町へ
アゼルキナに来てから七日。フィオネンティーナはご機嫌で荷馬車に揺られていた。
隣には同じ第六隊に所属するサイラス・オーマ。
彼は御者をしてくれているが、ご機嫌のフィオネンティーナと比べて顔色が悪い。
サイラスは硬い面持ちで荷馬車を町へと進めながら、フィオネンティーナの様子をちらちらと横眼で窺っている。
「なぁに? 言いたいことがるならどうぞ?」
「いやっ、何でもないっ!」
にっこりと笑顔を披露したら、慌てたのか手綱を捌き間違えてがたんと荷馬車が大きく揺れた。揺れに導かれたフィオネンティーナの体が彼に向って傾くと、サイラスが弾かれたように飛び上がる。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
どうしてなのか分かっている。けれどそ知らぬふりで問うと、サイラスは恥ずかしそうにしながらゆっくりと、フィオネンティーナを警戒しながら御者台に腰を下ろした。
彼はフィオネンティーナとの接触を恐れているのだ。
なぜなら彼はフィオネンティーナの部屋に忍び込んだ四人のうちの一人。失神したカイルの下敷きになったのはこのサイラスだ。
サイラスは女性の部屋に忍び込んで、不届きなことをしようとした人間とご機嫌で行動するフィオネンティーナの思考が理解できないのだろう。
サイラスのやらかしたことはともかく、至極まっとうな考えだ。フィオネンティーナだって、ここが都だったら二人きりで行動したいなんて思わなかっただろう。
それでも彼と一緒に町にいくと決めたのはフィオネンティーナだ。
もちろん理由がある。
これから町へと行くからだ。
週に一度、なにかと入用なものを買いに町へと繰り出すことになっていると知ったのは、昨夜遅くだった。
買い出しは二人一組、古参と新米が組になって持ちまわることになっている。隊長以上の役付きは除外されるが、砦に閉じこもる騎士たちにとっては唯一羽を伸ばせる任務という名の休息でもあった。
今回は砦への異動一年目のサイラスと、同じ隊の先輩が当番の予定だったのだが、その先輩がガレットとの用事で行けなくなった。その代わりにと、気を利かせたカイルがフィオネンティーナに話を振ってくれたのだ。
町まで馬車を使って半日。
早朝に出発しても、用事を済ませて帰りの時間を考えると夜遅くなる。それなのにどうしてフィオネンティーナが一緒なのだろうと、不思議そうにしているしているサイラスの隣でフィオネンティーナはご機嫌だ。
なぜなら町には風呂屋があるから。
しかも温泉。
この辺りは湯量も豊富で、町は温泉目当ての観光客も多いと聞く。この一週間、湯で体を拭くだけだったフィオネンティーナにとって行かない選択肢はなく、カイルの話に「行きます!」と元気にお返事した。
ガレットは「男と二人きりでなんて……」と渋っていたが、「何言ってんだ? ここで誰かと組むとしたら男しかいないだろ?」とのカイルから漏れた当然の突っ込みにしぶしぶ同行を許してくれた感じだ。
しばらくの間、サイラスの様子を楽しく観察していたフィオネンティーナだったが、仲良くなるために触れるか触れないかの距離まで身を摺り寄せた。サイラスの体がぎゅっと強張るのを感じて声を出して笑ってしまいそうになる。
「あなた、王都に彼女がいるそうね?」
「えっ!?」
「確か騎士団長の姪御さん。信じて送り出した彼氏が女の寝込みを襲おうとしたなんて知ったらさぞ悲しむでしょうね」
サイラスは真っ蒼になって言葉を詰まらせた。
「なっ……なんでお前っ!?」
なんで知ってるかって、騎士団長が徹夜で仕上げてくれた資料に記載されていたからだ。当然教えるつもりはない。
サイラス・オーマ、二十一歳。姪の彼氏と記載されたその横に括弧書きで『何かあれば報告願う』とあった事実もだ。
「あれはっ、そのっ、ついっ、ノリでっ!!」
「ノリで夜這いなんて流石は騎士様ね~」
「っ!」
冷たい視線を投げつけるとサイラスは言葉を失い、最後に「申し訳なかった」と小さく呟いた。
よしよし、素直でなかなか結構と、フィオネンティーナはサイラスの肩をぽんと叩く。サイラスは「ぎゃーっ!!」と汚い悲鳴を上げたのだが。
「………って…あれ??」
叫ぶと同時に手綱を放して、両手を上げて不安定な御者台につま先立ちになったサイラスが、そのままの姿勢で固まっている。
「そういうことだから」
触られたら雷にやられるのではない。カイルが白目をむいて倒れたのは危機回避のために、フィオネンティーナの体に触れると発動するよう罠を仕掛けていたからだ。
それを触ると即やられると勘違いした夜這い四人衆は、フィオネンティーナを見ただけで怯え、こそこそと逃げ出す始末。ある程度の悪い噂は身を守るのに丁度いいのだけれども、行き過ぎは孤立を招いてしまうので避けたい。
それを理解したのだろう。サイラスはバツが悪そうに顔を顰めると、どんと音を立てて勢いよく座り、手放していた手綱を取った。
「そういうことかよ」
目元が薄っすらと赤いのは、みっともなくも怯えて叫んでしまったことに対する照れ隠しか。
「そういうことだから、これからどうぞよろしくね」
そう言って手を差し出すと、サイラスは思いっきり眉間に皺を寄せた。
「何がよろしくだよ」
「ここで上手くやっていくには人付き合いも大事じゃない? あなたならわたしに弱みもあるし、騎士団長の姪御さんって彼女もいるし、ノリさえなければ他の人よりも安全かなって。だからまぁ、ここでの話し相手として? 友達みたいに付き合ってくれないかなって思うんだけど、どうかな?」
