理由
「...俺はもう二度と目の前で大切な人が車に轢かれるのを見るのはごめんなんだよ。」
和馬がそう言うと、怒る一稀を宥めながら友樹が、
「二度と?お前...何があったんだ?それ、俺達の会う前の話だろ?」
「...ま、お前らならいいか...俺が彼女を作らない理由、話すよ。」
鈴木和馬は自分の事を野球が普通の人よりも出来るただの少年だと思い込んでいた。
そんな和馬が、自らの才能に気付かないままドブに捨てそうになっていたのを拾い上げた......《変人》がいた。
それは、和馬が小学六年生の頃の話。
「そこの野球少年ッ!」
「は、はい?」
「え、違った?」
「いや、違わないですけど...どうかしたんですか...?」
和馬はかなり困惑しながら話しかけてきた女の人の方を向く。
「野球って楽しいよね!なはは!」
「...あ、もしかして理恵さんですか?」
「もっと驚いてヨォ!」
「すいません、こういう性格なんで。」
高校一年生の多田理恵。
ソフトボールでかなり名が知れてる人で、和馬の憧れの人でもあった。
「...り、理恵さんが俺に何の用ですか?」
「この前からずっと見てたけど和馬君さ!なんでそんなチームにずっといるの?」
「...え?ど、どういう事ですか?」
「自分では気付いてないだろうけど、和馬君って結構凄いよ?強いよ?...でも、和馬君のいるチームは?練習をサボってる子ばっかりだし、監督は適当だし...論外じゃん。君のような子がいていい場所じゃないよ。」
「...ま、待ってください!いきなり言われても...そ、それに!...あいつら、野球の事は本当に好きな奴らなんです...ただ...」
「ふざけないでよ。私はソフトボールだけど、真剣にやってるんだよ。いくら野球が好きでも...やる気がないなら論外だって言ってるんだよ。」
「...そうかも...しれませんけど...」
「君はこんな所で腐っていい人材じゃないんだよ!?」
「...な、何が言いたいんですか!」
「だから、私と特訓しない?」
「...え?」
その一言が、始まりだった。
「ほら振り遅れてる!今はとにかく当てることだけを考えて!」
理恵との特訓は和馬の想像を超える厳しさで、和馬の実力はどんどん上がっていき、それと同時に世間の注目度も上がっていった。
「ほら、ぼーっとしない!」
「は、はい!」
しかし和馬はこの辛い特訓をやめようとせず、弱音を一度も吐かずに、理恵に付いていった。
「はい、今日もお疲れ様。」
「あ、ありがとうございます...凄いですね...どんどん強くなってる気がします...」
「えへへ、でしょー?」
「...というか、そっちは大丈夫なんですか?レギュラーなんですよね?」
「あー...うん...大丈夫...かな...」
「...何かあったんですか...?」
おかしい。
そう思った和馬が心配そうな顔で聞いてくるので、理恵も話さないわけにもいかず、
「まぁ...いや、そのさ...私がスタメンに入るってことはさ、一人がスタメンから外れるってわけじゃん?...その...外れた人が...さ、私のこと恨んでて...なんか...嫌がらせをしてきたっていうか...なんていうか...今...部活には...行ってないっていうか...」
「...逃げたんですか?」
「...に、逃げた訳じゃ...」
「サボるのは論外じゃなかったんですか!?俺に強くなれって言ったのは理恵さんじゃないんですか!?...理恵さんは...そんな、弱い人だったんですか!?」
「......あ...あはははは!」
「...理恵さん...?」
「私は弱くない!私は強い!だから先輩の嫌がらせなんかに負けたりしない!私はソフトボールが世界一上手く、そして、和馬君と言う最高の弟子を持っている女!」
「お、俺が...理恵さんの弟子...?」
「うん!悪くないでしょ?」
「お、俺なんかが...いいんですか?」
「いいに決まってるじゃん!...その、ありがとね。お陰で元気出た。」
その後、理恵は和馬の頭を強く撫でながら大きく笑い、「やったるぞー!」と叫んだ。
ある日の夕方。
