◆0・原石
世界は、闇の術者たちの支配下に堕ちてしまった。
太陽の光すらも魔力によってブラックダイヤモンドに変えられてしまい、ライトフィリップもまた暗闇の中にあった。
何度寝ようとも、朝は来ない。
どれほど見上げても、柔らかな昼の空は拝めない。
光も、希望も、会話も、笑みも、絆も、心すらも奪われてしまったのだから
当然かもしれない。
焦点の定まらない虚ろな目をしたライトフィリップの人々は、もう百年もの間、ずっと肉体だけが生かされた状態にあった。
記憶は更新されない。認めたくはなかったが、闇の術者の指示通りに
しか動かない、奴隷でしかないのだ。
それでも俺は、ただひたすら光を追い求めていた。
この、左手のキーハンドとともに。
親父が書き残した地図を頼りに行くと、海岸沿いの砂浜に、その宝箱はあった。三十センチにも満たない小ぶりの箱だったが、片手では持ち上げられない。
「全体的に灰色がかっていて、フタには縦に緑のライン……。中央には、青いフォルブランの宝石が嵌めこまれている、か。ドンピシャだな」
時間はなかった。
何日も前から俺は、光の動きに敏感なヤツらの尾行に気づいていた。
宝箱を開けるチャンスはたったの一回。
親父の手紙には、その一文だけ赤く線が引かれていた。
深呼吸をし、気持ちを整えた。光の反射を防ぐため、ずっと隠していた左手のキーハンドから布一枚を取った。その後の工程は、この一年、何百何千と繰り返し練習してきた。
失敗はあり得ない。
薄闇の海辺で俺は、そのキーハンドを宝箱の正面にある鍵穴にゆっくりと挿した。
一、二、三、四、五秒後に、それを素早く抜き取り、裏側にもある鍵穴に再び挿した。仕上げには、手紙の最後に書かれてあった呪文をゆっくりと唱えた。
「ルジュメハルナラ ホーセムハイレン!」
宝箱が左右にカタカタと揺れ始めた。
フタは勢いよく開き、この世界のすべての明かりを集めたのではないかと思うほどの光の柱が出現した。
銃声が背後から聞こえてきたが、弾が左胸に到達する前に、俺はその光に飲み込まれた。
宝箱の意思でフタが閉じられると、その浜辺から消えてなくなった。
銃弾を発射したふたりの包帯男は、周囲を注意深く見渡したが、それ以上、光の動きを突き止められなかった。
「上に報告だ。この世界から、光の粒が逃げたと」
意識を取り戻すと、潮の匂いはしなかった。
冷たい床から上体を起こす。
窓がふたつに、埃っぽい書棚や書斎とベッドがある。どれも年季が入っていた。
また、子供部屋特有の雰囲気は感じられなかったが、子供サイズのフォーマルなジャケットがドアに数着ほど掛けられてあるのが気になった。
「移動はできたみたいだけど、いったいここは、誰の家だ?」
立ち上がって書棚の本を見ていくと、宝石や鉱物関連の書物が多くを占めていた。それでも、ここに住む者が敵か味方かまでは分からない。適当に、書棚の中から一冊だけ取り出してみようとしたその時。
ドアの向こうから、誰かが階段を上る足音が聞こえてきた。
とっさに俺は、ベッドの後ろへと身を隠した。腰に装備してある羽銃を抜き、部屋の扉に銃口を向けて構える。
右手に緊張が走った。
足音が消えて、一寸の間を置いてからギギギと鈍い音を立てながら、扉は開かれた。
誰もいない。
それでも羽銃を握り締めたまま、上下左右に視線を巡らせる。何かしらの気配を感じるものの、一向に姿は見えてこない。
「敵が、いつも真正面から入ってくると思わないで下さいよォ」
俺は、その声がする頭上へと銃口を向けて、一発撃ち放った。
「おいおいおい、人の話は最後まで聞くのが礼儀でしょうにィ。ったく、お気に入りのハット帽でしたのに、何てことしてくれたんですかァ」
こっちの世界で初めて出会ったヤツは、自分が履いているブーツよりも背丈の小さな犬だった。しかも、犬種はブルドッグで、サングラスにビシッとスーツ姿ときたものだ。この世界では、決して珍しくない外見なのだろうか。
「わりぃわりぃ。撃たれるより先に撃てって教わってきたからさぁ。それより、あんたは何者だ?」
「よくぞ聞いて下さいましたァ」
そう言って、小さなブルドッグは中折れハット帽子にできた穴を気に掛けながら、ベッドの上へ移動した。
小さなブルドッグは、仰々しく咳をした後、かしこまった表情で自己紹介をつらつらと始めた。このタイミングで俺は、羽銃を腰に戻した。
「えー私の名前は、ゲーシュタイナーロンデミオン・ボトリアーナ・クロスハインアルトと申します。美しい名前でしょう? ちなみに名前の由来ですが、ゲーシュタイナーと
は、」
「おまえ、まさかゲイなのか?」
「コラー、そこで切るなァ! ゲーシュタイナーロンデミオン・ボトリアーナ・クロスハインアルトだわよ、ったく!」
