その46
女性に対する暴力描写があります。苦手な方は特にご注意ください。
どんなに腕を捻ろうと緩みすらしなかった拘束は呆気なく解かれる。腕の自由を取り戻したフィオはガレットの靴底から刃を取り出し、扱いに戸惑いながらも何とかガレットの拘束を解いた。
「外にも見張りがいる筈だ。まず出たら周囲を、特に上から見られていないかを警戒しろ。それから魔術を使うのはなるべく離れた場所でやってくれ。近過ぎるとお前が捕らわれる危険があるし、そのまま攫われでもしたら本末転倒だ。だが追って来る奴がいたら殺す気で容赦なく撃退しろ。いいな?」
ぐっと肩を掴まれ鋭い視線を向けられたフィオは無言で頷いた。頷くしかないのだ。
ここに残りガレットと一緒に捕われた女性たちを救出する道もあるが、失敗が許されない実戦の場でフィオは足手まといにしかなれない。
女だから、危ないからとフィオを守ろうとばかりしていたガレットが一人で行けと突き放したのだ。信頼を得ている訳ではないが、現状からそれが最善と判断されれば従う他ない。
窓までは足場もなくどうやって登ろうかと思案していると、後ろから腕が伸ばされ肩と腰に添えられる。
「上げるぞ。」
「はい。」
一度ガレットが屈んでフィオの尻を肩に乗せ、それから足裏を持ちあげられた。慣れないフィオはバランスを崩しよろめいたがそれを力でガレットが支える。大きくて硬い掌の感触を衣服越しに感じながら、窓に手をかけ潜り抜けようとしたが肩のあたりで引っかかってしまった。
「無理です、一度下ります。」
たったこれだけの行動で息が上がる。大丈夫かとガレットから降ろされ、平気と答えながら上着を脱いで再度挑戦した。
アゼルキナに行ってから体を動かす時間が極端に増えたので太った訳ではないし、走り込みとジャフロ指導による体術のお陰で無駄なぜい肉は綺麗さっぱり落ちてしまっていた。かといって砦の住人の様に立派な筋肉がついたかといえばそうでもないのだ。だから潜れる。上着で駄目なら下着姿になってでも潜ってやると意気込んだが、運の良い事に上着を脱ぐだけで狭い窓を何とかぎりぎりで通過できた。
凍った硬い土に手をかけ外に這い出ると、爪の中にまで土が入り込んだが気にしてはいられない。小声でガレットに名を呼ばれ潜ったばかりの窓に頭を突っ込むと上着を投げてよこしてくれた。
「城を目指して走れ。味方と合流するまでは絶対に戻ってくるな。」
引き離されると未練が残る。ここに残って大人しくしている選択肢も共に行動する選択肢も与えられない。一度失敗しているのだ、従うしかないが危険な場所に残して行く不安から迷いが湧き起こった。
「ガレット隊長―――」
不安に瞳を揺らすフィオにガレットが眉間に溝を作り、厳しい視線を向けた。
「―――行け。」
ぐっと息を止め、フィオは大きく頷く。
「無事で―――必ず助けを呼んできますから無事でいて下さい。」
「安心しろ、俺一人逃げるだけなら余裕だ。」
確かにそうだろう、ガレットにはそれだけの実力がある。けれど人質を無事に助け出す条件が伴うとどうなるのだろう。見張りは必ず地下に様子を見に来る。その時点でフィオがいないと知れれば誰も彼もが危険に曝されるのだ。ここで自分にしか出来ないからと一人逃げる様に去ってしまうのに躊躇していると、ガレットから怒号が飛んだ。
「ぼさっとするな。行け、リシェット!!」
気付かれぬ様声量には注意されていたが、言葉とともに向けられた気迫にフィオは肩を震わせた。それに背中を押される様にして駆け出すが、命令通り周囲への警戒は怠らなかった。
初めての経験に足が緊張し上手く走れない。廃墟と化した屋敷は崩れた外壁に覆われており、低い場所を飛び越えると「わっ!」と小さな声が上がった。
