その31
重苦しい話を披露したセイだがフィオへの態度は終始変わらなかった。クリスレイアがいてくれるお陰で変なちょっかいを仕掛けて来ないあたりはいつもと違ったがそれだけだ。
目を覚ましたクリスレイアは心が九歳で止まっているというだけあって、子供らしい好奇心旺盛な瞳をフィオに向けて来た。
背は低く無邪気さを孕んで可愛らしい印象を与えるが、体つきは成熟した大人のものだった。子供の心に大人の体。その違和感に慣れるまでに時間はかかりそうだが、初対面のフィオにさえ心を開いて懐いてくれる様は好ましい。それなのに彼女に起きた辛辣な過去を思うと心が痛み、それが平和しか知らない後ろめたさからの偽善ではないかと感じてフィオの心境は複雑だった。
セイの予想通り町を過ぎると宿屋はなく、旅人を受け入れてくれるのは道中点在する家々だけだ。その誰もが見ず知らずの一行を受け入れてくれる訳ではない。雨や雪の悪天候でさえ扉を開けてくれない家庭が殆どだ。それを睨んでだろう、日が暮れきってしまう前にセイは目をつけた農家の扉を叩いた。
扉を開けた主人は訝しむ目を三人に向けたが、三人が宿屋に支払うのと同じ金額の金を主人に握らせると納屋と食事を提供してくれる運びとなった。納屋の二階には刈りいれられた干し草が大量に保管されていて、その上に敷くシーツまで貸してくれては文句はない。火事を恐れ明かりを灯すのは禁止されたが、食事を終えれば後は寝るだけなので不自由は感じなかった。
三人並んで干し草の上に敷いたシーツにごろんと転がる。セイとクリスレイアが同じマントに包まれ、その隣にフィオが自身のマントをかけて横たわった。なんだか妙な気分だ。
「フィオはお兄ちゃんが嫌い?」
殆ど相手が見えない暗闇でクリスレイアがフィオに子供っぽい疑問をぶつけて来る。隠していても子供には感じ取れるのか。答えにくい質問だなぁとフィオは苦笑いを浮かべ、「どうして?」と問い返した。
「お兄ちゃんが恋人に贈り物をするのは珍しんだってキセルが言っていたの。でもお酒は恋人に贈るのに相応しいものじゃないから振られちゃうんじゃないかって。だからわたしずっと心配してたんだ。フィオはお兄ちゃんが変な物贈ったから怒ってる?」
マルム酒の事を言っているんだなとフィオは気付いた。
確かに酒を、それも樽ごと恋人に贈るなんて常識外れだろう。フィオなら歓迎するが普通の女性が貰って嬉しい物でないのは確かだし、振られるのがオチだ。
あの酒を用意したのはクリスレイアの夫だったのか。そもそも恋人に贈る品を他人に用意させるなんて有り得ない。そこで気付けよとクリスレイアではなくその夫に心の内で訴える。口を挟んで来ないセイを不気味に思いながらフィオは答えた。
「あのお酒はわたし個人が貰った訳じゃないわ。砦の皆で美味しく頂いたから安心してね。」
賭けの戦利品ともいえず、実際に砦の皆で自由に飲んでしまったのだからそう話しても問題はないだろう。
それよりも何よりも、重要項目をきちんと訂正させてもらいたいとフィオは身を起こして気持ちクリスレイアに体を寄せた。
「それから、わたしはお兄ちゃんの恋人じゃないのよ。お兄ちゃんの本当の恋人はいずれちゃんと紹介されるんじゃない?」
「えっ、フィオはお兄ちゃんの恋人じゃないの、なんでっ?!」
「なんでって―――?」
クリスレイアは驚いて飛び起きたが、フィオの方もなんでと問われても違うのだから仕方がない。どうやらクリスレイアはマルム酒の件でそう思い込んでしまっていたようだが、違うものは違うのだ。子供相手に大人の言い訳は通用しなさそうなので、勘違いさせない為にもここはきちんと否定しておかなくてはならない。
