その49
何の情報もなくいったいどうやって見つけ出したのか。
助けを求め闇を走ったフィオの行く手を阻み、組み敷いて暴力を揮った男がガレットに連行されたのは夜明け前。
ガレットに抱きしめられ命の危険に曝されたフィオはすっかり意識を失っていたので、男の特徴や容姿などの説明は一切出来なかったのだが。野生の勘か愛の力か、はたまた無意識の意識で勝手にフィオの記憶を覗き見たのかは知れないが、ガレットはあっさり暴漢を捕まえると、拷問は加えず大人しく担当者へと引き渡した。しかしながら担当者がガレットより暴漢を引き受けた際、暴漢は酷く怯えていたが、まぁそれを担当者が気に止める程の事でもない。
意識を失っていたフィオが目覚めると、美しい紫の瞳から大洪水を起こしたクインザがフィオの胸元を水浸しにして泣き縋っていた。
「フィオネンティーナ、私をおいて逝ってしまうなんて酷過ぎる!」
「―――死んでないから。」
縋り付くクインザを引き剥がしながら見慣れぬ天井を眺め、周囲へと視線を移す。壁は所々剥がれ、汚れなのか染みなのか知れないものが至る所に存在していた。
年季の入った木製の衝立に簡素な寝台、真っ白なシーツ。カーテンの開かれた窓の向こうでは白い雪がちらついていた。
「医務室?」
「騎士団のだが、一応医務室だ。」
「魔術師団とはえらい違いね。」
建て替えの予算が回らないのか。騎士団であるなら多くの人間が利用するであろう医務室は、ほぼ無用である魔術師団の医務室とは雲泥の差だった。
お花畑の壁紙に桃色で統一された寝具がおかれる魔術師団の医務室に医師は存在せず、薬師の免許と治癒魔術を得意とする魔術師が家主ばりに常駐している。綺麗好きの彼女の城に汚れた靴で踏みこもうものなら即刻叩きだされ、怪我で血でも流していようなら勿論立ち入り禁止。廊下で治療にあたられる…らしい。怪我で医務室送りとなったのは初めてなのでよく解らないが、どうして騎士団の医務室なのかと考えつつ、自分がアゼルキナ砦所属ゆえだろうと一人納得した。
フィオは体を軋ませながら身を起こす。寝ていたせいで動きは硬かったが特に問題はなく、そっと頬に触れてみると痛みも腫れも綺麗さっぱり消失していた。
「アーケドさんが治療してくれたの?」
魔術師団医務室勤務の魔術師を想い浮かべながら確認すると、そうだとクインザが頷いた。フィオらの母親世代の魔術師で治癒魔法を得意とするその女性は潔癖症な面がある。その彼女が汚れた騎士団の医務室まで赴き治癒くれたのだろうかと考えると疑問を覚えた。
「わざわざここに来て治療を?」
「あの隊長が汚れたまま乗り込んだら悲鳴を上げて入室拒否だ。それでも無理矢理押し入ろうとしたら、騎士団の医務室で治療すると泣きながらここまで来てくれたよ。」
意識のないフィオを抱きかかえたガレットを思い出し、クインザは不機嫌を露わにする。クインザがフィオを受け取ると幾度となく訴えても、ガレットは頑なにフィオを離さなかったのだ。
魔術師マニアのキグナス王弟に媚を売りにかりだされたはいいが、その間にフィオはフォース兄弟に城下へ連れ出されていた。それだけならまだ、多分許せた。けれど何時まで経っても戻らないフィオを心配して捜し回るが所在が掴めない。頼りの魔術師団長は謹慎中で面会許可が下りず、クインザなりにあらゆる手を使って調べ得た情報は『誘拐』だ。
あまりの衝撃に心臓が止まるかと思ったし、フィオが酷い目に合っている時に客の相手をさせられていたのかと思うと、主催の王太子やエルファスタを怨みたくなった。しかもあのキグナス王弟、魔術を使って己とクインザの間に子が出来ないかとか変態発言に塗れているのだ。これだけの容姿をしているだけあり変態や憔悴の類では衝撃を覚えはしないが、恋人を通り越し男同士で子供だとかいう発言には流石に背筋が凍った。
クインザに憔悴しながらも必要以上に接近し、青と銀の斑の瞳で魅了しようとしてくる姑息さがある。変態でもキグナスの王弟、あの程度の魔力しかない人間が魔術師相手に無駄と解っているだろうにしかけてくるのだ。無意識なのかも知れないが、本気でやっているのなら何か裏でもあるのかもしれない。
