その63
サイラスは取り合えずフィオを部屋に放り込んだ。それから井戸へ向かい桶に水を汲み入れ部屋へと急ぐ。目を離したすきに脱走しているんじゃないかと心配したが、カイルの鉄拳が功を奏してかフィオは寝台に半身を預け頭を抱えて痛みに耐えながらも悶絶しているままの状態だった。
「ほら、ちょっと見せてみろ。うっわ~すっげぇでかい瘤。司令官も容赦ないよな。」
男ばかりのアゼルキナで仕出かすには冗談で済まされない危険な行為。フィオも解っていた筈なのに、ここにきてどうして全くあんな馬鹿をやらかしてくれたのか。
黒髪が盛り上がる程に大きなタンコブとなったそこに、冷たく浸した布をそっと当ててやる。
「本当は瘤を押しながら揉んでやった方が目立たなくなるんだけど、こんだけ大きいと痛々しくて無理だからやめとくな。」
相手が男なら痛がっても面白がってやるが、フィオ相手には流石に可哀想なので冷やすだけで勘弁してもらう。暫くは瘤となって残るだろうが時間がかかってもそのうち消えるだろうし、触れるだけでも激痛を伴うのに押すなんて冗談じゃないとフィオも否定したので冷やすにとどめる。
「色々迷惑かけて本当にごめん。なんかもう自分でも訳が分からなくて血迷ってたわ。サイラスが止めてくれてなかったら今頃どうなっていたか…本当に情けない。タースにも謝らないとね。」
「タースは気にするな、夢見れただけ幸運だったんだよ。」
フィオを引きずって食堂を出て暫くしてからタースの絶叫が聞こえた。調子に乗った挙句に誰かによって制裁を加えられたに違いない。そんな馬鹿なんて気にする必要はないし、それよりもカイルの鉄拳でまともに戻ってくれて本当によかったとサイラスはほっと胸を撫で下ろしていた。
「そもそも判断基準がおかしいんだ。ガレット隊長と二人で戻って来たんだろ。何があったか知らないけどさ、自分の気持ちが誰にどう向いてるかくらいは解るもんじゃないのか?」
自分の気持ちくらい冷静になって考えれば解る筈だ。しかしフィオは頭を抱えて「解らない」と先程と同じ答えを漏らした。
「確かにガレット隊長には特別な感情を持ってるって言われたわ。なのに全力で拒否してキスさせてくれないの。自分の気持ちがガレット隊長に向いているのかどうかをちゃんと知りたいのに、じゃあ他にどうやって知ればいいって言うのよ。」
「確認したいって思った時点でそうなんじゃないのか。」
「そうなの、普通?」
「いや…普通は自分で解るもんだけど、お前は本当に解らないみたいだな。」
そういう感情が欠落している訳ではないようだが、切実に悩める横顔は真剣そのものだ。黙っていれば魔術師という事もあり不思議な雰囲気を纏った怪しい美しさを兼ね備えている。その気がなくともつい見入ってしまいそうになる自分をごまかす様に、サイラスはフィオの頭に載せた布を再度冷水に浸して頭に乗せてやった。その後は隣に座るのではなく壁に背を預けて腕を組む。
「サイラスは彼女の何処にどうやって惹かれたの。それが恋だってどうやって確認したのよ?」
隣に座らなかったサイラスを気にするでもなく、頭に載せた布が落ちないよう手で押さえながら上を見上げる。潤んだ漆黒の瞳が上目使いで見上げて来たせいでサイラスは慌ててふいと顔を背けた。
「何処って、可愛い所?」
「―――顔なの?」
見た目で判断するのかよ、サイテーという白い目を向けるフィオにサイラスは慌てて言い訳を始める。
「勿論それだけじゃないって、まずは見た目に惹かれるってのはよくある事だろ。実際は顔だけが可愛い訳じゃないし。まぁな、あれだよ。いつも一緒にいたいとか他の奴に渡したくないとか独占したいとか……って、男ばっかのアゼルキナじゃあそんな風に思う機会は少ないか?」