見つかったかと振り返ると、崩れた壁の影に人影が見えた。
闇の中で男女の区別はつかなかったがどうやら子供の様子。このパウナと呼ばれる一帯は貧しい者達が集まる場所で、浮浪者や親のいない子供たちが身を寄せ合って暮らしていたりもしていた。その様な場所なので犯罪を犯した者も数多く集まっている。
声を上げた人影は驚いた様子でじっとフィオに顔を向けていた。見張りかと焦ったが、影もフィオに脅えた様子を見せており、自分たちを攫った者等に関係がないと判断して、屋敷から少しでも離れた広場を目指して走りだした。
凍える様な夜を彷徨う者達の中には新たな障害となる人間も存在していた。パルマでは異質に映る身なりのきちんとしたフィオに興味を抱く犯罪者たち。不意に物陰から現れた影に左腕を掴まれ、走る勢いを消せないまま肩に鋭い衝撃がかかる。
「これはまた珍しいネズミが迷い込んだもんだ。」
フィオを捕まえた男自身が手にした獲物の価値に驚いた様子で目を見開き、値踏みするかに頭から下に向かってゆっくりと視線を落として行く。
「離して、急いでるのよ!」
「せっかく出会えたってのにつれねぇこと言ってんじゃねぇよ。」
身を寄せて来る男に抗いながら顔を背けると、男はフィオの耳当たりに鼻を寄せ匂いを嗅ぎ出した。
「いいとこのお嬢さんが家出でもして来たか?」
「わたしは宮廷魔術師よ、この手を離しなさい。でなければ死ぬ思いをする事になるわ。」
「宮廷魔術師、だと?」
驚きに男が腕を掴む力を緩め、フィオは一歩後ずさりながら身を引いた。
役立たずの宮廷魔術師、けれど世間の印象は親世代の強大な力を有した印象の方が強い。たとえパルマに住まう犯罪者が相手でも、出来るなら関係のない男に魔術を使って衝撃を与えるのはしたくなかった。
しかし拘束を逃れたフィオに男は注意を払いながらも一歩ずつ近付いてくる。
「へぇ、本当に? 魔術師を犯すのは初めてだな。」
フィオは伸びて来た腕を払いのけ踵を返すと一目散に走り出した。罵声を上げて当然の様に男が追って来るが止まれるわけがない。
追って来るものは殺す気で容赦なく撃退しろとガレットに言われたが、全力で走りながら魔術を放つのは難しく、そしてやはり雷を使った攻撃で万一死なせてしまってはという恐怖がフィオの中に渦巻いていた。死なせないにしても数日は気絶したままだろう。自分を襲おうとしている相手ではあったが、こんな場所に転がしておくのにも迷いがあった。危険を知らないが故の迷いだ。
「おら待てっ!」
「嫌っ!」
痛めた方の腕を掴まれ、伸びて来た男の右腕を咄嗟に払って脇をすり抜ける。膝裏を蹴ると男が地面に倒れ込み、怒りに燃えて振り向いた所で股間を蹴りあげた。
「ぐっ………」
強烈な痛みに男が息を詰まらせ蹲る。体術訓練でフィオを心配したジャフロが幾度となく繰り返し教えてくれた動きが勝手に繰り出され、攻撃したフィオ本人ですら驚き唖然とその場に立ちつくした。
「あの…大丈夫、ですか?」
男はフィオに蹴りあげられた股間を押さえ息を詰まらせ蹲っている。やばいと感じたフィオが声をかけるが返事はない。自分を襲って来た相手だが、これをやるとかなりの衝撃を与えるので悪人には率先して使っても悪戯には使うなと忠告されてはいたが、まさかこれ程の衝撃を与えようとは。危害を加えるつもりでいた暴漢に情けは無用だが、あまりの悲痛な状況に思わず足を止めてしまった。
「ごめんなさい。あの…死にはしないしちゃんと使えるようになるそうなので、本当にごめんなさい!」