少し不機嫌な理恵がやって来ると、和馬は冷や汗をかきながら理恵を出迎えた。
「ねー...なんで逃げたの?」
「ご、ごめんなさい...」
その日、和馬は友達と一緒にいる時に理恵と遭遇したのだが、挨拶された瞬間何故か逃げ出してしまった。
「ま、いいけど?...ほら、やるよ!」
理恵の怒りは特訓にじわじわと含まれていたため、その日の特訓はいつもの倍くらいのキツさを誇っていた。
「いや、別に怒ってるわけじゃないんだけどね?君が逃げたことに。」
「うっ...」
特訓が終わっても怒りは静まらなかったらしく、まだ不機嫌な理恵が頬を少し膨れさせながら和馬に話しかける。
「...で、でも...何で俺が逃げたことに怒ってるんですか?」
「えっ...?そ、そりゃ...そりゃあ...?」
和馬はなんとなくは分かっていたが、怒りの具体的な原因はわかっておらず、理恵に聞いてみるが、理恵自身も一つの原因を除いて怒っている理由がわかっていないため、上手く説明することが出来ない。
「...それは...」
「...?」
「それは...えっと...」
「どうしたんですか...?」
「いや、その...今から言うことは今まで以上に馬鹿な事だからね。OK?」
「はい、大丈夫です。」
「えっとね...私は...その...あの、本当に、馬鹿な事、言うよ?」
「はい。」
「うぅ...調子狂うなぁ...えっとね...その...君の事が...好きだから...かな...」
「俺も好きですよ。」
「それは...likeでしょ?」
「はい?」
和馬はlikeの意味を知っているし、理恵の発言の意味は理解出来ている。
そして、自分の年齢と理恵の年齢も完璧に理解していて、そんな二人が付き合ったりするなんてことが異質なのも知っている。
「ねえ、本気なんだよ...?」
そして、自分自身が理恵と同じ気持ちだということも和馬は理解している。
「...あの...えっと...」
「...ご、ごめんね?こ、こんな事いきなり言って...その、えっと...わ、忘れて?」
「む、無理ですよそんなの...」
「だ、だよね...」
少しの沈黙が起こり、さっきからずっと気まずかった雰囲気は、もはや言葉では言い表せない程気まずくなっている。
「...俺も...likeじゃないですよ。」
「え?」
「俺も、理恵さんの事が好きです。」
理恵は少しフリーズした後に、口を開く。
「...和馬君。明日も...よろしく。」
理恵は、お互いに気持ちの整理が必要だと考えたのだろう。
理恵の後ろ姿を見て、髪が綺麗だと思い、ドキドキがさらに増している和馬は、
「...本当に...俺が好きなんですか...?」
両想いである事に不安を感じていた。
その日の翌日の事だった。
「和馬!フライの取り方を教えてくれないか!?」
「俺も教えて!」
「僕も!」
「えっ...ど、どうしたの...?」
今までやる気もなく頑張りが見えなかったチームメイトが、突然和馬に野球の指導を求めてきたのだ。
「いやさ、ずっと和馬だけ成長して強くなっていってさ、それ見てたらなんか、俺らもそういうプレイできたら楽しいかな?って思ってさ。」
「うんうん、野球って上手くいかないのが当たり前って選手の人言ってたし!」
「僕もあんなプレイがしてみたいんだ!」
「み、皆...」
「おいガキども!集合しろ!」
「「「か、監督!?」」」
普段練習をタバコを吸いながら見ているだけの監督が集合をかけたことに、全員が驚く。
「やっと根性が出てきたようだなお前ら...今日からの練習メニューは厳しくなると思え!和馬を中心に優勝を目指すぞ!いいな!」
「「「は、はい!」」」
「声が小さい!」
「「「はい!!!」」」
やる気の出てきたチームメイトは、鬼のような練習でしっかりと基礎を学び、和馬だけのチームから、変わっていった。
このチームなら、和馬に頼らなくなっても強くなっていくだろう。
その日の夕方。
和馬は様々な気持ちを抱えながら集合場所にやって来ていた。
和馬は理恵の事が好きで、理恵も和馬の事が好き。
