その64
「まいったな……」
部屋の主が床に腰を下ろしながら溜息とともに零した言葉に「ごめん」と答える。ごめんで済む問題でもないが、他に言葉が見つからない。
色々不味い事をやらかしているのは百も承知だ。なのにどうしようもない感情に支配され、フィオ自身情けなさで一杯だった。踵を返して自室に駆け込めば良かったのだが、あの女性とガレットが楽しんでいる隣の部屋に舞い戻る勇気なんて持てる筈もない。
ここが男ばかりのアゼルキナ砦であり、いち隊員であるサイラスの部屋へ深夜に訪れる意味がどんなものか、知られればどう受け取られるか容易く想像できた。しかもサイラスには結婚を決めた彼女がいる。その彼女はサイラスの所属する騎士団の長たる人の姪で、この事態が耳に入ればどうなるだろう。
フィオ自身は直接の知り合いではないが、アゼルキナへ派遣される際には魔術師団長を介して大変世話になった人だ。誤解とはいえ彼や彼女に迷惑はかけたくない。けれど、解っているが気付いた時にはサイラスを頼ってここにいた。今更他に行き場所もないのだ。サイラスもそれが解っているだけにフィオを追い出すようなことはせず、「あ~、うん」と曖昧な返事を寄こして後は無言だ。
フィオはずりずりと鼻を啜りながら占拠した寝台の上で顔を上げた。
「ごめん、迷惑かけた。謹慎中だしもう大丈夫だから、帰るね。」
「いや、流石にその状態で帰すのは無理だし。」
フィオは気付いていないが時折廊下を行き交う人の気配がサイラスには感じられる。上手く部屋から出してもこんな状態のフィオを一人で帰す訳にもいかず、送り届ける途中に人に見られて絡まれても面倒だ。なにせ今夜は娼婦達が砦をうろついて客を漁っているが、希望者全員の相手を出来る人数でもない。取り零された男がフィオに手を出して問題を増やすのだけはいいかげん避けたかった。
「それよりガレット隊長が女を買うなんて何かの間違いじゃないのか?」
「しょうがないわよ、男なんだから。でもこんなに悲しいなんて思わなかった。」
嗚咽を漏らしながらうじうじ泣くフィオが零した言葉からある程度の情報は得ている。裸の女と戯れながら部屋から出て来たとしても相手は娼婦、ガレットが本気になる訳がないし、そもそもあの堅物が惚れた女が隣にいるのに娼婦を買うのかと俄かには信じ難かった。
きっとフィオの勘違いだろうと軽く流してやろうとも考えたが、二人の戯れる姿を目の当たりにしたばかりのフィオの耳に届くかどうか。かなり酷な場面だっただろう。
「絶対お前の方がいい女だって。」
万一事実だったとしても一夜の過ちだろうから気にするなと慰めてみれば、サイラスの言葉にまたもやフィオの瞳が決壊して大量の涙が溢れ出した。
「おっぱいなんてこんなに大きかったのよ、経験不足のわたしが勝てる訳ないじゃない!」
肌蹴たブラウスからはみ出していた大きな胸に顔を埋めたらどんなに心地がいいだろう。フィオの胸は小さくはないがあれほど大きくないし、ガレットには初対面の時に服の上からではあるが鷲掴みにされて大きさはばれている。比較しながら彼女を抱いたのかと想像すると強烈に胸が締め付けられ、あまりの悲しさに息が苦しくなった。
「とにかくもう駄目、今更好きだなんて絶対に告白できない。ガレット隊長だってこんな胸の女お断りに決まってるわ!」
「焦点ずれまくってるって、なんで胸の話になるんだよ。」
「じゃあサイラスはぺったんことでっかいおっぱいどっちがいいのよ?」
「そりゃ―――俺の好みは関係ないだろ?」
サイラスは思い浮かべて慌てて首を振る。それにフィオはペッタンコではない。
「それより、諦めんの?」
諦めるのか?