「クリスレイアはキセルさんとどうして結婚したの?」
「それはキセルが好きだからよ。」
「わたしはその好きって気持ちをセイに感じていないの。」
嫌いだ、冗談じゃないとはとても言えない。言えるわけがない。
するとクリスレイアは少し考えた後で「う~ん」と小さく唸った。
「じゃあ誰が好きなの?」
えーっと………
考えて脳裏に浮かんだ人物を「…違うな」と否定する。
「まだ巡り会えていないけど、それはクリスレイアのお兄ちゃんじゃないわ。」
「お兄ちゃんは振られたのね、可哀想。」
ずるりと鼻を啜る音がし、それに合わせて「ふっ」と失笑が漏れた。
笑いを堪えていたらしいセイが噴き出したのだ。
「何に対して笑っているのかしら?」
返答に苦戦する様を面白がって聞いていたなと憎らしげに睨むが、何せ闇が邪魔をして効果は全くない。
「いやいや、君に決まってると思うけど?」
「何でわたしなのよ。」
「いつもの君なら俺を罵倒するだろう。それがクリスレイアに遠慮して随分とまぁしおらしく。」
「わたしはあなたがどういう人間かを彼女に暴露できるほど非道じゃないよのっ。」
「それはどうも。」
喉を鳴らし声を押さえて笑うセイにむっとする。クリスレイアは二人が話すほんの短い間に眠りに落ちた様で、フィオの耳にも穏やかな寝息が感じ取れた。本当に子供のままなのだと実感し、いつもの様にセイと言い合いを続ける気分にはなれない。セイの方も可愛い妹の眠りを阻害する気はないらしく「おやすみフィオネンティーナ」とご丁寧に就寝の挨拶を零してくれた。
複雑な気分を味わいながら「おやすみ」と返したフィオは、クインザ以外の異性とこうやって眠るのは初めてだと考えながら眠りにつく。ガレットとの野宿は数に入れられる所かすっかり忘れ去っていた。
翌朝日の出とともに目覚め、一晩の宿を提供してくれた家の主に礼を述べてから出立する。馬に揺られ道なりに進むだけで昼前には目的の場所に到着した。
「本当にお城なのね。」
古びているが決して落ちぶれている訳ではなく歴史を感じさせる城だった。王都にある見慣れた王城と比べると豪華さに欠けるのは当然だが、綺麗に整備されていて趣味の良さを感じる。王弟アレクセイ殿下に与えられるにしては些か小さいようにも思えたが、何の身分もないセイ=ラキスには身に余る城だろう。
馬を下りると同時に一人の青年がこちらに駆け寄ってくる様が見て取れる。一見執事かなと思いながら窺っていると青年がクリスレイアの名を呼んで両手を広げ、彼女が迷いなくその腕に飛び込んだので、彼がクリスレイアの夫であると理解できた。
「一歩遅かったか。」
「一歩所か二歩も三歩もです。」
眉間に皺をよせながらセイに苦情を訴え、男は目つきの悪い視線をフィオに向けた。
見下ろされているのに下から睨みつけられるような印象を受ける三白眼にフィオは一瞬怯んでしまう。
「あ、はじめまして―――」
「フィオネンティーナ=リシェット様、で御座いますね。」
確信を持った言葉よりも爬虫類を連想させる三白眼に捕われながら無言で深く頷くと、目の前の男は深々と首を垂れた。
「私はクリスレイアの夫でキセル=ガイエンと申します。セイ殿が懸想される女人にお会いできるとはまさに幸運。天の導きに感謝致します。」
「それ、違いますからっ!」
「お連れしたという事は全ての事情をお知りだと解釈しても?」
「ある程度は知ってるみたいだが、俺から話して聞かせた訳じゃないぞ。」
フィオは全力で否定するが聞いているのかいないのか、キセルはセイに向き直り勝手に話を進めていた。
「左様でございますか。ではリシェット様、貴方様はどのような経緯でこの方の事情をお知りになられたのでしょうか。」
