本橋幸
早朝。鳥の囀りが聞こえる。数日前には桃色に包まれていた道の木々も、今は緑のアーチを描き、俺の行く道を光で指し示している。
「春はあけぼの」とはよく言ったものだ。遠くの山々は朝日に当てられやうやう白くなり、頭上に漂う雲は、独特の紫色に染まり、彼方へ細く棚引いている。
今日は寝坊もせず、いつも通りの時間に家を出た。俺は他の生徒との遭遇を避けるため、一般生徒よりも極端に早い時間に登校している。ぶっちゃけ早起きするのは面倒だが人と関わることの方が面倒なので我慢せざるを得ない。
高校生活2年目、早くとも遅くとも感じた1ヶ月がもうすぐ過ぎようとしている。そして例の女がカウンセラー室に来て、こちらは早くも1週間が過ぎた。
本橋は相も変わらず自分に自信を持っているらしく、放課後は多彩な自画自賛っぷりを誇示してくる。「私はどんな服でも似合う」だの、「世界は私を中心に回転している」だの、「上空7800メートルから1万人で一斉にスカイダイビングしても地上から私を見つけられる」だの。アメリカの大統領選挙でもあんなに自己アピールができる人間はそういないだろうと感心してしまうこともしばしばあった。最初はウザいとしか思っていなかったものの流石にここまでくると尊敬の域に達しそうだ。
しかし、毎日のようにこうして本橋と喋っていた(一方的)のだが、あの「懐かしさ」の意味を知ることは未だ出来ずにいる。もちろん本橋にも聞いてみようと思ったのだがこの感覚をうまく言葉に表すのは難しかったし、変なヤツに変なヤツだと思われるのも癪なのでまだ言わないことにした。
まあ、急がば回れ、急いては事を仕損じるだ。
ここ数日のことを思い出しているといつの間にか学校に着いていた。校門を通り教師用玄関を目指す。なんとなく時計を見ると6時半を回ったくらいだった。この時間帯に一般生徒がいるはずもなく、校内は閑散としている。こういった学校の空気は心地いい。
上履きに履き替えカウンセラー室へ向かう。
扉を開くと、本橋が椅子に座り、鉛筆を片手に本を読んでいた。相変わらず顔だけ見りゃあ可愛い。つい見とれそうになり視線を外す。
外した視線をどこにやろうかと迷っていると彼女の机が目に止まった。そこには参考書や昨日出された宿題のプリントが乱雑に散らばっていた。
「ん、ねぼすけくん、おはよう」
「今日も早いな。それとその呼び名そろそろやめてくれ」
本橋はいつも俺より登校するのが早い。朝は弱そうに見えるが案外早起きする体質なのかもしれない。
けれども、勉強しっぱなしで本を読むとはなんともお行儀が悪い。クラスメイトとして注意せねば。
「お前勉強か読書、どっちかにしろよ」
「いいじゃない。勉強やるとすぐ集中力切れるし…ほかの事なら一度集中したら全クリできるのに」
本橋は視線を本からこちらに向けながら反論した。
「ほかの事っつーかゲームだけだろ…」
「…ゲーム以外にも集中できるものだってある」
「例えば?」
「例えば………麻雀…とか」
「捻り出してそれかよ…」
「と、とにかく、私ぐらい有能だったら勉強なんてちょちょいのちょい。放っといて」
「はいはい。で、どこがわからないんだ?」
「ここ」
「お前、キャラ定めろよ…ツンデレでいくのかと思ったじゃねーか」
「これは私の最高級のデレ。で、ここどう解くの?」
「ツンからのデレが速すぎる…」
文句をいいながら、本橋が指で指したさきの問題を見る。
自分でいうのもなんだが俺は結構頭がいい。特に人に教えるのは得意でよく中学生に勉強を教えたりする。なんか本橋っぽいこと言ってる気がするが口に出さなきゃ大丈夫だ。
………何だこの問題。
よく見るとそのプリントのタイトルには『小学6年の算数 基礎』と書かれている。
俺が昨日宿題として渡されたプリントと違うな。
間先生の手違いか…って、いや待てよ。
「ちょっと待て。お前、これわかんないの?」
本橋が指を指しているのは、本来は小学生用のはずであるプリントの一つの問題だ。
「す…数字は嫌い…」
「それで算数が解けないってどういうことだよ…」
どうやら本橋は算数、いや数字が極端に苦手のようだ。ということは間先生はあえて本橋に違うプリントを渡したのか。