「トリあえずのトリアーナ、俺はムウランって言うんだ。よろしく頼むよ」
「誰ダァそれはァ! ぜんぜんよろしくできないワァ! それからそれから、私の自己紹介は、まだ、終わってなぁぁぁい!」
斜めに傾いた紅色のネクタイを締め直しながら、小さなブルドッグは早口で言った。
「まぁ、じょじょに覚えていってくれれば良いですけどね。不本意ですけども。そうとう不本意ですけども。まぁ初めは、ミドルネームのボトリアーナとでも呼んで下さいよ。で、私の好物はと言いますと、焼き鳥と、美女と、青いフォルブランの宝石ですよ。しっかり頭に刻み込んでおいて下さいよォ!」
「フォルブラン?」
そう聞き返すと、サングラスの奥で小さなブルドッグの瞳が光った。
「ちょいとちょいと、ムウランさん。フォルブランをご存じでェ?」
瞬時に垂れた黒い右耳をピンと上げて、そのままの状態で歩み寄って来た。
「知ってるって言うか、俺、さっきそれ見たからさ」
「えええええ、さっき? さっきって、ここで? この部屋でですかァ?」
どうやら、それほど警戒すべき相手ではなさそうに見えたので、俺は小さなブルドッグの横に腰を落とした。
「俺は、その宝石がはまっている箱を通じて、こっちへワープして来たんだ」
「もしや、あんさんがお尋ねものになっている……、ライトフィリップの脱走者ですかァ?」
「え、俺ってこっちでは、もう有名になってんの?」
後頭部を掻きながら、俺は少し照れ笑いを浮かべた。
「あんさん、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないですぞォ。まぁ、フォルブランの話はまた後日ゆっくりと話を聞くとしまして……。えー単刀直入にお聞きしますけどねェ、あんさんがライトフィリップからこの世界へ来た最大の目的は、なんなんですゥ?」
「人の心、光、世界を取り戻すためだよ。俺が、俺がやらなきゃならないんだ」
そう言い放つと、小さなブルドッグは、手に持っていた中折れハット帽を目深に被ったいったいどうしたのかと思い、ハット帽で覆い隠された彼を見ると、急にすすり泣く声がした。
「あんさんの、あんさんの、宝石よりも純粋な輝きを秘めたその瞳ィイ!。ううう、素敵であります。素敵であります。私の名前と同じくらい、素敵でありますよォ」
「まったく、おかしな犬だな」
コロコロと表情が変わって忙しない小さなブルドッグを前に、俺は少し対応に困った。
「それよりさ、トリアーナ、おまえの目的も教えてよ」
その言葉に、彼は中折れハット帽を華麗にくるりと回して頭上に戻した。
「えーまあ、ざっくり言うとですね、目的はあんさんと同じですね。私は、地理的にこのダークフォルトには明るいのです。よって、間違いなくあんさんのお役に立てるでしょうね。ただし、もうひとり仲間は必要ですねェ」
「もうひとり?」
小さなブルドッグは、深くアゴを引いた。
「宝石に変えられてしまった人々の心を、正しい形に戻すことのできる術者の魔力が必要不可欠となってきます。いや、むしろそれ以上に、魔法が使える者を味方にしなければ、私たちだけでは戦闘力が心細すぎますです。いや、その前に一点、確認しておきたいのですが……。あんさんには、どんな魔力が備わっているのでしょ?」
小さなブルドッグの視線が静かに俺の左手に注がれた。
キーハンドは、見た目通りにロック解除をする以外に、身の危険を感じた時、何かしらの機能が発動すると親父から教えられていた。とは言え、できればこれを武器として扱う機会はそうないことを願いたかった。無論、自分に魔力は備わってはいない。そうなると、必然的に親父が作った羽銃だけが武器としての役目を担うことになる。
あれこれ考えた末、「この羽銃は、そこらへんの拳銃とはワケが違うんだ」とだけ答えた。
「気を悪くしないで下さいねェ。つまり、あんさんに魔力は備わっていないと言うことで良いですかァ?」
俺は渋い顔をした。幸い、この小さなブルドッグから、左手のキーハンドについて尋問はされなかった。
「ちなみに、その貴重な魔力を使える術者って、どこにいるの?」
「グッドな質問ですぞ。まぁ、移動しながらゆっくり話すことにしましょうか。我々には、いや、特にあんさんには時間がないみたいですしねェ」
小さなブルドッグは、意味ありげに自分の首元を何度か指で突きながら、含みある言い方をした。すぐにそれが何を示唆しているのか分からなかったが、ふと、自分の首元に触れてみて、俺はその異変に困惑した。知らぬ間に、首に切り傷があるのだ。いや、傷と言うよりはヒビが入っていると表現する方が正確かもしれない。それにしても、いつの間に?
