弱みを握られた隊長
すっかり日が落ちた、だだ広いだけの鍛練場に土を蹴る音が響く。
無我夢中で走り込むガレットは既に三百周を超え、間もなく四百周目に突入することろだ。
十日の演習を終えて山籠りから帰還してみれば、砦の空気がいつもと違っていた。別部隊の若い騎士が高揚した面持ちで駆け寄ってきて、「司令官が呼んでいる」と伝えられる。
帰還の報告があるので、当然行くつもりではいたが呼び出されるとは。何か問題が起きたのかと思いながら、後のことを隊員たちにまかせ、ガレットはその足で真っ直ぐに司令官室へと向かった。
司令官室前には数人の男がたむろしていた。いつもは用があっても近づきたくない場所なのにいったいどうしたというのだろう。
ガレットに気付いた者たちが道を空ける。
不審に思いながら司令官室に入ると、カイルが大きな体を椅子に預けてふんぞり返っていた。
いつもと変わらない光景に思えるが違う。なぜかといえばカイルの他にもう一人、妙な人間が立っていたからだ。
長い黒髪に黒い瞳、黒い制服に身を包んだ、青年というには若い、女と見紛う綺麗な顔をした少年。
力強い瞳を向ける魔術師の姿に、ガレットは「またか」と思った。それでも面倒だとの気持ちはおくびにも出さなかった。
年に一度の志願者たちとは違い、途中入隊してくる奴は必ず問題を抱えている。
時に都からの左遷といった程度で、たいした問題がない場合もある。それでも大抵が手に負えない奴ばかりだ。
その途中入隊してくる面倒な奴らを、ガレットはカイルの命令で頻繁に引き受けさせられていた。
仕事だし、上官からの信頼に応えるのは悪くないと思っている。けれどもさすがに今回は遠慮したい相手だった。
相手が魔術師というのもある。魔術師とこれほど近くで接するのは初めてで驚きもあったが、遠慮どころか拒絶したいと思ったのはそれが原因ではない。
ではなぜかといえば、この魔術師。まるで女性と見紛うほどに完璧な女装を決め込んでいたいるのだ。
変態程度なら問題なく受けたが、これはいけない。ここがアゼルキナでなければ個人の趣味に何も思わないが、ここは男ばかりのアゼルキナ砦。性的な意味で一斉に襲いかかられるか、ぼこぼこにされるか。女に飢えた輩も多く、一瞬で勘違いされてとんでもないことになる未来しか予想できなかった。
これの面倒をみろと言われては、また妙なのをと愚痴りたくもなった。
見た目は完璧な女に見えるので、セイがいるじゃないかと薦めたが鼻であしらわれてしまった。
女装癖……ということは同性愛者だろうか。それとも単なる趣味か。
宮廷魔術師団に在籍していても、彼ら魔術師は実戦に出ることなく安全に日々を過ごしている。かつては戦力の要として活躍していたらしいが、それも何十年と昔の話。ガレットにとっては曾祖父母の時代のことだ。
ガレットたちにとって魔術師は未知なる存在でも、彼らが使えないことは軍部において周知の事実。大した体力もないだろうし、このアゼルキナではあっという間に袋にされるだろう。
生きていられるだろうかと考えを巡らせていたら「彼女」と紹介され、反射的にその体を確認してしまった。
胸に二つの膨らみがある。
手を伸ばして確認すると柔らかい。詰め物ではない感触が伝わってーーあまりの驚きに殴られたことすら気付かなかった。
どうしてこんなところに女が……いや、それより俺はいったい何を!? と驚愕した。
アゼルキナに女はいない。配属されるのは選ばれた騎士。男だけという先入観がガレットに間違いを犯させた。
男にしては低めだが、女にしては高めの身長。その微妙さと、当然だとの思い込みがミスを誘った。
どこからどう見ても女なのに間違えた。失敗のいい訳は通用しない。
走る速度が緩まり、やがて足の運びが停止する。ガレットは膝に手を突いて「くそっ」と吐き出す。日が落ちて気温が下がっていた。滝のように流れる汗が湯気のように闇の中で立ち上っていた。
「とにかく詫びをしなくては」
許しもなく女性の胸に触れてしまうなんて、誠実な騎士のすることではない。
彼女に対してやらかした行いは男として、人間として、騎士としてあるまじき悪行だ。
詫びる程度で許してもらおうなんて思っていない。それでも誠心誠意、なんとしても許しを請わねばと、ガレットは体を起こして額の汗を拭う。
走り込みを終えて宿舎棟に向かうと、カイルが腕を組んで厳しい視線を向けていた。
「フィオネンティーナ・リシェット。歳は十八。あのとおり魔術師で正真正銘の女だ。部屋はお前の隣を使わせている。明日から第六隊の隊員だ。いいな?」
カイルの命令に対してガレットは、返事の代わりに眉を潜めた。
「あのお嬢さんがお前でいいってんだからしょうがねぇだろ」
言いたいことが分かったのだろう。カイルはやれやれといった風に溜息を吐く。
「彼女がそう言ったのですか?」
驚くガレットにカイルは意地の悪い笑みを浮かべた。
「お前は弱みを握られたんだ。これからやりにくくなるだろうなぁ」
ざまぁみろと言わんばかりの嫌味を残して、カイルは笑いながら宿舎へ消えて行った。ガレットは黙って見送る。
「彼女が俺でいいと? そもそも彼女はどんな理由でこんな場所に配属されたんだ?」
彼女が本物の女性と分かっても今ひとつ実感がわかない。