自分でも驚くほどに胸が痛んで苦しい思いをしている。クインザが例えた様な半身が引き裂かれるという様なものではない。自分自身ではなくガレットを交え、苦しくて悲しくて、何故だか恨みがましく感じてしまう強烈な嫉妬心までが沸き起こって来るのだ。一人の女性として特別な好意を寄せているといってくれたのに……なのにどうして今夜はわたしではないの、と。
ガレットに助けられた娘らが彼に抱いた淡い恋心なのではない、醜い感情を交えた独占欲。こんな思いをするなら諦めた方がいいのか? 次にあんな場面に出くわしても平気でいられるように諦めるべきなのか。急に押し寄せた感情に戸惑い揺さぶられるが―――
「やだ……諦めきれない。」
恋を自覚したばかりでも、これまでの間に積み上げてきた想いはフィオの心に広がり間違いなく存在している。もっと簡単で脆いものだとばかり想像していたが、思った以上に執拗で簡単ではない。
「だよな。それじゃあさ、いちいち俺に聞かせるんじゃなくて二人で腹割って話してみろよ。」
「え?」
ここでサイラスが憶測を交えて何を唱えても事実には成り得ないのだ。徐に立ち上がったサイラスが不思議そうに送られるフィオからの視線を無視して扉を開けると、開いた扉の向こうには大きなガレットの巨体が壁となって佇んでいた。
「一時ばかり外しますんで、あとは宜しく頼みます。」
ガレットは驚いた表情を見せたが、部屋を譲るサイラスに「すまない」とすれ違い様に声をかける。サイラスを見送ったガレットは部屋の中で唖然とするフィオに視線を合わせると、痛々しい物を見るかに眉を顰めた。
「入ってもいいか?」
伺いを立てるガレットからフィオはふいと視線を外して顔を背ける。
「主の許可は下りているようなので。」
気まずくてどうぞとは言えず、サイラスのせいにしてしまう。何でここにいるんだ、彼女とお楽しみじゃなかったのかと心の内では酷い格好の我が身を呪っていた。
素っ気ないフィオの返答を受けガレットは部屋に足を踏み入れ後ろ手に扉を閉めると、少しばかり躊躇しながら歩み寄ってフィオが座る寝台に距離を置いて腰を下ろす。
「さっきの事だが―――」
「素敵な女性ですね、おっぱい大きくてとても魅力的でした。」
厭味で返す我が身が憎らしいが、ガレットの口から彼女の説明など受けたくなかった。なのにガレットはそんなフィオの気持ちを無視して言葉を続ける。
「時々ああやって押しかけられるが、娼婦を買ったためしはない。」
「―――そう、なんですか?」
本当にと、訝しげにガレットを振り仰げばそうだと頷かれた。
「あんなに魅力的なのにどうして?」
「特に興味がないんだ。」
「それって―――」
「勘違いしてくれるな、男に興味があるとは言っていないだろう。」
出てくる言葉を予想して先手を打つとフィオは言葉を飲んで俯いた。
堅物だからといってあの状態で良く我慢がきくものだ。ああ我慢ではなく興味がないのだったな。その若さで悟りでも開いているのかと不思議そうに見上げていると、ガレットがごまかす様に咳払いした。
「前に告白したのを覚えているか? 俺はお前に特別な感情を持っていると。それはリシェット、お前に惚れているという事だ。」
あれこれ考えて勝手な勘違いをされたくはない。きちんと向かい合って伝えるとフィオは視線を泳がせ俯いた。
「今も―――心変りしていません?」
「ああ、心変りなどしていない。何時もお前の事ばかり考える。こうして側にいる今も俺はお前が好きでたまらないんだ。」
照れも何もなく灰色の瞳が真面目にフィオを見据えて捉える。視線を合わせずとも感じられる眼差しにフィオはますます俯いた。
「だが俺は惚れた女性に多大な迷惑をかける様な性質で、これまでリシェットには嫌な思いばかりさせて来た筈だ。心配だからと己の欲求を満たす為につけ回しては不快な思いをさせている。改めなければと幾度となく反省しても同じことの繰り返しでどうしようもない。兎に角、心配でならないんだ。」
確かにそうだが、その一方的なつけ回しのお陰でフィオに及ぶ危害が未然に防がれているのも事実。その点からいってもフィオを第六隊に押し込んだカイルの選択は間違っていないし、ガレットが過去に惚れた女性達程フィオはこの好意を迷惑と感じてはいなかった。それにガレットから諭され続ける『女だから』との言葉も、今では当然だと未熟な己を知って初めて理解できるようになっている。
「つけ回しの件は拒絶に比べれば屁でもありませんよ。」
「拒絶―――?」
拒絶などした覚えはないがとガレットは首を捻る。
「キグナスからの帰りの事です。襲ったわたしも悪かったですが、口もまともに聞いて貰えなくなって落ち込んでいました。早く自分の気持ちに気付かなくてはと余計に焦ってサイラスやタースにも迷惑かけてしまって。」