「その傷は、一見、外傷にとれますが、内部から受けた傷ですよ。注意深く観察すべきです。まぁ、取り敢えずは、私の車で移動するとしましょう」
ベッドの下から自分の身体に見合ったサイズのスーツケースを取り出しながら、小さなブルドッグは深刻な口調で言った。
内部から受けた傷?
すぐに理解はできなかったが、足早に階段を下りていく彼を横目で見送った後、俺は窓から素早く飛び降りた。
「これが、トリアーナの車かぁ? 俺の座れるスペースがあるのか、ちょっと不安だったけど、むしろでかいなぁ」
すでに助手席に座って車内を眺めていたことに驚愕したのか、両の垂れた黒い耳をピョンと上げたまま、数秒間、小さいブルドッグは硬直していた。
「でも、運転席だけやたら座席が高いんだな。こりゃ、面白いや!」
小さなブルドッグは小走りで運転席まで移動し、座席に飛び乗った。もちろん、座席の高さをぐんと下げることを忘れなかった。すぐにエンジンをかけ、運転席のイスに立ったままハンドルを握った。その姿が船長に見えて滑稽だったが、笑うのを必死に堪えた。
「しかし、あんさんのそれ、なかなか凄いですなァ」
「これか? へへ。このキーハンドに開けられないものなんてないよ!」
こうして、身体は小さいけれど目的を達成させるのに強力な助っ人となりそうな相棒と出会い、ダークフォルトでの旅は始まったのだった。
いつの間にか俺は、眠りに落ちていた。
完全に運転を、小さな相棒に任せっきりにしてしまったようだ。
車窓からは、深い森しかなかった。空を突き破ってしまえそうなほどの木々が、右も左も、一面に群生していた。
「おはよう、ゲーシュタイナー」
「夢で復習してくれたんですかァ? やっぱり私の名はいつ聞いても良い響きですわァ」
小さなブルドッグは、ハミングをしながら軽快にハンドルを動かし始めた。
「眠くない? 交代しようか?」
「その優しさはありがたく受け取っておきますよォ。でも、ムウランには今後、数多くの悪党どもと闘ってもらう予定ですからねェ。ま、いまのうちに、束の間のドライブを楽しんでいて下さいよォ」
悪党ども、か。
ひとりだけ、ひとりだけ、あの姿を思い出すと、即座に腸が煮えくりかえってしまうヤツがいた。黒いマントで身体を覆い隠してはいたが、一瞬だけ、俺の一撃でマントのフードが落ち、その素顔を目にしたことがあった。
それこそ、宝石を細かく砕いて大量に浴びせたのかと思うほど、光沢のある銀の毛髪で、顔面は血の気が感じられないほど白く、右目は黒い眼帯、左目はブラックダイヤモンドのような色を帯びていた。特にその左目は、長時間眺めていると、金縛りにでもかかったかのように動けなくなり、底知れぬ負のオーラで息苦しくさせる力を秘めているに違いない。
果たしてあれは、義眼なのか、それとも魔力によるものなのか。当時の幼い俺には、それを判別するだけの知識はなかった。
しかし、その眼帯の男に、なぜ俺が憤りを覚えているのかが分からなかった。前後の記憶を消されてしまったのだろうか。
しばらく、単調な道が続いた。
目を開ける前よりも霧は濃くなっていたが、さしてその風景に変化はなかった。それでも、気を緩めて運転できるほど安全な場所ではないのかもしれない。ゲーシュタイナーの口数が明らかに減っていた。
手持無沙汰な腕を後頭部で一つに組み、助手席のイスを後ろに少し倒した。
ここで初めて俺は、車内の天井に貼られてある地図を見つけた。こっちの世界に来たばかりだったので、この世界の地図なのかどうかは分からなかったが、少なくともライトフォルトの地図でないことは明白だった。
「俺さ、こっちの世界に来たら、もっとキラキラ輝いてるもんだと思ってた。なんせ、俺の国の大事なもん全部と言っていいほど闇の術者達に持って行かれちゃったワケだからさ? んで、金銀宝石なんかが街中にザクザクとあふれてて。下手したら、ワープした瞬間、金貨や宝石で溺れてしまうかもしれないなーって。でも、ダークフォルトへ来たって、光らしい光が見当たらない」