「それじゃあ、お前がここに飛ばされたのってこれも原因なんじゃねえのか?」
「し、知らない…いいから早く教えて」
本橋は膨れっ面で白を切った。
あー…これは自分でも気付いてるパターンのやつだ。もうこの話題には触れないようにしよう。
「なになに?8×5+8×2か。これは分配法則だな」
「……??…で、デカパイ法則?その法則を見つけたやつは私の敵」
変な聞き間違いをしたことより胸が小さいことを気にしているのに驚いた。
「いや、分配法則な。ここでは5と2に8がかけてあるから……って解くんだ。だから答えは56になる」
「…素南風くんって教えるの上手いのね」
「まあな」
言った後に、人に何かを褒められたのは久しぶりだったため不覚にも少しドヤってしまったことに気がついた。
すると、急に本橋がしかめっ面をした。
「…そのドヤ顔、無性に腹が立つからやめて」
「その言葉そっくりそのままお前に返す」
本橋は有ろう事か自分が毎日俺に向けている顔を批判しやがった。
「…私、そんな顔してるの…?」
「あからさまに絶望すんなよ!こっちまで泣きそうになるじゃねえか!」
そんなに変?俺の顔。あまりの悲しさに俺は暗涙にむせんだ。
と、まあそんなこんなでなんとか本橋の宿題を終わらせたところでちょうど間先生が教室に入ってきた。今日も長い一日になりそうだ。
朝からほんとうに疲れた。
☆ ☆ ☆
朝の疲れがとれないまま、坦坦と午前中の授業は進み、昼休みとなった。
「あ、ちょっとゆきー」
「「はい」」
俺と本橋はほぼ同時に返事をした。
「あー、間違えた。素南風」
「はい」
この会話は一週間でかれこれ30回くらいしている。
「ちょっと依頼があるんだが」
「またですか?」
「お前暇なんだからいいだろ。社会のためになるんだし」
「否定できない…」
間先生はこの学校の近くに住んでいて屢地域のちょっとしたトラブルを俺に依頼する。
依頼の内容は夏祭りの屋台の手伝いや、雨漏りしていた屋根の修理、町内会の募金の集計など力仕事から事務の仕事まで。思い返してみればほんとボランティアでよくやったな俺。てかどんだけ暇なんだよ俺。
休日に遊べる友達が欲しいと思う今日この頃。
「で、今度のゴールデンウィークも暇だろ?」
「はい、まあ…」
案の定、特に予定は入っていない。
「こどもの日に地域の子ども会で料理教室をやるらしいんだ。それの手伝いを頼みたい。お前確か一人暮らしだったよな」
「まあ簡単なものなら作れますが…」
正確には一人暮らしって訳でもない。父親は海外出勤でいないが、母親は週に一回くらい帰ってくる。ただやはり忙しいらしく、俺もそれをわかっているため、ほとんど自分のことは自分でやっている。
「小学生が対象だからそこまで難しいものは作らなくていいと思うぞ」
「はあ、わかりました…」
渋渋、おれは依頼を引き受けた。
まあ、子どもは好きだからいいか。誤解しないでください。ロリコンではないです。
「そうだ。本橋。お前も参加しないか?」
「…私ですか?…特に予定はないですけど…」
そういえば本橋は休日に何してんだろと、ふと疑問に思ったがそれを聞く前に間先生が再び喋り出した。
「そうか。人手は多い方がいいからな。お前料理はできるか?」
「………はい」
ちょっと待てい。なんだその間は。
「まさか…料理できねえのか」
「し、失礼な。料理ぐらい出来る。余裕。」
心配だ…
「念のため、午後は調理実習をやるか。食材は俺が用意するが何つくる?」
こんな感じで急に授業の予定が変わることが時々ある。この教室のことは間先生が一任されているらしくある程度は自由にできる。
「そうですね…本橋、何がいい?」
「…ハンバーグ!」
「ちょっと幼稚な気もするがどうせこども会だからな。ピーマンの肉詰めにするか」
「…私の意見無視しないで」
「ピーマンのなかにハンバーグが入ってるようなもんだろ」
「ピーマンは嫌い」
「そんな子どものために肉で誤摩化すんだよ。ていうかさっきから発言が幼稚すぎないか?」
「私みたいなお嬢様はそんな庶民の食べ物なんて食べない」
「さっきハンバーグ!とか言ってたの誰だよ」
「まあまあ。それじゃあピーマンの肉詰めってことでいいな。子ども向けっぽいし。具材買ってくるからちょっと待っててくれ」
