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アゼルキナ砦の魔術師  作者: momo
策略
68/79

その55




 陽が高く上ってから目覚めたフィオは、エルファスタが戻ってくる前にと湯を勧められた。

 絆されるのが嫌で出来るだけここの人間の世話にはなりたくなかったが、汚れてべたつく髪を洗える誘惑には勝てず素直に申し出に従う。己の状況からしてしょうがないと言い訳しつつも、王弟殿下の御屋敷のお風呂と聞いて、浮足立つ自分を正直押さえらずにいた。


 湯が準備されたのは寝室の隣で、運びこむのではなく予め作り付けられた浴槽の前には大きなガラス窓がはめ込まれており、入浴しながら外が一望できる開放感溢れる浴室となっていた。

 大浴場は流石に想像していなかったが、無駄な飾りは一切なく王族が使うには幾分質素な感じがする。だからと言って趣味が悪い訳ではなく、外の景色を楽しみながらゆっくりと疲れを癒やす様な感じだ。

 湯船を覗くと薔薇の花弁でも浮かんでいるのかと思えば、花弁所か湯さえ入っていなかった。


 湯を沸かし運んで来るだけでも一苦労だ、フィオも手伝おうと声を上げかけたが、『あ!』と別の驚きの声を上げた。壁から伸びる筒から突然白い湯気を上らせて大量のお湯が浴槽へと流れ落ち出したのだ。


 「主が異国より湯を汲み上げる技術を持ち帰られたのです。」

 「侵略で?」


 多くの国を戦いで屈して来たキグナスだ。フィオから当然とばかりにでた言葉に厭味はなく、フィオの驚く様にリゼルが上品に声を上げて笑った。


 「エルファスタ殿下は交渉が得意なのでございます。陛下に変わり諸外国を回り、戦ではなく言葉でその地の恵みをキグナスに取り入れておいでなのです。」


 戦争で領土を広げるばかりが全てではない。どれ程強くとも戦となれば人の命という犠牲を払わされるのは当然なのだ。現国王の妃が平穏を望み王もそれに応えているのは、単に王が王妃を溺愛するのだけが理由ではないのだろう。


 交渉が得意か―――ますます侮れないと不安に思いつつ、落下を続ける大量の湯にフィオはうきうきと体を揺らしていた。

 湯船が溢れんばかりの湯に満たされると待ってましたとばかりに薄い夜着を脱ぎ去る。リゼルは絶妙なタイミングで着替えを準備してきますと浴室を後にしてくれていた。

 一人になったフィオは裸になり、最初に頭を洗ってから体を痛いくらいにこすって汚れを落として湯船に浸る。両手両足を伸ばしても余裕があり、ゆっくりと入浴を楽しんでいると浴室から見える外界は夕闇に染まり始めていた。

 とても美しい景色を湯に浸りながら堪能できるとは、なんと贅沢な生活だろう。


 リゼルが用意してくれた着替えは一般庶民からするとかなり高価な代物だったが、けして派手過ぎない、落ち着いた雰囲気の薄桃色のゆったりとしたワンピースだった。病み上がりにかかわらず豪快なフィオの食べっぷりに腹を絞め付けない方がいいだろうとリゼルが判断してくれたらしいが、フィオ自身そんな気使いがあるとは露知らず、ちょっと自分には可愛過ぎるなぁと苦笑いを浮かべながらも文句は言わずに拝借する。


 その後に夕食を勧められ、断る理由もないので有り難く頂戴した。粥ではなくパンとスープ、柔かく煮込んだ肉料理にサラダと豊富な量を苦もなく平らげる。流石におかわりする余裕はなかったが、流石王族に仕える料理人、その後に出たデザートなどは絶品で舌が蕩けそうだった。


 今日中に戻ると思われたエルファスタはとうとう姿を現さず、フィオは寝室に移され最初に借りていた夜着に着替えた。リゼルは戻らないエルファスタを案じながらも挨拶をして部屋を辞すと、一人になったフィオは寝台に潜り込んで灯りを消す。


