その34
砦の住人が変わらぬ日々を送っている領域に異質な存在として入り込んだフィオだったが、やがて彼女なりの適応力を持って日々己の居場所を確保していった……のだが。それはつまり男集団に馴染むと言う事で。日を追う毎にアゼルキナの住人に溶け込んでいくフィオは、ふとした瞬間に本当にこれでいいのだろうかと時折疑問に感じるのだ。そしてそれを感じる瞬間には大抵ガレットの『女なのだから』という口癖が悲鳴と共に落とされる。
女である以上やってはいけない事もある。同じでありたいと願っても男女の違いはどうしようもない。しかしそれをいちいち気にしていたら馴染めないと言う事にも気付いた。気にしなければ宮廷魔術師として生きていた時の様な気楽さも手にできる。しかしガレットの小姑染みた忠告を受ける度に、女として大事な何かを失っていく様な気分にも陥るのだ。
例えば、体術の訓練で盛大に汗をかいた時。
赴任当初は周囲の目を気にして、詰襟の制服をきっちり着こなし体術の訓練に励んでいた。熊親父と称されるジャフロ相手に馬鹿力を揮われるので、ふとした拍子に肌を露出してしまうのを避けるためだ。
汗だらけになっても他の隊員の様に服を脱いで水を浴びたり汗を拭ったりはせず、気持ち悪いのを我慢して自室に戻るまでそのままだった。
けれど時が経ち季節を超えるとだんだんと面倒になって来たし、冬を迎えてからは汗をかいたままにしておくと風邪をひいてしまいかねない。訓練で上気した体は部屋に戻る頃には冷たく冷え切っていた。
健康管理は生きていくうえでも重要だ。そこでフィオは体術に限らず訓練の全てにおいて薄着で励むようにした。長く男達に囲まれた生活を過ごし慣れもあっただろう。その場で服の下に手拭を突っ込んで汗を拭うのも一度やってしまえば躊躇がなくなり、すっかり慣れてしまっていた。時にはこっそり肌着だけを脱いでしまう技も披露している。
羞恥心がない訳ではなかったが、幼馴染であるクインザと過ごした時間の影響も強かったのかもしれない。更にアゼルキナでたった一人の女であるフィオに砦の住人らも気使いをみせ、フィオを前に露骨な性的話題を控えるようにもなっていた。
最初にフィオが彼らの前で上着を脱ぎ首筋を曝しただけで目を見張っていた輩も、今では素知らぬふりにすっかり慣れたようだ。初めは深い興味を持ってこっそり様子を伺う者もいたが、それも目を光らせる同僚に蹴りを入れられやがていなくなった。
男達は慣れにより粗暴な関係を築いてそれに拍車をかける所か、反対にたった一人の女性から嫌われるのを恐れ、各々の判断で紳士的に振舞う様になったのである。だからといって付き合いに距離を取ろうとはせず、彼らはフィオを異性の仲間として扱うようになっていった。荒くれ者ぞろいの住人の筈が意外にも紳士的な態度をとられ、そして受け入れてくれる彼らにフィオは暖かいものを感じて感謝の気持ちを持っていた。
そしてめっきり寒くなり小雪もちらつく今日この頃、フィオはサイラスを伴い砦周辺にある露天風呂に赴くという技をこなす様にまでなっていた。
これにはガレットが悲鳴を上げたが、流石に本気で寒かったので芝居掛がかってはいたがちょっと辛いと拗ねてみれば、酷く苦しそうに悩んだ末にガレットもしぶしぶながら許してくれた。ただし自分が護衛に付くと言いだしたので、それは流石に無理だとサイラスにお願いしているのだ。
何処の世界に上司を見張りに据える部下がいるものか。フィオも始めはガレットだけに許可をもらいこっそり入浴を楽しもうと思っていたのだが、それだけは絶対に駄目だと許してくれないガレットの剣幕に、仕方なくサイラスに事情を説明し同行を願った。流石にサイラスも初めは驚いたが、まぁ仕方がないなと呆れながらも付き合ってくれている。
サイラスとの関係はちょっとしたノリと出来心からくる『夜這い』が始まりだったが、付き合って行くうちにお人好しで面倒見が良く、そして何よりも仲間の信頼を裏切るような人間でない事がよく解った。明らかに態度にもろ出しでフィオに構い保護に走るガレットとは異なり、サイラスはあくまでも自然に先を予測してそれとなく援護してくれるのだ。
サイラスはけして女性の扱いに慣れているという訳ではなく、誰に対しても面倒見がいい好青年といえよう。流石は騎士団長の姪とお付き合いを許されているだけはあると感心するほど行動に厭味もない。周囲の状況を冷静によく見ているのはクインザ相手に演習に出た際、最後に旨い所を持って行った様子からも伺えた。
