その35
騒ぎは突然訪れるものである。
夜の温泉場でサイラスと話しこんだのが二日前。キグナス王国がアゼルキナへ派遣された魔術師について調べているとフィオが知って僅か二日。午前中はいつもと変わらぬ砦であったが、昼食を挟み午後の訓練に入ろうとした矢先、周囲が俄かに騒がしくなった。
ほんの先程まで隣にいたガレットが真っ先に飛び出して行き、他の隊員たちも情報を得ようと同じ方向を目指す者と万一に備え持ち場に向かう者とに分かれる。持ち場を与えられていないフィオは当然ガレットの後を追って外に向かった。
向かった先は砦の入口で、多くの騎士が集まってはいたがそれでも住人の四分の一にも満たない。それぞれが配置に付いていて誰もが有事に慣れていた。
到着が遅れたフィオは様子を探ろうと大きな男達の間を掻い潜り前に出る。そこには数頭の馬と見慣れぬ濃い赤の制服を着て帯剣した、一目で騎士と解る出で立ちの男らが鋭い眼差しで周囲を伺っていた。
そしてその先頭では同じく帯剣しているものの、明らかに貴人と解る濃い紫の長衣に身を包む出で立ちの青年が彼らの一歩前に出て司令官であるカイルと何やら話をしている。ふわりとした金色の髪が青年の動きに合わせ揺れると同時に頭が動き、彷徨った視線がフィオの位置で止まった。
「キグナスの王族だ―――」
誰かの呟きがフィオの耳に届く。端正な目鼻立ちの青年が表情を緩め微笑むとぞくりと背筋に悪寒が走った。
青年は一瞬後には視線を戻してカイルについて歩き出したが、フィオの内には妙な感覚が残り腕を己に絡めた。何かに捕われた様な気分に陥ったのは錯覚だろうか。
それから一時程の後に青年の正体と砦を訪れた理由についてガレットから説明を受けた。誰かが漏らした呟きに間違いはなくあの青年はキグナスの王族、それも王弟なのだという。キグナスにおいて濃い紫を纏うのは王の直系だけに許される色彩なのだそうだ。六人の護衛を伴い突然現れた青年の名はエルファスタ、御歳二十五でガレットと同じ年齢だがかなり若く見えた。
どうして突然、それもキグナスの王族がとフィオは思ったが、過去になかった訳ではない。エルファスタがアルファーンに入国した目的は国同士で急ぎ取り交わしたい用件があるからだそうだ。
互いに文書でやり取りする時間も惜しく早急に話を纏めて実行に移したいキグナスは、アルファーンに劣らぬ軍事力を盾に多少強引なやり方ではあったが、こうして追い返し難い王族を代表に据え訪問して来たのだ。
話の内容としては、アルファーンの北東にある国と交易を広げ鉄鉱資源の輸入が取り決められたそうなのだが、アルファーンを迂回して荷を運ぶのは効率が悪過ぎる。それ故に通行の許可と通行税の話し合いを望んで王都まで参上したいらしかった。
腰低く入国の許可を求めてくるもののこちらとしても拒否は出来ないだろう。都へ向け早馬を出したがエルファスタ一行は早々に出立したいと言ってきている。だからと言ってはいどうぞと送り出す訳にはいかず、相手がキグナス王弟とあっては拒絶し送り返す失礼もできない。
そこでカイルは過去に習い仕方なく一行を都へ向け送り出す代わりに、アルファーン内で勝手をさせない見張りとエルファスタの万一の身の安全を考え、砦より数人の同行者をつける事にした。そして何故かその一行にフィオも名を連ねていたのだ。
「何かの間違いではありませんか。わたしでは役に立てるとは思えませんけど。」
どうして自分の名がと大きな疑問が生まれる。急いで準備しろと命令され解散したが納得できずにガレットの後を追い、命令に対して本来ならするべきではない疑問を投げかけた。
