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アゼルキナ砦の魔術師  作者: momo
策略
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その58




 心に住まうもの―――


 大きな硬い掌、灰色の瞳。とても近い距離にあった人の面影が脳裏をよぎりフィオは瞳を瞬かせた。


 「あ―――」


 考えを拒否しようとする意識を何とか引き戻しにかかると、目の前に迫っていた青と銀の斑の瞳が残念そうに瞳を閉ざす。


 「え、なに?」


 フィオが長椅子に背を預けた己に唖然としていると、エルファスタが身を離してフィオの手を引き、身を起こすのを手伝ってくれた。


 何が起こっていたのかと混乱しながら前髪を掻き上げる。エルファスタが持つ魅了の力に操られていた訳ではない。では自分の意志でといえばそれも違う。部屋が熱過ぎてぼおっとしてしまったのか。頭を振ったフィオの耳に時計が刻む音が届いた。


 まさか―――?


 「話が過ぎた、部屋に案内いたそう。」


 気付き始めたフィオの思考を遮断するかにエルファスタが腕を引く。されるまま立ち上がったフィオだったが、最初の屋敷でも時計の音を聞き続けたのをしっかりと思い出していた。


 アルファーンで人質となっていた女官の暗示も魅了の力ではなく催眠術? そもそも魅了の力がどれ程の効力を持続し続けるのかなどフィオには知る由もない。


 この人は、危うい。

 

 フィオは穏やかに微笑むエルファスタを拒絶せず、静かに観察しながら手を引かれて歩く。覚醒した途端、エルファスタの周囲は居心地が悪いと改めて気付いた。


 部屋の前まで送り届けられるとそのまま別れる。これまでの事が嘘の様な紳士的な行動に更に疑惑だけが深まった。


 見て感じた全てが嘘なのか、事実であってもそれすらも利用しているのか。難しいと感じ、疑いばかりを生む世界が恐ろしくすらある。時を刻む音がない部屋で深い息を吐くと、フィオは置かれた豪華な寝台に腰を下ろした。



 翌朝エルファスタは何事もなかったかのように接して来る。けれどそれが何かを隠しているんじゃないか、嵌めようとしているのではと疑心暗鬼になり、マケシーによる心尽くしの食事も絶品ながら楽しめなかった。


 滞りなく、けれど異様な雰囲気で終えた朝食の後は、魔術師の墓標へ向かうという二人と護衛たちの分を含め、大きなバスケットにお弁当を詰めて馬車に乗り込む。作ってくれたのはマケシーで、昨夜の内にエルファスタが命じてくれていたのだろう。それなりの距離があるようだが、アルファーンの時の様に馬にまたがる機会は与えられない。逃亡を警戒しているのだろうかと暗い気持ちでフィオは目の前に座るエルファスタを窺っていた。


 「昨夜はよく眠れたか?」

 「ええ、時計の音がなかったのでとてもよく眠らせて頂きました。」

 「私はあの独特で規則正しい音が好きなのだが、そなたには不評であったようだな。」

 

 人好きのする爽やかな笑顔は余所向き仕様だろうか。前回の馬車の中では饒舌だったエルファスタもその後は口もきかず、フィオから少し視線を外した状態で黙って馬車に揺られていた。


 暫く揺られついた先は小高い丘の上だった。すぐ側には森が迫っているが、墓標の正面は辺り一面が見渡せる野原となっている。春には色とりどりの花々が咲き乱れさぞ美しいだろうことが想像できた。


 昨年亡くなったというだけあり墓標はまだ新しい。それでも急ごしらえでないのは見て取れ、手厚く葬られたのだとフィオは解りほっと胸を撫で下ろした。


 墓標の前に膝を落とす。季節柄手向ける花は持ち合わせていないが両手を合わせ墓標に向き合った。


 「ジェシカ…家名は?」


 刻まれた名に家名がない。親のない孤児や捨てられた赤子にすら家名は与えられるアルファーンでは起きえない事だったが、その疑問には隣に立ったエルファスタが直ぐに答えた。


 「忘れたと。恐らく彼女は身元を探られたくなかったのであろう。」


 両手を失い魔力を揮えなくなった身を恥じたのか。誇り高く生きていたのならそれは無いだろうが、語らなかったというのが事実なら彼女はアルファーンとの決別を強く望んだのかもしれない。


