その51
サイラスの叫び声で目を覚ましたフィオは、二人がじゃれ合う様子をぼんやりと眺めていた。
何時もなら『煩い』と一括し再度布団に潜り込むのがパターンだが、今回のフィオは己の置かれた状況を忘れずにいた。
成長したなぁと自分で自分に拍手を送りつつじゃれ合う二人を呑気に見学していたら、いつの間にかサイラスが動かなくなり、どうしたかと身を乗り出すと白目をむいて失神していた。
お腹も空いたし、健康体であるのにいつまでも医務室を占拠している訳にはいかない。目覚めたフィオに気付いたクインザが嬉しそうに飛びついて来たのを上手くかわして、サイラスの頬を叩き意識を浮上させる。
「ああ、お花畑が―――」
「何言ってるのサイラス。ガレット隊長はどこ?」
その問いで現実に引き戻されたサイラスが慌てて立ち上がり、覚醒を促すかに頭を振って身なりを正す。クインザに絡まれた相手によくみられる光景だ。
フィオはガレットの元へ駆けつける前に医務室の管理人である軍医を捜し非礼を詫びたが、代わりの部屋が用意され、訓練により出た負傷者も大した怪我ではなかったので大事ないとあっさり許された。
当然の様について来るクインザを言い含めて追い払う。騒動の元を連れて歩くといくら時間があっても足りなくなってしまうからだ。苦情を言いたげなクインザだったがそれはよく理解しているので仕方ないとしぶしぶながら席を外してくれた。
サイラスと肩を並べてガレット捜すと、サイラスの予想通り騎士棟内にある一室にファマスと揃って何やら深刻な様子で話をしていた。
フィオに気付いたファマスが片手を上げて大丈夫かと労う様に声をかける。
「綺麗に治してもらったんだな。まったく魔術ってのは不思議だよなぁ。」
いつも以上に親しみやすい感じの良い声色で話すファマスに反し、ガレットは元気に戻ったフィオを目の当たりにしても渋い顔のまま眉間に深い皺を刻んでいた。
何かおかしいと感じつつ詫びを述べる。
「大変なご迷惑をおかけいたしました。ガレット隊長のお怪我は大丈夫でしょうか?」
炎にまかれた廃墟から脱出した直後は煤に汚れて解らなかったが、今はそれも綺麗に洗い流しきちんと制服に身を包んでいる。大きな体で真っ直ぐに立つ姿はとても魅力的で、顔や手の甲など見える位置に新しい傷は一つもなかった。
「俺は心配ない。それよりもリシェット、お前の王城待機が決まった。」
ガレットの言葉にさっと全身が凍りつく。用無しという文字が脳裏に浮かび、昨夜の失態が走馬灯のように駆け巡った。
「王城待機って―――いつまでですか?」
サイラスとて初耳だ。呆然と立ち尽くすフィオの背後からガレットに理由を求めると、少し考えれば当然ともいえる答えが返ってきた。
「魔術師を狙った誘拐が勃発したせいで、流石に外を出歩かせる訳にはいかなくなった。時期は不明だが恐らく主犯格のあの餓鬼を捕まえるまでになるだろう。その後がどうなるかは不明だ。」
フィオはガレットに拒絶された訳ではないと知り、ほんの僅かだがほっとして胸を撫で下ろす。
「それは……どちらからのご命令なのでしょうか?」
「謹慎中の魔術師団長を含む騎士団長他、重臣たちによって陛下に進言し許可を得られた。」
「そんな―――」
ガレットやファマスが話し合い決定したのなら、僅かな時間と割り切り素直に従うしかない。けれど上層部の判断、そしてラインウッド王の許可まであるとなると全く先が見えなくなってしまうではないか。状況が状況だけに魔術師団長に泣き付いたとしても、フィオ可愛さに首を縦には振ってくれないだろう。
宮廷魔術師は大きな力を有している。フィオの様な下っ端は大した訓練をしていないが、それでも他国に持って行かれては大きな損失となってしまうのだ。
