その53
王都を出た最初の街で馬車を降り単騎に変える。
当然だろう、馬車の優雅な旅では時間がかかり過ぎるのだ。御者は庶民を相手に馬車を貸し出す仕事をしている普通の中年男性で、御者込みで敵だと思っていたフィオには少しばかり意外だったが、これによりロイは単独で動いているらしいことが予想できた。
少しばかり鈍足だが足が太く持久力のある馬に跨る。馬を取りかえる面倒を省く様子は人との接触を避けているかに思えるが、ロイは異国情緒溢れ魅力的かつ人懐っこい態度で周囲に接しており、立ち寄った街にも幾人かの知り合いがいる様子だった。
これなら捜査の手が都を出た時点で直ぐに足がついてしまうようなものなのだが、行く先々ロイを訝しむ者は一人もいない。
最初の街を抜け次の街につき宿を取れたのは陽もとっぷり暮れ、辺りが寝静まる様な時刻だった。
「おやロイじゃないか、久し振りだねぇ。また綺麗になったんじゃないかい?」
「女将はちょっと大きくなったみたいだね。」
「やだよ、口の減らない子は!」
立ち寄った宿屋の女将はロイを懐かしむように、深夜の訪問にもかかわらず好意的に寝間着姿のまま対応する。恰幅の良い女将もロイの仲間という訳ではなさそうだが、女将にとってロイは馴染みの客の様だ。
誘拐犯が人質を連れて常宿に泊まるのか?
疑問でいっぱいのフィオに気付いた宿屋の女将が「おや?」と視線を向けた。
「生憎と部屋は一つしか空いてないけど大丈夫かい?」
「いいよ。彼女は腹違いの姉だから。」
「あんたの親父も良くやるもんだ。」
苦笑いを浮かべる女将の様子に、ロイには都合で出来る腹違いの兄弟姉妹が多数いる事が推察された。どれ程の人間を誘拐してこの宿に止めているのだろう。冷静に考えても…なんだか異様だ。
鍵を受け取ったロイはフィオを促し、慣れた足取りで二階に上がっていく。後で湯をもって行くよと声をかけてくれた女将にフィオは頭を下げると、黙ってロイの後を追って階段を上った。
逃げない前提の余裕なのか。フィオの背後を取るなど誘拐の常識はお構いなしのロイを追うと、先に部屋に入り灯りを点していた。薄明かりの中に二台の寝台が離れて並んでいる。入り口で躊躇していると「早く閉めて」と促され中に入った。
ロイが窓を押し開けると冷気が一気に打ち寄せる。暑がりだとしても深夜の冷気は流石に勘弁して欲しいと身を竦ませると、どうやら外の様子を窺っていただけの様で窓はすぐに閉められた。
フィオを気にせず旅装を解く少年の様子に眉間の皺を深くするばかりのフィオも、理解しがたい行動は理解しようとする分だけ疲れると悟り、寝台に腰かけ疲れた足からブーツを脱ぎ去った。
間もなくすると宿の女将がやかんに入った熱い湯と桶をもってやって来る。その様子からガレットを思い出し、どういう訳か切ない気分になった。
何もいわれないので先に遠慮なく湯を使わせてもらう。上着を脱ぎ、顔に首筋と両手足を拭うがそれ以上は多感な年ごろの少年を前にはとても無理だ。親近感を湧かせる存在だとしても、殺しも厭わない人攫いに違いない。覚めた湯にやかんの残り湯を全て継ぎ足して新しい布と共にロイに渡すと、両足を桶に突っ込んだ状態で体を拭いにかかる。
まぁ次に使う訳じゃないのでいいが足をつけるなら最後じゃないのと眺めていると、湯を終えたロイが「なに?」と視線を向けた。
「終わったなら湯を捨てて桶を返して来るわ。」
「遅いから明日でいい。」
言うなり桶をもちあげると窓を開いて残り湯を外にぶちまける。深夜ゆえに建物の下を人が通っているなんて事は稀だろうが、捨てる前に確認くらいするべきだとフィオは呆気にとられて見ていた。
「なに変な顔してんの。それより手を出して。」
二つ並んだ寝台を移動して密着させながら促すロイに嫌な予感を覚え、思わず腕を後ろに隠すと鼻で笑われた。
「逃げないように縛らせてもらうよ。僕も疲れたから熟睡したいんだ。」
言いながら取り出した縄の先を自身の右手に縛り付け、フィオに腕を出す様にと促した。
「ここまで来て逃げやしないわ。どうしてもっていうなら寝台の足にでも縛ればいいじゃない。」
「万一を考えてさ。」
ほらさっさとしてと不機嫌になって行くロイの様子に、フィオがしぶしぶ左手を差し出すとあっという間に手首を縛られる。縄にはそれなりの長さはあったが囚人の気分だ。縛り終えたロイは寝台にごろんと仰向けに転がるとそのまま瞼を閉じて瞬く間に寝息を吐き始めた。
「え、嘘。本当に?!」
宮廷魔術師でもある人質を前に本気で熟睡するつもりなのかとフィオはロイを覗き込んだ。
