その30
食堂でタースと共にクリスレイアの様子を見守っていたフィオはカイルから呼び出しを受け、クリスレイアと共に司令官室を訪れていた。
一緒について来たタースは入室を許可されずに追い出され、間もなくガレットも司令官室にやって来る。
呼び出されたのはフィオとガレット。セイは壁に背中を預け腕を組んで、椅子に座ってお菓子を頬張っているクリスレイアを愛おしげに見つめている。それを甘過ぎて吐きそうだと思ったのはフィオだけではあるまい。
ガレットは既にクリスレイアの存在を知っていたようで、フィオに初めて会った時の様な驚きはなかった。流石アゼルキナ砦。砦内で起きた異常事態に対する情報の流れは想像するより早いと感心する。
「リシェット、お前に特別任務だ。」
カイルがフィオではなくガレットに向かって命令を下し、ガレットはそれを無表情で聞いていた。
「そこにいるお嬢さんはラキス第一隊隊長の異父妹だ。リシェットにはラキス隊長について彼女を至急家まで送り届けてもらいたい。一般人を連れての行動ゆえに二泊三日の行程を取る。いいなリシェット、それからガレットも文句は言わせない。」
改まった言葉にそれが拒否できない命令であるとフィオにも解った。ガレットが呼ばれたのはフィオが第六隊の隊員だからだろう。ただ一つ、何故自分が一緒について行かなければならないのかフィオには納得できない。往路はクリスレイアがいるから良いとして、この命令だと復路ではセイと二人きりになってしまうではないか。何らかの問題を避けたいのはカイルの方だって同じだったはず。それを何故わざわざ前科持ちのセイと行動を共にさせるのか疑問だ。
「どうしてわたしなのでしょうか?」
クリスレイアはセイの異父妹だったのかと頭で考えながらカイルに疑問をぶつける。こう言う時は一番に反対してきそうなガレットが静観しているのが気持ち悪かった。
カイルが椅子を引いて立ち上がる。けして狭くはない司令官室だったが大きな男が皆立ちあがっているので一気に窮屈に感じた。
「お前はセイの事情を知っているだろう。女で役立たずの魔術師、連れて歩くにはちょうどいいと思わないか?」
笑顔で鋭い視線を送り付けるカイルにやはり断れないのだと理解する。
セイの事情―――囚われのお姫様に魔術師。
流石に能天気なフィオも事情を察して頷くしかなくなってしまった。
魔術師は貴重な国の財産であり、所有物だ。普通に生活するだけなら行動制限は受けないが、国に縛られ続けるのが現実。勝手に異国に渡る事など絶対に許されない。カイルの指摘通り、現在の魔術師は特別な訓練は何一つ受けていない籠の鳥でありながらも、同時に国の重要人物が出て来ようとおいそれと手を出せないのがフィオの在籍した宮廷魔術師という地位だ。
要するに宮廷魔術師とは国に縛られ逃げ出せないながらも、相手が国王でない限り大きな顔が出来る存在なのである。
そしてセイは英雄であり先王の血を引く存在だが、本人はそれを笠に着る訳でもなく自由気ままに生きている。むしろ先王の庶子である事実を嫌がり隠している程だ。そのセイをアルファーン帝国にとどめるのに必要なのが人質。他国に渡るのを阻止するために悪魔の城に捕われたお姫様が存在しているのだろう。
そのお姫様をセイが勝手に連れ出したと思われたらどうなるのか?
罪に問われる事はないだろうが、セイにとっては望まない結果を招くのかも知れない。セイが国を出たいと思っている様子はないが、それを素直に信じる者ばかりではないのはフィオにも想像できた。
セイが一人でお姫様を城に送り届けている状況を素直に信じてくれる存在は少ないのかもしれない。
だけど―――
「わたしで役に立つんですか?」
「砦の騎士が同行するよりよっぽどマシだろ?」
セイが騎士を同行していれば仲間に引き入れたとでも思われるのだろうか。同行者なしの選択でも良いと思うのだが。
しかし命令とはいえ、素直に従おうとしている自分にフィオ自身驚いた。セイの為ではないし、出会ったばかりのクリスレイアに同情している訳でもない。ただ知らない事実に興味があるのは確かだった。もしかしたら何も知らずにぬくぬくと籠の中で育った自分が、戦い傷付いて大きな犠牲を払っている彼らに後ろめさを感じているのかも知れない。
命令なら応意外に答えがない筈なのに、冷静な声がフィオの頭上から注がれた。
「お断りいたします。もしくは私が同行を。」
「任務だといっただろう、私情を挟むな。」
大きな二人が睨み合う。ガレットを呼んだ時点でこの状況は予測できていただけにカイルは冷静だ。だが一見表情を変えないガレットの心情は穏やかではない。
「セイには前科があります、彼女が無事でいられる保証がない。」
そんなのカイルとて百も承知だ。それをあえて行かせようとしているのはセイの抱える背景を考慮の上で、それに協力する形となるフィオに無体はしないとの信用もあった。