 アルファーンの宮廷魔術師を攫ったのがばれて、今頃王様に怒られているに違いない。交渉が上手くても魔術師誘拐が国家間の問題に発展するのは目に見えているのだ。貿易絡みでアルファーンの国境を超える許可を得たばかりだというのに、その足でこの有様では交わした許可も白紙にされかねない。王弟の趣味に付き合えるほどキグナス国王も阿呆ではないだろう。明日にはアルファーンに戻れるかもしれないとの甘い考えに浸りながら、時計の針が刻む音を子守歌代わりにフィオは眠りに落ちて行った。


 

 深い眠りについていたフィオだったが、もぞりと、何かが肌を這う気配に跳び起きる。側にある体温と人の気配に反射的に逃げ出したが容易く捕われ口を塞がれた。


 「静かに。まぁ大声を出したとて人は来ぬがな。」


 闇に青と銀の斑の瞳がきらめく。ゆっくりと拘束を解かれたフィオは組み敷く相手を無礼とも思わず足で押し退け身を起こした。


 「こんな時間に何の真似です。」

 「私の寝室に戻って来たまでだ、何か問題が?」

 「ではわたしが失礼致します。」


 派手ではないが趣のあるこの部屋で目を覚ましてからなんとなくそんな気はしていたのだ。冷静さを失わず寝台から足を下ろそうとしたフィオの腕を掴んだエルファスタが引き止める。


 「そう厭うな。少し話をせぬか?」

 「殿下とは話が通じそうにありませんのでご遠慮させて下さい。」

 「そなたの今後について、話し合わぬか?」


 フィオの腕を掴んで寝そべったまま余裕で頬杖を突くエルファスタの様子に、フィオは下ろしかけた足を寝台に戻して綺麗に膝を揃え、肌が剥き出しにならないよう足を隠す様に座った。


 「アルファーンに戻して頂けるのですよね?」

 「条件次第だな。」


 子供を産めなどとまだ馬鹿げた事を言うつもりかと、フィオは軽蔑の視線を向ける。相手がキグナス王の弟だとか言うのはどうでもよくなりつつあった。


 「国王にお叱りを受けたのではなかったのですか?」

 「帝国も思った以上に動きが早い。が、今のキグナスを前にそれ程強気には出られはせぬ。」

 「まさかキグナス王は殿下の奇行をお許しになられたのですか?!」

 「奇行とな―――そなたから陛下と同じ言葉を聞きとうはなかったぞ。」


 些か面倒そうに溜息を落とした様子からしてお許しは頂けなかったらしい。ざまあみろとこっそり鼻で笑ってやると目ざとく捕らえられてしまった。


 「この際キグナス観光と洒落こんではどうだ。こちらの酒はアルファーンに比べ強めが多く、女性には敬遠されがちだがそなたは厭うまい。美酒も数えきれぬ程に取り揃えておるぞ。」

 「御冗談を。明日にでもアルファーンに帰らせて頂きます。」


 各所の地酒に興味はあるが、それ所でないのは十分に理解している。土産に頂ければ十分だ。


 「病み上がりのそなたには少しばかり辛いのではないか。」

 「御心配には及びません。家人にお尋ねになれば解る筈ですがもうすっかり元気ですから。」


 長風呂にたらふく食べる病人が何処にいるか。既に確認済みだろうが改めて解らせようと意見を突っぱねた。


 「軍部に身を置く者が幸運にもキグナス王弟の懐に入り込んだというのに、何の情報も得ぬまま逃げ出すか。」

 「それは―――」


 確かに、エルファスタの私邸に堂々と入り込み会話を交わす機会が与えられる人間はそうはいまい。けれどこの男がフィオに国家間において重要とされる情報を漏らすなどという馬鹿げた行動を起こすのだろうか。マニアであるという言葉すら疑わしい状況に、一瞬迷いはしたもののフィオは首を横に振った。エルファスタ相手に情報収集などフィオには力不足だ。ガレットの意見が正しいと今はしっかり理解出来る。


 「アルファーンの宮廷魔術師が許可なくこの地に存在するのは、互いの国にとって良くありません。明日、失礼させて頂きます。」

 「そうか?」

 「そうです。それからロイが攫った者の解放も要求いたします。」


 彼女たちの身の危険が解除されなければ元も子もない。ロイに話しをつけるよりエルファスタを通した方が早いと睨み付けると、エルファスタが「うむ…」と僅かに思案した後、やっとフィオから手を離して半身を起こした。