魔術師、それも女性。どうしてアゼルキナ配属ににったのか。
アゼルキナ砦において、ある意味女の存在は禁忌だった。
配属される騎士は当然男だけ。
昔は女性の騎士もいたらしいが、それがいつの間にか消えてしまったのは、ここに送られてくる男たちに大きな問題があったからだろう。
何年も暮らしているとそう悪い場所には思えないし、常駐できるのは実力を認められた証しでもあるので誇りに思える。騎士の社会でアゼルキナ出身者は一目置かれていた。
ここを出て出世する者もかなりの数に上る。アゼルキナに在籍せず、要職に就ける騎士はごくごく稀だ。
よほどの問題を抱えて左遷させられたか。なんにしても、ここに来るのは不本意であっただろう。
ガレット達からすると魔術師は温室育ちに等しい。そんな彼女の配属をカイルが許可したのは大きな疑問だ。
可哀想に。
ガレットは彼女の配属の取り消しをガレットに交渉しようと強く思った。
それが彼女のためだし、望みだろうと。
その前にまずは彼女に頭を下げてからだ。
薄汚れたままでは誠意を問われると、急ぎ風呂に入って身綺麗に整えた。
一度自室に戻って素早く気持ちを落ち着ける。「よし!」と気合を入れてガレットが部屋を出るのと同時に隣の部屋が開かれた。
出てきたのは件の彼女、フィオネンティーナだ。
突然現れた彼女に虚を突かれてしまい息を飲んだ。その隙にフィオネンティーナから声を掛けらる。
「先程は失礼をいたしました。フィオネンティーナ・リシェットです。今日からお世話になります」
にこりと笑顔を向けるフィオネンティーナに、思わず釣られて表情を和らげる。
「ああ、ガレット・フォースだ。こちらこそ……」
ではなくてっ!!
思わずよろしくと出かかった言葉を飲みこんで、直角に腰を曲げると頭を下げた。
「失礼をしたのは俺の方だ。不快な思いをさせてしまい本当に申し訳なかった」
必死で謝るガレットの耳に「いえいえそんな」と、意外にも落ち着いた明るい返事が返ってくる。
怒って当然、罵声を浴びせられるだろうと覚悟していたガレットは思わず頭を上げた。
すると可愛らしく笑うフィオネンティーナの姿が目に飛び込んでくる。
どうしてこれを紛い物と見誤ってしまったのか。どこからどう見ても間違えようのない、可憐な愛らしくも美しい女性ではないか。
「これから長い付き合いになるのだし、済んだことは綺麗さっぱり水に流しましょう」
明るく告げるフィオネンティーナに、ガレットは心の内でほっとしてしまう。
決して自分の不手際をなかったことに出来る喜びでほっとしたのではなくて、魔術師という特殊な人間が思ったよりもとっつきやすいと感じたからだ。
気位が高いとか、つんとしているとか、自分は特別な存在だとか言って、人を見下す輩ではなさそうで。
こんなにいい子が目の前にいるなんて信じられない。なんとしても一刻も早く都に帰してやらなくてはとの気持ちが強くなる。
「水に流して得をするのは俺だけだ、無理して許してくれなくていい。それよりも俺は、あなたができるだけ早くここを出られるよう、司令官に強く意見し交渉することにする」
せめてもの償いと、大きな体を小さく見せるように肩を落として話すガレットに、フィオネンティーナはすっと笑顔を消した。
細められたその瞳には冷たい空気を纏わせている。
「やめて頂けませんか、そういうの」
突然の態度急変に、ガレットは己の失敗悟が、何が失敗だったのかは分からない。
「司令官殿は受け入れて下さいましたよ?」
「いや、しかし。ここはあなたのような女性が暮らせる場所じゃない」
君の為を思ってと焦るガレットに、フィオネンティーナは追い打ちをかけた。
「あまり魔術師を見くびらないでくださいね。それよりも、あなたはご自身の失態と向き合うのが嫌でわたしを追い出したいだけなのでは?」
「そんなことはない!!」
「でしたら問題ないじゃないですか」
フィオネンティーナの黒い瞳がぱぁっと輝いた。
「司令官殿より食事は隊長殿と一緒にとるよう言われているんです。問題もなくなったことだし参りましょうか?」
「お腹が空いて死にそうです」と楽しそうに歩きだしたフィオネンティーナの様子に、ガレットは呆気にとられた。
なるほど。先ほどカイルから言われたとおり、確かに自分は弱みを握られている。
いやしかし。自分のために彼女を追い出そうなんて思っていない。こんなところに配属になって可哀想だから、危険だから、フィオネンティーナのためにそうしようと考えているだけだ。
ここにいるのはフィオネンティーナのためにならない。間違いが起きてからでは取り返しがつかないのだ。
それでも弱みを握られて当然の行いをしたのだから、ガレットが考えを変えてフィオネンティーナの言葉に従うのが筋なのか?
ふと視界に入った手に、先程感じた柔らかな感触がよみがえってしまう。不埒な自分自身にガレットは悶絶した。
「隊長、何してるんです? 早く行きましょう!」
明るい笑顔を向けるフィオネンティーナのなんと愛らしいことか。
駄目だ、これでは駄目だとガレットは、頭をふって邪な感覚感情の全てを振り払う。
そうして男たちの巣窟を、スキップでもするかに軽い足取りで先に行くフィオネンティーナの後を慌てて追った。




