その39
何がマニアだ、こっちは最悪体を使ってもと覚悟をして挑んだというのにっ!!!
初めて与えられたまともな任務と有頂天になり過ぎたのか。いや、実際任務はつつがなく完了したともいえるのかも知れないが、しかしこの状況で納得できる訳がない。ガレットに認められたい、信頼を勝ち取りたいと意気込み挑んだ作戦だったというのに、まさかこんな形で幕を引かされるなんて悲し過ぎるにもほどがある。
怒りのあまりバチバチと静電気が体中を駆け巡り長い黒髪が宙を舞った。その様を間近で目撃したエルファスタは恐れる所か逆に好奇の目を輝かせ、『素晴らしい!』と感動し声をあげて褒め称えてくれた。
冗談じゃない、馬鹿にするなと怒鳴りつけるより早く纏う雷は近くの木に落雷する。最も側にあった木に雷を落とさなかったのは奇跡に近い現象だろう。もしそうなっていればエルファスタとファマスのマニアコンビは黒こげ間違いなしだった。
怒りを落雷で発散したフィオに残ったのは悲しみと落胆だ。
明日には都入りを控えた宿の一室で酷く落ち込むフィオを慰めてくれるのは、これまでなんとなく避けられていたと思っていたガレット。彼が側にいてくれるという事は嫌われてしまった訳ではないようだと、今のフィオにはそれだけが唯一の救いである。
これまでのフィオにとってマニアという存在は比較的良好な感情を持てる対象だった。なにせ彼らは魔術師が大好きで大好きでたまらないのだ。魔術師の役に立てるならとこちらからは何の役にも立てないのに無償の愛を注いでくれる、姿を見つけると何処となくほっとする様な存在でもあった。
お高く止まった魔術師に損得勘定なしで接してくれる存在だったのだ。むろん大好きな魔術師に接近できる心の満足や優越感はあるかもしれないが、彼らマニアの間では厳しい決まりがあり、反すればマニアを名乗る資格を失うとか何とかで。流石にあんな特殊な二人には今まで一度たりとも出会った記憶がない。もしかしたらフィオが知らないだけなのかもしれないが、絶対にあの二人だけが特別なのだと無理やりにでも思い込まなくてはこれからが恐ろしくてやっていけないではないか。
ガレットと二人部屋に篭る。扉が少し開かれたままになっているのは女性の部屋に後から入室したガレットの気使いだったが、そのせいで泣き言が吐き出せない。寝台に顔を伏せ思いっきり悪態を吐きたい気分でもあったが、ガレットが心配していて側にいてくれるとどういう訳だかほっとするのだ。だから追い出さずに黙っていた。
「密偵が増えたってのもエルファスタ殿下の個人的な問題だったのでしょうか。」
先に沈黙を破ったのはフィオだった。隊長を前にしながら寝台に腰を下ろし力なく項垂れたままで呟く。
先日サイラスから仕入れた情報。アゼルキナ周辺に増えたキグナスからの密偵は魔術師への脅威ではなく、単にマニアであるエルファスタの情報収集だったのだろうか。
自己満足の為に魔術師を赤子の状態から育てたいと言ってのけるあの男の思考回路はまったく理解できないが、フィオがアゼルキナへ派遣されてから随分と時間が経っている。キグナスが今頃になって情報収集に動き出すというのも少しばかりおかしな話で、だとすればやはりエルファスタが個人的趣向の為に部下を使って国境を超えさせたと取るのが自然かもしれない。捕われれば拷問され命を落とす危険性が極めて高い諜報活動だ。本当にそんなくだらない理由で? 権力者の我儘が命を弄んでいるようで恐ろしく感じた。
ガレットは立ったまま壁に背を預けると、腕を組んでフィオの様子を黙って観察していた。いつになく元気のないフィオの頭を灰色の瞳が注意深く見下ろしている。
「お前に与えられた任務は終了だ。あとはファマスが受け継ぐ。」
「ファマス隊長が?」
魔術師マニア同士、二人は大変打ち解けた様子で夕食の席も同じにしていた。何時もエルファスタを取り囲んでいたキグナスの騎士らも遠ざけ二人きりといった熱の入りよう。あれが同士の結束と言うのだろうか。マニア同士損得なしで仲良く洗い浚い情報交換できるのならそれなりの収穫も有り得るだろうが―――
「大丈夫でしょうか。エルファスタ殿下の目は危険です。」
もしかしたら捕らわれているかもしれないと不安を漏らすフィオにガレットは首を振った。
「ファマスなら一度忠告を受けている限り失敗は無い、大丈夫だ。」
「理解できるかと怒っていたわりに、随分と信頼なさっているんですね。」