 「他にも娘を攫ったのか?」


 エルファスタがフィオを見詰めたまま、フィオにではなく他に向かって声を張ると、カーテンが揺らめき暗闇の中に少年が姿を現した。


 「小遣い稼ぎに捕まえておいたんだけど、面倒見る奴がいないから逃がして来たよ。今頃自力で親元に帰ってるんじゃない?」

 

 ロイの言葉にそういう訳だとエルファスタが付け加える。だがフィオは『はいそうですか』と穏やかに頷けはしなかった。


 「じゃあ何っ、わたしはあなたのはったりに騙されてここまで連れて来られたって訳?!」

 「お姉さんが素直で助かったよ、ありがとね。」

 「ありがとね、じゃないわよっ!!」


 部屋の端にいるロイに掴みかかろうと寝台の上で立ち上がったフィオだったが、立つと同時にエルファスタに両足首を掴まれそのまますとんと尻餅をついた。


 「離せっ、一発殴らせろっ!」

 「そなたの願いを聞けばこちらの願いも聞き届けてもらえるのだな。」

 「もちっ―――その手には乗りません。」


 勿論といいかけるが、咄嗟に我に返った。

 危ない危ない、相手のペースに乗せられる所だったと冷や汗を拭う。足首から手を離したエルファスタを窺えばいやに神妙な表情を浮かべており、ロイに姿を消す様に動きで合図を送っていた。


 「そなたへ心を寄せる栄誉を与えてはくれぬのか。」

 「冗談はよして下さい。たまたま手の届く範囲にいる魔術師で済む安い心なんて寄せられたくもありません。」


 魔術師マニアを否定はしない。けれどエルファスタはフィオでなければならない訳じゃないのだ。子供を産ませ育ててみたいなどというとんでもない常識外れの思考は全く理解できないし、迷惑以外の何物でもなかった。いくらキグナスの王族でも戯れが過ぎるというものだろう。


 「こうして頼んでも?」

 「これの何処が人にものを頼む態度だというのでしょうか?」


 冗談じゃないと、多少高慢気味に腕を組んで顔を反らし横から睨み付ける。フィオの態度を受け「成程、そうだな」と呟きながら寝台を下りるエルファスタを見守っていると、そのまま反対に回ってフィオの側へとやって来た。


 力に物を言わせる気かとフィオは身構える。座っているフィオを見下ろす形でエルファスタの瞳が揺らめいていた。


 暗闇に光る青と銀の斑の瞳に威圧感を感じていると、目の前のエルファスタがふいに屈み込みその場に膝をついた。かと思えば胸に手を添えそのまま首を垂れたではないか。キグナスの王族がただの娘を前に礼を取るその姿勢にフィオは言葉を失った。


 さらに頭を低く垂れたエルファスタはまるで許しを請う様だった。唖然とするフィオはエルファスタの行動を止めるのすら忘れ、寝台の上から彼の金色の頭を見下ろすばかりだ。

 そんなフィオの前で首を垂れたエルファスタが口を開く。低く穏やかな声はけして居心地の悪い色ではなかったが聞き惚れる余裕などない。


 「私の傍若無人な振る舞いがそなたを怒らせたのならば心から詫びよう。申し訳なかった。」

 

 首を垂れるエルファスタの謝罪にフィオは絶句する。王族とはいかなる時も間違いを認めないものと思っていたし、国の王となればそうであらねばならない。エルファスタは王ではないが、キグナス王には今だ後継ぎとなる男子が無く、エルファスタは王位継承権第一位に名を紡いでいなかったかと、フィオがうろ覚えの記憶にうすら寒い物を感じたその時、エルファスタの頭が僅かに上がるが顔は下を向いたままだ。


 「そなたの怒りも尤もだが、だからとて私の思慕の念を否定しないで欲しい。もし許しが得られるなら一月、せめて十日。私を知る機会を設けてはもらえぬだろうか。けしてそなたの意に沿わぬ行いは致さぬと誓う故、どうか我が願いを聞き届けてくれ。」