謝るだけ謝って先を急ぐ。なんだか違う気がするが未遂の相手に攻撃を仕掛けた詫びだ。眠るときに仕掛ける罠を張るのも良かったが、公共の場では唐突に触れられた場合危険なので余程でなければ使わない。
建物もなく誰もいない場所でなければ魔術を使うのは危険だ。その場所を探すが、闇の中にごそごそと歩きまわるパルマの住人がそれを邪魔する。壊れた建物の中に住まいを持つ人間は多く、それを破壊してしまっては住処を奪ってしまう。安全な場所を探して走りまわり息も絶え絶えになっていた所を後ろから引き倒された。
「さっきはよくもやりやがったな!」
地面に倒れた所を仰向けにされる。フィオから股間を蹴りあげられ声もなく蹲っていた男がフィオの首に手を回し絞めて来た。
どうして追いつかれたのかと足の速さに驚きながらもがいていると、男はフィオの首を絞められなが地面を引きずり物陰に引き込んでいく。
全力で抵抗し四肢をばたつかせるが、押さえつけられている個所はびくとも動かない。相手は脅しのつもりで首を絞めていたが、絞められるフィオの方は窒息寸前だった。
送り出してくれたガレットの顔が脳裏にちらつく。こんな所で倒されている訳にはいかない。男の命の保障など頭から消え去り魔術を行使しようと右手を上げたが、掌に魔術を起こす前に頬を殴られ、殴られた拍子に首を絞めていた男の手が外れた。殴られた痛みよりも苦しさに咳き込み、肺に冷たい空気が入り込む。
「綺麗な顔を滅茶苦茶にして場末の娼館に売りつけてやるからな、覚悟しておけ!」
両手で頭を掴まれ、鼻先が触れる距離で怒鳴られ唾が飛ぶ。弱いものを弄ぶ狂気に満ちた眼光は恐ろしく血走っていた。
フィオは息の触れる距離から力を込めて男に頭突きを繰り出す。相手の額に激突したが石頭でもないフィオの頭突きは両者に同様の衝撃を与えた。
「―――っ!」
「くそっ!」
男が怯んだ隙に懐から逃げ出すが直ぐに足を掴まれ引き戻される。鳩尾を殴られ息を詰めた次には再度頬を殴られていた。
痛い、苦しい。これが訓練でどうにかなる物なのか。体を抑え込まれまたもや首に手をかけられた。
このままではいけない、ガレットがフィオを信じて送り出してくれたのだ。ここでフィオが駄目になれば送り出したガレットが酷く後悔するに違いない。ガレットを失望の淵に追いやるのだけは絶対に嫌だった。
殴られ朦朧とする意識の中で指の先に魔力を込める。至近距離からの落雷は術者にも被害が及ぶが迷っている暇はなかった。
フィオの指先に光が溢れ、闇に溢れた光に気付き驚いた男がフィオの上から慌てて飛び退く。
「はったりじゃなかったのかよ?!」
宮廷魔術師などという高貴な天然記念物がこんな場所をうろついているなど誰が信じただろう。けれどフィオの指先から溢れた光が闇に浮かび、パチパチと弾いている様を目撃しては信じるしかない。
尻餅をついて驚きを露わにした男を前にフィオは身を起こした。
「行って。行けば追わない。でも一歩でも近付いたら殺す―――」
フィオからは荒い息が漏れ、目の前の男が本気になればもう勝ち目はない。身を守る為には綺麗事なんて言ってられない状況にフィオは必死だった。
目の前の獲物に迷いながらも男は我が身かわいさに場を立ち去る。フィオは男が闇に消えた後もその先をじっと睨みつけ、指先に弾く雷を纏い続けていた。
どの位その場に蹲っていただろうか。それほど時間はかけていないがとても長く、そして短くも感じた。先を急ごうと指先の光を消して疼く体に鞭打ち身を翻す。立ち上がろうと手をついたその先に人の足を捕らえ、驚きに体が跳ねた。
「約束―――守れなかったね、お姉さん。」
少年の碧い瞳が闇に煌めきフィオを冷たく見下ろしていた。