俺が小言を吐いていると、ゲーシュタイナーが「ベルト、ちゃんとしてますかァ?」
と低い声で訊いてきた。
言われてすぐにベルトの位置を確認するも、装着するよりも先に、前方から黒い影が勢いよく突っ込んできた。
激しい衝撃音とともに、何かがフロントガラスに衝突してきた。
しかし、フロントガラスは割れなかった。
「何が衝突してきたのか調べてみますですよ!」
ゲーシュタイナーは、右手でコックピットのパネルを慣れた手つきで操作し始めた。
「黒い鳥だよ」
「え? ム、ムウラン、あのスピードで、瞬時に何者か見切ったと言うんですかァ?」
「ライトフィリップの人間は、抜群の動体視力を持ってるんだ。どこの街よりも、どこの国よりも、ずっと隕石が降り注いでいくるところにあるからね。瞬時にあれくらい避けられなきゃ、ライトフィリップは今頃、滅びてる。いや、別の意味でもう滅びかけてはいるけど……」
「マ、マジっすかァァァァァ!」
「嘘だよ」
「ちょっとぉ! こんな非常時に、なんてノンキな人なんすかぁ! もう!」
ゲーシュタイナーの大袈裟なリアクションが面白くて、つい冗談が出てしまった。
「それより、運転を再開した方が良いんじゃない? 黒い鳥の攻撃は、どうも始まりに過ぎなかったみたいだぜ?」
念のため、俺は右腰から羽銃を抜き取った。予想は的中する。
矢の如く銃弾が空から降り注いできた。
それでもガラスは割れなかったが、タイヤを狙い撃ちにされたことで、ドアに身体を持っていかれた。
「この車、どれだけの衝撃に耐えられる?」
「三等レベルが持つ拳銃には、余裕で耐えられるかとは思いますが……ただ……だからなァ」
「え? なに?」
「この車、実は中古車でして……」
その時、俺が座っている方角から、銃弾が集中的に飛んできた。木の幹にうまく身を隠しながら攻撃してくる。リスのように素早く、敵の姿を確認できない。
まだ振動だけで済むものの、この車を乗り捨てる覚悟は早めにすべきかもしれない。
「もう少しだ。もう少しでトンネルがあるはずだ。そこに入っちゃえば、追ってはついて来られないはずです」
「なんでそんなこと言いきれる?」
「通行許可石を持っている者しか通れない、秘密のトンネルだからですよォ」
ゲーシュタイナーは、四方八方に設置されているビデオカメラの映像をすべてハンドル奥の液晶に映した。
「動体視力が良いってのは、さすがにホラではないんでしょう?」
助手席の円形の窓が開いた。
俺は両手で羽銃を構え、すべての銃弾を撃ち返した。
「やりますな、ムウラン」
ゲーシュタイナーのハンドル裁きも良かった。
十分ほどの銃撃戦の末、秘密のトンネルが見えてきたようだ。
ゲーシュタイナーは、スーツケースから通行許可石らしくものを取り出すと、腕を伸ばしてそれを前方にかざした。
その動作に気を取られて窓から目線を離した隙に、左頬を切られた。
目と鼻の距離で、その相手は不敵に微笑んでいた。黒いマントに顔面を包帯で巻いた男が。
「くそっ」
俺は銃口をその顔面に向けて連発した。
すべて敵の身体には当たらなかった。
黒いマントの男は、幾つもの木の枝を伝って俊敏に立ち去ってしまった。
それでも、悔しくて羽銃を撃とうとしたが、横から「ムウラン、よせ!」とゲーシュタイナーに諌められてしまった。
「三等魔道士に深追いはやめろ。一度でも傷を与えると、執拗なまでに追いかけてくる習性がある」
相手に攻撃を許してしまい、どこか腑に落ちなかったが、ゲーシュタイナーの言葉に従うことにした。
「見ろ、開いたぞ」
顔を上げると、パール色のトンネルがふわふわとシャボン玉のように宙に浮いていた。自分が想像していたトンネルとはまるで異なっていた。
