、アナスタシアはオズウェルを押し出す。剣を抱え込んだままのオズウェルは、その力任せの押し出しを受け背中を大樹へとぶつけられた。
大樹に縫い付けられたオズウェルは身動きがとれない。
肺から空気が一気に抜ける。呼吸がせき止められた。
そして、その隙をつくようにアナスタシアが左手に刺さっている短剣を引き抜いた。
血に濡れた短剣がひらめいて、オズウェルの首筋に再び迫った。
「これで終わりだ!」
アナスタシアが言った。
その剣の刃を眺めながら、オズウェルは時間が遅くなったのを感じた。
いいや、正しくはアナスタシアの動きが止まったのだ。
次いでオズウェルの左目にある〈紋傷〉が疼いた。
それは魔獣が近くにいることを知らせるものであった。
忌々しい顔をして、アナスタシアは離れる。
彼女の視線はオズウェルに向いていなかった。
「この勝負は預ける。さらばだ、オズウェル卿。キャメリスで待っているぞ」
そう言って彼女は、大剣と短剣を納めて、自身の黒馬にまたがった。
最後にちらりと、オズウェルの背後を見て、馬を蹴った。
鮮やかな去り際は歴戦の将であれば賞賛するだろう。常勝の戦士などいないのだから、引き時を理解し、時機を知ることのできる力は何よりも命を守るものであった。
あっという間に去っていくアナスタシアを見届けて、オズウェルは腕を押さえながら立ち上がる。
そんな彼の前に現れた一つの影があった。
「今日はずいぶんと、お客さんが多いですね」
目の前で、オズウェルの様子をうかがっているのは、魔獣だった。
この世界〈ノズアーク〉に蔓延り、ときに地域を、ときに国を支配するものだ。
そして、現れた魔獣は、銀色の獅子の姿をしていた。