花飾りの騎士
馬車が雨を裂いて進む。
急に降り出した雨は、荷馬車と荷物、その御者を濡らしていた。
濡れてしまえば価値を減ずるものは世に多くあるが、彼らにはまったく問題がなかった。
なにせ、荷物には元から価値などないのだから。
荷車に載っているのは、人であった。
この時代、荷車に載せられるのは物しかありえない。運ばれる、という行為を人には認めていない。
もし運ぶものがあるとするならば、それは人ではない。
罪人だけであった。
「なあ、お前は何をやらかしたんだ」
声をかけたのは、投獄生活が長かったからか髭と髪が伸びてしまった男だ。ぼろぼろになってはいるが衛兵の服を着ており、元は誰かに仕えていたのだろうことがうかがえる。
「あまり大きな声は出すなよ。雨が降ってるとは言え、お前からの向きは御者の方だ。処刑のとき、無駄口叩いてたとか言われて名前を最初に呼ばれるのは嫌だからな」
そう言うわりに、言葉を減らす気はないようだ。
ただの暇つぶしだろう。この馬車での旅は長すぎるし、雨も体力を削いでいく。気を確かに持つのも大変だった。
声をかけられた方は、一度だけ御者を見て、うなずく。
「話がわかるじゃねえか。それで、どういった訳なのか教えてはくれないか。その甲冑だって、赤竜王国の騎士のものだろ。それに、深い頭巾で顔を隠しちゃいるが、綺麗な顔が隠せてねえぞ。さぞかしいい生まれなんだろうな」
髭の男はそう言った。
赤竜を頂点に冠する王国があった。赤竜王国というそこは、騎士の国であった。
頭巾の男が身につけているのはまさに、その騎士の鎧であり、髭の男はついこの間までは赤竜王国の兵士だった。
対する頭巾の男は、その頭巾の中でくすりと笑った。
「半分だけ正解です」
明瞭な声に、育ちの良さがにじみ出ている。にも関わらず、彼は緩やかに否定した。
「半分だあ?」
「ええ。僕は騎士ですが、決して生まれのいいものではありません」
「ふうん」
俺はなあ、と髭の男は聞いてもないのに話し出した。
都市を守る衛兵として仕事をしていたが、その内で賄賂を受け取った。それまでならよくある話であるが、招いた人物が手ひどい悪さを働いたのだという。やがて、そこから関係者が一斉に検挙されたということだった。
いいや、実際は、もっとあくどいことをしているに違いなかった。でなければこの馬車には乗せられていない。
「俺は話したぞ、お前はどうなんだ」
勝手に話しておいて、たいした言い草だと思った。
この図太さは、さすがだと感心させられる。
「僕は……捕まってここにいるわけではありません」
「話が読めねえな。ってことは、お前は望んでこれに乗っているってことか」
「君と似たようなことをしましてね。彼に少しだけお小遣いをあげて、乗せてもらってるのですよ」
彼、とは御者のことだった。うるさくすれば彼に何か言われるだろうが、黙っている分には何も言わないでいてくれるだろう。
国に忠誠を誓っているわけでもない彼を懐柔するのは簡単だった。それゆえに、頭巾の男は少しだけ頭を抱えたのだが。
「けっ、なんだい。乗り合い馬車代わりに使ったってか」
「君の言葉を借りるなら、やらかしましてね。そういうものを使うことができないのです」
「なんだ、早くその話を聞かせろ。もったいぶらせやがって」
男は気を逸らせる。慌てたところでなにがあるわけではない。ただ、この男はそういう質なのだろう。
ふっ、と寂しげに笑って、頭巾の男は言った。
「国を追い出されまして。お前なんかいらない、と」
「ふうん、政治ってやつか。俺にはわからない世界だなあ」
「はは……そんなものです」
苦笑する頭巾の男。その気配は確かに、高貴な者のものであった。
「窮屈なもんだねえ。力があれば、もっと自由に、正しく生きられるものだと思ったが、そうもいかないのか。だったら、俺たちみたいな下々の者はどこを目指せばいいのかね」
髭の男は言った。頭巾の男は、少しだけ言葉を詰まらせた。
清く正しく生きるのは、難しいことだ。それは人の中にある原罪を否定し続けること。しかし、根源に刻まれた罪は、生きようとする意思は、本能として人に行動をとらせる。