ああそれにしても思い出すだけで鳥肌が立つと両腕をさすりながらフィオに甘えようとしたら、抱きつくのは許してくれたが剣呑とした口調で名を呼ばれた。
「ねぇクインザ、今って何時よ?」
「昼前だと思うが。」
お腹でも空いたと下から覗きこむと頭を叩かれる。
「騎士の訓練はただでさえ怪我しやすいってのに結界張るって何事!」
窓の外にちらつく雪。しんと静まり返り外界の喧騒から遮断された空間には、本来ここにいるべき医師も患者の姿もない。肉体が資本の彼らから怪我をした折に必要な場所を取り上げてどうするんだと、フィオはクインザを怒鳴りつけ寝台から飛び降りようとしたのだが。それをクインザが寝台に押さえつける。
「何するのよ?!」
「今日一日は安静にしていろとアーケドが言っていた。」
「なら部屋に戻るわ。」
「わたしの部屋なら許すが、他は駄目だ。」
両方の腕を掴まれて寝台に縛り付けられ、フィオは怪訝に眉を顰めた。
「わたしは任務中なの、遊びでここにいるんじゃない。それにガレット隊長に昨日の報告もしなきゃならないわ。」
「フィオ、どうして私から逃げようとするんだ。」
「クインザ?」
クインザが紫色の瞳を切なげに揺らし、逃がさないとばかりに身を乗り出す。異常ともいえる近さも二人にとってはごく当たり前の領域だった。
「ずっと二人だった。それなのにフィオは私の手の内から抜け出してしまおうとしている。任務だと便利な理由をつけて距離を取り、私のもとへ二度と戻ってこないつもりなのではないのか。」
離れてからの寂しさは耐えられない程ではなかったが正直辛かった。フィオがいなくなってからクインザには心から落ち付ける場所はなく、四六時中フィオの事ばかりを想い浮かべ心の平穏を保っていたのだ。
それなのにせっかく戻ってきたフィオが突然いなくなり、どれ程の焦りを感じただろう。やっと見つけたかと思えば意識を失ったフィオはガレットの腕の中にあり、その光景に酷い嫉妬を覚えた。
フィオの怪我よりも、フィオが他の男の鼓動を感じる位置に身を寄せている事実の方が衝撃だったのだ。
「駄目だよ、絶対に許さない。私にはフィオが必要なんだ。」
自分だけのものにならなくてもいい、けれど他の誰かの物になられてしまうのだけは許せない。相手が男でも女でも、幼い頃よりずっと一緒に有り続ける大切な半身を奪われるのだけはどうしても許せないのだ。
寝台に腕を置きフィオを挟むようにして捕らえる。何の危機感もなく見上げて来る漆黒の瞳に自分だけが映し出される現実に満足して酔いそうになった。
「ずっとずっと好きだった。誰よりも好きで、大切で、愛している。今更他の誰かに渡すつもりは毛頭ない。」
硬い寝台は二人の体重を支え僅かに沈んだ程度で、鼻を突き合わせ息が触れる距離で互いが見つめ合う。男性だというのにクインザの肌には髭の跡すらなく、きめ細やかな瑞々しい肌がフィオの目の前で光り輝いていた。吸いこまれそうになる紫の瞳からは大粒の涙が零れ落ち、フィオの頬にぽたぽたと落ちて伝い流れる。
いかないで、離れないでと恐怖に震える心が涙となって具現化したようだ。産まれて間もなくより両親は側におらず、誰よりも近い位置にいて理解し合う大切な、唯一無二の存在となっていた。魔術師団長をはじめ大人は側にいてくれたし、時間になれば母親が迎えにやってくる。けれどそれだけで幼い心が満たされる訳がない。何時だってどちらかがいなくなれば一人きりだという感覚は、クインザだけではなくフィオとて感じていた。
「わたしもクインザが誰よりも大切で、愛してるよ。」
「だがフィオネンティーナの想いは、私とは種類が異なる感情だ。」
そんな事はないと首を振りかけたが、フィオは言葉にはせず黙ってクインザを見上げていた。その間も紫の瞳からは次々と涙が溢れ、まるで美の女神が悲嘆に暮れ涙を流し、最後には悲しみで力尽きてしまう危うさを感じてしまう。フィオがいないと生きてはいけないというのは、クインザにとっては少しも大げさな話ではないのだ。
