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君の瞳にあいたくて  作者: ゆいる
第二章 夏祭りと花火
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(2)


「ねぇ笹岡さん。今、ちょっと時間貰えるかしら?」

 そんな声が聞こえたのは、今日最後の授業が終わり、荷物もまとめてさあ帰ろうか、と立ち上がったときだった。

 とくに急ぎの用事もなく、のんびりと動いていたせいか、すでに周囲に人の姿はなく、教室は閑散としていた。

 そんなときに加えて、学校で教師以外の人に話しかけられるなんて久しぶりだったせいか、驚きが表情に出てしまったのかもしれない。振り向いた先、硬質なシルバーフレームの向こう側の瞳がこちらを観察するように細められた。

「あぁ、委員長か」

「委員長じゃなくて、古筒藤乃ことうふじの。クラスメイトの名前くらい、覚えておいてほしいものね」

 別に、わたしだから当たりがきついわけじゃない。

 彼女は、誰が相手でもこんな感じなのだ。

 まあ、そう断言できるほど仲がいいわけでも、とくに深く関わりがあったわけでもない。

 単純に、彼女がこのクラスで目立っている。それだけのことだ。

 それこそ、他人にほとんど興味のないわたしの印象に残っているくらいには。

「……で、その古筒さんが何の用?」

 背中のなかほどまでまっすぐに下ろされた黒髪。校則通り、きっちりと着られた制服には、皺ひとつ見当たらなかった。

 容姿は整っているけれど、自分からそれを主張しないため、他人には落ち着いた印象を与えている。

 が、あくまでもそれは第一印象であって、誰に対しても毅然と意見を放つその姿は、清楚苛烈な委員長として、クラスを越えて学年でも結構有名になっていた。

 そんな彼女は、にこりともしない表情のまま、眼鏡越しの視線をわたしの全身に走らせた。

 ああ、なるほど。

 それだけで、悟った。

「笹岡さん、あなた、いい加減に生活態度を改める気はないのかしら。さっきだって、また羽村先生に注意されていたでしょう」

 予想通りの言葉に、一瞬で気分がささくれ立つ。

 鏡を見なくてもわかる。きっとわたしは、最高に不機嫌な表情をしていることだろう。

「あんたには関係ないじゃん」

 たいていの相手ならこの時点で怯んだりするんだけど、あいにくと目の前の彼女はそんなお優しい性格はしていない。

 むしろ、その視線の厳しさが増したような気がするくらいだ。

「関係ないですって? 見た目通り、その頭にはふわふわのお花畑が詰まってるみたいね」

「……はぁ?」

「そんなゆるふわなあなたにもわかるように説明してあげるけど、最近、あなたのせいでクラスの雰囲気があまり良くないの。おわかりかしら?」

 ごめん。さっき、わたしだから特別に当たりがきついわけじゃない、みたいなこと言ったけど、訂正する。

 こいつ、絶対にわたしのこと嫌いだ。

「……で?」

「私はこのクラスの委員長よ。皆の学習環境を整える責任があるわ。そのためには、あなたのような存在ははっきり言って邪魔なの」

 それはなんともご大層なことで。

 彼女の言っていることはまあ、正論ではある。学校という場において、わたしのような存在はマイナスにしかならない。それは、あらためて言われるまでもなく私自身が一番よく知っていた。

 ただ、それをこうもはっきりと真正面からぶつけてきたのは、彼女が初めてだ。

 一瞬、頭の片隅に羽村の姿が浮かんだけれど、あれは少し違う。

 あれはきっと、自分の罪悪感を満たすためだけにそれっぽい行動をなぞっているだけにすぎない。

 あの男も、わたしのお客様になっていなければ、結局は周りの教師と同じく煙たがるばかりで直接は関わってこなかっただろう。……そのはずだ。

 深く考えることをやめ、目の前のことに集中する。

 品行方正な委員長は相変わらず、硬質な美貌でこちらを見据えている。

 陰口や噂ではなく、向かい合っての言葉。

 たしかに苛立ちはするが、同時にすっきりもした。

 決して友好的な視線じゃないけれど。

 それでも藤乃は、わたしを見ていた。

 悪意に装飾された虚像ではなく、ただそこにいる笹岡夕瀬を、見てくれていた。

 それは、行為のたびにサユの仮面を被っているわたしにとって、どこか心地良いものだった。

 心地良く――だからこそ、怖い。

「ふーん。で、その委員長サマは結局何が言いたいわけ?」

「本当に残念な頭をお持ちのようね。さっきも言ったでしょう。生活態度を改める気はないのか、と。具体的に言えば、その髪、制服、化粧、香水、アクセサリー……ああ、あとその残念な頭も取り替えるべきかしらね」

「…………」

 ……うん、大丈夫だ。知らないところでこそこそ言われるより、ダメージは少ない。

 ていうか、こいつこんなに口悪かったのか。今まで直接話したことはなかったから、ここまでのものだとは知らなかった。毒舌にもほどがある。

 それにしても。

 唇が緩んでいくのがわかる。

 できるだけ引き締めてはいるけど、ちゃんとごまかせてるかな。

 ここまでまっすぐに敵意をぶつけられると、いっそ清々しくさえ思う。

 皆が皆、彼女のようであれば、と考えかけて打ち消す。意味のないことだ。

「……何がおかしいの?」

 あ、やっぱりごまかせてなかったみたい。

 まあ、それならそれで別にいいや。

 わたしは意識して笑顔をつくる。

 遠い遠い昔。かつては誰にでも向けていた、そんな笑顔を。

 柔らかい微笑みは、今この場では相手を小馬鹿にしたようなそれに映る。

「別に。無駄なことをごくろうさまって感じ。悪いけど、わたしは何を言われようと自分の生き方を曲げるつもりはないよ」

「……それは、宣戦布告のつもり?」

「あんたがそう思いたければ、そうなんじゃない?」

 藤乃は急に黙り込むと、何かを考えるように目を閉じた。

 しばらくして開かれたその瞳には、紛れもなく敵意と憎しみが浮かんでいた。どうやら彼女の中で、わたしの存在は明確にクラスメイトから敵へと変わったようだ。

 そのことに一抹の寂しさと、これでよかったのだという安堵が入り交じる。

 少しの会話でわかった。古筒藤乃は、とても正義感が強い。向かい合った瞳は、あまりにもまっすぐすぎた。そのままでいれば、きっと彼女は〝わたし〟を暴いてしまう。

 そう、ちょうど彼――芳沢のように。

 それは、駄目だ。

 わたしは救済される弱者ではなく、排斥される悪者でなければいけない。

 わたしは、許されてはならないのだ。

「今日のところは、まあいいわ。明日から、覚悟することね」

 言って、藤乃はさらりと髪をひるがえしてわたしの横を通り過ぎていく。

 おーこわいこわい。

 おどけたようなそんな呟きは、はたして聞こえていたのかどうか。

 折り目正しいその後ろ姿が見えなくなってから、わたしは一度、深く息をついた。

「……帰ろ」

 そうして足を前に出しかけて、ふと視線を動かす。自分でも、どうしてそんなことをしたのか、わからなかった。

 視線の先、教壇のすぐ前の席。

 今はない、そこの主の丸まった背中が、もう一度わたしの息を連れていった。


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