ガレットや司令官であるカイルは問題外。それからジャフロも体の大きさから目立ち過ぎるので除外だ。タースやハイドも候補として脳裏をかすめたが、恐らくこの二人は出来心でフィオの入浴を覗くだろう。
その点サイラスは例え興味を抱いたとしても信頼を寄せる限り絶対に裏切らない。まぁ裏切らないからといって入浴の番をさせる度胸がある辺りフィオも女としてどうなのかとなってしまうのだが、ガレットが過剰にフィオへと女性を求め指摘するあまり、フィオの中の女がその反抗故か少しずつ欠如して行っているのも確かだった。
そんな訳で二人は森の中に点在する温泉の一つ、少しばかり距離はあるが砦の住人が滅多に足をのばして来ないその場所で落ち合う様になった。
頻度としては三日に一度、寒空の下を見張りに立ってもらうので髪や体を洗うのもテキパキと済ませる。その間サイラスは体半分を木の影に隠し、近付いて来る人間がいないか周囲を警戒してくれていた。
「何時もごめんね、手早く済ませるから。」
「俺も何時もいうけど、訓練の一環だと思ってやってるからゆっくりで構わないんだからな。」
サイラスが言うにはフィオを護衛対象と見立て、人にしろ動物にしろ何かしら近付いて来るものの気配を掴んでいるらしい。
「それでも人の彼氏をいいように扱ってるってだけで気が引けるのよ。」
「何だそれ、こう言うのはお互い様だろ。何かの時には俺がリシェットに世話になるんだから。」
ほらいけよと顔を背けて骨ばった手を振るサイラスに申し訳なさを覚えながらも、着替えを抱え遠慮なく湯へと歩み寄っていく。
分厚い外套を着込んでいるが、日も暮れた寒空の下で文句も言わずに付き合ってくれるサイラスには感謝の念でいっぱいだ。このあと彼も湯を使って体を温めてくれるのでなければ、フィオが図々しい一面を持っているとはいえ、流石に冬場の入浴は長続きしないだろう。
夜目の利くサイラス達とは違い暗闇では何も見えないフィオは、小さな明かりを湯の側に下ろす。
手早く衣服を脱いで湯に身を沈めると、しばし冷え切った体を温めた。それから一気に頭の先まで湯に沈んで髪と体を洗い流す。湯から上半身を出して髪を絞り一纏めにしていると「はぁ…」と零れた溜息が耳に届いた。
誰だ?! と焦り辺りを伺うがサイラスが動く気配がない。どうやら溜息の落とし主は木の影に身を預けるサイラスの様だった。
「サイラス?」
「あぁ、なに?」
問いかけると返事は返って来る。いつもと変わらないようだが、フィオの中で何かが引っかかった。
「もしかして元気ない?」
「元気? あ―――いや、普通だけど?」
「本当に?」
「なんで?」
「沈黙の中で溜息落としたし、さっき顔、そむけたよね?」
「―――別に。何もないけど。」
少し間をおいて返答したあたり何かあるのは間違いないだろう。しかしそれをフィオに話す話さないはサイラス自身が決める事だ。
「ならいいけど。何かあるならお世話するから遠慮しないでよ?」
「ああ、うん。ありがとな―――って、ちょっと待って。」
湯船から出ようとした所で上がった声に何だと首を傾げた。言葉通りに少し待つと再度溜息が落とされる。
「のぼせないなら話を聞いてもらっても?」
サイラスの言葉を受け上がりかけだった体をそっと湯船に戻す。どうやら話にかこつけゆっくり入れと気を使ってもらっているようなので、好意を素直に受ける事にした。
それよりもやはりサイラスの様子がおかしい、何か悩みがあるようだ。そしてフィオに聞いてもらいたいとなると話の内容は勿論―――
「お前さ、ガレット隊長とはどうなってんだ?」
「って、そっち?!」
てっきり騎士団長の姪である彼女とのことだと思っていたフィオはがくりと体を傾け湯に沈む。
「そっちっていうか…まぁお前にはあの美人がいるのは解ってるんだけどさ。隊長見てると何かあんまりにも真っ直ぐ過ぎて正直痛々しいっていうのかなぁ。幼馴染と比べるのもどうかと思うけど、ここじゃぁ砦に閉じ籠って四六時中一緒にいる様なもんだし、ちょっとは靡いたりしないのかなって。」
「靡くっていうか―――サイラスから見てもガレット隊長って、やっぱりそうなの?」