それにしても、少し前まで銃撃戦があったとは思えないほどトンネル内部は静寂に包まれていた。
不意に、窓に映る自分の顔を見ると、左頬の傷はキレイに塞がれていた。いや、それだけではない。赤く流れていたはずの血も消えていた。
出口が見えてくるにつれ、トンネルを覆っているパール色の泡もじょじょに消えていった。
急にハンドルが右に左にと勝手に回転した。
どうやら、ここの主が魔法で操っているらしい。
車ごと通された部屋は、客の間だった。
車の扉は自動的に開かれ、俺とゲーシュタイナーは、窓ひとつない、トンネルを構成していたものとほぼ同色に磨かれていた床へと降ろされた。
「イスニスワッテ、オマチクダサイ」
無機質な声でそう促され、俺とゲーシュタイナーは一度顔を見合わせる
室内には二人掛けのソファしかなく、ドアと壁が存在しているだけだった。
「傷つけないで下さいよォ。ジェットはとても傷つきやすいんですからァ」
イスは、ジェットと呼ばれる木の化石でできていた。あわよくば、この宝石をも手に入れようと考えている相棒の魂胆が見え見えだったので、わざと俺は指で弾いてやった。
「コラァ、人の話きいてんですかァ!」
「本当に傷つきやすいかどうか試してみようと思っただけだよ、ニシシ」
「完全にムウラン、私をからかってますね……」
「ずいぶんと賑やかな客人だこと」
そこへ現れたのは、背中までのびた金色の髪に、胸の谷間を大胆に露出したブルーグリーンのビスチェドレス姿の長身美女だった。
左首筋と左手首にある赤いタトゥーにも目が留まった。艶っぽい女には目がないゲーシュタイナーのことだから、鼻の下でも伸ばして挨拶するかと思ったが、意外にも緊張している様子だった。
「わ、私は、ゲーシュタイナーロンデミオン・ボトリアーナ・クロスハインアルトと、も、申します」
女は指を鳴らし、パールの泡を瞬時に出現させると、そこに細長い脚を組んで座った。
「ふーん、つまりはゲボクってことね?」
「げ、ゲボクゥ? この私が、下僕ゥ? オーノォ。なんてことですかァァァ」
「略して、ゲボクじゃなーい。初めまして、小さなゲボクさん」
「こらぁ! 略されるだけでも腹立たしいってのに、初対面で下僕下僕、言うなァ!」
俺は暴れ出すゲーシュタイナーの両肩を抑えつけた。
「まぁ、しょせんは犬だからさ、大目に見てやってくれよ」
ゲーシュタイナーの怒りの矛先が俺に向けられたところで、金髪の女から声をかけられた。
「そっちの、赤毛の少年の名は?」
金髪の女は、グリーンに澄んだ大きな瞳でこちらを値踏みするように見てきた。
「俺は、ムウラン」
威勢よく名乗ると、彼女はすっと立ち上がって歩み寄って来た。
「お金になりそうな子じゃなーい?」
彼女は舌なめずりをした。
「トルマリンの魔力を秘めていると聞いたが、それは確かか?」
ゲーシュタイナーは、ストレートに尋ねた。
「あたしは、トルマリナ。名前の通り、生まれた時からこの身体にトルマリン一族の高貴な血が流れているわ」
「トルマリン一族?」
思わず俺は聞き返してしまった。
「あら、おたくの赤毛くん。基本的なことを知らないみたいよ?」
「ムウラン、せっかくだからここで説明してあげますよ」
ゲーシュタイナーの言葉を聞いて、話が長くなりそうだと予想したのか、トルマリナは再びパール色の泡雲に戻り腰を下ろした。
その時、ぐううと腹の虫が鳴った。
「待って、知識の前に食べ物をココに放りこまないと、俺、倒れちゃうよ」
もうひとつベルトの穴の位置を変えられそうなほど引っ込んでいた腹部をさすりながら言った。
トルマリナは甲高い声で笑いながら、「食事の準備をするけれど、いずれ三倍にして払ってもらうから、そのつもりでね!」と不敵な笑みを浮かべた。
ゲーシュタイナーの話によると、ダークフォルトが拠点とするこの世界は、奇跡の星と言われていたらしい。五千種以上もの鉱物が存在し、その半数は宝石としての価値を誇るものであったからだ。
