◆一・サードオニクス
泡のトンネルを出てから真っ先に向かった場所は、獣の塔だった。険しい森が果てしなく続いていた光景から一転、木々の間から湖が時々垣間見れるようになった。
しかし、台地は燃えているのか、それとも嘆いているのか。
森の土からは、灰色の煙が黙々と上がっていた。独特な臭気が漂っているのはそのせいなのかとも思ったが、運転席で小ぶりな体を揺らして運転していたゲーシュタイナーにすぐさま否定された。
「人々の尊い命が、すべて宝石に変わるとは限りません。戦闘用の獣のエサにされてしまう命だってあります。そう言う話は聞いたことがありませんでしたか?」
そういえば、噂好きの村の女たちが話していたことがあったかもしれない。生き方を自分で選択できなくなっても、逆に死に方は選択できるようになるらしい、と。つまり、宝石の価値がないと判断されると、即座に足元の硬い扉が開き、地下に住む獣たちの餌になるか、全身をみじん切りにされるマシーンに放りこまれ、ありったけの光を絞り取られるか、一週間の猶予を与える代わりに自分の光よりも価値のある命を差し出しさえすれば、眠るように静かに逝かせてもらえるのだと。
ルインはホラを吹くのが好きなヤツだった。いや、それ以上に仲間思いでもあった。この話も、光を奪う闇の術者達が街を占拠し始めた頃、皆の恐怖を和らげようとしてルインが考えた話だと思っていた。
しかし、いまゲーシュタイナーの一言で、あれが真であったことを知り、肝が冷された。
ルイン、おまえも獣の餌になってしまったのか?
今の俺には、無事に生きていることをただただ祈る以外にできることはなかった。
「ねぇ、鳴き声が聞こえない?」
後部座席に座っているトルマリナが、声を潜めて言った。
とっさに羽銃に右手を添えた。
「鳴き声ではありません。地鳴りですよ」
「地鳴り? そういえば……」
突然、地面が大きく揺れ出した。
ゲーシュタイナーは、機転を利かせてブレーキをかけると、花をつけていない樹木が群生している場所に車を停めた。再び地面を引き裂くような振動を体感する。
「ちょっと、スタイリッシュに作り替えさせてもらうわね」
俺とゲーシュタイナーは、トルマリナの一言に首を傾げた。
直後、何の変哲もない黒い車の両側にコウモリのような黒い羽が生えた。と同時に、ふわりと体が宙に投げされるように浮いた。
「トルマリナ! たかが地震で、無駄に魔力を浪費させてはなりませぬ!」
「甘いわね。定期的にそのトランクケースに入っている札束を私の胸元に突っ込んでもらえれば、いくらだって回復するわよ。それよりこれ、単なる地震じゃないことくらい見破れなくって?」
その言葉を発してすぐに、黒い雨の如く無数の矢が飛んできた。窓を突き破るほどの矢はなかったが、このままでは前へ進むことはできない。
「ねえ、俺にも羽を生えさせられない?」
けっして冗談を言っているわけではないことがトルマリナに通じたのか、鐘がひとつ鳴るほどの間の後で、ニッと笑みが返ってきた。
「面白いこと言うじゃない。でも、残念ながら、ふたつの魔法を並行して使うことはできないのよ。車を運転させるだけで精一杯。それより、レディを守るのが男の役目でしょ?あんたたち、単なる役立たず?」
その言葉にカチンときた俺とゲーシュタイナーは、羽銃、拳銃をそれぞれ手に取り、天上の窓から同時に身を乗り出して応戦した。
「全部まとめて撃ち落としてやる!」
俺は、天性の視力を生かして四方八方から飛んでくる矢をすべて、目にも止まらぬ速さで撃ち落としていった。しかし、容赦なく降り注がれる矢をいくら跳ね返しても、その矢を放つ者の影を捕えることができない。
「いったい、どこに弓の達人が隠れてるんだ? これじゃ、大元を絶てない」
「それ、本気で言ってる? 獣の塔って言うくらいだから、目に見える塔が建っているとでも思った? さっきの煙がすべて獣の塔よ。小さい獣たちはね、成長するとほら、あれを見なさい」
黒いシルエットに頭上を覆われた。
恐る恐る視線を上げると、そこには竜のように長い尾を持つ、それこそ本物の黒光りしたコウモリがこちらを見下ろしていた。いや、もはやコウモリとは呼べないだろう。羽の先端についている指には、クマのように鋭い爪がむき出しになっていた。一つだけ、オレンジ色を帯びていた。
