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比良坂の猫  作者: yamainu
2/6

2、

 2、


 俺は、しばらく立ち止まっていた。

 童女の猫顔を見た瞬間から、俺は自分の心に暗い炎が燃えていることに気づいた。それは、その瞬間に灯ったのではなく、以前からそこにあったようだった。

 うまく思い出せない記憶のせいで今まで自分でも忘れていて、雨に叩かれて心の底に押しやられ、雷の音に紛れて潜んでいたが、おそらくずっと、俺の中にあった。

 猫顔の童女に促されるまま前に進んだら、その炎はきっとさらに強くなる。なぜか、そんな気がした。

 すると、猫顔の童女は唐突にびくっとして耳を立てた。

 背にしていた屋敷の玄関扉をじっと見ていたかと思うと、唐突に、足音も無く、ぴょんと屋敷の庭の方へと跳ねて駆け去っていった。

 赤い足跡を残して。


 あっけに取られてそれを見送っていると、少しの間を置いて、屋敷の玄関扉が開いた。

 男が、顔を出した。

 屋敷の中から現れたはずなのに、ずぶ濡れの顔。

 濡れて張り付いた髪の中から、黒い目がこちらを見ていた。


 俺は、

 心の中の暗い炎が、唐突に大きく燃え出すのを感じた。

 この男だ!

 この男だ!!

 この男だ!!!

 ……しかし、誰だ?

 思い出せなかった。暗い炎が、ただひたすらこの男を焼き焦がせと求めているのに。出口を迷う燃え盛る炎が俺の心を焦がし、俺は混乱した。

 破裂しそうな感情の奔流。

 憎い。ただただ憎い。暗い炎が何なのか、俺は理解した。この男への憎悪の炎だ。それが、燃え上がる。

 それはあまりに大きくて、逃れるために、後ずさりたい気分になった。

 実際に、一歩後ずさりさえした。

 だが一度大きくなった炎は、小さくなることはなかった。


 俺は、わけも分からないまま男をにらんだ。

 暗い憎悪の炎は、一片すら隠せずに顔に出ていたはずだ。

 だが、男は気にした様子もなく、にやりと笑った。

「やあ、あがんなよ。

 と言ってもここはオレの家じゃねえし、オレも今来たばかりなんだが。

 ともかく、こんな雷雨の中よりゃ、ずっとマシだろ」

「……」

「へへへ、にらむな、にらむな。

 当ててみせようか。アンタ、オレのことを思い出せやしないんだろ?

 おっと、オレが何かしたわけじゃねえ。オレもそうなんだ。オレも、アンタをどっかで見た記憶があるんだが、思い出せねえんだ。

 アンタのことだけじゃねえ。そこの坂に来るより前のことが、どうにも思い出せねえ。

 きっとアンタもそうだろう? なら、ご同輩ってわけだ。ひとまず仲良くしようぜ」

「……」

 俺が黙っていると、男は苦笑して、屋敷の奥に足を向けた。

「ついてきなよ」

「……」

 男が背を向けるのを見て、俺は思わず、飛びかかりそうになった。心の憎悪の炎が命じるままに、あの首を、へし折ってやりたい。

 だが。

 その憎悪がどこから来るのかが、分からなかった。思い出せない。そのせいで、迷い、ためらってしまった。

 俺は黙ったまま、男の後について屋敷の中へあがった。


 屋敷の中は濡れていた。

 まるで、外の雷雨がそのまま中に染み渡ったかのようだ。

 歩くたびに、ぴちゃり、ぴちゃりと、音を立てた。


 水浸しの廊下を歩きながら、俺は、いくつかの部屋の前を通り過ぎた。

 部屋は、ふすまが閉じられているか、あるいは明かりが無くて中を見通せなかった。

 だが、それぞれの部屋から廊下へと、赤い水が流出していることに俺は気づいた。透明だったはずの廊下の水に、赤色が混じっていく。

 そして廊下の奥からは、いっそう太い赤い水の流れがあった。

 廊下を進むたびに赤色は増していった。


「ついたぜ。

 ここをオレの部屋にしてんだ。まあ、見てくれよ」

 廊下のつきあたりの部屋に入ると、男は振り返った。

 外に開いた部屋で、縁側の向こうに、夜の空が見えていた。星も月も見あたらなかったが妙に明るく、そのせいで、部屋の中をはっきりと見ることができた。

 赤い水の源が何であったかも。


 そこには、

 大量の、

 バラバラの、

 人の部品が転がっていた。


 男が言った。

「へへへ、驚いたか。

 どうだ、すげえだろ! 俺がやったんだぜ!

 いやあ、生き物の分解って面白いよなあ。いくらやっても飽きない。

 ああ、感想は言わなくったっていいぜ? 見せびらかしたかっただけだしな! それに、アンタももう玩具の仲間入りだ!」


 バラバラの、死体。

 どこかで、前にも、見たような。

 そう思ったと同時に、思い出すことを拒否するように、思い出す前に焼き消そうとするように、憎悪の炎がさらに燃え上がった。

 憎い、憎い。目の前の男が憎い。憤怒が俺を突き動かした。

 思わず、詰め寄ろうとした。

 だが。

 前に出した右足に違和感があったと思うと、体勢を崩して、血で水浸しの床に前のめりに倒れた。

 思わず右足の先を見た。

 無かった。


 右足の膝から下は、俺が歩き出す前の場所に転がっていた。

 切り離されていた。


「どうだ、面白いだろ。手品みたいだろ?

 バラバラマジックショー! タネも仕掛けもございません、てな! へへへ!」


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