その行方がどうなるのか。その答えを、この男は得られなかったのだろう。
「まあ、行き先はこんなふうに、牢屋か強制労働なんだろうがな」
自嘲するように髭の男は言った。
少なくともこの国では、悪事を働いた者は、真っ当に生きることを許されなかった。
いいや、おおよその人は自らの意思を放棄しているとも言えるだろう。
誰かの言う、正しさに従って生きているのだから。
「……ん? あれはなんだ?」
御者がそう言った。荷台に乗っている囚人たちも、その言葉に従って振り返る。
見れば、木々の向こうに武装した一団が走っている。数人は馬に騎乗していた。けれども、その武装は統一感がない。しかも鎧を着ていたりそうでなかったり、槍や剣を握ってはいるがどちらかひとつだけであったり、まるきりでたらめだった。
雨にも関わらず血気盛んな様子を見て、髭の男は言った。
「ありゃあ、賊か。ちんけな装備だな。どうせどっかの村人が窮して商人を襲ってるんだろう」
「……そうでしょうか? それにしても」
「ま、放っておくしかないだろうな」
頭巾の男の言葉を、髭の男が遮った。余計なことは言うな、とでも言いたげに。
賊たちは一目散に走っている。雨で視界が悪いため、髭の男からは彼らが何を目的にしているかは見えていなかった。
だが、賊たちがなにをしようが、知ったことはない。
彼らとて自分たちと同じく行き場を無くした者たちなのだろう。村の地力が下がり、あるいは魔獣に村を襲われ、税を納めることもできなくなり、それゆえに国に人として認められなくなってしまった。そういう者たちなのだ。
魔獣と呼ばれる強大な存在が支配するこの世界〈ノズアーク〉では、よくあることだった。
「彼らの行く先に誰かがいます」
一方、頭巾の男は彼らの目的を正確に見て取った。
その言葉と、強さに髭の男は呆気にとられる。
「お前、なにをするつもりなんだ?」
やはり、鋭いな。頭巾の男は感心する。
もしかしたら、もっと良い方法でその鋭さを使えればよかっただろうに。そうとも思った。
「助けに行きます」
そう言って、頭巾の男は立ち上がった。
いざ飛び出そうとして、腕に拘束具をつけていたことを思い出す。
それを力任せに、引きちぎった。ぱらぱらと破片が落ちていく。
これには、髭の男は開いた口が塞がらなかった。
「お、おい、待て待て。助けたって何にもならねえぞ」
「しかし、何かの罪過に問われるわけでなければ、誰かに傷つけられて良い者たちでもない」
顕然として言った頭巾の男は、じっと髭の男の目を見た。
ここから先、ともに行けないことを許してほしい。
そんな願いが届いたかは知らないが、髭の男は頭巾の男の目を見て、驚いていた。
「左目に浮かぶ〈紋傷〉……おまえ、いや、あなたは!?」
正体を知られるやいなや頭巾の男は、走る荷台から躊躇いもなく飛び降りる。濡れた地面に足をつける。水しぶきがわずかに上がったが、それだけだった。
振り返れば、囚人を乗せた荷馬車はどんどんと進んでいく。荷台からは髭の男がずっとこちらを見ていた。
『よかったのか? あのまま乗っていれば、もっと早く廃工城カーペンタリアへ向かえたはずだが』
女の声がした。
男の頭巾が風に揺れて、中にあった花が露わになった。淡い紅の色をした花だった。男がつけるには可愛らしすぎるが、男の顔立ちが端正であるからか、違和感がなかった。
「だが、見捨ててはおけない」
『追っ手だって来ておるだろうに。急いだ方がいいと私は思うぞ。危機的状況というやつだ。せっかく距離を離したというのに』
「だからこそ」
声を遮って、頭巾の男は言った。
「だからこそ、僕がいま、何を選ぶのかが問われるのです」
その瞳はまっすぐ前へ向けられていた。
男の言葉に、声は笑った。
『そういうのを王道と言うのだぞ?』
「笑わなくてもいいじゃないか」
『愛い奴、と思っただけだ』
声はそう言った。男はため息をつく。
剣を抜いた。すでにぼろぼろで、幾度も剣を交わした末に、辿り着いたひとつの姿なのだろう。
『ならば行くが良い、オズ』
「ああ!」
掛け声とともに、オズと呼ばれた男は走り出した。