2、
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俺は、しばらく立ち止まっていた。
童女の猫顔を見た瞬間から、俺は自分の心に暗い炎が燃えていることに気づいた。それは、その瞬間に灯ったのではなく、以前からそこにあったようだった。
うまく思い出せない記憶のせいで今まで自分でも忘れていて、雨に叩かれて心の底に押しやられ、雷の音に紛れて潜んでいたが、おそらくずっと、俺の中にあった。
猫顔の童女に促されるまま前に進んだら、その炎はきっとさらに強くなる。なぜか、そんな気がした。
すると、猫顔の童女は唐突にびくっとして耳を立てた。
背にしていた屋敷の玄関扉をじっと見ていたかと思うと、唐突に、足音も無く、ぴょんと屋敷の庭の方へと跳ねて駆け去っていった。
赤い足跡を残して。
あっけに取られてそれを見送っていると、少しの間を置いて、屋敷の玄関扉が開いた。
男が、顔を出した。
屋敷の中から現れたはずなのに、ずぶ濡れの顔。
濡れて張り付いた髪の中から、黒い目がこちらを見ていた。
俺は、
心の中の暗い炎が、唐突に大きく燃え出すのを感じた。
この男だ!
この男だ!!
この男だ!!!
……しかし、誰だ?
思い出せなかった。暗い炎が、ただひたすらこの男を焼き焦がせと求めているのに。出口を迷う燃え盛る炎が俺の心を焦がし、俺は混乱した。
破裂しそうな感情の奔流。
憎い。ただただ憎い。暗い炎が何なのか、俺は理解した。この男への憎悪の炎だ。それが、燃え上がる。
それはあまりに大きくて、逃れるために、後ずさりたい気分になった。
実際に、一歩後ずさりさえした。
だが一度大きくなった炎は、小さくなることはなかった。
俺は、わけも分からないまま男をにらんだ。
暗い憎悪の炎は、一片すら隠せずに顔に出ていたはずだ。
だが、男は気にした様子もなく、にやりと笑った。
「やあ、あがんなよ。
と言ってもここはオレの家じゃねえし、オレも今来たばかりなんだが。
ともかく、こんな雷雨の中よりゃ、ずっとマシだろ」
「……」
「へへへ、にらむな、にらむな。
当ててみせようか。アンタ、オレのことを思い出せやしないんだろ?
おっと、オレが何かしたわけじゃねえ。オレもそうなんだ。オレも、アンタをどっかで見た記憶があるんだが、思い出せねえんだ。
アンタのことだけじゃねえ。そこの坂に来るより前のことが、どうにも思い出せねえ。
きっとアンタもそうだろう? なら、ご同輩ってわけだ。ひとまず仲良くしようぜ」
「……」
俺が黙っていると、男は苦笑して、屋敷の奥に足を向けた。
「ついてきなよ」
「……」
男が背を向けるのを見て、俺は思わず、飛びかかりそうになった。心の憎悪の炎が命じるままに、あの首を、へし折ってやりたい。
だが。
その憎悪がどこから来るのかが、分からなかった。思い出せない。そのせいで、迷い、ためらってしまった。
俺は黙ったまま、男の後について屋敷の中へあがった。
屋敷の中は濡れていた。
まるで、外の雷雨がそのまま中に染み渡ったかのようだ。
歩くたびに、ぴちゃり、ぴちゃりと、音を立てた。
水浸しの廊下を歩きながら、俺は、いくつかの部屋の前を通り過ぎた。
部屋は、ふすまが閉じられているか、あるいは明かりが無くて中を見通せなかった。
だが、それぞれの部屋から廊下へと、赤い水が流出していることに俺は気づいた。透明だったはずの廊下の水に、赤色が混じっていく。
そして廊下の奥からは、いっそう太い赤い水の流れがあった。
廊下を進むたびに赤色は増していった。
「ついたぜ。
ここをオレの部屋にしてんだ。まあ、見てくれよ」
廊下のつきあたりの部屋に入ると、男は振り返った。
外に開いた部屋で、縁側の向こうに、夜の空が見えていた。星も月も見あたらなかったが妙に明るく、そのせいで、部屋の中をはっきりと見ることができた。
赤い水の源が何であったかも。
そこには、
大量の、
バラバラの、
人の部品が転がっていた。
男が言った。
「へへへ、驚いたか。
どうだ、すげえだろ! 俺がやったんだぜ!
いやあ、生き物の分解って面白いよなあ。いくらやっても飽きない。
ああ、感想は言わなくったっていいぜ? 見せびらかしたかっただけだしな! それに、アンタももう玩具の仲間入りだ!」
バラバラの、死体。
どこかで、前にも、見たような。
そう思ったと同時に、思い出すことを拒否するように、思い出す前に焼き消そうとするように、憎悪の炎がさらに燃え上がった。
憎い、憎い。目の前の男が憎い。憤怒が俺を突き動かした。
思わず、詰め寄ろうとした。
だが。
前に出した右足に違和感があったと思うと、体勢を崩して、血で水浸しの床に前のめりに倒れた。
思わず右足の先を見た。
無かった。
右足の膝から下は、俺が歩き出す前の場所に転がっていた。
切り離されていた。
「どうだ、面白いだろ。手品みたいだろ?
バラバラマジックショー! タネも仕掛けもございません、てな! へへへ!」




