その28
フィオがアルファーン唯一の王女メリヒアンヌの不興を買い、男ばかりのアゼルキナ砦に強制異動させられ早四ヶ月の月日が流れた。
汗ばむ夏から実りの秋、そして間もなく冬が訪れようとしている今日この頃。定期的に許される休暇の一日を、フィオは一人になる為に砦から少しばかり離れた場所に足を運んで過ごしていた。
こういう時には危険だからと決まって監視してくるガレットは、隊長職にあり訓練に参加しているので尾行されている様子はない。
男社会に放り込まれながらもそれなりに快適な生活をおくるフィオは、王都に住まう幼馴染クインザからの手紙で懐かしい故郷に想いを馳せていた。
手紙には実に様々な事が記されており、それはすでに手紙という域を超えて小冊子程の厚さがある。それを午後の陽だまりに身を置き、苦笑いを浮かべながら一人楽しんでいた。
出だしと末尾はいつも通りフィオに会いたい、寂しいと女々しいながらも嬉しい言葉で綴られる。その他で変わった事といえば、メリヒアンヌ王女の猛攻がすっかりなりを潜め気味が悪い程だと記されてあった。
原因の一つは王女が絶賛夢中になっている男がクインザではなく、アゼルキナの司令官・カイルであるからだった。カイルには定期的にフィオがクインザより送られる手紙以上に厚い恋文が王女から届き、受け取ったカイルを日々悩ませている。
そしてもう一つの原因。それは長く引き籠っていた王弟のシュメル公爵が王女の再教育係として復帰して来た事だろう。
若かりし頃は騎士としても大活躍していたらしくフィオが砦の騎士らに探りを入れてみると、彼らの中にもシュメル公を知る者は多かった。
年齢的に若い彼らで実際にシュメル公に会った事がある者はほとんどいなかったが、先輩騎士らより武勇伝を聞かされ憧れる者も割と多くいた。
強く神々しい人徳者。身分を笠に着ず誰にでも平等で、戦いにおいては先陣を切る獰猛さも持ち合わせている。戦場で王族が先陣を切るってどうなんだと思うが、それ程に強く使えるという証明なのだろう。名ばかりの将ではないようで、王族にもそんな能力者がいたのかと少々驚きだ。
そんな騎士上がりの公爵がメリヒアンヌ王女の教育係となったものだから、使えない顔だけ近衛も総入れ替えになったらしい。しかも年齢的に他国へ嫁がせられない行き遅れを降嫁させるため、その下準備として贅沢好みの王女を無謀にも質素倹約家へ転身させようとしているとか。
今の状態で目ぼしい臣下に嫁がせても王女の無駄遣いで降嫁先を破産させてしまう。目ぼしい降嫁先となる貴族らは今から震え上がっているらしい。
シュメル公爵とはなんと素敵な殿方だろう、まったくどこかの王弟とは訳が違って使える御人だ。あの王女をびしばし鍛えてくれているなんて、そんな人が現実に存在するなどまるで夢のようではないか。一度お目にかかって一緒に酒でも飲み交わしたいものだと、フィオは自分は何もしていないにもかかわらずほくそ笑んだ。
手紙を読み進めると王都で毎年開催されている豊穣祭が終わったと記されてあり、フィオと一緒に参加したかったと涙ながらに綴られていた。
豊穣祭、その名の通り秋の実りに感謝する盛大な祭りだ。アゼルキナから近い町でも豊穣祭が開かれていた筈であるが、フィオは今回参加できなかったし、砦の連中も仕事があるので休みが合った少数の者だけが祭りに赴いたに違いない。
秋の実りに感謝する祭りだが、同時に恋人たちの祭りでもあった。恋人は勿論、恋人同士でなくても未婚の若者は男女で祭りに参加するのが常識だ。フィオも去年まではクインザと、休みが合えばヴァルも交えて祭りを楽しんだ。
「ヴァルも元気にやってるのかしら?」
薄情なのか何なのか、都での飲み友達は手紙一つよこさない。まぁ普通はそんな感じなのだろう。男のくせに物語の様な読み応え十分な手紙を寄こして来るクインザが特別なのだと解ってはいる。そこでふとこちらでヴァルに再会した際に言われた言葉を思い出し、ぐっと眉間に皺が寄った。
『お前が嫌じゃなければ宜しく頼むよ。』
ヴァルはガレットがフィオに惚れているという。
確かにヴァルの言うようにガレットからの愛情表現はあるが、最初からそうだった現象故に今更違和感も何もない。付き纏いの名のもとに守ってもらっているのは事実だが、物心ついた頃よりクインザの付き纏いを受けていたフィオにとっては、それが『特別』の範囲に入れていいものか悩む程度なのだ。