この余裕はフィオにとって弱みとなる多くの人質を抱えているからだろうか。宮廷魔術師という身分を踏まえるならここで逃げ出すのが妥当な選択だろう。一般市民よりも国家の安泰の方が優先され、人質に万一の事があっても尊い犠牲として表されるだけだ。けれど戦を知らないフィオには見も知らぬ誰かの命であっても絶対に無駄にできる物ではなかった。フィオとロイの経験の違い。まさに少年の言葉通りなのかもしれない。
呆れながらもフィオは寝台に身を預けた。灯りの油が勿体ないが手が届かないので自然に消えるのを待つしかない。色々あり過ぎて頭が興奮している、眠れるだろうかと瞼を閉じたら肉体的な疲れもあったのだろう。危険な存在を隣に感じながらも睡魔が襲って来た。
うとうとして眠りに落ちようとしたまさにその瞬間を狙ったかに、喉元に強い衝撃を受けフィオは飛び起きた。
正確には飛び起きようとしたのだが、喉を抑え込まれ寝台に沈んだままだ。唸りながら右手で喉にかかる腕を掴んで隣に眠る存在を確認すると、寝返りを打ったロイの腕が仰向けに眠るフィオの喉を直撃した様子。
「ちょっと…なにすんのよっ?!」
くうくうと穏やかな寝息を立てるロイの腕を剥ぎ取って放り投げた。一歩間違えば死んでいたかもしれない急所だ。本当は殺す気なんじゃないかと境界線を越えたロイの体を足蹴りにして追いやるが、ロイは一向に目を覚ます様子はなく気持ちよさそうに眠っていた。
「全く、腹が立つわねっ!」
ふんと鼻息荒く怒りを露わにするが、タヌキ寝入りじゃないかと脇腹をくすぐってみるも変化はない。誘拐犯がこれで大丈夫なのかと怪訝に思いつつ、取り合えず気持ちを落ち着けロイに背中を向けて横になった。
静かな時が流れると怒りも治まり睡魔が襲う。すうと寝息をたてた所でまたもや悲劇が襲った。
ロイに背中を向けて眠るフィオの臀部にロイの蹴りが入る。寝返りと共に振り上げられた踵が狙った様に直撃したのだ。柔かな臀部とはいえ流石に痛い。痛みに飛び起きたフィオも足を振り上げ負けじと反撃に出た。
「どんだけ寝相が悪いのよ、あっちへ行け!」
細身なロイの体を足で転がし隅へ追いやる。必要以上に力が入り蹴りと同等になっても誰も文句は言わないだろう。最後にロイの臀部を踵で数回小突くと息が上がっていた。
「これだけやられて起きないってのも問題ありじゃない?」
足で転がされどさくさに蹴られても気持ちよさそうに寝息を立てる姿に呆れる。眠る隙に獲物に逃げられるタイプだなと額に滲んだ汗を拭うと腕に巻かれた縄が目に入った。
「ええい、邪魔だ!」
解こうと指を絡めていると寝台の隅に追いやったせいでロイとの間に距離が生まれ、互いを繋ぐ縄がつんと張る。構わずきつい結び目を意地で解いていると張っていた縄が緩んだ。
「厠にでも行く?」
「うわぁっ?!」
恐ろしく近い距離から聞こえた声に飛び退くと、目の前に片膝を立てたロイが座ってフィオの様子を窺っていた。開かれた碧い眼は平常で寝起きのまどろみもなくじっとフィオを見詰めている。
「蹴っても起きないくせに何で縄が張った程度で目が覚めるのよ?!」
「どおりで、何か地味に痛い。」
腹部をさするロイにそんな所蹴ったかと首を捻っていると、「厠じゃない?」と確認された。
「違うわよ。貴方の寝相が悪過ぎてこっちはいい迷惑なの。」
「ああそう。」
だから何だと、さして興味も抱かず眠りに入ろうとするロイの肩をフィオは引っ掴んで、縛られた左腕を掲げてみせた。
「絶対に逃げないから外して。寝台も離して!」
「煩いなぁ。」
あふっと欠伸をしたロイはフィオの腹に腕を這わすと寝台に転がし、もう片方で口元を覆った。
「ふぁふぁふぁ…っ!」
「おやすみお姉さん、いい夢を。」
「ふぉふぉ―――っ!」
暴れるフィオの足にロイの足が絡められ動きを封じられる。口を覆われているせいでくぐもった声しか出せないフィオは必死に足掻いたが、上手い具合に抑え込まれて身動きが取れない。あきらめて動きを止めると塞がれた口が自由になり呼吸がしやすくなった。
「離してよっ!」
「グ――――」
「クソ餓鬼っ―――!!」
叫ぶと壁をドンと叩かれはっとして口を閉じた。どうやら隣の住人を起こしてしまったらしい。
くそう、わたしのせいじゃないのにと目尻に涙をにじませながらフィオは仕方なく緊張を解く。耳元で聞こえる穏やかな寝息には腹が立つが、背後から腕を回されて眠るのはクインザで慣れているので大丈夫だ。
これだけ寝相が悪いのだ、そのうち離れるだろう。今度攻撃を仕掛けられたら容赦しないと、人肌の温もりにいつの間にかフィオも瞼が落ちていた。