目が合った瞬間、長い尾で思いきり車を弾き飛ばされた。竜巻を起こせるほどの力だった。その衝撃で、俺とゲーシュタイナーは窓に頭を強打した。それでも、落下途中、トルマリナの魔法で傾いた車は元の向きに戻された。
「皆、無事ですか?」
「当たり前だ。獣に殺されてたまるかよ!」
「なぁ、ふたりに確認したいのだけど、もしかして、一等魔導師って、必ずしも人間の姿では、ない?」
二人の答えを聞く前に次の攻撃を受ける形になった。巨大コウモリの右足の爪が運転席の窓を突き破ったのだ。
一瞬にして、車内にガラスの破片が飛び散った。さらに、もう片方の足の爪がゲーシュタイナーの目を貫こうとしたので、俺は素早く羽銃を巨大コウモリの心臓めがけて放った。
俺の羽銃の方が、わずかに速かったらしい。
巨大コウモリは、両耳を塞ぎたくなるような奇声をあげて、十数メートルほど後ろへ退いた。悶えるような鳴き声が響き渡った。思わず両耳をふさぎたくなるような耳障りなものだった。
「ゲーシュタイナー大丈夫か」
「あっぶねぇ、目を潰されるところだった」
「なぁ、あの爪が宝石だろう?」
「ええ、そうよ。でも、早く殺して奪わないと、逃げられなくなるわよ」
いつの間にか、森の煙は半分ほど消えていた。どうやら、煙に包まれて安眠をしていた巨大コウモリの家来を起こしてしまったようだ。
「これは、矢なんかじゃない。改良されたコウモリの羽だったんだな」
車内に落ちていたコウモリの羽を拾い上げて、俺はつぶやいた。
「来るぞ」
ゲーシュタイナーの一言で、俺は振り返った。
巨大なコウモリは、凄まじい速さで俺たちの方へ向かって来た。
右足でフロントガラスを圧迫されたが、天上の窓から素早く飛び出した俺の方が速かった。
いや、正しく言うと、俺の意思ではない。身を乗り出して太いオレンジ色の爪を切断したのは、俺の左手。キーハンドの判断だった。
巨大コウモリは、羽を失ったかの如く、くるくると回転しながら勢いよく落下していった。
「ゲボクちゃん、あのオレンジ色の爪を拾って! 欠けたらおしまいよ!」
「そう言う大事なことは早めに言ってちょうだいよォ」
ゲーシュタイナーは、ハット帽を華麗に人差し指で回転させた。
すると、彼の手を離れてプロペラのようにハット帽は飛び始めた。回転が弱まる前に、ゲーシュタイナーはすかさずそのハット帽に飛び乗って、落下してゆく巨大コウモリの後を追った。
巨大コウモリが地面に落下した衝撃で、視界が土一色になった。巨大コウモリの死体も、ハット帽に乗って下りていったゲーシュタイナーの姿も見失ってしまった。
地面に車を戻し、トルマリナの魔法を解いて降りた。
「おーい、ゲーシュタイナー! ゲーシュタイナー! 生きてるんだろぉ!」
散々その名を叫んだものの、ゲーシュタイナーは姿を見せない。
「巨大コウモリの死体も上がらない。まさか、食べられちゃった?」
「食べるなら、もっと上等な犬を食べるだろう。普段、もっとマシなものを餌にしているんだから」
その時、何かが俺の背中に命中した。足元に落ちたそのハット帽を見て、俺は胸をなでおろした。
「仲間が死んだかもしれないってのに、それはないでしょうにィィィィ! あんたたちの良心を疑うわよ! あたしはね、こんなところでみすみすと獣にやられるようなブルドッグ、じゃなくて、ゲーシュタイナーロンデミオン・ボトリアーナ・クロスハインアルトじゃないんですってよ!」
彼は激昂しているつもりなのかもしれなかったが、危機一髪のところで助かった反動からなのか、おかしな口調になっていた。俺とトルマリナは顔を見合わせて一笑した。
「ほれ。ご指示通り、オレンジ色の爪を持って来ましたぞ」
「これが、宝石?」
「ええ、そうよ。肉眼で見るとオレンジに見えるけれど、サードオニクスのサードは赤、オニクスは爪を意味するの。宝石それ自体にはさほどの価値はないないから、あたしはあまり興味がないのだけど、この網目模様は嫌いじゃないのよね」
こうして俺たちは、一丸となってひとつ目の宝石を手に入れた。
しかし、浮かれてばかりもいられなかった。ゲーシュタイナーの中古車が、トルマリナの魔法を持ってしてでも、使い物にならなくなったのだ。