怒鳴り合ったり殴ったり、それでも揺るがない二人の信頼関係に嫉妬してしまう。認めて貰える機会を失ってしまい多少自棄になっていたフィオは込み上げそうになる涙をぐっと堪えてガレットを睨みつけた。
「ガレット隊長にとってわたしはいつまで経っても押し付けられた厄介事でしかないんですね。」
「リシェット?」
急になんだとガレットは目を瞬かせた。
「最初の事があるから断れずにずるずると今日まで来てしまったんでしょうけど大丈夫。アゼルキナに戻ったら司令官殿に隊を変更して頂きますから、それまではどうか目障りでも我慢して下さい。」
濡れた漆黒の瞳がガレットを射抜く。そのせいでいつも気丈で上手く立ち回るフィオの、反抗的ながら弱音な言葉を理解するのが遅れた。
「いつもお忙しいのにお付き合い頂いてありがとうございました。これからはどうぞもうお気になさらず、わたしの事は放って置いて下さい。」
出て行けと扉を示すフィオの手をガレットは慌てて掴み取る。
「ちょっと待てリシェット、何か誤解を―――」
「やだっ、離して!」
身を捻るが掴まれた腕はびくともしない。痛くはなかったがしっかり固定され、騎士と魔術師の力の差をまざまざと見せつけられているように感じた。
「俺はお前を邪魔だと感じた事は一度もないぞ?」
ガレットは暴れるフィオの反対の手をも拘束し、落ち着かせようと身を屈め視線を合わせようとしたがフィオは首を振ってそれを拒否した。
「女だと言ったのは貴方ですっ!」
「そうだろ? 確かにお前は女じゃないか。」
男なんかじゃない。何処からどう見ても魔術師で、そしてか弱い女性だと戸惑う瞳が語っていた。それが悔しくてフィオは更に落ち込む。
「そうですね。ガレット隊長にとってわたしは女で、守るべき存在だという考えは一生変わらない。同じ隊にいても他の隊員たちの様に接して下さる事は絶対にないんです!」
「同じようになんてできる訳がないだろう?」
罵声を浴びせ容赦なく打ち合い極限まで追い詰める。そんな暴挙が叶うのはそれなりの実力がある騎士達だからで、か弱い肉体しか持たないフィオに同じ扱いが出来ないのは当然だった。こうやって両腕を拘束しただけで息を上げるフィオの肉体がそれに耐えられる筈もないのだ。
そんなのフィオにだって解っている。だから出来る範囲で少しずつ、アゼルキナ唯一の魔術師として訓練に励み仲間に溶け込もうとして来た。性別も持って生まれた特性も全てが違うのだ、同じ土俵にあがれる訳がない。
「わたしはわたしのやり方で六隊に付いていこうとしていました。けれどガレット隊長は女と言うだけでわたしを拒絶するんです。昼間だってエルファスタ殿下からわたしを守る様に立ち塞がっていた。あんなの必要なかったのに、隊長はわたしをまるで護衛対象の様に扱ったんですよ?!」
エルファスタの護衛として存在している筈なのに、まるで貴婦人の様な扱いを受けるなんて。
今までのフィオなら軽く流せた行動だったが、どう足掻いてもガレットが絶対に認めてくれないのだと感じて感情が高ぶり罵声が止まらない。
訴えに声を詰まらせたガレットを見てフィオの何かがぷちりと音を立て切れた。
「その若さで砦の隊長を務めるあなたに魔術師の何が解るのよ。マニアみたいに好意的な人ばかりじゃない。偉大な先輩方の過去に守られ無知な自分が悪いのは百も承知。でも女だからって理由一つで拒絶され続けるのは流石に堪えるんです。逃げるのかって馬鹿にされたっていい、その通りなんだから。」
情けなさから苛々する。ファマスを含め砦の住人とフィオでは付き合いの長さも違うし、ガレットがフィオを認めてくれていないのは初めから解っていた事だ。最初は彼を利用していてそれでいいと思っていた筈なのに、いつの間にかフィオも彼らの仲間に加わりたいと思うようになっていた。完全な八つ当たりだったが止められなかった。女のヒスなんて最低だ。
「だから待てっ、俺はお前を拒絶なんてしていないぞ?!」
ガレットが声を荒げると気押され後退したフィオの膝裏が寝台に当たりそのまま倒れ込む。腕を掴んだままのガレットはそのままフィオを寝台に縫い付け上から覗き込んだ。
「してるじゃないですか。女だからといつもいつもわたしから可能性を取り上げる!」
諜報に携わるなら話は別だが、アゼルキナで生きていくうえで女らしく在り続ける意味が何処にあるのか。美しく着飾って隊員達を癒やせとでも?