嫌われる前に自分の気持ちに気付きたいと焦って馬鹿をしでかした。そう思っている時点でガレットを好きだと認めているとも気付かずに。
「それは…あの状況で迫られたら流石の俺も理性を保てる自信がなかったんだ。俺の邪な感情が問題であってお前を厭っての事じゃない。」
「だったらどうして押し倒してくれなかったんです。そうしたらこれ程悩まずに済んだし、お互い丸く収まっていたようにも思います。」
「いやリシェット、それは流石に不味いだろう?」
冗談はよせと苦笑いを浮かべるガレットに向かってフィオは至極真面目に答えた。
「いいじゃないですか、好き合ってる者同士なら。他の女性にとられるくらいなら体だって張ります。」
それは何て有り難く魅力的な言葉なのだろう。酔いかけたガレットだったが色付く頭を振って邪な感情を必死で追い出す。
「いや―――それは―――流石に不味いぞ?」
煽ってくれるなと視線を外せば、フィオも自分の言葉に赤面してとんでもないとこを言ったと俯いた。
「そうですね、確かにここでは不味いです。」
いかんいかん、冷静になれと火照った頬に掌を当てて揉みしだく。アゼルキナで男女の恋愛はご法度。風紀を乱す切っ掛けになって居辛くなってしまう。
「あの…これまでの事は少しも迷惑に感じていませんから。それから、今更ですけど、わたしもガレット隊長の事が、その……すきみたい、じゃなくて…好き、です、から。」
何だろうこの照れは。ほんの今まで抉られる様に傷んだ胸が今は早鐘を打ちながらも温かな感情に包まれている。泣いてぐちゃぐちゃだからという以前に恥ずかしさで顔が上げられない。気付いた早々告白もどうかと思われるかもしれないが、心の内でひっそり想っていられるような性格でもなく。それに言葉にして伝えておけば無用の誤解も招かずに済む様な気もするし、何よりも見えない何かを掴み取るには他の方法が思い付かないのだ。
「そうか、有り難く受け取らせてもらう。」
嬉しく感じながら、好いた相手に好意をもたれる初めての経験にガレットも緊張で壁を見詰めたままフィオに視線を合わせられない。しかしふとある事を思い出し、膝の上で握る拳に力を込めた。
「そう言えば―――見合いはどうするんだ?」
見合い? 何の事だと顔を上げたフィオは暫し考え、ああそう言えばそんな話も出たなぁと考えを記憶を辿る事により少しばかり冷静さを取り戻した。
「見合いは魔術師団長様のご趣味の様でみんなが声をかけられているみたいですけど、わたしはちゃんとお断りしていますから。」
「そうか―――」
「でも何処からそんな話を?」
「ヴァルと話しているのを聞いたんだが…いいんだ、断ったのなら。」
あの時はまだ気付いていなかったけれど、見合いの話を断っておいて本当によかったとフィオは胸を撫で下ろした。
「わたしの方からも一つあるんですけど。」
ちらりとガレットを窺いながら横目で見上げると、ガレットは壁を見詰めたまま「何だ?」と返した。
「わたしやっぱりこのまま第六隊で、ガレット隊長の元でお世話になってもいいでしょうか?」
互いが退く意を申し出ていたが、今のフィオはガレットの迷惑になっても他の隊に移動したいとは思っていない。けれどもしフィオの想いが負担になるのなら異動も仕方がないとは感じていた。
そんなフィオにガレットは驚いたように目を見開いて見下ろして来る。
「いいのか、それで。俺は考えを改められるような人間じゃないぞ?」
「構いません。勿論反発する時もあるとは思いますけど、ガレット隊長の言葉は全てわたしを思っての言葉です。これからは助言として全て受け止めて行きたいと思っていますから。」
泣き腫らした目に涙と鼻水でぐちゃぐちゃの酷い顔だ。けれどそれでも上目使いで見上げられしおらしい言葉を投げかけられると拒絶の言葉なんて一切合切失ってしまう。それ所が他人の部屋だというのも忘れつい手を出してしまいそうになるではないか。
しかしここで思い止まれるのが堅物である。けして扉の向こうで聞き耳を立てている人間の気配を察知したからではなく、あくまでもガレットだからだ。普通なら男ばかりのアゼルキナでたった一人の女性(しかも黙っていれば美人)に思いを告げられたらその場で食ってしまってもよさそうなものを、そんな常識吹き飛ばし、手すら握らずのそりと立ち上がった。
「少し待っていてくれるか?」
「え―――?」
その代わりであるかに、これでもかという程優しく微笑んだガレットにフィオは胸を突かれる。こんな表情をする人ではなかったと感じつつ、外へと消えて行くガレットを黙って見送った。
ガレットはと言うと外で聞き耳を立てていた砦の住人らに対して、フィオに向けたのとまた別の意味の黒い笑みを浮かべると手を組んでぽきぽきと関節を鳴らし、居合わせた住人らは命の危険を感じて一斉に逃げ出したのであった。