任務であるなら王都に向かうのは構わない。しかし監視と護衛の対象はキグナスの王族だ。実力的に一番相応しいと思われる第一隊の中からは誰一人として参加しておらず、同行の人選は第二隊と六隊から選抜されていた。
「万一に備え一隊は砦に残る。リシェット、お前の参加は正直俺も反対だが、司令官の魔術師はある意味脅威だという考えにも俺は賛同した。」
「張りぼてってことですか?」
「大丈夫だ、ちゃんと守ってやる。」
安心させる為に落とされた言葉だったが、フィオにとっては逆に突き放された気分に陥らされた。
解りましたと頭を下げその場から逃げるように離れて準備に取り掛かったが、ガレットにとって自分はお荷物にしかなれないと言われたも同じ意味の言葉にフィオの心は塞ぐ。
同行者は第二隊隊長オーヴ=ファマスと以下四名。第六隊からは隊長のガレットとフィオを含む以下四名の総勢十名。サイラスも肩を並べ出立の陣に並び緊張の場面ではあったが、どういう理由であれ彼が都へ戻れてよかったとフィオは僅かばかり心にゆとりを取り戻した。
けれど何時もなら砦の外に出る度に、普段は出来ない入浴や買い物やらを楽しみに出立するのが常であったのに、今回に限っては何時まで経っても気分が浮上して来ない。異国の王族を前に緊張する性質でもないが、やはり任務となると感じ方が違うのか。まさか風邪でも引いたかなと首を捻りつつ最後尾に馬をつけた。
騎乗で身軽な分進むのが早い。見慣れた町を無視して街道沿いに通り過ぎ、馬を休める為だけに短い休みをとりつつ陽が暮れる寸前に比較的大きな街で宿をとるに至った。
あわや先に出た早馬に追いつく勢いではないのかと思える強行だが流石にそれはない。主要な街には騎士団の詰め所が置かれ、非常時の連絡には昼夜問わず交代で都を目指すのだ。それにフィオにとっては強行軍でも同行する砦の住人らには大した苦労でもなく、それはキグナスの騎士らにとっても同じだった。
「やっぱり足手纏いだわ―――」
一日中馬上でお尻も体も強張り傷む。総勢十六人。しかもキグナスの王族を含んでいるので宿泊場も厳選される。丸ごと借り上げた宿の湯殿で、フィオは情けない己を呪いながら体をほぐしていた。
たとえ役立たずの張りぼてでも邪魔にはなりたくない。けれど実際には男女の差、そして実戦経験豊富な騎士と微温湯で育った魔術師の差を見せつけられ更に落ち込む。彼らと同じように動こうなんて大それた事は考えないが、アゼルキナの魔術師として何とか役に立ちたいと思ってもこうして現実を突きつけられるだけだった。
今も宿屋の内外を同僚の騎士らが交代で見張りにあたっているというのに、明日に響かせないようにと気を使われ湯を使わせてもらっている。この後は見張りの仕事もなく翌朝までしっかり休めというのがフィオに対する命令だった。
フィオとて腐っても魔術師、攻撃においては訓練の成果で集中力も養われ命中率も都にいた当初より特段に上がっていたが、フィオのかわりに腕の良い騎士を一人同行させた方が戦力的にも大きくなるのは目に見えていた。それをあえて『魔術師』という異能の名だけで勝負させようなどとは―――キグナス王の弟がアルファーン領土内にいる限り砦が襲撃されるとも思えず、やはり自分など留守番組でよかったのにと己の不甲斐なさにフィオはすっかり沈み込んでしまっていた。
せめてクインザの様に結界を上手く張り巡らせるだけの力があったなら役にも立てたのに―――無い物強請りは更に気持ちを落ち込ませるだけだと解っていてもついやってしまう。