 「彼女には幸せな時間があったと思いますか?」


 魔術師団長の庇護を受ける身ではけして経験する機会のない彼女が受けた惨状。生まれすら徹底的に管理され未来の選択肢もなかった魔術師たち。その一人であるジェシカは多くの柵から解放され、エルファスタのもとでどのように過ごしたのか。


 「幸せかどうかは解らぬが、彼女はよく私を扱き下ろしてうっぷんを晴らしておったようだ。どの程度晴れていたのかは解らぬがな。」


 当時を思い出したのか、エルファスタの口角が僅かに持ちあがった。


 「殿下はお怒りになられなかったのですね。」

 「何に対して怒る必要が? 彼女の言葉は一つ一つが喜びとなって空洞を満たしてくれる。勿論そなたの言葉も同様だ。」

 

 いかなる無礼も非常識も、魔術師という肩書一つでその全てが無効にされる。それ所かエルファスタにとっては何物にも代え難い神の祝福にも劣らぬ代物と成り得るのだ。何がそこまでの魅力と成り得るのだろう。

 変わった趣向ですねといいかけ、護衛の姿を視界にとらえて言葉を飲み込んだ。常につき従う彼らだってそう思っているに違いないが、そんな主を守る彼らの耳に入れるには失礼な言葉だ。


 墓標に視線を戻し両膝を付き、死者への祈りを捧げる。特別な言葉は無いが、異国の地に辿り着き終を迎えた彼女の冥福だけを切実に願った。


 静かな祈りの中に『殿下!』とエルファスタを呼ぶ声が上がる。緊迫した護衛の声が耳に届くのと、エルファスタによってフィオが押し倒されるのはほぼ同時だった。


 間近に迫ったエルファスタの秀麗な顔が歪み、何かが起こったと気付いた時には二人を護衛たちが隙間なく取り囲んでいた。


 「狙うなら的を外すでないっ!」


 憎らしげに吐き捨てたエルファスタの左肩には弓矢が刺さり、それを護衛の一人が抜き去る瞬間、エルファスタの眉に深い溝が刻まれる。 

 どうやら森の方角よりエルファスタを狙った矢が放たれたが標的を外れ、危険に曝されたのはフィオの方であったらしい。それにいち早く気付いたエルファスタがフィオを庇った―――これも虚偽かと一瞬疑ったフィオはそんな己の思考に唖然とし蒼白になった。


 違う、本来なら守られるべきエルファスタが身を呈してフィオを守ってくれたのだ。そんな価値のある人間でもないのに、キグナスにとっては国王の次に重要となるその身を盾にして。本来なら逸れた矢に傷一つ付けられる筈ではなかったエルファスタが手負いとなってしまった。


 矢を抜くと同時に溢れた赤い血がむっとする香を鼻に運ぶ。抜き去った矢尻を嗅いだ護衛が「ダバです」と告げた。


 「安心致せ、ダバには耐性がある。」


 言葉を失うフィオを安心させるようにエルファスタが微笑む。世間一般にもその名を知られる毒は暗殺にも使われる即効性の毒だが、キグナスの王族なら幼少より毒に体を慣らしておくのも当たり前かもしれない。けれど一歩間違えば確実に死に至る状況に、フィオは止めていた息を無理矢理吐き出して冷静さを取り戻そうとした。


 「そなたに危害が加えられずに済んで良かった。」


 対するエルファスタは手当てを受けながら安堵の息を吐く。しかしその間にも毒を塗られた矢がエルファスタを狙って射られ、護衛の剣によって叩き落とされていた。


 直ぐ近くは森であったが、見渡しの良い丘の上では隠れる場所もない。唯一の墓標は人一人が隠れるのもやっとで、矢を射かけられ続ければ取り零される矢も出て来るだろう。しかも狙って来る相手は複数いるらしく、フィオが認めるだけでも三方から矢が伸びていた。


 フィオは胸一杯に空気を取り込み大きな深呼吸を繰り返す。必死で自分を落ち着けようと幾度となく吸っては吐いてを繰り返し、やり過ぎて逆にエルファスタが心配の声を上げた。


 「そなたには傷一つ付けさせはせぬ、安心致せ。」

 「安心なんてできません。わたしのせいですよね、前から狙われていたんですか?」


 弓矢で狙われるのなら湖畔での釣りも危うかったのではないだろうか。解っていたらこんな場所には来なかったのにと睨みつければ、一瞬の間の後「申し訳ない」と、何故か残念そうに零したエルファスタにフィオは怒りを覚えた。