奇跡の星に眠る鉱物のほとんどは、その地で生まれ育った魔術師たちによる魔力に反応し、心を交わせて初めてその輝きを生み出せたと言う。
誰が教えるでもなく、その地で生まれ育った魔術師たちは、代々何の疑問も持たず宝石を導き、磨き、何千年もの時が過ぎ去ろうとも、ひたすらその輝きを守り続けた。
しかし、闇の術者たちがその事実を知り、この世界を侵略してきたという。
当然、すべての宝石は没収され、魔術師たちは捕えられた。その時、数人の魔術師たちは子を身ごもっていた。殺すか生かすか悩んだ末、好奇心に負け、彼女たちの出産を許した。
そこで彼らは、目を疑った。二つの目に一つの口、十本の指に二本の足と、普通の赤ん坊が生まれてくると思いきや、それは、まばゆい光を放つ“粒”だったのだ。「これはどういうとだ!」と、魔術師たちに尋問すると、意外な言葉が返ってきた。
「このまま宝石にすることもできますし、命に変えることもできます。ですが、これは私たちにしかできない、私たちにしか許されていない魔術なのです」
それが、トルマリン一族の秘術だった。
トルマリンは、別名、〝虹の宝石″と呼ばれている。太陽がダイヤモンドであった頃、トルマリンは虹の橋に乗って様々な星を旅しこの地に戻ってきたと言い伝えられている。
生命の力を宿せるほどの強大なパワーが含まれているのはそのせいだとも。
「そこまで膨大な力を秘めていながら、なぜその場でヤツらを殺さなかったの?」
焼き鳥を両手に持ち、交互にそれを噛み切るゲーシュタイナーと、金色の髪の先端を両手で触っているふたりに疑問をぶつけた。
「生み出す力のみを持っているからこそ、トルマリンなのよ。何かを奪ったり、破壊する力を持ってしまえば、自分自身どころか、一族は皆、滅びてしまうわ。ただ、その魔力を利用されるくらいなら、滅びた方がマシかもしれないと投げやりになってしまった者もいたわ……。事実、殺人鬼たちに囲まれ、これまでにないほどの屈辱と恐怖を味わってしまったからね」
トルマリナの声音は、心底悔しさと怒りが入り混じっていた。
「まるでトルマリナ姉さんは、その場にでもいたかのような口ぶりですな」
ぎとぎとに口元を光らせながら、ゲーシュタイナーは横やりを入れた。
「姉がその場にいたのよ、ゲボクちゃん」
「だから下僕じゃないって言うてるでしょうにィイイ!」
今にもコップの水を彼女の顔面にかけそうな勢いだったが、もちろん彼はそんな無礼を働いたりはしない。
「まぁ、結局は焼かれてしまったのだけどね」
「じゃあ、貴女が最後のトルマリン一族ってことですかな?」
白い脚を組み換え、トルマリナは微笑した。
「前から気になってたんだけど、この世界にいながら、どうして心を吸い取られ操られることなく生きていられてるの? これは、ゲーシュタイナーにも言えることだけどさ」
その質問と同時に、トルマリナの前に置かれていたグラスが宙に浮き、彼女の手元までふわふわと飛んだ。芳醇な香りのするそのグラスには、どうやらワインが注がれているようだ。
「あたしは、虹の宝石によって生かされているのよ」
次に、俺とトルマリナは同時にゲーシュタイナーへと視線を傾けた。
「私は、いや、私も、ある人によって期間限定で生かされているんですよ」
「ゲーシュタイナーって、嘘をつくのが下手糞なんだな」
「まぁ、そんなことより、そろそろお金の話がしたいわ」
トルマリナは片目を閉じて艶っぽく言った。
「お金、ですか……では、単刀直入に言いましょう。私とムウランには、トルマリナ、貴女の力が必要なのです。ぜひ、仲間になって頂けませんかね?」
「そうなると、あたしにも利益がないと、ねぇ?」
「一国が手に入るほどの宝石を与えます。それを金に変えられないとは言わないでしょう?」
「宝石の名は?」
