その32
それは御気の毒に―――
そんな言葉を呟きながら監察官の二人は上げた腰を長椅子に沈める。
部屋の中には監察官の他にフィオとセイ、そしてキセルとクリスレイアの一同が揃って会したが、王弟アレクセイ殿下が立った状態であるにもかかわらず先に着席した二人にフィオは嫌悪感を抱いた。
権力を振りかざされるのは嫌いだ。だから誰が先に座ったって別に構わないが、彼らの態度は明らかにセイを下に見て馬鹿にしていた。何が王弟だ、何が英雄だと嘲笑っている様が目に浮かぶ。キセルが同じ空気を吸いたくないと言ったがこんな奴らならフィオとてご免だ。この瞬間、フィオは自らの意思でセイ側につくと決めた。
セイが腰を落ち着けるのに一拍遅れ一同が椅子に座る。フィオが当然と知らしめるように少々乱暴に着席すると、それに気付いた二人はまずったなとばかりに顔を顰め、ごまかす様に咳払いをした。それを気に止める様子も見せずにキセルが早速にと口を開く。
「見ての通りクリスレイアは無事に戻ってまいりました。そちらの懸念は取り越し苦労というもの。何の迷いも無く王都へお帰り下さい。」
帰りはあちらですよといわんばかりに扉を示すキセルに、監察官は何を馬鹿なと鼻を鳴らす。
「この娘が一人で考え行動できるものか。こちらの動向を知り慌てて戻って来たのであろう。例えそうでなくとも疑いを抱かせる行動を常にちらつかせる殿下にはこちらも辟易している所だ。いいかげん領地に引きこもっては頂けませんかな?」
「クリスレイアは一人歩きもままならぬ幼女ではありません。一人で兄を訪ね辿り着けるだけの力があると証明してみせたのですよ。これは彼女の主治医としても驚きの一歩です。」
「こちらは医師としての見解を求めている訳ではない。私共の目にはアレクセイ殿下が妹君をここから連れ出し逃亡を謀ったとしか見て取れないと、そう申しているのだ。」
「そうなのですか、アレクセイ殿下?」
三白眼がセイを捕らえ、椅子に踏ん反り返る監察官の二人もその視線を追った。
問われたセイは運ばれて来たお茶を口に運びながら誰とも視線を合わせようとはせずに質問に答える。
「俺はクリスレイアを送り届けるよう砦の司令官に命令されて来ただけだ。国外逃亡なんて面倒、考えた事なんて微塵もないけど?」
背を椅子に預け長い脚を組み変える。ここにいる誰よりもふてぶてしい態度で言い放つセイからは、自分の事なのにまるで興味がなさそうにさえ感じ取れた。
「という訳ですのでお引き取りを。」
キセルが再度扉を指し示すと監察官も再び鼻を鳴らし、更に踏ん反り返った。
「そんな馬鹿げた言い訳が通用するとでも?」
「と、申しておりますが如何でしょうリシェット様?」
急に話を振られフィオは慌てるが表情には出さない。こんな奴らには隙を見せるのさえ腹立たしく感じるからだ。
決してセイの為じゃない、二人を見ていると腹立たしさでムカつくのだ。フィオが他人にこんな感情を抱くのはメリヒアンヌ王女に続いて二度目である。
「アレクセイ殿下の仰られるとおりです。わたしは殿下と一緒に彼女を無事に送り届ける任務に就いてここにいます。なんなら命令を下した砦の司令官に確認を取って下さって構いませんが?」
椅子に浅く腰かけ姿勢正しくにこやかにほほ笑んで答えるフィオに、監察官二人はぐっと息を飲んだ。
役立たずの宮廷魔術師と陰口をたたく者もいるが、腐っても貴重で特別な存在である魔術師。憧れを抱く輩は多く、マニアなら魔術師団に属する魔術師たちの名前や特徴・趣味や家柄に至るまでを暗唱できるだろう。滅多に会話できる存在でない高根の花が自分達に向かって微笑みかけている―――思わぬ場所で知り合えた幸運に酔いしれそうになった監察官であったが、そのうちの一人が首を横に振って本来の目的を思い出しフィオの言葉を否定しにかかった。
「リシェット殿。あなたは殿下の恋人で話を合わせておられるだけではないのですかな?」
「まぁ―――」
フィオは驚いた様に声を上げ口元に手を添えた。
些かわざとらし過ぎたかとさえ思えたが、フィオの驚きに二人が身を引いた様を受けると心の内でニヤリと微笑んでしまう。
「あなた方はアゼルキナに左遷された宮廷魔術師をご存じではないのですか?」
あのアゼルキナへ魔術師が異動など前代未聞だ。退屈な王城では恰好の話のネタとなったであろうことは容易く想像できたし、それが目の前のフィオであると解らないなど有り得ないのだ。その証拠に二人は心許無げに視線を彷徨わせた。
「それはまぁ…お気の毒な一件でしたからな。」
額に滲んだ汗を拭う様を滑稽だと感じ、フィオはくすりと笑い声を漏らした。
「それでしたらわたしの恋人が誰であるかなど、すでにご存じでしょうに。」
嫌な冗談ですわと、普段使い慣れない丁寧な言葉で照れながら上目使いに可愛らしく睨んでみせた。するとまぁ二人とも目元を染めて慌て出したではないか。
いい年した男が二人も揃ってみっともない。悪女に引っかかるタイプか、こんなのでよく監察官が勤まるものだとフィオは呆れ返る。
「いやしかし、こちらの殿下に口説かれては流石にふらりと従ってしまうのが女という生き物ではありませんかな。」