何しろガレットはフィオが在籍する隊の隊長。初めからそうだったせいでそれ程異常だとは思えない。フィオ自身がクインザのせいで麻痺しているのも認め難い原因だろう。
なので方向性を変えてガレットを脳裏に思い描く。
見かけは悪くないし、堅物でフィオ以外への部下の面倒見も良い。アゼルキナに在籍している時点で騎士として有能であるのは事実だし、隊長職にあるのだから将来性も有望だろう。良く気が付くし浮気もしそうにない。お見合いの条件としてはかなりの優良物件ではないだろうか。諸々の感情はなしにして、親から結婚しろと命令されれば特別断る理由はないように感じる。心配の名から来る付き纏いも長年の経験で慣れているから大丈夫そうだ。
うむ、条件は良い。かもしれない。
では自分の感情はどうだろうかと、手紙を手にしたまま空を仰いで首を傾げてみた。
ガレットに対して恋愛感情を向けれるだろうかという部分。
強い男に守ってもらえるというのは乙女としてポイントが高い。でもそれだけなら乙女の憧れで終わってしまう。前にメリヒアンヌ王女について町へ向かう途中賊に出くわし、命の危険に曝されたのは今もフィオの記憶にしっかりと残っていた。
一歩間違うどころか、あの時フィオは賊に向けられた剣に確実に捕らえられていた。ほんの一瞬ガレットが駆けつけてくれるのが遅れていたら、今のフィオは間違いなくここにはいなかっただろう。
あの一時だけなら物語の騎士がお姫様を魔王より救い出した場面だともいえる。
鋭利な眼差しが安堵に緩んだ様は心からフィオの身を案じてくれてのものだと思い至るし、あんな風に助けられたら普通の乙女ならときめいてしかるべきではないだろうか。
しかしフィオはときめくよりもガレットに抱きしめられた事に焦りを覚えた。恋人同士のようではないかと焦りながら、同時にカイルに見られからかわれるのを一番に心配したのだ。
この時点で自分の感情は恋愛に向かっていないと確定付けられる。
そもそもガレットはフィオを守るためにあの場にいたのではない。あくまでもガレットは従うべき司令官であるカイルを追って来たのだ。と、フィオはガレットの尤もらしい言い訳を信じている。君が心配で追って来たのだと告白されていたならフィオもガレットを恋愛対象として意識しただろうが、そんなお目出度い言葉は一つも耳にした覚えがない。
「ヴァルに唆されてその気になったとして、ガレット隊長がその気じゃなかったらわたしはいい笑いものじゃないのっ。」
ガレットによる付き纏いが恋愛感情の表れとフィオが認めるに至るには、クインザ以上の付き纏いを実践するしかないとは誰にも予想できていなかった。
「なんで無理してまで乙女に走ろうとしてたんだろ、馬鹿みたい。」
そもそも今更だ。出会った当初からガレットの態度は全く変わっていない。うまいことヴァルの話に乗せられからかわれていたのだろうかとすら思えてしまう。
なんで今頃あんな話を思い出したのか………ああ豊穣祭が恋人たちの祭りでもあるからだとフィオはごろんと後ろに倒れ込み、高い青空に目を細める。舞い落ちて来る枯葉に視線を合わせぼんやり見つめていると、枯葉の舞に金色の輝きが交じった。
はっとした瞬間フィオは素早く身を起こして駆けだした。しかし空しくも難無く襟首を掴まれその場に引き止められる。
「な~に感傷的になってるの?」
真っ青な瞳を面白そうに細め、セイはフィオが手にした手紙を容易く奪い取った。
「ちょっと、返しなさいよっ!」
「うわっ、随分膨大な―――読む気も失せるね。」
紙一面にびっしりとしたためられた文字と量に、今度は嫌そうに目を細め素直に手紙をフィオに返す。
フィオは手紙を受け取ると襟首を掴むセイの手を払いのけ、目を吊り上げて向かい合った。
「何か用?!」
こんな危険人物と二人きりだなんて冗談じゃない。こいつの根性も一からシュメル公爵に叩き直して欲しいとフィオは手紙を握る手に力を込めた。
まぁ最近はこれといった被害は皆無だったが、セイと二人きりになるとなるとやはりあの日の出来事を思い出して敵意しか沸いてこない。
「悩んでるみたいだったから相談にでも乗ってあげようかなって。」
「あなたに相談する悩みなんてある訳ないじゃない。」
「あれぇ…恋する乙女はガレットをその気にしたいんじゃないの?」
聞かれてた?!
