第一日目の終了
フィオネンティーナの言い分に納得していないのだろう。ガレットは不服そうに眉を寄せている。
そんなガレットに気づかないふりをして食堂に入った。夕食時は過ぎているのに、食堂はかなりの人でごった返してる。
込み具合は昼間に覗いた時の比ではない。
一望すると、食事を済ませた者が出て行かずに留まり続けているからだと分かった。
原因は自分だ。何しろ全員がフィオネンティーナに注目しているのだから間違いない。男たちは彼女の訪れを待っていたのだ。
ガレットがフィオネンティーナの前に出た途端、彼らの視線がようやく反れた。彼に倣って器に食事をよそい、彼の隣に着席した。その間ガレットはずっとフィオネンティーナを気にかけて、何度も何度も振り返っては様子を窺った。
誰もが遠巻きにフィオネンティーナの様子を窺っていた。予想したのとは違って誰一人として寄ってこようとしない。
男に囲まれてちやほやされるか、もしくは魔術師風情がと嫌味を言われるか。そのどちらかだろうと想像していただけに拍子抜けだ。
もしかして第六隊の隊長がいるせいだろうか? ガレットが前に出た途端に彼らの視線が逸れたし、騎士は上下関係が厳しいのかもしれない。もしくは……彼らはフィオネンティーナが想像するよりも初心で、突然現れた女かつ魔術師にどう対応したらいいものかと思案に暮れている可能性もある。
フィオネンティーナが不思議に思いながら考えている先で。
実際には思いもよらない人物の来訪に、砦の住人は狂喜乱舞していた。
司令官室の前で聞き耳を立てていた者からの報告で「配属」「任期三年」を知るや否や、フィオネンティーナを垣間見た男たちは、彼女が自分だけのものになる幸せな妄想に耽っていたのだ。
それに誰かの一言が水を差した。
「魔術師がどうしてこんなところに? 何の目的があって配属されたんだ?」
何の目的で……その疑問はやがて「何が目的で」との考えに変化する。
アゼルキナにやってくる女は娼婦や行商くらいのもので、町の娘は一人として足を踏み入れない。数少ない女騎士は同性の要人……つまり皇妃皇女の護衛として活躍するのが常なので、アゼルキナには女性騎士すら常駐することがないのだ。
そもそもアゼルキナで行われる訓練は、鍛えた女性でもついてくるのが困難なほど厳しい。
それなのに騎士ではなく魔術師、しかも女がやって来た。細くて綺麗でいい匂いがしそうな女の子。誰の目から見ても獰猛な狼の群に病弱な子羊を投入したようにしか見えない。
危険だ、危険すぎる。そもそも貴重な魔術師が配属される場所としてあまりにも相応しくない。
では何故ここへやって来た?
彼女の目的は……いや、任務はなんだとなって当然である。
もしかしたら、彼女に向けて自分たちのとる行動が明日を左右するのではないだろうか? まさか過去の悪行が露見して、その立証のために遣わされた刺客ではないだろうな!?
……と、あまりにも常識外れな現象を目の当たりにしたアゼルキナ砦の少なくない数の男たちが、大外れな予想を立ててフィオネンティーナを警戒していたのである。
まさか皇女が綺麗な男を手に入れるために、その恋人(偽装)を排除しようとした結果などとは思いもしない。
彼らは勝手に妄想を膨らませ、フィオネンティーナは王都より遣わされた審問官もしくは密偵のようなものだと警戒されていた。
アゼルキナ砦の騎士たちがそんなことを想像していようなんてつゆ知らず。
予想は外れたが、面倒事が減るのは大歓迎だとフィオネンティーナは綺麗な所作で腹を満たしていく。
司令官やガレット隊長の過保護とも思える対応には少しばかり呆れが混じるが、生活していくにつれて心配ないと理解してくれるだろう。
口答えして嫌われるより、味方は一人でも多い方がいいに決まっている。ここはか弱い女をあるていど演じてもいいかなと、食事を終えて部屋まで送り届けてくれるガレットの大きな背中に守られながら付いて歩いた。
部屋につくなり「俺か司令官以外のやつが来ても決して扉をあけるな」と直立不動の姿勢で命令されてしまう。
「えっ、でも……」