「監察官殿。まさかそれしきの事でわたしの彼に対する愛が揺らぐと―――侮辱なさっていらっしゃるの?」
「えっ、いやまさかっ!」
「酷いわ。敬愛する魔術師団長様の胸に飛び込んで全てを話し慰めて頂きたい。」
「ひぃぃぃっ、それだけはご勘弁をっ!!」
俯き顔を両手で覆うと監察官からは悲鳴が上がる。余りに可笑しくて肩が震えたが、上手い具合に勘違いしているようだ。
話の方向を思いっきりずらしまくりながら、いつの間にかこの場はフィオの独擅場と化していた。
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『今回の件はまぁ不問に―――いえっ、私どもの勘違いという事で収めさせていただきたくっ―――ですから何卒っ、なにとぞ魔術師団長様にだけはご内密にっ―――!!』
深く深く深く頭を下げながら媚び諂い引き上げていく監察官を引き止める者は誰もいない。気持ち良くお帰り頂く為にフィオは最後まで貼り付けた笑顔を絶やす事がなかった。
それにしても彼らは魔術師団長を知っているのか。あれほど脅えるのだから不幸にも標的にされた過去があるのだろうと、消え去る二人の背中に向かって『お気の毒に』と、フィオが最初にかけられた言葉を返しておく。
見送りにまで立ち会ったクリスレイアは終始無言で、会話の邪魔にならないよう様子を伺いながらも常に押し黙っていた。
九歳で心の成長を止めているにしても頭のいい子だ。緊張していたのか大きく伸びをしたクリスレイアを待っていたのはキセルによるお説教で、その後たっぷりと絞られたクリスレイアは瞼を腫らして夕食の席についていた。
「そもそもの事の起こりは先王の甲斐性の無さが原因に決まってるわ。」
今夜は城に泊まって行く事になる。
フィオは夕食を終えキセルを相手に飲酒を楽しみながら眉間に皺を寄せた。セイはクリスレイアを寝かしつけの最中だ。
「甲斐性…ですか?」
三白眼が酒を舐めながらフィオを伺う。睨まれるような視線にも慣れ、フィオはそうだと深く頷いた。
「先王がセイ達のお母さんをちゃんと最後まで面倒見ていたなら、そもそも踊り子に手出しさえしなければこんな面倒にはならなかったでしょうに。」
全く節操なしの権力者はと不敬罪にとられかねない悪態を吐くフィオに、今度はキセルが眉間を寄せた。
「確かに先王は彼女を最後まで手元に置く努力を怠ったのかもしれません。しかし深い愛情は持っていたようですよ。」
「それなら何で愛する女を捨てたりしたのかしら。」
「捨てたのは彼女で、捨てられたのは先王です。」
「は?」
フィオは口をポカンと開けて三白眼を見つめた。
「セイを妊娠したから捨てられたんじゃないの?」
「先程の監察官の内の一人がお母君の身の回りの世話をしていた者です。彼の話によると、踊り子をしていた彼女は殿下の妊娠発覚後、これではもう踊れないからと世界を巡る旅に出たそうですよ。勿論身重の体を気使い誰もが引き止めましたが、彼女を心から愛していた先王は彼女の自由を優先したそうです。」
「自由を、優先?」
三白眼はフィオを睨みつけたまま深く頷いた。
「老い先短い自分の元に自由な気性の踊り子を引き止める事を諦め手放したのです。その際身の回りの世話をしていた彼が彼女の旅に同行する事になりました。しかし彼女は彼に薬を盛って眠らせ、王から受け取った多額の旅費を手に姿を消してしまったそうですよ。先王の命に従えなかった彼の誇りは酷く傷ついたのでしょう。だから彼はその恨みを亡き彼女にではなく、腹に宿っていた殿下に向けているのですよ。」
孕んで遊べなくなった途端に興味を失って捨てられた―――確かにそう聞いた筈なのだが?
「えっと…世界を放浪して体を売りながら小銭を稼いだというのは―――」
「踊り子ですからその様な役目を担ってもいたでしょう。しかし彼女もクリスレイアの父親となる男と出会ってからは彼一筋だったようですよ。」
成程。あの男は父親である先王を恨んであんな風に思っていたのか。
「なんて思えるかっ!!」
フィオは手にした酒を一気に煽ると杯を叩き付ける様に置いた。
殿下に口説かれふらりと従ってしまうのが女というもの―――あの監察官の言葉はこういう事を指示していたのかとフィオは肩を震わせた。
別にふらっと来たわけじゃないし、惚れそうになった訳でもない。実害も無い。だけど納得いかないのが心境というものだ。セイの話のほとんどが事実で、捨てられたのが先王であった部分だけが入れ替わってしまっているだけ。そして語られなかった部分は語らなかっただけだ。意図的にせよ何にせよ大した問題でもないが―――己の不幸を口説きに利用したのだと解ると腹が立つのが当然だろう。
「あーあ。口説きに口説きまくっているとか紹介しておきながら何で言っちゃうかなぁ。」
にこやかな笑いを含んだ声と共にフィオの肩に大きな手が乗せられる。
「触んじゃないわよ節操なしがっ!」
己の肩に乗せられたセイの手を、フィオは害虫を叩き落とすが如く恨みを込めて払い除けた。