俺たちが口論していると間先生が間に入った。
「はい、お願いします」
言うと、間先生は軽くうなずいてからカウンセラー室を出た。
本橋はまだぶつぶつとピーマンの悪口を言っていた。
☆ ☆ ☆
「ほんじゃ、俺がとりあえず作るから見てて」
間先生が食材を買ってきてから、俺たちは調理室へと場所を移し、道具類を水洗いしてから、俺は料理を始めた。
ピーマンの肉詰めは家でもよく作っている。
手慣れた動きで玉葱をみじん切りにし、加熱する。その間に卵と牛乳、パン粉を混ぜ、冷やした玉葱、挽肉と合わせてよく練る。ピーマンはよく洗い、へたを落とさないように……と、軽快に調理をすすめ、30分ほどで完成した。
我ながらなかなかの出来だと思う。
「お、おいしそう…ピーマンが輝いてる…!」
「朝にも思ったけど、お前って人を褒めたりできるんだな」
すると本橋はムッとした表情になった。
「心外。私、昔は周りの人から褒め上手って言われてた」
それは…アレだな…遠回しの悪口だな。と、思ったりしたが本橋が可哀想なので言わずにおいた。
知らないって幸せなんだな。
「よし、それじゃ召し上がれ」
「「いただきます」」
先生と本橋は同時に言い、静かにピーマンの肉詰めを口に運んだ。
「「美味い…」」
再び2人の口から同時に言葉が溢れる。
「ピーマンが苦くない…」
「ああ。素南風、お前専業主夫目指した方がいいぞ」
「あ、ありがとうございます…」
2人から好評をもらうと少し照れる。
本格的に専業主夫、目指します。
奪!ヒモ生活。脱!童貞。
「よし、次は本橋の番だな」
「任せて。これより美味しいものを作ってあげる」
そういって料理を始めて30分後。
「…出来た。渾身の出来。」
自信満々に無い胸を張る本橋。
その手にあるフライパンから皿に置かれたものは…その…なんつーか…禍々しいオーラを放っていた。
「………俺、帰っていい?」
「ひどい!」
黒い。ただただ黒い。その黒は俺を地獄に誘う死者の亡霊のようだった。これ食べれるの?ってぐらい食べ物に見えない。
「まあとりあえず食ってみるか」
間先生が平然と言った。いや正確には平然を全力で装っている。その証拠に額には暑くもないのに洪水のように汗が滲み出ている。
さきほど俺の料理を食べた時のように静かに、けれどもその時とは違う緊張感を漂わせながら先生はその黒い塊を口に運んだ。数秒の静寂。そして先生はなんとかそれを飲み込み、一言、
「不味いものを食べて気絶できるって幸せだな…」
と、言って教室を出ていった。行き先は敢えて聞かないでおこう。
「なあ…これ食べなきゃいけないか?」
あいにく、あの先生のリアクションをみた後に食べれるほど俺は肝がすわった人間ではない。
「い、嫌ならいい…」
本橋は少し涙目になりながら言う。
正直、嫌ではある。だが、かわいい女の子が一生懸命(?)作ってくれたものに変わりはないのだから、ここで食べてあげないのは男じゃない。
どうしたものか迷っていると俺の頭の中で天使と悪魔が囁いてきた。
悪魔曰く「こんな不味いもの食ったら死ぬぞ!」
天使曰く「男なんて捨てちまえ!」
オイ、天使。
そして、俺は意を決して本橋が作ったピーマンの肉詰めらしきものを無理矢理口に押し込んだ。
食感は基本バリバリ。時々卵の殻のジャリっとした感覚を味わうことができる。噛めば噛むほど苦さと臭さが口全体を駆け巡り、吐き気がこみ上げてくるが全身のエネルギーを喉と腹部に込めて押さえ込む。
まあ、一言で言えば不味い。
「ど、どう?」
本橋が少しひかえめに聞いてきた。
「まあ、頑張って覚悟を決めれば食べることは不可能ではないな」
全力の褒め言葉のつもりだったが、お気に召さなかったらしく背中を思い切り叩かれた。
その後、片付けをするときに「…ありがと」と聞こえたのは空耳だろう。最近は妄想癖が酷くなってきて困る。
翌日、こども会の件は間先生と話し合って、本橋は教わる側になることが決定した。
これでまた子どもの命が救われたと思うとなんとも感慨深かった。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。