明日からは徒歩での旅が予想された。俺は、首の傷を摩りながら、ゲーシュタイナーの言葉を反芻していた。
―――特にあんさんには、時間がないみたいですしねェ
いくらかの沈黙の後で、ゲーシュタイナーは、「明日までには代理の物を用意しますよ」と 唐突に言った。
「なら、どうしてもっと早く言わなかったのよ、ゲボクちゃん」
ゲーシュタイナーは眉間を深くした。
「念じていたのですよ。ようやく、反応があったわけです」
俺とトルマリナは顔を見合わせ、首を傾げた。
とは言え、車の一件は解決できそうだと分かり安堵できた。
その夜は、偶然見つけた洞窟の中を寝床とし、俺たちは交代で見張り、仮眠につくことにした。炎を焚こうと思ったが、ゲーシュタイナーがトランクケースの中から取り出した拳一つ分の蛍石ひとつで照明はまかなえた。
あの時、自分の意思に反してキーハンドは巨大なコウモリに立ち向かっていった。自分の身体の一部だとは思えないほど、電流の如く凄まじいエネルギーがこの左手からは漲っていた。そして、気づけば巨大なコウモリの爪を一刀両断にしていた。やはり、この左手の奥には未知なるものが眠っているのだ。そう考えると、動揺を隠せなかった。
親父、この左手はどうなっている?
親父は、当然このことを知っていたんだろう? キーハンドを右手で抱えながら俯いていると、じょじょに伸びてきた影が俺の足元で動きを止めた。
「赤毛の少年は、考え事?」
下手に勘ぐられないよう、俺は目を細めた。
隣に座ったトルマリナを改めて見た。暗闇の中でも、彼女はひときわ美しかった。俺の腰の布袋の中で眠っているサードオニクスよりも、神秘的な色をそのグリーンの瞳にたたえていた。
「トルマリナは、眠らなくて平気なの?」
「あたしを並の人間と一緒にしないでくれる? くだらない夢を見るより、あそこに燦然と輝いている、いずれ私のものになる予定のブラックダイヤモンドを眺めている方が、ずっと疲労が吹っ飛ぶわよ。あぁあ、うまいこと砕けてパラパラと降ってこないかしら。その瞬間、すべてあたしがお札に変えちゃうのに」
「どうしてトルマリナは、それほどまでにお金に固執するの?」
そのストレートな問いに、トルマリナは嘲笑した。
「ばかねぇ、幸福になれるからに決まってんじゃないのよ。幸せになりたいって思うことが、そんなに珍しいことかしら?」
「でもさ、お金だけあっても、幸せにはなれないと思うんだけどな」
その一言を聞いて、彼女はキレイゴトなんてうんざりだと言わんばかりにこちらを鋭く睨んだ。
「そんなことないわよ。お金があれば、何だって買えるじゃない。事実、全ての者には生まれた時からそれ相応の値段がついているわ。だからこそ、闇の術者達はそれを逆手に価値のある者で世界を作り、価値のない者を、価値のある者を生かすための餌として作り替えている」
「トルマリナは、どっちの味方?」
頭で考えるよりも先に言葉として出ていた。
「ムウラン」
いままで呼ばれた中で、ダントツの暗さがそこには含まれていた。
「ムウラン、あなたの命があそこで輝いているブラックダイヤモンドよりも値打ちのあるものならば、あたしの立ち位置は変わってくるかもしれないわね」
足元で照っている蛍石から、彼女は視線を俺に移した。
「ゲーシュタイナーが、レディのためにと、肌触りの良い赤いシートを敷いていたから、そこで寝ると良いよ」
「つまらない心遣いね」
トルマリナは踵を返し、腰までのびた金色の髪を肩からうしろへと大袈裟に払った。
彼女の姿が完全に見えなくなると、辺りの鬱蒼とした森から様々な音が競って音を出していることに気づかされた。太陽がブラックダイヤモンドに入れ替わろうとも、虫の声に変化はない。それが俺には不思議に思えた。
蛍石の光だけに照らされた手元を見つめていたはずが、いつの間にかそのままの態勢で朝を迎えていた。
一番、反省点の多い章です・・・あちゃちゃ~(笑)
トルマリナ、トルマリン、どっちにしようか悩んだものです・・・
しかし、本当に悩ましいのは、執筆中、最終的にどっちにしたのか
忘れてしまい、訂正に苦労したことです・・・。
読者様も、トルマリナにそんなふうに翻弄されていただけたら幸いです。