どれだけ耳がいいんだと、思わず漏らした独り言を聞かれた事実に顔が赤くなる。
「違うわよ、全く別の話。聞き耳立てるなんて嫌な性格ね。」
「愛しい女性の事なら何だって知りたいと思うのが男という生き物だよ?」
「あなたの場合その愛しい人が多すぎるのよ。」
「嫉妬?」
「んな訳ないでしょうがっ!」
にっこり微笑むセイを怒鳴りつける。まともに会話が成立しない事と甘い想像に浸っていた己が恥ずかしく、それを隠す様にいつも以上に声が棘を帯びていた。
兎に角この場から離れてしまおうと歩き出すが、セイはちゃっかりフィオの斜め後ろに歩みを揃えてきた。
やっぱりね、ついて来る気だよとフィオは急な攻撃に身を構えながら早足で先に進む。この男を撒けるとは思っていないが、自ずと逃げる様な速度になるのは仕方があるまい。
こちらは必至で歩くのにセイは何食わぬ顔で距離を保ったままついて来る。どうやらフィオの様子を見ているだけで楽しいらしく、常に微笑んでいるセイにフィオは何をやっているんだろうと少々自分が空しくなって来た。
ムキになっているのは自分だけの様だ。
「なんでわたしに付き纏うのよ。」
フィオは振りかえりざまセイを睨みつける。
ガレットの付き纏いを鬱陶しいと感じることは殆どない。実際その恩恵にばかりあずかっているようなので申し訳なさを感じる方が大きいが、こうやってセイに付き纏われる行為はフィオの精神を削り取られている気分になってしまい非常に鬱陶しかった。
「好みの女が側にいれば口説くのが礼儀だろうが?」
「口説くのが礼儀って、あなた女を馬鹿にしてるの?!」
睨み付けるフィオにセイは「ん?」と首を傾げる。
当然とばかりに己の常識を疑わない様子に、フィオはわざとらしく盛大に溜息を落としてやった。
「で、貴方の好みって?」
「女なら特に問題なし?」
こいつ―――
本当に女を馬鹿にしているのかと、フィオはクインザから送られた手紙を握り潰した。
「そんな悲しそうな顔するなって。お前はモロ俺好みだから。」
「悲しいんじゃなくて腹立たしいってのよ!」
「俺を独り占めしたい気持ちも解るが、それはちょっと難しいなぁ。」
「―――どうやってもあなたとは話が通じないみたいね。」
努力してみようとした自分が馬鹿だった。
どうあっても不真面目一直線な言葉の通じない男に心底愛想を尽かし、最後に睨み付け「さよなら」と視界から消え去ってしまおうと決意したその時。
目の前の男がフィオから視線を外したかと思うと、真っ青な瞳をこれでもかといわんばかりに見開いて唖然と遠くに視線を馳せていた。
「―――クリスレイア」
「え?」
ほんの小さな呟きだったが、唖然と漏れたセイの声がフィオの耳に届く。
セイの視線の先が気になり何だろうかと振りかえると、聳え立つ木々の隙間に二つの人影が見て取れた。
ゆっくりとその二つがこちらに向かって歩み寄って来る。その一方が第一隊のタース=シャウローゼだと気付くと同時に、タースの隣にあったもう一つの小さな影が勢いよくこちらに向かって走り出した。
影は灰色のマントを頭からすっぽりと被っていたが、走りだした瞬間にマントは煽られ宙に舞い長い黒髪が零れ落ちた。
女の人―――?!
フィオの目にもこちらに駆け寄って来る人物が確実に捕らえられる。
砦を訪問する女性といえば娼婦だが、黒髪を振り乱し走って来るその女性は服装からして娼婦ではない。何処かのお屋敷にでも勤めているのか黒のワンピースに白いエプロン姿のお仕着せを来たその人は、何の迷いも無くこちらに向かって一目散に走り寄って来たかと思うと、フィオの横を瞬く間にすり抜けセイに飛びついた。
長い黒髪の小さな女性を受け止めたセイは驚きに満ちた瞳で彼女を見下ろしながらも、その体をしっかりと抱き締めて大事そうに両腕で捕らえこんでいる。
「何でここに―――」
驚きと動揺を隠せないセイの様子に「えっ、まさか本命?!」とフィオは声を押し込めるように手で口元を覆った。




