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君の瞳にあいたくて  作者: ゆいる
第一章 彼女と彼とはじまりと
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(7)

 援助交際なんていうものをしている以上、どうしたってまともじゃない人間と出会う確率は高くなる。

 やたらと態度が大きかったり、すぐに暴力に訴えたり、こちらが女であることを舐めてかかってくる男は、たまにいるのだ。

 今日の相手も、どうやらその手のタイプらしい。

 やることをやって、いざお金を払う、という段階になって急に難癖をつけはじめた。

 曰く、愛想がなく、あまり気持ちよくなれなかったとかなんとか。

 二回も三回も出しておいて、よく言うよ。呆れてため息も出ないとはこういうことだ。

 愛想がないっていうのも、たぶん価値観の違いだ。

 わたしだって、それなりに営業努力はしている。こいつの言う愛想がいい、は甘ったるい、ってことだろう。

 頭も股もゆるく、ちやほやしてくれる。そんな女ばかりを相手にしてきたのか、それともすべての女がそうであるべきだと思っているのか。

 おそらくはどっちもだと思うけど、まあ別にどうだっていい。

 とにかく、お金さえもらえればこっちだって余計に関わりたくはない。

 面倒なことは、面倒だ。

「……で、結局払うの? 払わないの? まあ、払わないっていうならこっちにも考えがあるけど」

 仮初の恋人は終わり。ここからはビジネスの時間だ。

 わかりやすくトーンを下げた声で訊きながら、携帯を弄る。シャワーと着替えはとっくに済ませ、今は備え付けのテーブルに直接座っている。相手の男は、いまだにベッドの上で下着姿のままだ。

 わたしだってこういうことは初めてじゃない。感情のまま、みっともなく騒ぎ立てるのは下策だと知っていた。

「な、なんだその口のきき方は。俺はあの鴻上製薬の――」

「部長さんなんでしょ? 何回も聞いたよ。そんなことはどうでもいいからさ、早く出すもの出して、さっさと終わらせようよ。わたしもあんたも暇じゃない。そうでしょ?」

 正直、その鴻上製薬とやらがどのくらいすごいのか、なんてことにはまったく興味がない。男の自慢話も半分以上は聞き流していた。

 携帯の画面から目を離してちらりと窺えば、視界の端で男が言葉を詰まらせていた。年相応に禿げ上がった頭からだらしなく膨らんだお腹まで、みるみるうちに赤く怒りに染まっていくのがわかる。

 少しもしないうちに、案の定男は声を張り上げた。

「う、うるさい! お前のようなクズ女を買ってやったんだぞ。なのにその態度はなんだ!」

「そうだね。そして、買ったものにはお金を払う。そう習わなかった?」

「っこのっ!」

 ついに堪え切れなくなったのか、男は立ち上がり、鼻息も荒く近付いてくると、その勢いのままわたしを突き飛ばした。あえてその威力に逆らわず、わたしはテーブルや椅子を巻き込んで床に倒れ込んだ。

「……っ」

 その途中でテーブルの角に右の太腿を強く打ちつけてしまったけれど、なんとか声を出さずにこらえた。痛みの具合的に、もしかしたら痣になってしまうかもしれない。

 しばらくそのまま倒れていたが、男からの追撃はなかった。見れば、なんともいえない表情で突っ立ったまま。予想以上に派手な音と吹き飛び方をしたので、怖気づいたのかもしれない。

 ほんと、いまさらだね。

「……あーあ、やっちゃったね」

「お、俺は悪くないぞ! お前が、お前があんなことを言うから……」

 痛みをこらえて立ち上がる。打ちつけた太腿と、あとは背中と腕に若干の鈍痛がある。

「おとなしくお金を払ってくれるなら、そのまま何事もなくお別れ。だけど、あくまでも払わないっていうなら、わたしは警察に駆け込む。どうする?」

 一転して青ざめていく男。

 ちょっとだけざまあみろ、と思ってしまった。

「け、警察だと? そんなことをしたらお前も……」

「まあ、ただじゃすまないかもね。でも」

 一度言葉を切って男に近付く。

 さっきとは逆の動きに、男が思わずといった様子であとずさる。

 その怯えたような顔を見上げ、まるでキスをする直前という距離で、囁いた。

「――鴻上製薬、だっけ? 有名な会社の部長さんは……どうなるのかな」






「っつぅ……ちょっと調子に乗りすぎたかな」

 臨時収入は増えたけど、それにしては代償が高くついたかもしれない。

 最悪の場合、あれ以上に暴力を振るわれる可能性もあった。それを考えると、今回のお仕事はどちらかといえば失敗、ということになるのだろう。

 顔や髪に被害が出なかったことは、不幸中の幸いだった。

 これからは、ああいうハズレは勘弁してほしい。

 まあわたしにも理由はあるんだろうけど、泣き寝入りだけはしたくないからね。

 すっかり日も暮れた夜の下。街灯に照らされて歩きながらそこまでを考えて、ふとおかしく思った。

 あんなことがあって、しかも何回か同じような目にあっているというのに、わたしの中にやめるという選択肢はなかった。

 それは、なかば意地のような、諦めのような、わたし自身持て余している感情に支配されていて。

「っ!」

 急に、がくりと体勢が崩れた。

 その原因は右脚。確認するまでもなく、わかりきっていた。

「いたた……これ、ちょっとヤバいかも」

 夜とはいえ、まだ午後八時。駅前ということもあって、人通りは多い。

 邪魔にならないよう道の端に寄ってしゃがみこんだわたしを、誰もが訝しげに見ながら歩き去っていく。

 もちろん、というべきか、立ち止まる人はいない。何人か心配そうにしてくれた人はいたけど、わたしの外見を見ると急に表情を変えていく。あまりにも正直すぎて、怒りや落胆よりも先に笑いがこみあげてきた。

 とはいえ、右脚の痛みは笑って済ませられるものではなくなってきていた。

「うわー……」

 周囲を気にしつつスカートを捲ってみれば、そこには見るからに痛々しい痕が浮かんでいた。

 おそるおそる指先で触れると、途端に強い刺激が襲ってくる。

「これは……どうしようかな」

 この様子では、しばらくはここから動けないだろう。

 歩こうにも、踏ん張りがきかないのだからどうしようもない。

 それでもなんとか近くの街路樹の下にあったベンチまでたどりつき、そこでため息をひとつ。座る場所を見つけた安堵に、わたしは身体の力を抜いた。

 なんとはなしに空を見上げ、星が映る前に目を閉じる。

「……さ、笹岡、さん……?」

 そんなわたしの耳に、声はかすかな震えをもって聞こえてきた。

 再び目を開けてそちらを見る。

 そこには、今までにも何度か意識に上ったあの少年が、驚いたように立ち尽くしていた。


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