押し通そうと口を開きかけたカイルより先にフィオが二人の間に入り込む。カイルに背を向けた状態でフィオは至近距離からガレットを見上げた。
「大丈夫ですガレット隊長。ラキス隊長が女性を口説くのは挨拶代わり、その程度は覚悟の上です。それに彼はわたしに手出しできません。」
「君はその―――忘れた訳じゃないだろう?」
ガレットの灰色の瞳が過去に起きたセイの暴挙を嘆き揺れている。
前回は未遂に終わったが次はどうなるか解らない。本気で嫌がる女性をどうこうするとは思いたくなかったが、好いた女が自分以外の男と泊まりの任務、それも任務ともいえない任務に就くのが嫌でならなかったのだ。
カイルが任務と言ったからには私情を挟むべきではない。そんなの解っているが、細かな事情を知らないガレットには納得のいかない命令だ。フィオの赴任当初セイでは駄目だとガレットに押し付けたのはカイル自身だ。それが今更どうして隊を超えてセイに同行するように命じたのか、事実を語られない限りガレットが納得できるわけがない。ただ納得できなくとも命令ならそれに従うしかないと百も承知している。それでもあえて説明を求めたのはカイルの指摘したようにまったくの私情だった。
フィオはガレットの心配を有り難く頂戴する。しかし任務ならばそれに従うと、アゼルキナ砦に在籍する魔術師としてフィオに文句はなかった。
「勿論忘れてなんていませんよ。でも今は、セイ=ラキスはわたしに本気になんてならないって彼女を見て確信できましたから大丈夫です。」
フィオは美味しそうにお菓子を口にしながら黙ってこちらの様子を伺っているクリスレイアに視線を移した。
あの行為が冗談だったとは微塵も思っていない。だけど『黒髪は相手にしない』と怒りをぶつけて来た娼婦の言葉がフィオの考えを確定付け、フィオは壁に背を預けるセイに向き直る。
この男の理想は間違いなくクリスレイアだ、黒髪黒眼を父親違いの妹に重ねるのだろう。だからきっと抱かないではなく、その気になっても抱けないのだ。そうでなければあの娼婦がフィオに敵意をむき出しにした理由がなくなってしまう。
無言の問いかけにセイは口角を上げた。
クリスレイアに見せる笑顔とはかけ離れた、人を馬鹿にしたようなからかいを含めた笑顔。
「そうやって信頼されてもなぁ。まぁ、今回は協力してくれるみたいだから俺からは手を出さないって約束するよ。」
セイは面白そうに口角を上げ、フィオではなくガレットへ挑発的な視線を向ける。ああこれじゃあまたこっそり後をついてきそうだとの考えが脳裏をよぎったが、そう感じたのはフィオだけではなかったようで。
「尾行するなよ、リシェットを任務に就ける意味がなくなるからな。」
念を押したカイルはガレットにフィオの任務終了まで外出禁止令を出し、無理矢理納得させていた。
そのせいなのかガレットはフィオに休みを返上させ、ジャフロ相手に実戦的な体術の訓練に参加させる。任務前日だというのにフィオは熊男相手に体をぼろぼろにしてしまい、翌日は全身筋肉痛で馬にまたがる羽目に陥ってしまった。
心配は有り難いが、これでは逆効果だと心の中でガレットに文句を言いながらフィオは任務に就いたのだった。
*****
夜明け前に砦を出発したせいだろう。馬上でセイの前に座らせられたクリスレイアは心地よい揺れのお陰で穏やかに眠っている。それを確認したフィオは馬を寄せセイに疑問をぶつけてみた。
「何処に行くとか詳しい事、何も聞かされてないんだけど?」
任務はクリスレイアを無事に送り届けるという事。それもメリヒアンヌ王女の時の様に賊を警戒してとかいうわけではなく、セイが抱える事情に絡んでだ。勿論この時代ゆえに道程が全てにおいて安全とは言い切れないが、英雄と称されるセイがいるのだからその心配はまずない。何かあったとしても可愛い妹と役立たずの魔術師の二人を守るなんて朝飯前だろう。
だからフィオは本当にただの同行者なのだ。二泊三日の行程以外は何も聞かされなかったが、それをセイに聞いていけない訳ではあるまい。
セイの方も特に何もなく素直に返答して来た。
「パサール領にある城。砦から一日馬を飛ばせば到着できる距離だけど、クリスレイアを連れて馬を飛ばす訳にはいかない。何処か途中で宿を取るか―――最悪農家の納屋でも借りる事になるかもだけど?」
城までの行程を思い浮かべながら大丈夫かと青い瞳が問いかける。
真綿で包む様に大事にされる魔術師。納屋で一晩明かす経験などした事がないだろうとセイの目が語っていて、馬鹿にされている訳じゃないと解っていても砦の騎士との距離を感じむっとした。
「わたしなら野宿だって平気よ。でも彼女はどうなの?」