けれどフィオは、クインザから向けられる感情が自分のそれと違わないというのをクインザ以上によく理解していた。クインザの事は彼自身よりもフィオが、そしてフィオの事はフィオ自身よりもクインザの方がよりよく解ってくれている。だからこそクインザは恐れ、必死になってフィオを繋ぎ止めようとしているのだ。
これまでも、そしてこれからも二人の関係が変わる事はない。誰よりも強い絆があるのだと知っているから。ただクインザは初めての経験に終わりを恐れていた。フィオが物理的にだけではなく精神的にも遠くに行ってしまうのだと決めつけているのだ。
鼻先を付き合わせたままひたすら涙を流すクインザにフィオは微笑みかけ、そしてゆっくりと口を開いた。
「いいよ―――」
その言葉に目前にある紫の瞳が驚きに、そして疑問に見開かれる。
「クインザがわたしに女を見てるって言うなら、いいよ。好きにやって。」
履き違えた感情を修正するのに必要ならそれもいい。いついかなる状況のクインザをも受け入れて来たフィオには何の迷いもなかった。
血の繋がりはないとはいえ兄と妹として育ったフィオにとって、クインザと男女の関係に陥るのは道徳に触れる行為だ。けれど恐れはない。クインザの望みがその行為自体でない事は百も承知していたから。そしてフィオはクインザ同様、彼の為になるのなら何だってできるのだ。
フィオの言葉にクインザは驚き涙を止め、紫の瞳をこれでもかと見開き固まってしまっていた。フィオはそんなクインザの頬を両手で包み込むと、そっと引き寄せ唇を重ねる。
クインザの唇は自分よりも冷たいと感じた。クインザとこうしたのは二度目だが、それと認識して冷静に重ねるのは初めて。柔かな唇はピクリとも動かず、クインザの目は大きく見開かれたまま酷く困惑していた。
引き寄せた唇を押し離すと、それに合わせてクインザが身を離し寝台に腰を落ち着ける。唖然としたまま見据えられたフィオも起き上がるとクインザの前に座った。
「わたしだってクインザが大好き。誰にも変えられない大切な人だってのにも違いはない。今まではこの感情がクインザと同じものだって疑いもしなかった。」
「私とて―――!」
腰を浮かせ叫ぶように声を上げたクインザだったが、自身の声に驚いた様子で口元を押さえるとその場にへたり込む。
「どうだった?」
フィオはクインザの前に両手を付いて顔を覗き込んだ。
「ドキドキした? もっとしたいとのめり込むような感情に湧きたてられた? それ以上の行為に及んで繋がりたいと自分を抑えられなくなったりした?」
恋人や想いを寄せる相手になら当然抱くであろう感情を紡ぐと、覗き込んだ紫の瞳が酷く傷つき、涙に濡れそうになった所で硬く閉じられる。首が横に振られると淡い金色の髪がふわりと空を舞った。
「違うんだ、私は―――私はけしてフィオの体を貪りたいとか……肉欲に溺れている訳じゃない。」
そこいらのフィオをいやらしい眼で見る男達と同じにしないで欲しかった。本当にフィオに側にいて欲しいだけ。知らない場所でこんな風に傷つけられ戻って来た姿を見てしまうと尚更だ。いつ何時も手の届く位置にいて欲しいし、それが叶わぬ願いだとしてもそうしたくて堪らない。けして自由を奪うつもりはないが、全てはクインザの手元においてというのが前提となってしまっていた。
「わたしもだよ、クインザ。ドキドキして体が熱くなったり、もっと触れて欲しいとかいう類の感情は沸き上がって来なかった。キスして感じたのは体温と―――背徳感が少しだけ。」
互いにではなくとも男と女の感情を持つなら、理性が働いたとしてもこんな場所で唇を重ねれば何かしらの熱を生みだすだろう。けれどフィオにはそれがなく、当然クインザにも湧き起こらなかった。クインザがフィオに求めるのはそんな生易しい感情じゃない。絶対に離したくないという独占欲だ。
一人きりになる孤独に脅え、その分だけフィオへの執着が強まる。依存度が強すぎて全てが恐怖に置き換えられてしまう。フィオはそんなクインザの心を受け止めつつも、ほぐしてやらねばならないのだと冷静に感じていた。