まさかまさかと思いながら、そうでありませんようにと願いを込め質問したフィオに「えっ?!」とサイラスからは驚きの声が上がった。
「あれだけ露骨な態度とられておいて気付いてないとか言わせないぞ?!」
「え―――っ、そもそもアゼルキナで男女の恋愛沙汰とかってちょっと…やばいでしょ?」
男ばかりの集団だ。男同士の恋愛沙汰が過去にあったとしても、砦の住人全てが同性趣向な訳がない。たった一人入り込んだ異物が誰かと対になる事が良い影響を与えないであろうことは予想が付く。
「そりゃあラキス隊長なら大問題起こしそうだけど、ガレット隊長ならきっちり弁えんじゃないのか。」
「今でさえ露骨なのに?」
「これだけの男に囲まれてるんだからあれもしょうがないだろ?」
フィオはそうだなぁと唸るように呟きながら夜空に瞬く星を見上げた。
やはりガレットの奇行は真面目な堅物だからというだけではないようだ。事の起こりはガレットがフィオの胸を鷲掴みにするという血迷った性別確認をしたせいだったが、あれがなくても必要以上にかまい、異常なまでの気配りを施してくれたのだろうか。
フィオも最初は我が身を守る為にガレットを利用していた。もしかしたらあの出来事がなければガレットが過去に付き纏いをした女性の様に彼を変な目で見て、恐れ、拒絶しただろうか。
そう考えてみると違うようにも思える。ガレットの堅物で融通の効かない所は嫌いではない。女だからと守られてばかりなのは砦の住人として疎外感を感じるが、だからといって彼からそう扱われる事を拒絶したい訳でもなかった。
もしかして自分はガレットに女として見られて嬉しいと思っているのだろうか?
考え込むフィオにサイラスが「やっぱりさ―――」と話を続けてきた。
「離れてると近くの男の方が良くなって来るんじゃないのかな。」
それは問いかけの様でいて、呟きのようにも聞こえる。もしかしてこれはフィオにガレットを勧めているようでいて、実の所は女としての意見を求めているのではないのかと思い至った。
離れている彼女と何かあったのは確実だなと、世話になっているサイラスの為にも茶化さずフィオは湯煙の中で腕を組む。
誠に申し訳ないがフィオにはサイラスやその彼女の様な恋の経験がなかった。『あの人素敵!』程度の淡い想いを抱く程度は過去にもあったが、異性との親密な関わりは正直クインザ以外に思い浮かばない。そのクインザも男女の仲ではなく、あくまでも兄妹の域を出る事はなかったのだ。泣きつかれて慰め、尻拭いをし、馬鹿やって騒いで流石に女らしくならなくてはと決心しても泣きつかれてまたその繰り返し。
はっきり言って相談する相手を間違っていると思うのだが、砦の住人で女はフィオだけだ。適当な解答だけは避けねばと考え込んでいると、「やっぱりそうだよな」と、サイラスの方が勝手に悲観的な答えを出してしまっていた。
「そうとは限らないわよ!」
大丈夫だと言わんばかりにフィオは声を張り上げる。
「サイラスみたいないい男が振られるなんて事は絶対にない――――っ、と。わたしは思うわ。」
「うわっ、お前なに冗談言ってんだよっ?!」
堂々と言い切るフィオにサイラスは焦った様な声を漏らした。そんなサイラスにフィオは見えないのをいい事に、普段なら照れてとても口に出来ない言葉を勢いに任せ紡ぐ。
「楽しく男女の友情を築こうとしてるわたしが語るのは憚られるけど、今回限りで言っておくわね。あなたは素人のわたしが見ても剣の腕はいいし仕事も出来る。でもそれに驕った所は少しもないし、周りをよく見て適切な判断を下せる頭の良さもあるわ。六隊の中でガレット隊長が一番に認めているのはサイラスなんじゃないかしら? それに見えない所でわたしを助けてもくれているし、それでわたしが居心地を悪くしたりする事もない。見てくれだって良い方だし、都にいた時は結構もてたんじゃないの?」
「そんな事は―――」
褒められる事に居心地を悪くしたのか、そんな事はないと言おうとしたサイラスの口をフィオは閉じさせる様に先を続けた。
「騎士団長の姪御さんがどんな人かは知らないけど、そんな出来る彼氏と離れてしまったら不安に感じるのはしょうがないんじゃないかと思う。遠い場所で誰かに取られるんじゃないかって不安を抱くのは当然よ。」