それは嫌だ。だからちょっと口籠ってみたら、「どうした?」と、ガレットは少し不安そうにして肩を丸めた。
「これからお風呂で長旅の疲れを癒そうと思っていたのですけど」
当然のことなのに、ガレットが頭を抱えて悩みだした。
「何か問題でも?」
アゼルキナの近くには天然の温泉が幾つも沸いていて、砦に派遣される騎士はそのうちの一つを専用の浴場として使っているのだ。フィオネンティーナは天然温泉をアゼルキナ砦での唯一の楽しみとしてやってきていた。
けれどここにきて頭を抱えたガレットの様子に、なんとなく想像がついてくる。
ここに女はいない。もちろん当然、天然温泉は砦の男たち専用となる。つもり女湯がないのだろう。けれどそこは第六隊の隊長権限で、フィオネンティーナ専用の時間を設けてもらえば問題ないのに。
この程度の考え、思い至らないはずがない。
「申し訳ないが風呂は使えない。密偵の隠れ家にならないよう、脱衣所や囲いといった代物がないんだ」
「え、囲いがない? では皆さんは?」
「俺たちは男だから。近いうちにどうにかなるよう、司令官に伝えておく」
司令官に言って、近いうちにどうにかなるのだろうか。
何しろカイルは、フィオネンティーナの配属命令を握り潰してごみ箱に捨てるような男だ。そんな男がフィオネンティーナのために、密偵の隠れ家になりかねない脱衣所や囲いを作ってくれるとは思えない。
なんにしてもあきらめるしかないようだ。
「分かりました。仕方がないですね」
「申し訳ない。俺が見張りに立ってもいいが、四方八方を守れるわけではないしーー」
言いながらガレットは、自分がフィオネンティーナの裸を見てしまう可能性に気付いたのだろう。顔を赤くして視線を逸らしながら「すまない、無理だな」と零した。
囲いも何もない場所では、さすがのフィオネンティーナもガレットを見張りに立たせようなんて思わない。少なくとも胸を掴まれた相手にそこまでの信用はまだなかった。
「今夜はあきらめます」
「申し訳ないがそうしてくれ。後で湯を持ってこよう。風呂については司令官と話をするので暫く待ってもらいたい」
初日でもあるので大人しく命令に従い部屋で待っていると、半時もせずにガレットが熱い湯の入った桶を持参してくれた。もっと遅くなるだろうと思っていただけに、フィオネンティーナは喜んで湯を受け取る。
布を浸して体を拭い、顔を洗って最後に足の汚れを落とす。湯には浸かれなかったが気分は軽い。
さっぱりしたところで紙とペンを取って一筆したため、それを扉の外に張り付けた。
「さて、一杯やりますか」
アゼルキナまでの道程で買い込んだ、部屋を占拠する美酒を眺める。その中から王都で一番最初に買った酒瓶を取り出して栓を開けるとそのまま口に含んだ。
これこそ至福の一時と、アルコールを含んだ吐息が漏れる。
資金の出所はあの我が儘皇女様。その事実が旨さを増長してくれた。
してやったりと笑う皇女を見返す日を指折り数えながらアゼルキナでの日々を有意義に過ごしてやる。無事アゼルキナを満喫して帰還する日こそが勝利の日なのだーーと、フィオネンティーナはにんまりしながら酒をあおった。
※
アゼルキナが本当の意味で眠りにつくことはない。
深夜を回る頃、一日の業務を終えたカイルとガレットが共に私室へと戻って来る。当然気になるのは本日から配属された厄介の種、フィオネンティーナだ。
両者同時にフィオネンティーナの部屋へと視線を向けると、扉には何やら張り紙がされていた。そこには『只今就寝中に付き危険・感電死の恐れあり』と、いかにも女性的な丸みを帯びた文字で書かれている。
「これはなんでしょうか?」
疑問に首を捻るガレットにカイルは口角を上げた。
「知りたきゃ扉を開けてみろよ」
「そんな不埒なこと、出来るわけがないでしょう!」
「嬢ちゃんのおっぱい揉んだくせによく言うよな」
「なっ!?」
カイルは深夜だというのに、眠っている相手のことなんて考えず、声を上げて笑いながら自室の扉をくぐる。ガレットは唖然としてそれを見送った後、暫く廊下に立ちつくしたまま右手を見つめていた。