「わたし達の関係って男女の恋愛事とかってのとは程遠いわ。まして恋人なんて不確かなものでもない。どちらも仲違したり裏切ったりすればすぐにでも別れられたりするし、勿論夫婦となれば責任が伴うけれどそれだけじゃやっぱり弱い。わたし達には責任も何もないけど、その程度の関係なんかじゃなでしょ。」
俯いていたクインザが顔を上げる。その拍子に堪えていた涙がぽたりと一滴零れ落ちた。
「裏切られても傷付けられても、その相手がクインザなら許せるわ。罵り合ったっとしても謝罪なんて必要なくいつだって迎え入れられるし、遠く離れて百年会えなくても遠慮も気まずさも湧かない。わたしにとってクインザは、理由なんてなくても無条件に信頼して無償の愛情を与え合える相手なのよ。」
家族だからこそ存在する無償の愛。愛されるから愛をかえすでも、必要とされるから側にいる訳でもない。ずっと一緒で当たり前に寄り添える存在であって、対価など求めない絆と愛情が二人の間には自然に存在するのだ。
「私とてそうだ。しかし私は―――君を誰にも渡したくない。」
家族ならいずれ伴侶を見つけて別々の道を歩き出すだろう。それが嫌でクインザはフィオとの婚姻も考えたが、それは全て独占欲から来る代物だった。妻として、夫としてあればこれまで許されなかった距離にも踏み込める。
これまでフィオと抱き合ったり裸をみたりしても欲情することは一度もなかったし、フィオへの純粋な愛を誓う限りそんな卑しい考えすら拒絶したくなる。フィオが求めて来ないのも解っているから、一生を繋ぎ止める方法として婚姻という契約を求めていたのだ。
けれどそんな契約は必要ない。クインザの不安はそう簡単に拭い去ってやれないが、フィオがクインザを想う感情だけは疑いを持ってもらいたくなかった。離れて何処かに目移りしてもそれがクインザを否定するものではないのだから。
「クインザと似た感情を持った人を知ってる。彼は血の繋がった妹への想いを心に抱えていて、彼女の面影を求めて似通った女性に手を出すけれど一線を越えられないの。もしかしたら彼は超えた時の空しさを知っているのかもしれないわね。彼の妹は夫を持って彼と離れて暮らしているけど、二人の間に全く距離なんてものは感じなかった。」
先王の血を引いてしまったばかりにこの国に縛り付けられた男を想い浮かべる。
セイはクリスレイアと同じ黒い髪と瞳を持っている女性を好みながら、手を出しても最後まで行きつけない。きっとそれは血の繋がりのある妹に面影を重ねてしまうから。
クリスレイアの心が壊れていなければセイもこんなふうに感情を露わにして、彼女に悩みをぶつけたのだろうか。血の繋がりのない分クインザの方が言葉にしやすかったのかもしれないが、フィオにとっては血の繋がりなんて大したことじゃない。
「離れたくらいで二度と戻って来ないなんて事にはならない。いずれ別れが来るかもしれない愛情なんかじゃなく、わたしはクインザとの間に絶対に離れない繋がりをとても強く感じているわ。」
二人の繋がりの強さは半端なものではない。そこに男女の愛憎がないからこそ純粋に何処までも強いのだ。
「そうだな、私とて感じている。だからこそ離れられないのかもしれない。」
クインザは切なげに吐息を吐き出すと、すうっと息を吸い込んでフィオを見つめた。
「フィオネンティーナ、君が側にいてくれないと半身を引き離されたかに感じ心が疼くんだ。私達の関係は恋人やそこいらの家族よりもよほど強く、他の誰とも比較しようがない。覚えていてくれ。君に何かあったら私も生きてはいられない事を。」
異なる腹から生まれたがもとは同じ魂を持った同士に違いない。そうでなければこれ程胸が痛む筈がないのだ。
フィオはそっと首を横に振ると、クインザの肩に手を乗せしっかりと見据えた。
「クインザ、それじゃ駄目なんだよ。わたし達は大人になったんだから自立という言葉があるのを思い出さなきゃならない。」
「わかっている、でも今は到底無理だ。お願いだから私を突き離さないでくれ―――」
フィオの胸に顔を埋め声を押し殺して肩を震わせる。そんなクインザを目の当たりにしてしまうと心を鬼にて突き離せるわけがなく、すっかり大きくなってしまったクインザの背を、フィオは子供をあやすかに撫でつけ続けた。