それが同級生とか、中学一年生の人だとかだったらともかく、和馬が中学生になる頃には理恵は高校二年生になっていて、和馬が高校生になる頃には理恵は大学生か就職しているかのどっちかだ。
「...俺なんかよりも、もっといい人がいそうなものなんだけどなぁ...」
和馬は腕時計を見ると、かなりの時間が経っていることがわかった。
「...来なかったか...」
和馬は少し複雑な気持ちで、親に心配される前に帰ろうとしたその時、和馬は見たくない光景を目にしてしまった。
和馬が視線を上にあげると、フラフラしている理恵が、止まる気が一切感じられない車に轢かれていた。
「理恵さん!!!」
和馬はその場から飛び出し、理恵さんの近くに寄り添った。
血だらけで、息が荒く、目が良く見えていないのか、手を自分の目の前で振っている。
その手の動きはどんどん小さくなっていき、理恵は泣きながら口を開く。
「あはは...だめだなぁ...私...」
「...!?そ、そこの人!救急車を!」
「わ、わかった!」
「和馬...君...」
「ど、どうしたんですか!?」
「大好き...だよ...」
「...ッ!俺だって大好きですから!」
「あはは...よかっ...た...」
「理恵さん...?理恵さん!?」
理恵が気を失った後に救急車が到着し、理恵は運ばれていった。
その後の事は何も知らず、モヤモヤした気持ちで帰宅した和馬は、親からタイミングの悪い話を聞いた。
「和馬...急ですまないが...引っ越すことになった。」
「え...な、なんで?」
「仕事の関係でな...子供だけで生きていけるわけがないし、三人とも連れて行くことにした。」
「そっ...か...」
「友達と別れるのが寂しいと思うが...すまない。我慢してくれ...」
そうして、和馬は最後に理恵と会うことはなく、友樹や一稀のいる今の町へと引っ越すことになった。
「...まぁ...こんな感じだよ...」
「...ふーん...ま、いっかー。」
「うーん...なんか理恵って名前...聞いたことあるような...」
「...?そうなのか?」
「世の中には名前が一緒の人もおりますぞい。ぞいぞい。」
「うぜぇ。...うーん...どうだったかな...」
「ぞいぞい。」
「こんにちは!お邪魔しまーす!」
「こんにちは...理恵姉さん...」
静葉の《従姉》である理恵が家にやってくるが、見るからに元気がない静葉に出迎えられ、少しだけ気まずくなる。
「どしたの?元気ない?」
「...はい...」
「どうしたの?」
「...ちょっと...先輩と喧嘩中で...」
「あー...一稀ちゃんね...」
「...どうぞ...中に...」
「お、理恵姉。おっすおっす〜。」
「おー!友樹!お前は元気そうだなー。」
「あれ...?理恵姉...理恵さん...あっ!?」
「ど、どうしたいきなり?」
「な、なぁ理恵姉ってさ...そ、その...小学生と野球してた事ってある...?」
「...?...何言って.....ある。」
「えっ」
「ある。」
「そ、そいつって理恵姉の地域で知り合った奴!?」
「...うん。」
「な、名前って...和馬って...名前...?」
「な、なんでそこまで詳しいの!?」
「「ええええええええええ!?」」
そこまで聞いて静葉も理解したのか、二人の驚愕の叫びがハモる。
その後、一稀と仲直りするついでにその事を伝えるために静葉は家から飛び出し、友樹は理恵と座って話を始める。
「えっと...?なんで知ってるの?」
「...なんていうか...その話をつい最近聞いたっていうか...」
「...えっと...?ごめん、わかんない。」
「だよな...どう説明すりゃいいのか...」
その瞬間に家のチャイムが鳴り、理恵が立ち上がって、
「あ、私が出るよ。」
「え、あ、あぁ...ありがと...あれ...?」
友樹はその瞬間、とある事を思い出し、口に出す。
「...確か今日って和馬が家に...」
「う、嘘っ!?も、もしかして和馬君!?」
「り、理恵さん!?なんで!?」
「か、和馬君こそなんで!?」
「と、友樹!どういう事だよ!?」
...友樹は考えるのを止め、素早く一稀と静葉に以下のメールを送った。
『助けてくれ。』