(3)
言葉通り、次の日から委員長サマの攻勢が始まった。
遅刻ぎりぎりに扉を開け、あくびを噛み殺しながら自分の席に向かう。
今日も今日とて夏の空は爽やかで、いっそ憎たらしいくらいだ。こんなとき、席が窓際じゃなくてよかったと思う。涼しい風を浴びることもできないから、どっちがいいのかは人によるけど。
そんなことを考えながら荷物を置き、椅子に座って一息つく。
すると、目の前に仁王立ちする人影がひとつ。
「おはよう、笹岡さん」
「……おはよう」
確認するまでもなかった。黒々とした髪をまっすぐに下ろした、その硬質な雰囲気。研ぎ澄まされた鋭い声は昨日聞いたばかりだ。忘れるはずもない。
古筒藤乃。
品行方正な委員長は、絶対零度の視線でわたしを見下ろしていた。
朝の教室のざわつきが、ひそひそとした囁きに変わっていく。
それもそうだろう。
ある意味でクラス内でも有名な二人が、どこか険悪な雰囲気で向かい合っているのだから。
そこには、藤乃に対するある種の期待も含まれているように思える。皆が抱くわたしのイメージは、それぞれ多少の違いはあっても、結局は同じようなところに落ち着く。
よくわからないけど怖い人とか、まあそんなところだろう。
そんな相手に、正しさを象徴するような委員長が注意するべく声をかけた。あまりにもわかりやすいシナリオだ。
自分に向けてか、それとも他人にか。唇に嘲りが浮かぶ。
ふと見れば、芳沢までもが驚いたようにこちらを見ていた。
目が合った、と思った瞬間、彼ははじかれたように前を向いてしまったけれど。
まあそうだよね、と納得しながらも、なんとなく寂しく感じてしまうのは、きっと気のせいだ。そうに違いない。
「……ちょっと、聞いているの?」
「え? ああ、もちろん」
聞いてないよ、とは続けなかった。さすがに、そこまで冒険する勇気はない。
それでもわたしの表情から悟ったのか、藤乃は一度ため息をつくと、その動きに続けて黒髪をかきあげた。
「とりあえず、そのじゃらじゃらしたアクセサリーを外しなさい。校則で禁止されているはずよ」
「そうなの? こういうのしてるの、わたしだけじゃないみたいだけど」
手首に巻いたシュシュやブレスレットはともかく、ネックレスはこの前おろしたばかりのお気に入りなんだけどな。確かにちょっと学校という場には目立ちすぎるかもしれない。
とはいえ、オシャレは女子の嗜みだ。わたし以外にも結構そういう子はいるよね。
なにげなく周囲を見回すと、そそくさと視線が散っていく。なんともまあ、わかりやすいことだ。
それでも藤乃に動じた様子はなく、わたしを見る目も冷たいままだった。
「あなたが派手すぎるのよ。ピアスとか、あからさまにアウトでしょう。あくまでも目立たない範疇でなら、私だってそこまで口うるさく言わないわ」
「ふーん……」
そうか、それがあったか。
けど、正直意外だ。
彼女のことだから、もっと厳しいことを言うのかと思っていたけど。それこそ、全面的に禁止、みたいな。
案外と理解もあるらしい。
まあ、わたしはその理解の外らしいけども。
「何? 言いたいことがあるのなら言いなさい」
「いや、別に……」
お互い、妙な沈黙のなかで見つめ合う。
先に目を逸らしたのは、意外にも藤乃のほうだった。
「……とにかく、すぐに変えられる部分から直していくことね」
「はいはい」
はいは一回、なんて返ってくるかと思ったけど、そんなことはなかった。
さすがにそこまでそれっぽくはないか。
ぴんと背筋を伸ばして去っていく後ろ姿を見送りながら、わたしはなんとなく頬を掻く。
そうして追っていた視線が、再び芳沢を捉えた。
もちろん、彼だけでなく、それとなくわたしたちを窺っていた教室中の空気はわかっている。
けれど、わたしの瞳は真っ先に芳沢の地味な姿を見つけていた。
おそるおそる、という風にこちらを見ていた彼と視線がぶつかる。
「あ……」
今度は、わたしが逃げてしまう。
なんだろう。なんなんだ、これ。
「あー……」
片手でわしゃわしゃと髪をかきむしる。
今日遅刻しかけた理由が、ぐちゃぐちゃになっていく。
あとで整えるの面倒だなと思いつつも、今はあえて気にしないことにする。
しばらくそうして無言でうつむく。
一分か二分か、それくらいが経っただろうか。見るも無残なぼさぼさ頭のまま、わたしは立ち上がった。
誰かが息を呑む音が、はっきりとわかった。
朝のホームルームまで、あと少し。けれど、そんなのはどうだっていい。どうせわたしは〝不良〟なのだ。いまさら悪行がひとつ増えたくらいで評価は変わらない。
「ちょっと――」
背中にかけられた声は、聞こえない。
そういうことに、した。
今はとにかく、一人になりたかった。
「ん? おい笹岡、どこに行くんだ」
廊下に出ると、向こう側からやってくる担任――羽村に見つかった。
わたしは無言で会釈だけをしてすれ違おうとする。
「笹岡!」
その腕を掴もうと伸ばされた羽村の手が、中途半端な位置で止まった。
彼なりに、何か思うところがあったのかもしれない。
だけど、わたしにとってはそんなことどうでもよかった。
だから、目を合わせないままもう一度小さく頭を下げて、横をすり抜ける。
姿も声も、それ以上は何も追いかけてこなかった。
一歩、また一歩。
足を進めるたびに、学校内のざわめきが遠くなっていく。
これで、本当にひとりだ。
自分から望んでいたはずなのに、心が軽くなることはなかった。
それどころか、この気持ちは。
「――……、」
ポケットの携帯が震える。
のろのろとした動きで、画面を確認する。
メールの着信だった。無味乾燥で、軽薄な文面。
『サユちゃん、久しぶり。俺のこと覚えてる? なんだか急に会いたくなっちゃってさー。よかったら今日、また遊ばない? 返事、待ってるよ』
その差出人の名前を見た瞬間。
かつての行為のとき彼に縛られた手首が、じんわりと赤い痕を浮かび上がらせてくる。
そんな錯覚を、感じた。