かなりの長風呂になったが、負の感情ばかりが膨れ上がり気分はすっきりしなかった。それでも明日こそは頑張らねばと十分な睡眠を得る為に与えられた部屋へと戻る。戦力外を悩んで無駄に考え喘ぐより今やるべきは十分な休息だ。都までの道程を邪魔にならないようこなして見せると明日への僅かな希望を胸にフィオは部屋の扉を開く。
え―――? と思った時には後ろから背中を押され、一歩踏み込んだ所で扉を閉じられていた。
驚きに見開いたフィオの眼には一人の青年―――キグナス国王の弟エルファスタが寝台に腰を下ろし、微笑んでこちらを伺っている姿が映し出される。
何だこれは、もしかして夜這いかと己の性別を思い出し後ずさった。後ろ手にドアノブを回しても開く気配はなく、目の前の青年が身動きする様にびくりと肩が跳ねる。
まさかキグナスの王族相手に雷で意識を沈める訳にもいくまい。ここは大人しくやられるしかないのか? もしかして司令官はこうなる事を予測してフィオを選抜したのかと―――いやいや、もしそうならガレットが反対する筈で流石にそれはないなと、フィオの脳裏にはほんの一瞬で様々な考えが浮かんでは消えて行った。
「何も取って食おうなどと考えてはおらぬ。驚かせたのは申し訳ないと反省するが、それほど警戒しなくとも大丈夫だ。」
美しく整った顔を緩めくすりと笑ったエルファスタに男臭さはない。ゆるやかにうねる金色の髪が彼の動きに合わせてふわりと空気に馴染んだ。
「いくら殿下とはいえ、この様な時刻に女性の部屋を訪問されるのは些か非常識なのではないでしょうか。」
立ちつくしたままだったフィオはエルファスタを拒絶するかに膝をつき、首を垂れ礼を尽くす。穏やかな笑みを浮かべたエルファスタとの間に僅かな気の緩みも生みだしたくなかった。
「私は前々より魔術師と言う存在に深い興味があってな。日中はそなたと会話する機会もなくもどかしい思いであった。それゆえの奇行だ、許せ。」
許せって……これだから王族はと、フィオは床を睨みながら眉間に皺を刻む。
「魔術師などキグナスにも居りますでしょうに。」
「残念ながら我が国では血が薄まり過ぎ、そなたらアルファーンの魔術師の様に力を有したものはおらぬのだ。」
エルファスタの動く気配がしたかと思うと、あっという間に両腕をとられ立ち上がらされた。そして彼が腰を下ろしていた寝台へと引き寄せられ、互いが向き合う様に腰を下ろす形へと持って行かれてしまう。
お忍びの形をとってはいるが出で立ちは貴人そのもの。泊まる宿もそれなりの所を押さえ、下っ端のフィオにすら勿体ないほど広い部屋が宛がわれていた。当然机や椅子も備え付けられており、何もわざわざ寝台に腰を据える必要はないのだ。しかしエルファスタは寝台に座るこだわりを持っているようで、直ぐ様立ち上がろうとするフィオを意外にも強い力で押し留める。見た目はそれ程筋肉質ではないがやはり剣を握る男性だ。腕に回された指もフィオよりずっと太くて硬い。
面倒臭い、そして何故だかいたたまれない。腕を引こうにもしっかり掴まれ身動きが取れず、無理矢理振りほどいて許される程には乱暴にも扱われていなかった。
取り合えず視線だけは合わせないでいようとフィオは顔を背け、内心は全力で身を引く。
「確かリシェットと呼ばれていたか。正しい名は何と?」
「―――フィオネンティーナ=リシェットと、申します。」
セクハラ男に名乗る名はないとも言えず、仕方なしに名を教える。本当なら偽名で済ませてやりたかったが、キグナスの王族相手に堂々と嘘をつけるほどフィオも図太くなかった。
「そう、フィオネンティーナ。フィオネンティーナと言うのか。良い名であるな。」