騎士団長から頂いた資料に『何かあれば報告願う』と記されていたのは騎士団長だけの独断ではなく、姪御さんの不安を気遣っての事かも知れない。団長の姪というくらいだから彼女も恐らく貴族のご令嬢なのだろう。それ程身分が高くはないとしても、庶民出身であるサイラスが彼女と結ばれるには大きな壁があるのも確か。サイラスがアゼルキナで成功して無事都へと凱旋を果たした暁には、伯父である騎士団長が何かしらの口利きをするつもりなのではないだろうかとフィオは考えた。
「彼女って何歳?」
「十九…だけど。」
これはまた微妙な年齢だなとフィオは顔を顰めた。
庶民と違い貴族のご令嬢は十六から二十歳辺りまでに嫁ぐのが一般的だ。それ以上の年齢になると余程の理由があると勘繰られ周囲からは好奇の目で見られてしまうのだ。メリヒアンヌ王女の様に二十二歳で未婚など怪し過ぎてますます貰い手がなくなってしまう。親としてもたまったものではないだろうから、利害関係で勝手に婚約者を決められかねない。ましてサイラスはあと丸二年は砦勤務だ。待つ方も気が気じゃないだろう。
「一度会いに行ったらどうなの。彼女も喜ぶよ?」
確かサイラスは彼女の為に休みを溜めこんでいた筈だ。離れているのが問題なら一度都に帰ってお互い気持ちを確認し合うのが一番なのではないだろうか。
しかしフィオの案にサイラスの食らいつきは良くない。
「キグナスからの密偵が増えているらしいから今は無理だ。人員を減らせない。」
「密偵って、何かありそうなの?」
思わぬ答えにフィオは食いついた。
国境を交える場所に砦を置くのはキグナスの動向を観察し有事の際に備える為だが、キグナスから送られるある程度の密偵は知らぬ振りで迎え入れているのが現実だ。全てを食い止める事が出来ないのも事実だが、アルファーンも長年にわたりキグナスへ密偵を送り続けている。両者とも持ち帰らされる情報の真偽を検証し、互いが牽制し合う事で直接的な戦いが回避されていた。
「多分リシェットの事が向こうに知れたんだと思う。実際はどうあれ魔術師ってのは脅威だからな。」
何気に使えないと貶されているのは帰郷できない八つ当たりだろうか。けれどそう言う情報が流れると予想できていればフィオにもそれなりの対応が出来たのにと些か落ち込んだ。
宮廷魔術師の証明である黒の制服をきっちり着込み、町へ幾度となく足を伸ばしたのが今更ながらに悔やまれる。流石に密偵も砦内にまでは入り込めはしないだろうが、町は人の往来が激しい。国境の町ともなれば商業目的でキグナスからの人間が足を運んでいてもさほど目立たないだろう。
「別にお前のせいじゃないからな。魔術師の存在を隠した方が何かあるんじゃないかと勘繰られる。軍事目的で派遣されたんなら司令官だってきっちり対処した筈だろ。」
使えない魔術師だと言う事実を存分に披露してしまおうと考えている訳なのか?
「使えないのはわたし達の年代だけであって、先輩方は実戦経験豊富な方々ばかりよ。」
宮廷魔術師の半分は使えないボンクラ集団だが、十年ちょっと先に生まれた魔術師たちは戦争を経験しそれなりの武勲をあげている。魔術師はけして数は多くないがやはり力を揮われるのは脅威だ。
「全てを踏まえて判断を下すのはキグナスだ。安心しろ、向こうも馬鹿じゃない。」
そのうち治まると力なく呟くサイラスに、複雑ながらも自分の無能さを違えず判断して欲しいものだとキグナス側へは願わずにはいられない。
そうやって話をしていると不意にサイラスが立ちあがる気配がした。
誰か来ると緊張を孕んだ声色に一瞬身を固くしたフィオだったが、その誰かに思い至る節があり暗闇をじっと見つめる。するとフィオよりも先に相手の姿を認めたサイラスが幾分穏やかにその人の名を呼んだ。
「ガレット隊長―――」
ああやっぱりとフィオは緊張を解いてその身を鼻先まで湯船に沈める。
「戻りが遅いから何かあったのかと思ったんだが―――リシェット無事か?」
こちらが見えているのかいないのか、随分と離れた場所から声がかかりフィオは苦笑いを漏らした。
「勿論サイラスのお陰で無事です。ゆっくりし過ぎたようで訳ありません。」
「いやっ、無事ならいいんだ。何も俺はお前の楽しみを邪魔しようとしているわけでは―――!」
焦って言い訳を始めたガレットに、今ここでフィオが誰かに襲われている所だったならまさに勇者登場なんだろうなぁと、多少行き過ぎなガレットの行動にも拒絶反応を示す事無く、フィオは笑ってガレットの気使いを受け止めていた。