「いま、この世界を照らしているのか、塗りつぶしているのか分からないが、あれでどうでしょう」
そう言って、ゲーシュタイナーはサングラスの奥の瞳を光らせた。彼の視線の先には、天窓から見えるブラックダイヤモンドがあった。
トルマリナは、訝しげな目でゲーシュタイナーを見た。
「冗談はよしてよ。あれは誰の手にも落ちない孤高の宝石よ? あたしをバカにしてる?」
数秒間の沈黙があってから、二人の視線が同時に俺の方へと注がれた。
トルマリナは舌なめずりをした。
「あら、面白いじゃない?」
歩み寄って来たトルマリナは、少しだけ膝を低くして俺の顔面に顔を近づけてきた。ゲーシュタイナーは、トルマリナの谷間を目の前にして隣で赤面していた。
「良いわよ。一度きりの人生ですもの。最高の宝石を味見できるならば、仲間になってあげるわ。もともとトルマリン一族は、放浪好きだしね」
「よく分からないけど、これで仲間が増えたん、だよな?」
「プレッシャーに殺されるようなタマじゃなくて良かったです」
「どういうことだよ、ゲーシュタイナー」
ゲーシュタイナーはかぶりを振った。
「そうと決まれば、時間がないわ。次に向かう先は? もちろん、進路は決まっているんでしょうね?」
「ダークフォルト王が最も力を発揮できる場所、つまり聖域に踏み込むには、私のデータによると、最低でも八種の価値ある宝石が必要です。おそらくそれらは、それぞれの宝石と属性が同じ一等魔導師の支配下にある場合が多い」
「どうやら、ゲボクちゃんは、この世界を鳥瞰できているみたいね」
「だから私は下僕じゃないいいい! ゲーシュタイナーロンデミ」
「はいはい」
俺とトルマリナは声を揃えて言った。
八種の宝石を所持する一等魔導師については、父の友人から聞いたことはあったが、半ばおとぎ話として受け止めていただけに、まだ実感が湧いてこなかった。
ちなみに、八種類の宝石とは、サードオニクス、ルビー、サファイヤ、ガーネット、エメラルド、オパール、ターコイズ、そして、ダイヤモンドだ。
これら全ての宝石を操れる者は、世界に二人しかいないと言う。ひとりは、闇の術者の統率者、すなわちダークフォルト王。誰も彼の姿を見たことがなければ、本当の名前を知る者もいない。いや、誰も目にしたことがなくて当然かもしれない。ダークフォルト王に遭遇してしまえば、一瞬にして石に変えられるか、圧倒的な力で命を絶たれてしまうのだから。
「ちょっとムウラン、あたしの話ちゃんと聞いてる?」
ふと我にかえりに、俺は後頭部を掻きながら謝った。
「多くの金に変えられる宝石を所持しているヤツから倒していかない?」
「却下ァァァァ! この車も、いつまで持つか分かりませぬ。この場から近い順に進むのが妥当でしょうよ。ですよね、相棒?」
二人の意見に挟まれながら、俺は自分の考えを探してみた。
「んー、サードなんちゃらからで良いんじゃない? 聞き慣れないから忘れちゃいそうだし」
「なんとまぁ、我々の長は世界一楽天家のようですぞ……ああ」
裕に一週間分の食事を胃袋に詰め込んでしまったためか、移動中、俺はまたひとり眠ってしまった。また、夢に銀髪の眼帯男が出てきた。細長い剣でアゴの下を抑えられ、耳元でこう挑発してきた。
『可哀想にな。可哀想にな。裏切られるとは、哀しいことよな』
その後も、闇の底から心を引き摺られるような声が絶えず聞こえてきて、その夜はひどく魘された。
2014年に書いて某コンテストに投稿した作品。
以前は、「革命の魔法石」というタイトルでした。
読み直すとちゃぶ台をひっくり返したくなりそうなので(笑)
応募の際に用意したあらすじ以外は読み返していません。
お題のイラストを見て物語を作るというものだったので、
イラストなき今、読者の方々にどれほど「世界の景色」を
お届けられるのか分かりませんが・・・
拙い物語を読んで下さり、ありがとうございます♪