フィオ同様サイラスの彼女も多くの男性と接触する職場で仕事をしている。結婚まで決めた彼女を疑いはしないが、周囲にいる野郎どもを警戒したくとも側にいられない分心配でならない。しかしここは男ばかりのアゼルキナ。ガレットに言い寄ってくるとしても娼婦かあとは同性愛者くらいで嫉妬のしようもないのが現実だ。フィオはう~んと唸りながら腕を組んで考え込んだ。
「そう言う言葉の表現はちゃんと理解しているのよ。でも知っていると感情では違いがあるものでしょう? あ、でもそうでもなかったかも―――いつもサイラス達に嫉妬してたし。」
「それは同じ扱いを受けたいってだけじゃなかったのかよ。」
男女の差を指摘されて保護されているのに嫌気がさしていただけだ。なんて子供っぽい反抗だったのだろうと反省はしている。確かにこれは違うなと首を捻りながら「あ!」と声を上げた。
「じゃぁこれは? 王都でガレット隊長に助けて貰った女の子が明らかに隊長に惚れてる視線ばしばし送ってたの。それが羨ましいなぁって思えたわよ?」
「恋に対する憧れってだけじゃねえの?」
「難しいわね。ふとした瞬間にガレット隊長の姿がちらつくってのにやっぱり違うのかしら。」
「それだよそれっ!」
完璧そうじゃないか、何を迷ってんだと食らい付くサイラスにフィオは「やっぱりそうなの?」と瞳を輝かせた。
「エルファスタ殿下に催眠術みたいなのをかけられて迫られた時も脳裏にガレット隊長がちらついて、それで現実に引き戻されたの。それってやっぱりそう?」
「間違いない、絶対そうだって。お前は間違いなくガレット隊長に惚れてる、多分。」
「多分?」
「そうしとけよ、絶対丸く収まるからさ。」
「でもこれってやばいよね。何で確認しようなんて思っちゃったんだろう。」
自分の気持ちが恋かどうかなんて確認したからってこの先どうなる訳でもない。アゼルキナで恋愛なんてご法度だというのは解りきった事だ。キグナスと国境を交える重要な砦内で風紀を乱す様な行為は避けるべきなのである。ガレットだってそれを解っていた筈だ。だからフィオへの想いを『邪』だと表現したのかもしれない。
冷静になったフィオは暫く頭を抱えていたが、徐に手を伸ばすと酒瓶を手にした。
「司令官命令で謹慎だし一緒にどう?」
「昼間っから飲める訳ないだろ。」
壁際に積まれた酒瓶の山も最初の半分ほどまで減っている。あれだけの量を飲み干すフィオにサイラスは別の意味で尊敬の眼差しを向けた。
「エルファスタ殿下から頂いたキグナス特産の品よ。ちょっと強めだけど頭がすっきりするわ。」
「じゃあ次回さそってくれ。」
それまで残っているかしらと呟きながら栓を抜いて瓶のまま口をつける。サイラスが運んでくれた食事を酒の肴につまみつつ、キグナスでの出来事をサイラスに話して聞かせていたのだが、ガレットの言う様にかなり疲れていたのだろう。自分でも気がつかない間にフィオは眠りについていた。
*****
頭のてっぺんがずきずきと疼く痛みで目を覚ます。触れると激痛が走り、カイルに拳骨を落とされたのを思い出した。
部屋は真っ暗で窓の外を見ると既に闇に包まれている。いつの間に眠ったのかと体を起こせば上掛けが滑り落ち、部屋を見渡してもサイラスの姿は何処にもなく、空いた食器も片付けられていた。
「喉乾いた……部屋から出るのも不味いのかな?」
なにせ司令官命令による謹慎だとカイル自ら宣言されたのだ。ひと騒ぎ起こした後なので大人しく従っておいた方が後々の為にもなるだろう。けれどキグナス特産の強い酒を一瓶空けたせいか異常に喉が渇くし、飲酒のせいか瘤も異常に疼く。
どうしよう、サイラスが戻ってきてくれるかもしれないから少し待っていようかと迷っていると、隣のガレットの部屋から人が言い争う様な声が聞こえて来た。