納屋で一晩明かした経験はないが野宿の経験ならある。クインザとの賭けで森に入り一晩明かしたのだ。いつの間にか眠ってしまっていただけだけど、フィオにしたら貴重な野宿の経験だった。
それよりも心配なのはクリスレイアだ。セイの様子からして大事に育てられたに違いない。着ている物も黒のワンピースに白のエプロンのお仕着せ風。恐らく変装して出て来たのだろう。そうするといつもは綺麗なドレスに身を包んでお姫様の様な生活をしていたのではないだろうか。
そんな心配をするフィオをセイは鼻で笑った。
「大きな誤解をしているみたいだけど、俺たちが最初からこんな生活に身を置いていた訳じゃないって想像できない?」
「なんでよ。」
「俺は先王が踊り子に手を出して出来た子だ。母親は見た目が良かったもんで暫く王の手元に置かれたが、孕んで遊べなくなったとたんに興味を失って捨てられたのさ。それから母親は世界を放浪し、体を売りながら小銭を稼いだ。クリスレイアはそんな中で生まれたんだ。俺たちの身分は最下層、運良く戦争が起きなきゃ今頃野垂れ死にしていても可笑しくなかったんだ。」
隠すでもなくさらりと身の上を語るセイはそれを恥じるでもなく、至って堂々としていた。それが普通の事だと、兵役に就き自分で稼ぎを得られるようになるまでは、雨漏りと隙間風だらけのあばら家が家族の城だったと懐かしむように語る。
「だからクリスレイアは何処だって文句は言わない。フィオネンティーナが大丈夫ならよかったよ、町から領地に向かう途中に宿屋ってなかった様に思うんだよなぁ…」
穏やかに眠るクリスレイアを愛おしそうに見守り抱き締めながら、最後の方は独り言のように呟く。その様にフィオはセイとの大きな壁を感じないではいられなかった。
さらりと言ってのけたセイの半生はフィオにとっては衝撃的な事実だった。
王の庶子ってそんなのものなのか?! 踊り子に手を出して孕んだから捨てたって、それって滅茶苦茶非道な男がやる事じゃないのかと思った時点で、セイとフィオの取り巻く環境の違いを大いに確定つけていた。
セイとフィオ、二人の年齢差は確か十三、クリスレイアに至っては六歳だ。育った国が違うとは言っても、フィオが生きて来た普通の環境と常識が二人には当てはまらない。そんな世界があるのは知識としては知っていても、目の前にそこに生きた人物がいて何でもない事の様に話して聞かせる。戦争が起きたのは運が良かったと非常識ともとれる物言いだが、それがセイの人生にある過去だ。平和な世ならセイが剣を取る事も無く生きる糧は得られなかっただろう。フィオはあまりにも無知な自分がとても恥ずかしく感じ、返せる言葉を失った。
「お母さんは―――」
「なに?」
「お母さんはお元気になさっているのかしら?」
苦労を背負った女性の行く末が気になった。今はクリスレイアと一緒に穏やかにあればいいと何気に、もしかしたら自分を慰めたくて聞いてしまったのかもしれない。
だけどその瞬間ふとセイの瞳に陰りがさし、フィオは言葉を間違えたのだと気がつくが遅すぎた。
投げた言葉は取り返しがつかないのだ。
「キグナス兵に殺られたよ。母親が惨殺されるのを目撃したクリスレイアはそれ以来心の成長を止めたんだ。」
セイがカレリア軍に在籍し、キグナスと一戦を交えていた時の出来事だ。無抵抗の女子供に手出ししないのは戦場においての暗黙のルールだが、それが常に守られるとは限らない。貧しい生活の中でも見目麗しさを損なわなかった女が不運だったのだと、セイはそれが現実だと受け入れるしかなかった。側にいて全てを目撃したであろうクリスレイアが無傷で済んだのは奇跡としか言いようがなく、心を壊してしまっても命があるのだからと納得するしかなかったのだ。
何が英雄だ、大事な家族を守れさえすれば何もいらなかったのに―――
フィオは馬を進ませるセイを視線の端に捕らえながら耳鳴りを聞いていた。
今度こそ何も言えない、言える筈がない。
フィオは表情を硬くし、何時の間にか馬を進める手を止めてしまう。
質問したのは自分だ。セイの言うように少し考えれば解る様なものだったのかもしれないのに、平和に育ったフィオの背景がそれを想像させなかった。
歩みを止めたフィオに気付いたセイが馬の鼻先を変え戻って来る。手綱を上手く捌き馬同士をぎりぎりまで寄せると体を伸ばしてフィオの耳元に囁いた。
「この話をするとどんな女でも落ちるけど、フィオネンティーナも同じ口かな?」
「―――えっ?」
ぱっと顔を上げると何時ものセイが間近で笑っていた。
「君は素直すぎるんだ。こんな話で絆される様じゃ俺に惚れるのも時間の問題?」
ほら行くよと、セイは笑いながらフィオが乗る馬の尻を叩く。
フィオは手綱を握り締めのろのろと進み出した馬の動きを修正しながら、冗談の様に笑って見せたセイの背中を複雑な思いで見つめていた。