フィオ一人など実戦経験のある先輩魔術師を前には赤子同然。アルファーン帝国自体に大きな危害を加える事などできないに決まっていた。それでも魔術師を有する国として威厳を保ち力をつけた帝国が、宮廷魔術師を奪われるような失態を犯す訳にはいかないのだ。しかも魔術師を奪い子を産ませる繁殖目的など、アルファーンとて過去に同じようなことをやってきたとはいえ許していい行為ではない。エルファスタの様なマニアの個人的興味とはあまりに意味合いが違い過ぎた。
落ち込むフィオの肩に戸惑いがちにガレットが触れる。フィオの受けた暴力がいかなるものであったかを理解していたガレットは躊躇しながらも腕を伸ばし、ピクリとも拒絶されなかった状態に心内で安堵の息を吐いた。
「エルファスタ殿下を国境まで送り届けたら俺も捜査に加わる運びとなっている。リシェット、お前が望むなら必ずアゼルキナに連れて帰ってやるから安心して待っていろ。」
「ガレット隊長―――ありがとうございます。」
犯人と直接接触し事件に関わっているのだ。進言して受け入れてもらえたが、エルファスタ監視の目的もあり目の前の任務は放り出せない。
理想はガレットが戻るまでに事件に決着がついてくれればと望むが、あの少年が相手では捕獲は困難を極める様に感じていた。際だった容姿に浅黒い肌、目立たない訳がないのに見つかっていないのだ。初動の時点でアゼルキナの騎士が追ったのにもかかわらず捕獲に失敗したのが痛すぎた。
眉間に皺を作り縋る様に見上げる漆黒の瞳が愛おしい。頼りにされていると感じるのは都合のいい思い込みだとしても嬉しかった。王族が住まう城内で過ごしてくれる方が安全だが、それでもアゼルキナを拒絶されずにいてくれてほっとする。
翌朝、宮廷魔術師を堪能しご機嫌で帰郷を迎えたエルファスタの視界に、見送りに立つフィオが捕らえられた。
魔術師マニアのエルファスタにフィオの不同行はすでに耳に入っており、人目があるにもかかわらずとても残念だと両手を握って肩を落とし、意気消沈して別れを惜しんでいた。その姿にはかなり引いたが、失礼があってはいけないとフィオも見掛けだけは素直に受け入れていた。フィオに護衛として付けられた騎士が側にいたのでこっそり悪態さえつけない。
要人でもないのに常に側で見張られるのはかなりの精神的緊張を呼び起こした。ガレットの様に付き纏い観察しながらもフィオに存在を悟らせない、側にいたとしても不自然でない行為の何と有り難かった事か。見習って欲しい物だと左右に立つ騎士にそれぞれ一瞥を送った。まぁそれも安全な魔術師棟へ戻ればなくなるのだが。
任務につくアゼルキナの騎士らと言葉は交わさない。隊長職につくガレットはファマス同様、その場に立った時より周囲の警戒を怠らず、フィオに向かって不必要な視線を寄こしはしなかった。最後にサイラスが心配そうに後ろを振り返ってくれたがそれが最後だ。
エルファスタは優雅な馬車の旅ではなく帰りも騎乗で済ませていた。全力で駆けはしないが瞬く間に視界から遠ざかり、冷たい風がフィオの心身に吹き付ける。白い息を吐き出し「戻ります」と騎士らに告げると、彼らは残念そうな表情を浮かべはしたが、必要以上の言葉をかけることなくフィオに従ってくれた。
宮廷魔術師はこうやって特別視される存在だった。一歩魔術師棟を出れば好奇の視線に曝される。そのせいで城を出て城下をうろつく宮廷魔術師はフィオとクインザくらいのもので、クインザの場合はフィオのいる場所ならそこがたとえ女風呂であってもついてきてしまうのだから始末に負えない。そのクインザもフィオが側にいなくなってから外に出る理由がなくなっていた。そのせいもあるのか、魔術師棟への道のりですら様々な人々がフィオに好奇の視線を送り、護衛に立つ二人は優越感に浸りながら満足げについて歩いていた。