カイルにはフィオネンティーナの寝込みを襲うつもりがなかったのは百も承知だ。同じくフィオネンティーナに負い目を感じているガレットは、それがなくても守ってくれるだろう。けれど二人は司令官と隊長という立場にある人だ。つまり上官。いくらフィオネンティーナが女だからとて、特別扱いばかりだと不満が生まれてしまう。
何よりも堅物のガレットは、暇さえあればフィオネンティーナに声をかけ、忙しくてもついて回り、就寝前には必ずお湯を準備して甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる始末。あそこまでやられるとストーカーか下僕かと思ってしまうが、心配されているのだと分かるから無碍にもできない。
そして何より新米に対する扱いがこれでは示しがつかないだろう。
心配してくれるのは有り難いが、身を守る術を自分でも見つけるべきだと思ったのだ。それには信頼できる人物を同僚から得たい。そうすれば自ずと人間関係は広がっていくだろう。
サイラスを選んだのは、騎士団長が姪との付き合いを許しているから。彼の信頼を得ている男なら、フィオネンティーナの期待に応えてくれそうな気がした。
「俺でいいのか?」
てっきり軽蔑されているとばかり思っていたのだろう。サイラスは差し出された手とフィオネンティーナを横目で交互に見た。
「倒れた司令官殿に潰されて身動きできなかったあなたがいいのよ」
「あれはっ……司令官がでかすぎるんだよ」
サイラスは恥ずかしそうにそっぽを向きながらも、「この前は本当にごめん」と謝りながらぎこちなく大きな手を差し出した。
*****
「買い出しは俺がやっておくから、お前は風呂に行ってきていい」
「一人でやらせるわけにはいかないわ。ちゃんと手伝うわよ」
フィオネンティーナが同行した一番の理由は、お風呂で全身ぴかぴかに磨きあげることだ。だからといっていくらずうずうしくても、馬車にいっぱいなる買い出しをサイラス一人にやらせるつもりはない。
砦に女風呂を作るのは無理なようで、機会があれば町まで出かけて入浴しろとカイルから言われてしまった。
「新たに女風呂を作っても覗かれる」と自信満々に言われてしまうと納得するしかない。
結界を張って目眩ましができるのならよかったが、残念なことにフィオネンティーナには使えない術だ。
「女の風呂は長いだろ。遠慮するなよ」
「そう? じゃあ途中から抜けさせてもらうわ」
ここは好意に甘えておこう。もしかしたらサイラスもフィオネンティーナに内緒で寄りたい場所があるのかもしれない。
「お前、何か失礼なこと考えただろう?」
「別に何も」
「俺はいかがわしいところなんて寄らないからな!」
「寄ったって告げ口なんかしないわよ」
「よ・ら・な・い」
一言ずつ発音を強くしたサイラスにフィオネンティーナは首を傾げた。
「潤いは必要だと思うけど?」
「うるおいって……なぁお前、一応は嫁入り前の娘じゃないのか?」
遠慮のないフィオネンティーナの言葉に、サイラスは脱力して項垂れた。
サイラスからすると、魔術師は特別な種類の手の届かない、良くいうなら憧れる、そんな対象なのだ。
魔術師は絶対的に数が少なく、戦闘能力のある宮廷魔術師として召し抱えられるのはごく僅かだ。同じ軍に属しているのに見かけるのも稀で、見目麗しい姿形をした者が多い魔術師は高根の花でもあった。
だから騎士の中ではそんな魔術師を伴って歩く……いわゆる魔術師を恋人にするのは一種の夢でもある。まずそんなことがないので妄想で終わるのだが。一緒にいるだけで自身の能力が上がったような錯覚を覚える者も多い。宮廷魔術師の証である黒の詰襟の制服を身に纏う魔術師を連れて歩くだけで「あいつは誰だ!?」と、騎士の名は知れ渡り、たとえ恋人同士ではなく、単に仕事でたまたま一緒だったのだとしても即有名人だ。
騎士たちから見てそんな立ち位置にいる魔術師がこれだとは。サイラスが思い描く夢の魔術師象が脆くも崩れ去っていたなんて、フィオネンティーナには知る由もない。
買い出しの主たるものは食料だ。
市場の外に馬車を停めて小遣い稼ぎでうろつく子供を雇って番をさせる。その間に二人は必要な品を買いあさり、次々と荷台に乗せて行った。
買ったものを馬車まで運ぶのも重労働だが、それをサイラスは難無くこなしていく。フィオネンティーナは彼の三分の一の量も持っていないというのに汗だくで、幾度となく往復する間に体力が尽きてしまった。
本来ならここにもう一人騎士がいたはずだ。その席を譲られたフィオネンティーナでは力不足。だの買い出しなのに、サイラスに負担をかける結果になってしまっている。
文句も言わずに黙々と買い物を続けて行くサイラスに、フィオネンティーナは己の体力のなさを痛感し、申し訳ない気持でいっぱいだった。と同時に汗一つかかないサイラスの様子に、流石はアゼルキナ砦の騎士だと感心する。
「よし、食料はこんなもんだろ。後は日用品なんで俺一人で余裕だから、お前はその間にさっさと風呂入ってこい」
湯屋まで送ってやると涼しい顔で振り返ったサイラスは、疲れ果てたフィオネンティーナの様にびっくりしている。
「魔術師は肉体強化やらないのか?」
「必要だと痛感してる」
同じ質問をカイルからされたのはいつだっただろうか。ぜいぜいと肩を上下させながら汗を拭う。
明日からの基礎訓練には、見学だけじゃなくてきちんと参加しよう。そう心に決めた瞬間だった。