悔しさから歯を食いしばる。仰向けになったせいで堪えていた涙が重力に従い目尻を流れた。
「俺は―――お前の可能性を、奪っていたのか?」
フィオの言葉にガレットは愕然として下に囲うフィオを見下ろしていた。
自分は今までいったい何をして来たのだろう。アゼルキナと言う男ばかりの僻地に送られた不幸な女性を、守らなくてはという騎士の理念に従い行動して来た。案の定男ばかりの世界でフィオに対し不埒な行動に出ようとする輩に出くわし、排除し、それがフィオの為だと自己満足していたのだ。常に付き纏い監視し、フィオに何事も起こらなければほっとして次に進む。いつも女だからと特別扱いし、手の届く位置に囲って来たのは彼女の為だと―――いや、これは自分の為であってフィオの為などではけしてない。
ファマスの言った通りだった。彼女の可能性を奪い続けるのかと、居場所を求めて奔走しているのだと、それをガレットも承知していたのに知らぬ振りで己を通してきてしまったのだ。公私混同にも程がある。いくら惚れているからと独りよがりな感情で絡め取ってしまうなど言語道断だ。
「わたしは貴方に認めて貰いたかったんです。」
攻撃的な漆黒の瞳がガレットを捕らえる。認めて貰いたかった―――胸を抉る言葉は過去の物だった。
どうしてこうも同じ失敗を繰り返すのだろう。惚れた女にいやな思いばかりさせている。今回だけは失敗したくないと思っていたのに結局は同じ結末だ。
「悪かった、お前の言うとおりだ―――」
拘束を解き身を離す。突きつけられた言葉に己の取る体勢すら考慮するのを忘れていた。後悔の念を抱き、増長させながら身を起こしたガレットはフィオから顔を反らした。
「責任は全て俺個人にある。気持ちには早いうちに決着をつけるから……」
離れて行くなとの一方的な感情を孕んだ言葉は紡げなかった。その想いこそがフィオからアゼルキナで生きる場所を取り上げている元凶なのだ。セイは除外するが、他の隊長に預けた方が彼女の為になるのは間違いなかった。マニアとかいうファマスの下にあっても、フィオなら喜んで皆から受け入れられ、アゼルキナの魔術師として上手くやっていけるだろう。
「司令官にはアゼルキナに戻り次第俺から話す。俺への処罰も必要だろうからな。」
厄介事を押し付ける様でいてカイルはガレットを信頼し適任と人選した。しかしガレットはその信頼を裏切り、部下への不埒な感情でフィオの魔術師としての可能性までもを潰して来たも同然なのだ。若くして隊長職を預かるのは実力故と誰もに認められたが、資質と経験はまだまだ不足している。
申し訳ないと扉へ一歩踏み出したガレットの歩みがそこで止まった。解放したばかりのフィオの手がガレットの上着を掴んで引き止めていたのだ。
ふとこちらを見上げるフィオと目が合う。先程までは怒りに血走っていた漆黒の瞳が大きく見開かれ不安げに揺れていた。
下から見上げられついふらりと顔を寄せたくなる。邪な感情を締め出す為にガレットはするりと視線を外した。
「申し訳ありません、ファマス隊長に嫉妬してかなり言い過ぎました。」
「事実だ。」
「でもっ……心配してくれる人に対して言ってはいけない言葉でした。」
言葉を突き付けられ、唖然として離れて行ったガレットの表情でフィオは我に返った。
強くて逞しく頼りになる筈の大柄なアゼルキナの騎士が蒼白になり、今にも泣き出してしまいそうな眼差しに、これまで向けられた過剰な保護がフィオの脳裏を駆け巡ったのだ。
女だからと可能性を取り上げられたというのは事実。けれどそうしたくてやっていた訳ではないだろう。きちんと拒絶せずにいたフィオにだって責任はある。お陰で多くの危険から守られ助けられた部分があるのも事実なのに、フィオはそれすら忘れてガレットの全てを拒絶してしまったのだ。この部分は全てフィオの間違いであってガレットのせいではない。
