その60
「うそ……」
エルファスタに向かって振り下ろされた剣がギンッと嫌な音を立て阻まれ、敵である『叔父』の腹に大きな足がのめり込んだかと思うとそのまま蹴り飛ばされた。その『叔父』を蹴り飛ばした男がすかさず追い喉元を押さえたかと思うと、素早く腕を捻り上げ、苦痛に悶える『叔父』の腕を後ろに縛り上げる。
何の前触れもなく突然姿を現した大きな男。見慣れた筈の彼が目の前に存在する理由がまるで解らず、フィオは唖然と一連の出来事を夢か幻かとただ見つめているしか出来なかった。
「舞台を選びおって。」
エルファスタが皮肉気に笑うと、男…ガレットが縛り上げた男の様子を確認しながら視線を向けた。エルファスタを守った剣は敵の剣に押し負け折れていたが、もともとこの場に倒れている誰かの物だ。ガレットは使い物にならなくなった剣を迷いなく放り投げた。
「一番の好機を待っていただけです。」
「ティーナがやられた時点で飛び出し失敗するのではと案じておったぞ。」
何時から―――いつからだ?
早くに気付いていたらしいエルファスタの口ぶりに、すっかり動転したフィオは訳が解らず目を瞬かせる。そんなフィオの元へ敵の意識が完全に落ちていると確認したガレットが足を運び、肉を焼いて悪臭を放ちながら白目をむいたままフィオにのしかかる男を片手で払い除けた。
「直ぐに助けなくて悪かった。」
「何時から―――」
何時からそこにいたのだ?
かろうじて発した言葉に少し前だとガレットが答えた。
「不意打ちでもしなければ勝てる相手ではなかったし、お前の様子を見て大丈夫だと判断したのだが……他に怪我はないか?」
頬に付いたかすり傷に眉を顰めつつ、不躾にならない程度に体に触れ様子を確認するガレットに、フィオはまるで震える様に首を横に振った。
「どうして…どうしてここに。キグナスに、どうしてガレット隊長がいるんですか?」
触れる腕を押し戻す様に強く掴んで確認するが、確かにここにいるのにまるで夢の様で現実が飲み込めない。助かったという安堵と何故という疑問が命を曝していた恐怖と入り混じって頭の中を巡っていた。
「お前が攫われたんだ、当たり前だろう?」
何を馬鹿なことを言っているんだと眉を顰めるガレットを前に、どういう訳だが涙が溢れそうになってフィオは慌てて下を向いて息を吐きだした。
「どうした、何処か傷むのか?!」
慌てるガレットにフィオはそうじゃないと必死になって首を振って否定する。
「ほっとして―――ありがとうございます。本当に、来てくれて本当にありがとうございますっ!」
ガレットの両腕を握り締めたまま下を向き、必死に涙を堪えながらありがとうと、フィオは幾度となく声を震わせ繰り返し続けた。そんなフィオの様子にガレットは戸惑いを抱きつつ、状況が状況なだけに仕方がないと安心させるように手袋を外してフィオの頭に大きな手を置く。
「よくやった、本当にここまでよく持ち堪えてくれた。リシェット、お前は想像以上によくやってくれたぞ。」
抱きしめ労いたい想いを封じ込めるガレットの心に気付かず、フィオは涙を見られるのを恐れ下を向いたままひたすら頷き続けた。
*****
エルファスタの命を狙ったのは先王の妃の弟、王とエルファスタからみると母方の叔父に当たる人物で、キグナスがあらゆる国に侵攻し武力で戦歴を重ねる時代を先頭で引っ張った一人でもある人だった。彼は戦を好み、剣を収め戦いから話し合いへと変わりゆくキグナスに不満を持つ人間の筆頭でもある。
彼が本来真っ先に目を向けるべきは国王なのだが、戦闘においては天賦の才を持つキグナス王よりも、交渉で国に利益を齎す能力に優れたエルファスタを邪魔に感じていた。
けして彼自身が王位に就きたい訳ではなく、昔の様に剣を片手に侵攻していくやり方を好んでいるだけなのだ。エルファスタさえいなくなれば幾ら王妃が異を唱えようと、王は国益の為に旗を上げねばならなくなるに違いない。そんな時代を懐かしむ輩によって仕掛けられた事件は、アルファーンからやって来た魔術師が加わった事で呆気なく幕を下ろさせられてしまう。
すべてはエルファスタの趣味と私欲と実益と兼ねた計画であった。
アルファーン北西の国からキグナスが鉄鉱資源の輸入を決めたのも、単に利益だけが目的ではなくフィオに接触する為でもあり、マニアとしての欲と国への実益を兼ね備えた結果だ。
護衛の一人としてフィオが同行するかどうかは賭けだったが、異常なまでの魔術師愛護精神をもつ魔術師団長の元への帰省に護衛の任はうってつけともいえ、エルファスタにはかなりの自信があった。ロイを使って騒ぎを起こしたのもフィオをアゼルキナへ帰さない為の策の一つであり、フィオをキグナスへ招いたのはエルファスタの純粋なフィオへの執着だ。そしてフィオとの楽しい一時を邪魔しに入って来た『叔父』に対しては、楽しい時間を邪魔された報復の意も込め、そのついでに罠にかけたにすぎない。
まともな訓練を受けていないにしろ宮廷魔術師の実力がいかなるものかはジェシカの話と、マニアとして虱潰しに得た情報で十分に理解していた。自身が矢に射られるのも予定通り。毒矢であったのは予定外ではないが、毒の回りが些か早かったのはある程度の障害になった。もとより大切な魔術師に傷一つ与える予定はなく、ガレットの入国をわざと見過ごさせたのは保険だ。見事に最後の保険は役目を果たしてくれたのだが、余計なお膳立てをしてしまった感が些か後悔に値する部分かもしれない。