フィオの残留に大喜びしたのはクインザだ。フィオと離れクインザなりに魔術訓練に励み技を磨いていたが、フィオが戻ってくるのであればその必要もない。離れていた時間を取り戻す様に一日中付き纏いフィオも当然それに付き合ったが、アゼルキナでの生活に馴染んでいたフィオは平和な世界で退屈を持て余していた。
魔術師団長の謹慎が解けるのはいつになるのだろう。ラインウッド王御自慢の部屋を破壊したのだから長期に及ぶのだろうか。輝貴賓の間は既に工事が始まり瓦礫の撤去に職人が出入りしていたが、外部の人間が出入するので魔術師がそちらへ近付くのも今は禁止されていた。
丸三日、置き去りにされた状態で無駄な時間ばかりが流れる。ヴァルに探りを入れたが捜査に進展はない様でがっかりしていた。そろそろクインザの付き纏いが落ち着きて来たので側を離れ、体の鈍りを解消しようと小さな鍛練場を一人寂しく走り回る。アゼルキナと異なり男の汗臭さも何もない、枯れ木に囲まれただけの寂しい場所だ。
最近さぼっていたので体が重く感じられ、何時もの様に動けず切り株に腰を下ろして物思いに耽っていると、見覚えのある女官がフィオに向かって手招きをしているのに気付く。
魔術師団長室で見かけた若い女官だった。魔術師団長に何かあったのかと慌てて駆け寄る。
「フィオネンティーナ=リシェット様。」
「ええ、そう。リシェットよ。魔術師団長様になにかあったの?」
先日とは打って変わり、表情が無く青白い顔色の女官に嫌な予感を抱く。
「わたくしについて来ていただけますでしょうか。」
言うなり女官はフィオの返事も待たずに長いスカートを翻して歩き出し、フィオは慌てて彼女の後ろを追いかけた。
「ちょっと待って、何があったの?!」
すいすいと迷いなく歩く先は木々が立ち並び林の様になっていて人目に付き難い。フィオが声をかけてもお構いなしに先を進む女官に違和感を覚えフィオが立ち止まると、ほぼ同時に歩みを止めた女官がフィオへと振り返った。
「こちらで御座います。」
「え?」
何だと瞳を瞬かせた瞬間、背後に現れた影に後ろから拘束され口を塞がれた。目の前の女官は驚きもせず、じっとフィオを見詰めたまま姿勢正しく身動き一つしない。
「大きな声を出さないって、今度こそ約束守ってくれる?」
くすりと耳元で鈴が鳴る様な笑いが漏れ、あの時の少年が浅黒い手でフィオの口を塞いでいた。
「お姉さんが約束してくれるなら手を離すし、女官は始末しないって僕も約束するからさ。」
特徴的な浅黒い肌と碧い瞳が真横に迫り、体温を感じる位置にどうしてここにと疑問が巡った。
こんな目立つ容姿の少年が容易く城に入り込める訳がない。女官が手引きしたのだろうかと視線を送ると、目の前の女官の様子もおかしかった。まるで誰かに操られているようで瞬き一つせずに人形の様に立ち尽しているだけなのだ。
まさか―――まさかまさかと背筋が凍りつき目眩が起きた。脳裏を過ったのは青と銀の斑の瞳。あの程度の魅了の力など魔術師には役に立たないが、魔力をもたない女官に効かない訳ではない。側に魔術師団長がいたなら瞬時に察知できただろうが、頼りのあの方はキグナス王弟を迎えた席で狼藉を働き自ら謹慎の処罰を申し出受けている最中だ。
「あなた、オークギラの、南の人間じゃ……」
己に問うかに洩れた声は震えて掻き消えた。
魔力を持つ一般市民の誘拐から宮廷魔術師への標的変更。南の特徴を持つ少年に、オークギラに身を置く魔術師の存在とアルファーンの過去。並べた情報から導き出された結論が意図的に推察させられたのだとしたら?
微動だにしない女官から視線を真横に向けると碧い瞳が愉快そうに輝いていた。
「僕が南方の出身だって誰が言ったのさ。形で判断すると重要な事実を見お落とすって、今更教えても遅いか?」
少年が笑いを含み、耳元で囁く。フィオの脳裏には先日城を出立したエルファスタ一行と、それを護衛するアゼルキナの騎士らの後ろ姿が浮かび上がっていた。