 「命は大切になさってください。わたしの代わりなんて幾らでもいますが、殿下は多くの方々に守られる身。この方々の命も預かっているのでしょう?!」

 「私を失ったとてキグナスはどうとでもなる。だがそなたの代わりが何処にいるというのだ。」


 怒鳴りつけたフィオに対して、エルファスタは心外とばかりに怒気を孕んだ声を上げた。あくまでも魔術師中心の考えに、取り囲んで身を守ってくれている護衛たちには申し訳なく顔が上げられない。が、フィオは喉の奥で唸りながら顔を上げた。


 「何がマニアよ。命を軽んじる人なんて大っきらい!」

 「なっ―――?!」


 そこで絶句するかと、衝撃を受け両目を見開き言葉を失ったエルファスタの首横に腕を伸ばす。伸ばした腕の先には魔力を溜めた指がエルファスタのすぐ後ろを守る護衛の脇腹を掠めていた。


 「リシェット殿?!」


 エルファスタの手当てをしていた護衛が勘違いしたのか声を上げたので、フィオは大丈夫だと彼を見て首を振った。茫然自失のエルファスタは焦点の定まらない目をしたまま身動き一つしない。大人しくしてくれている方が邪魔にならないからと、エルファスタを無視したフィオは視線を元の位置に戻し、次の矢が放たれる瞬間を待った。


 一気に片付けるのは容易いが、森に向かって否応なしに魔力を放てば乾燥した台地が焼き尽くされる危険がある。見えない相手を確実に落とす目的で、糸の様に小さな光を連想し続けた。


 伸ばした腕の安定を得る為に借りた護衛の体から彼の緊張が伝わる。フィオには殆ど見えないが彼らには敵がちゃんと見える様で、フィオの行動を理解した彼らからは敵が弓を引いたと状況説明が入った。そのお陰で森の木々の中、太い枝に立ち幹に体を預ける人影の様なものが動いた様をフィオにも確認できた。


 指先に小さな火花が上がると光が軌道を描いて真っ直ぐに突き進む。「落ちたぞ」と誰かか声を上げたお陰で命中したのだと解りほっとして瞼を閉じた。


 「すばらしい、すばらしいぞ。流石は私のティーナ!」


 嫌いと言われ落ち込んでいたんじゃなかったのか。場違いなまでの拍手喝采と感嘆の悲鳴を上げるエルファスタからはすっかり緊張が掻き消えてしまい、単なる魔術師マニアに成り下がっていた。耐性があるとはいえ毒の影響を受けているだろうに、子供の様に瞳を爛々と輝かせ全力で拍手する様は完全に状況把握できていない。


 敵は一人じゃない、他にもいる筈だと身構えようとした所をエルファスタに腕を引かれ、そのまま一目散に森へ駆け込まされた。エルファスタは緊迫した状況にもかかわらずこれからピクニックにでも行くかに楽しそうだ。


 薄暗い森に入ると二人の護衛が残り、他は剣を構えたまま薄暗い森の闇に素早く紛れこんで行った。敵の位置をある程度把握しているようでそれぞれが慣れた動きで姿を消す。俊敏な動きは彼らの持つ能力の高さを窺わせていた。


 「どうして馬車に逃げなかったのですか?」

 「こうしてそなたと手を繋ぎたかった。」

 「はぁっ?!」


 馬鹿げた答えに呆れて声を上げると、流石に痺れを切らしたのか残った護衛の一人が助ける様に会話に入って来た。エルファスタの傷の手当てをしていた男だ。


 「火を射かけられたら逃げ場を失います。不届き者は森以外にも潜んでいるでしょうから、野に姿を曝すのは安全を確認できてからです。」

 「色気のない答えなど面白くもなんともない。」


 余計なことをとエルファスタは行儀悪く鼻を鳴らし、受けた男は呆れたように息を吐いた。


 「殿下のご戯れはいつも命がけですね、こちらも命が幾つあっても足りません。」 

 「戯れで毒矢にやられる馬鹿が何処にいるのよ!」

 「こちらに―――」


 男はエルファスタを示しながらフィオに気の毒そうな視線を送ってきた。同時に敵から身を隠す為の場所を目指して奥へ踏み込んでいく。フィオからすればこんな主に付き合わされるあなた方の方がよっぽど気の毒だと思いながら、エルファスタに腕を引かれて大人しく森の奥へと足を踏み入れて行った。


 

 





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