「何ですか、これは?」
フィオは透明な液体の入った小さな小瓶を指で持ち、もう片方の手は腰に当て仁王立ちになってエルファスタの寝台脇に立っていた。顔は笑っているが目は少しも笑っておらず、怒りの炎を宿してエルファスタを見下ろしている。
「何故そなたがそれを―――性欲剤だ、よこしなさい。」
「そんなものが必要なお歳には全く見えませんが。なんですか、実は殿下は相当な若作りで実際のお歳は魔術師団長様並みのご老体だったとでも?」
「そなたと一晩中楽しもうと思ってな。」
にっこりとほほ笑むエルファスタにフィオは軽蔑の眼差しを送った。
「ではわたしが馳走になります。」
「すまぬ、私が悪かった!」
小瓶の蓋を開け飲み下そうとしたフィオに、エルファスタは慌ててフィオから小瓶をひったくた。その勢いで透明な液体が白いシーツに零れ落ち、エルファスタは誑かされた事実に気付いてバツが悪そうに顔を歪める。
「中身はすり替えさせていただいております。」
「―――ロイの奴め。」
憎らしそうにフィオに情報を漏らした少年の名を吐き捨てるが、全ての元凶が何を言っているかとフィオはエルファスタを睨みつけたままだ。
有能なロイが湖畔の屋敷へ同行させられなかったのもエルファスタの策の一つ。ガレットに追われるであろうロイはエルファスタの読み通りガレットに見つかって絞められ、呆気なくフィオの居場所を吐いた。そんな役目を押しつけたエルファスタに今度はロイが仕返しとばかりに、フィオを毒矢から庇い寝込んだエルファスタが実はさっさと回復しているにもかかわらず、更に自ら安全な量の毒を煽ってフィオの看病を受け続けていると暴露したのである。
「まったくあなたには呆れる意外に言葉がありません、本当はとっくに立ち上がれるそうですね。あの時も俊敏に動けたんじゃないかとロイは言ってましたが、そこはもう追及致しません。庇って下さって本当にありがとうございました。でもね、今後は本物の毒を一瓶まるまる飲み干し危篤に陥ったとしても、明日には必ずこちらをお暇させて頂きますから。もう決定事項ですから。何を言われても何をされても決意は揺るぎませんから。」
絶対に騙されない、永遠の別れだと鬼の形相でまくし立てるフィオの腕を、エルファスタがロイの告げ口通りの隙のない俊敏な動きで掴み取ると、流れる様な動作で反転させ寝台の上へ導いた。驚いたフィオが瞬きした瞬間にはエルファスタが今まで横になっていた場所に押し付けられ、上から見下ろされる形となりすぐ側にエルファスタを感じたが、今日の彼は前に匂ったような甘い香りは纏っていなかった。
「これ程想うておるのに、何故そなたはこうも冷たいのだ。」
「一からリゼルさんに学び直されてはいかがですか。」
けして乳母であったリゼルの育て方が悪かった訳ではない。環境もだろうが、もともとがこういう性格なのだろう。一向に解らぬととぼけるエルファスタをフィオは抑え込まれたまま見上げていた。そんなフィオにエルファスタは優美な微笑みを向けると、人指し指の腹でフィオの唇をなぞる。
「湖畔でそなたは私の恐れる物を聞いたな、特別に無償にて答えてやろう。」
「それは光栄ですが、ただより高い物は無いとも申しますので。」
「遠慮いたすか?」
「―――せっかくのご申し出ですので、お答えいただけるのであれば喜んでお伺い致します。」
もらえる物は何でももらっておけの精神で返したフィオにエルファスタは喉を鳴らして笑った。
「私が恐れるのはそなたからの拒絶だ。」
何を馬鹿なと呆れかけ、ふいにこれまでの出来事を思い出した。
過剰な接触はあるが、肉体的な問題に関してのみで言えばエルファスタがフィオをどうこうしようとした事は一度もなかった。キスをしたのは一度だけ、それもフィオの意志で向かって行った一度きりで、確かにエルファスタ自らが権力を笠にフィオの唇を奪ったり、体を弄ぼうとするような非道な行為はされた覚えがない。そんな事をすれば本当に欲しいものは永遠に手に入らないと本能的に悟っていての行動なのか、それともエルファスタの策の一つなのか。
「小娘一人に恐れをなすなんて殿下らしくもない。」
「そうか。私は私らしいと思うておるがな。」
「殿下が求めるのは魔術師であるわたしです。わたしがただの女なら出会う事すらなかったし、奇跡的に出会ったとしても見向きもされなかったでしょうね。」
「痛い所を突いてくれる―――」
ふいに身を寄せたエルファスタがフィオの首筋に吸い付いた。急な事と弱い場所への痛みにフィオは驚き全力で拒否すると、エルファスタの体は呆気なくフィオから離れ、そのまま寝台を下りてフィオの手を引き身を起こさせる。
「そなたが魔術師である限り、私はそなたに執着いたそう。」
「不吉な宣言しないで下さい。」
不敵に微笑むエルファスタに、何故かフィオも自然と笑顔を向けていた。そしてこの後フィオの首筋に咲いた花にガレット一人だけが勘違いして驚愕するのである。