「きょっ…恐縮ですっ!」
エルファスタは幾度となくフィオネンティーナと繰り返し呼んでは本当によい名だと、握り締めたフィオの手を引き寄せ愛おしそうに頬ずりして来た。
「ひっ!」
驚きで思わず声が漏れ、同時に全身に鳥肌が走った。
こういう奇行はクインザだけがやらかすのだと思っていたが、まさか軍事国家であるキグナスの王族にも存在していただなんて。いいのかこれは。口外して明日の命はないなんてオチはないよなと思いながら腕を引くが、引けば引くほどエルファスタの方へと引き寄せられた。
「フィオネンティーナ、私の事はどうかエルと呼んでくれ。」
「さっ、流石にそれは恐れ多い事でございますっ!」
「私がそう呼んで欲しいのだから遠慮するな。」
初対面でそれは無茶ぶりだろう。そっちは慣れているだろうがこちらはそうじゃないんだと話を逸らそうと考え頭を振った。
「あのっ、殿下は魔術師に興味があるとのことですがっ?!」
「その通りだ。こうして知り合えた魔術師がそなたであって私は幸運であった。」
両手を抱え込まれ唇を押しつけられる。またもや全身が総毛立ち忍耐力もこれまでかと思われた。不味いと解っていても体が言う事を聞かない。掌に向かって無意識の内に魔力が集中しているのが感じられた。
まさかこれが狙いなのか?
王族を傷つけた罪でアルファーンがどれ程の損害を被るのかと考えただけでも末恐ろしい。
「事が済めばそなたをキグナスに連れ帰っても構わないだろうか。」
「エルファスタ殿下っ!」
押し倒された訳ではない。けれど進撃して来るエルファスタに自己を保とうとフィオは必死に声を上げた。
「なんだいティーナ…」
甘い声で囁かれる。勝手に変な愛称で呼ぶなと張り倒したい気持ちを抑え睨みつけた瞬間、フィオははっとして目を見開いた。
僅かな明かりの中で煌めく瞳は青と銀の斑。不思議な色彩が露に潤んで男性とは思えない色香を漂わせている。
フィオがただの娘ならそれに捕われいい様に弄ばれただろう。けれどフィオがその色香より感じ取ったのは共に漏れ出す甘い魔力だった。
(殿下は魔術師の血を―――)
人を操るほどの力はない。けれど放たれる魅力の幾分かは魔力が関係しており、エルファスタもそれを術として使いこなしている。
そうと解るとフィオは一気に冷静さを取り戻した。
色と奇行を装いながらもそれは全て計算ずくのもの。こんなものにかかって足を引っ張る訳にはいかない。
正気を取り戻したフィオに気付いたのか、エルファスタは態度を崩ぬまま「残念ながら時間の様だ」と言って寝台から腰を上げた。
早々に話が切られほっとするフィオの手を、エルファスタは名残惜しげに握り締めてから解放する。
「明日は馬を側に。ゆるり語らいながら進もうではないか。」
「殿下はキグナスの王族、わたしはアゼルキナの魔術師であり護衛です。立場を弁え任務に忠実でありたいと思います。」
「つれない娘よ―――」
ついと、見た目に反して硬い指先がフィオの頬をなぞり、先程手の甲に押しつけられた物と同じ柔かな唇がフィオの頬を掠めた。
嗅ぎ慣れぬ甘い香りが鼻孔をくすぐり動揺を誘ったが、必死になって押し留め、不敬ながら横目で睨み付けた。くすりと笑われたが反応を表には現さない。
「不躾な時刻に済まなかった。妙な噂が立つなら喜んで責任をとらせてもらおう。」
「ご配慮痛み入ります。」
全力で拒否させて頂きますと内心呟きながら首を垂れる。
去りゆく青年から洩れる気配に不気味さを感じ、フィオはエルファスタの気配が消えるまでそのままの姿勢を崩さなかった。