「擁護するな、お前の言葉が正しい。」
縋るように掴まれた衣服からフィオの手を引き離す様に後退すると、フィオもそのままつられて立ち上がった。
「いいえっ、わたしが感情の統御が出来ずにあたり散らしただけです。なのに隊長への処罰って何ですか。まさかわたしのせいで隊長職を返上するなんて馬鹿な事を考えている訳じゃないですよね?!」
「それは―――っ」
当然だと答えようとしたガレットの思惑を見越し、フィオの真っ直ぐで切実な瞳が訴えかけて来た。
「嫌ですそんなの、絶対に止めてくださいっ!」
人をまとめあげるなんて簡単にできる事じゃない。しかもアゼルキナは個人のレベルが高い分多くの資質が求められる、望んでも簡単に手に出来る職ではない。それを自分の苛立ちからきた言葉で後悔に追い込み放棄させるなんて、そんな事は絶対にさせる訳にはいかなかった。真面目な相手に吐露すべき内容ではなかったと、嫉妬や怒りは何処かへ吹っ飛び必死になって引き止めにかかる。
「わたしだって本当は他の隊になんて行きたくないんです。女だからとガレット隊長から拒絶されているのが辛いだけで、わたしだってガレット隊長の下に居続けたいんです!」
だからごめんなさい、辞めるなんて言わないでと縋り付くフィオをガレットは必死の思いで引き剥がしにかかった。
潤んだ漆黒の瞳で下から見上げられ、やばいと思いながらも目が離せない。縋り付くフィオを抱きしめたくなる強い衝動に駆られるが、その一線だけは越えてはならないと力任せに引き離して腕を捻り床に転ばせた。
「あ痛っ……たぁ~っ!」
「すっ、すまんっ!」
手加減はしたがガレットが非常に焦っていたのと、フィオ自身が受け身を取れなかったのが相まって背中を床に打ちつける。一瞬息が止まってフィオが情けない声を上げた所で、慌てたガレットがフィオを救い上げ寝台へと運んだ。
「大丈夫か、つい手が出てしまった。すまない!」
「だっ…だいじょう、ぶ………」
打ち付けた背中の痛みが徐々に全身へと回って来た。痛みを受け流そうと体を丸め蹲るフィオの背をガレットが撫でつける。か弱い女性に手を出してしまうなんてなんてことだと自己嫌悪しながらもそれは口にしない。とにかく今は少しでもフィオの痛みを逃がす手伝いに必死になって背を摩り続けた。
「すみません、随分と楽になりました。ありがとうございます。」
「いや…つい手がでてしまい申し訳ない。」
床に膝をつき寝台に座るフィオを見上げる形で謝罪するガレットは、情けないほど眉を寄せ目尻を下げている。それを見下ろしたフィオは『ああこの人はまったく…』と心の内で溜息を落としてつい噴き出してしまった。
「かまいませんよ、どうか落ち込まないで下さい。ガレット隊長の事だから女に追い縋られ動転したんでしょう?」
「リシェット…」
「ラキス隊長の時は大勢の前でやらかして変な噂がたってしまいました。今回は他に誰もいなくて良かったです。」
勝負を途中放棄して逃げ出そうとしたセイを引き止めようとしたが、いつの間にかフィオがセイに懸想し追い縋った事になってしまっていた。当時を思い出し悔しい思いもしたが、相手がガレットにすり変われば今度はどんな噂になるだろうと想像すると何故か笑えてしまう。
そんなフィオの言葉にガレットが思い出せるのは、無理矢理飲まされた酒によって意識を失う前の出来事。この柔かな唇が何の前触れもなく押し付けられた瞬間だった。
「ガレット隊長?」
ふと大きな影が視界を遮りフィオは首を傾げる。すると次の言葉を発する間もなく大きく硬い掌が頬に触れ、とても近い距離に灰色の瞳が迫っていた。