「えっと…それは極秘ということで………」
「成程、魔術師団長様か騎士団長様の入れ知恵ですか。」
「ええっ、なんでっ?!」
わかるのかとの声を慌てて押し込む。横目でセイを見やると眉を上げ肩を竦めていた。
「お二方のどちらかは存じませんがこちらとしても感謝しなくてはならいでしょうね。クリスレイアの家出の件でこちらは少々不味い事になっておりまして、リシェット様にはお力添えをお願いいたしたい。」
「えっ、あのう―――?」
「そうと決まればさっさと済ませてしまいましょう。厭味剥き出しのあ奴らが同じ空気を吸っているだけで我慢なりません。」
話が掴めずキセルに向かって不意に手を伸ばしてしまうが、キセルは構う事なくクリスレイアの手を引いて歩き出しフィオの手は空しく空を切る。
「ちょっと何がどうなってるの!」
「クリスレイアが領地を出たせいで、俺が国外逃亡を謀ったと言いがかりをつけてきている奴らがいるんだろう。」
「ちょっと家出したくらいでどうして話がそこまで飛ぶのよ。」
「だからいちゃもん。隙あらば権利を取り上げ俺をここに押し込めておきたいのさ。」
セイはアルファーンに対する忠誠も未練も何もない根無し草のような男だ。それを国は十分承知しているから精神を壊したクリスレイアを囲い込んでセイを縛り付けているのだ。なまじ王族としての地位を与えたばかりに彼らの懸念が増した。セイが万一にもキグナスに渡り正当な王位継承者として狼煙を上げて攻めて来たら―――その可能性に気付いた時点で国境のアゼルキナからパサール領へ、もしくは王都の騎士団へと押し込める理由を欲しがっているのだ。
そんな懸念、まったくいい迷惑である。
確かにセイは根無し草でアルファーンに対する忠義も何もないが、共にある仲間を裏切るつもりは毛頭ないし、何より今からでもアレクセイとしての地位を返上させてもらいたいくらいなのだ。それを提案した所でのまれる可能性はないと解っているが、あまりにも面倒過ぎて時折投げだしてしまいたいと思う時はある。思いとどまるのはクリスレイアの生活を取り上げたくないからだ。セイの世界はすべて愛しい妹が中心となり回っていた。
「あの人、わたしに何をさせたいの?」
「その宮廷魔術師の制服を着てあいつらに会いさえしてくれればいいんじゃないか?」
「あいつら?」
「もういい、面倒臭いからさっさと済ませよう。」
本当に面倒そうについて来いと言い放つセイに、フィオはいったい何なんだと話が飲み込めないまま素直に従い後を追った。
そうして城に入り早々に通された客室で待っていたのは、気難しそうに腕を組んでこちらを睨みつけて来る二人の男。
両者とも齢五十前後でアレクセイ殿下直属の監察官…いわゆる監視役らしく、セイが勝手に国を出て他国に寝返ったり王位継承権を主張して謀反を計画したりしていないか目を光らせる役目にあるらしかった。
そんなに心配なら継承権剥奪でも何でもやってしまえと、関係のない筈のフィオですらセイが可哀想に思えてくる。まったく押し付けられる地位ほど迷惑な物はないなと些か同情した。
そんなフィオをキセルが無表情で監察官に紹介する。二人は何故この様な場所に宮廷魔術師がと驚きの表情を覗かせた。
「こちらはフィオネンティーナ=リシェット様。見ての通り宮廷魔術師の地位にあらせられ、現在はアゼルキナ砦での任務に就いておいでになられます。そして一言付け加えるならば、只今アレクセイ殿下が口説きに口説き陥落させようと躍起になられている御方で御座います。」
おいこら、なんて紹介の仕方だ三白眼。
フィオは頬を引き攣らせながらも怒りを抑え、にこやか営業スマイルを監察官の男らに披露してみせた。




