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君の瞳にあいたくて  作者: ゆいる
第一章 彼女と彼とはじまりと
9/13

(8)

「あんたは……」

 なんだか最近やたらと関わるようになった気がするのは、たぶん間違っていないだろう。

 ただ、よく考えるとわたしはこいつの名前を知らない。

 同じクラスなのに、と思うかもしれないけど、それは別にこいつに限ったことじゃないし。むしろ、わたしが知っている人のほうが少ないくらいだ。

 まあ、その中でも彼の影がとくに薄いことは否定しないけど。

 逆にわたしの名前を知っていたことについては、不思議でもなんでもない。自分の悪名はわかっているつもりだ。

「ごめん、同じクラスなのは知ってるけど、名前覚えてない」

「あ、ぼ、僕のほうこそ、いきなりごめんなさい……。よ、芳沢よしざわ……芳沢さとる、です」

 ふーん、芳沢聡ね。

 あらためて記憶を探ってみたけど、やっぱりというべきか、ほとんど引っかからなかった。普段からあまり目立たないタイプなのだろう。だいたいわかっていたことではあるけれど。

「で、何か用? ていうか、なんでここに?」

 そんな彼が、わたしのような人間に声をかけるのは、とても勇気がいることだったろう。

 誰もがそうしていたように、見ないふりをして歩き去ったとしてもよかったはずだ。

 彼――芳沢は、まっすぐ見返したわたしに合わせることなく、あちこちへと視線を散らしていた。

「え、ええと……僕は塾の帰りで……その、さ、笹岡さんが……なんだか困ってるように、見えたので……」

 途切れ途切れなうえにぼそぼそとした声は小さく、とても聞き取りにくかった。

 でも、その内容はほとんどそうだと断定しているようで、なんというか……正直意外だった。

 そう、思わず、くすりと笑ってしまうくらいには。

「……まあ、たしかに困ってるよ」

 わたしが困っていたとして、芳沢には何も関係のないことだろうに。

「そ、そうですか……」

「うん」

 自分でも不思議だった。

 わたしは、なんでこいつと普通に話しているんだろう。

「……あの」

「ん?」

「笹岡さんさえよければ、その、理由を訊いても……」

「その前にさ、同級生なんだし敬語やめない? 名前も呼び捨てでいいし」

「そっ、……む、無理ですっ」

 ほとんど予想通りの答えだったけど。

 慌てたようにのけぞる彼の姿が面白くて、わたしはまた吹き出してしまった。

「ふふっ、あ、ごめん。でも、ほんとに気にしなくていいのに」

「ご、ごめんなさい……」

 目を合わせない。全身から発するおどおどした様子。必要以上に卑屈な態度。

 こういう人間を見ると、苛立ったりする人もいるのだろう。

 わたしは別に気にしないけどね。こういうタイプは今までの相手の中にも何人かいたし、慣れてるから。

「ま、いいや。んじゃ、ちょっとこっちきて」

 ベンチに座ったまま、芳沢に向けて軽く手招きをする。

 ごくりと息を呑み、おそるおそるといった様子で近付いてくる。

 なんとなく微笑ましく思いながら、手を伸ばせば触れる距離まできた彼に向けて、スカートを捲り上げた。

「っ!? ちょっ、何を……」

 一瞬であとずさり、身体ごと反対側を向いた芳沢。髪の隙間から、みるみるうちにその耳が真っ赤になっていくのがわかった。

 わたしの中にからかうつもりがあったのは確かだけれど、その動きがあまりにも俊敏で、笑うよりも先にあっけにとられてしまった。

「……そ、そういうことは、あまり外でやらないほうが……」

「……いや、ごめん。困ってる理由を見せようとしたんだけど」

「え?」

 まるでぎぎぎ、と音を立てるような動きで芳沢が振り返る。

 わたしは相変わらず、際どいところまでスカートを捲り上げたままで待っていた。

 彼の首が勢いよく戻っていく。

「うわぁ!」

「だから落ち着きなって。ほら、ここ……痣になってるの、わかる? これが結構痛くてさ、歩くのきついからどうしようかな、って考えてたとこ」

「……え、あ、そ、そうですか……それなら、そう言ってくれれば……」

「だって、見たほうが早いでしょ」

「それは、でも……」

 芳沢が唸りながらも痣を確認したことを見届けると、スカートから手を離す。

 その瞳は前髪に隠されてあまり見えなかったけれど、少しは残念に思っていてくれればいいな――無意識のうちにそう考えていた自分に愕然とした。

 どうしてわたしはこんな……、

「……笹岡、さん?」

「……ん、なんでもない」

 動揺を押し殺し、わたしは立ち上がる。

「っ」

 立ち上がろうと、した。

「笹岡さんっ!」

 ずきり、と痛んだ太腿から力が抜け、踏ん張りがきかないまま前のめりになる。

 そんなわたしを、芳沢が受け止めて支え――

「うわわっ」

「ちょっ」

 きれずに、二人でもつれるように倒れ込む。

 なんとも格好のつかないことだけど、ある意味でそれが芳沢らしいな、と思い、すぐに打ち消した。わたしが、いったい彼の何を知っているというのか。

 幸いにして、二人とも頭は打たずに済んだみたい。

 閉じていた目を開けると、同じようにしていたのだろう、芳沢と視線が合った。

 わたしが下で、芳沢が上。お互いの瞳の中に、自分が映っていることがわかるほどの距離で見つめ合う。

 そのまま、数秒が経って。

「ごっ、ごめんなさいっ!」

 長いような短いような沈黙のあと、我に返った芳沢が飛び退くように身体を起こした。

「……ううん、わたしこそごめん。あと、ありがとう」

 震えながらも差し出された彼の手に掴まり、わたしも立ち上がる。

「い、いえ、結局、助けられませんでしたし……」

「それでも、さ。こんなわたしを助けようとしてくれた。それだけで嬉しいよ」

 正直な気持ちだった。

 ここ最近、いや、もしかしたらもうずっと長く。

 こんなにも穏やかで、柔らかな気持ちになったことはなかったかもしれない。

「それは……笹岡さんも、僕を、助けてくれたから……」

「わたしが?」

 そんな記憶は……まさか、プリントを拾った時のこと?

「その、昇降口で……」

「あれは……ただ拾っただけじゃん」

 しかも、結果的にそうなっただけで、ただの気まぐれなのに。

「それでも、僕は嬉しかったんです。……いつだって一人でした。あのときだって、僕はただ笹岡さんを怖がるばかりで……、きっと、無視して行ってしまうだろうって」

 同じ、だ。

 わたしはその道を、自分で選んだという違いはあるけれど。

「だから、笹岡さんが拾って差し出してくれたときはびっくりしすぎて、お礼も言えなかったけど……今あらためて言います」

 ようやく見えた、まっすぐな瞳。

「ありがとうございました、笹岡さん」

 それは、わたしから言葉を奪うのに十分すぎて。

 そこから彼に支えられて歩き、家の近くの交差点で別れるまで、わたしは絞り出すようなありがとうの一言しか、向けることはできなかった。


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