 神妙に請う様に弱々しさはなく威厳すら感じる。こうして膝を折るのはフィオを追い込む作戦だろうが、堂々とした謝罪と懇願に逃げ道を失いかけているのは事実だ。それに気付いて口を紡ごうにも、高慢なメリヒアンヌ王女らに慣れ親しんでいるフィオには、真逆といえるエルファスタの行動はあまりにも衝撃で首を振るのに戸惑いを覚える。


 言葉を無くして悩むフィオに追い打ちをかける様に、直ぐ側ですすり泣く声が耳に届いた。


 他に人間がいると思っていなかったフィオは、突然のすすり泣きにびくりと肩を震わせる。咽ぶ声の方を見やると、手を伸ばせば届くような位置でリゼルがハンカチで顔を覆い咽び泣きだしているではないか。


 「おいたわしゅうございます―――っ!」


 こんな近くにいったい何時から?!


 ロイよりも確実に近い距離にいたにもかかわらず全く気配に気付かなかった。気配を完全に消すのは侍女の鏡とも言うべきなのか、その技はサイラスの上を行くんじゃないかとリゼルのすごさに、別の意味で驚き呆気にとられる。


 「あの、リゼルさん?」

 「わたくしは殿下の幼き日よりお側にてお仕えして参りましたが、殿下がこれほどまでに何かをお望みになられるのは過去に一度たりともございませんでした。どうか後生でございますお嬢様、なにとぞ主の願いをお聞き届けくださいませ!」 


 リゼルは両手を掲げ懇願するなり床に額をすりつけ泣き崩れた。その隣ではエルファスタが変わらず膝を突いたまま許しを待っている状態だ。


 いったいどうしろというんだと、選択肢を失ったフィオは無茶苦茶に頭を掻き毟った。


 エルファスタはまだいい、首を垂れるなんてあってはならないがこんな見せかけどうにかして突っぱねる事は出来る。けれどリゼルの主を想う気持ちはどうしようもない。乳母というからには実の母親以上にエルファスタを育て見守って来たのだろう。そんな立場かつ相応に歳を重ねた女性から泣き付かれては、それを足蹴に出来るほどフィオは非情ではないのだ。


 ああ。あれもこれもそれも全てがエルファスタの計算なのかもしれない。けれどリゼルの流す涙は本物で、エルファスタの為に必死になってふかふかの絨毯が敷かれた床に泣き伏す姿は見るに堪えないものがあった。


 フィオは泣き崩れるリゼルを前に根負けしてしまいそうになる心を奮い立たせる。駄目だ、ここで頷いては絶対にエルファスタの思う壺だと言い聞かせ二人から目を背けた。


 「リゼルさんごめんなさい。わたしは人の命を盾に脅されてここへ連れて来られました。そして同時にアルファーンの宮廷魔術師であるわたしは、国を超えてはならない決まりを破っている状態でもあります。殿下がどうしてもわたしを招きたいというのであればこの様なやり方ではなく、しかるべき手続きを取り許可を得るべきだったのです。」


 いかにエルファスタが交渉上手であったとしても許可は降りないだろう。アゼルキナならともかく、国境を超えるとなれば重臣たちも危機感を抱くだろうし、魔術師団長がけしてそれを許すまい。それを知っているからこそエルファスタも強行に出たのかもしれないが、だからこそ上に立つ者としてやってはならない事をやっていると理解すべきだ。

 世間一般に誘拐は重罪、地位をもっているから処罰されないからと高を括っていい訳ではない。先日のロイが起こした誘拐事件も一歩間違えば多くの死人が出ていてもおかしくなかったのだ。ガレットがいなければ攫われた娘たちは無事では済まなかっただろう。


 同じ王族でも我儘放題のメリヒアンヌ王女とは違う。エルファスタには話が通じるのではとの思いで訴えると、フィオの視線を受けたエルファスタはゆっくりと静かに身を起こした。そして暫く無言でフィオを見詰めた後、何の言葉も残さずに重い足取りで寝室を出て行く。


 フィオがエルファスタの悲壮感漂うその雰囲気に呑まれていると、リゼルが立ち上がり主の後を追う。けれどエルファスタは掌を向けてリゼルを止めると、「彼女を頼む」とだけ言い残して寝室の扉を潜った。


 





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