何だろうと壁に耳を寄せるが、頭に出来た瘤がずきずきと波打つように傷んで全く聞き取れない。ばたばたと暴れているのか足音が響き、隣の部屋でもある事だし心配になって念の為に声だけかけてみようかと廊下に出た。
ガレットの部屋の前に立ち扉をノックし様とした瞬間、突然目の前の扉が勢い良く押し開けられフィオの額に激突する。勢いのまま弾き飛ばされたフィオは壁に背を打ち付け、そのまま尻餅をついた所で額に手を当て、扉を押し開けた人物を仰ぎ見て固まった。
アゼルキナでは見慣れぬ女物の長いスカートに冬だというのに薄いブラウス一枚の女性が、そのブラウスの前を大きく肌蹴させ、ふくよかで柔かな胸を覗かせていたのだ。しかもその女性は部屋の持ち主であるガレットに両腕を一つに纏められていた。
ガレットとフィオは驚き固まってしまっていたが、豊かな胸を曝した女性は余裕の笑みで紅を引いた唇に弧を描く。
「あらやだ、激しくし過ぎてごめんなさいね?」
特別な美人でも何でもない、けれど匂い立つ女の色香に溢れた女性を前にフィオは言葉を失う。結局声を上げる事も出来ずに、逃げる様にその場から走り去ってしまった。
「リシェット!」
違うといいかけたガレットだったが言葉を飲み直ぐ様フィオを追いかけようとする。しかしそれを女が阻み、前を大きく肌蹴けさせた胸を誘う様にガレットの腕に押し付け、執拗に纏わりついて離してくれない。
「勘違いさせちゃったわね。一晩買ってくれるならただの営業行為だったって、彼女に言い訳してあげてもいいわよ?」
にっこりとほほ笑みながら体を指でなぞって来る女にガレットは溜息を落とし、纏わりつく腕や指を一つ一つ丁寧に解いて行く。
「悪いが女は買わないんだ、他を当たってくれ。」
「え~っ、ずっと通ってるんだから一回くらい買ってくれたっていいじゃない?」
「すまんな、その気にはなれない。」
ガレットは女を優しく剥ぎ取ると全速力で逃げたフィオの後を追った。その背に「また来月くるから~」と女の呑気な声が届くが答える余裕はなく、勘違いされた事よりもこんな夜の闇に消えたフィオの身を一心に案じていた。
*****
何時ものフィオならあれが娼婦の営業だと直ぐに気付けただろう。女の腕を掴んで追いやろうとしていたガレットの行動が迷惑がってのものだと一目でわかっただろうし、それに対してフィオも『ご遠慮なく』と笑顔で対処できた筈なのに。司令官命令の謹慎も砦に娼婦がやって来るのを見越しての物だったのかと考える余裕があった筈だ。
けれど二人の姿を目撃して頭を殴られたような衝撃を受けた。けしてカイルにやられた場所が疼く訳じゃなく、本当に衝撃を受けたのだ。
好きかどうかの確信が欲しいから接吻させて欲しい? 冗談じゃない、そんな不確かなものに頼らなくても一瞬で理解させられた。
心に突き刺さる衝撃や痛みは話に聞いたり本で読んだりしたものとは比べ物にならない代物だ。鼓動が破裂するほど煩く胸を打っている。ガレットが自分以外の女性に触れている、それが許せない。悲しい。苦しい。辛い。
惚れているといわれて調子に乗っていたのだろうか。男女の恋愛沙汰なんて何処にでもある不確かな感情だ。いつ何時終わりを告げるか解らない物だと解りきっていたのに。身を持って気付いた瞬間に振られていたなんて、本当に笑えない。
「うん、とりあえず解ったからさ。ここで泣くのやめてくれない?」
就寝中にけたたましく扉を叩く音に目を覚まし、何事かと開けてみればフィオが猪の如く飛び込んできた。それを受け止めたサイラスは勢い余って床に背を預けて倒れている状態で、フィオはその上に縋って目と鼻から大量の水を流し続けている。
扉は開け放たれたままで、誰かに見られたら流石に不味いと危険を感じたサイラスはフィオを床に転がして扉を閉める。それからため息交じりにフィオを振り返ると、フィオが半死人状態でサイラスの寝台に這い上って行く所だった。




