鷲掴みされたおっ◯◯
ざっと埃を祓い、適当に床を拭いて掃除を終えた部屋に次々と運ばれる荷物。
その全てが瓶に詰まった酒で、都からの道程で立ち寄った先々で購入した代物だ。
酒瓶が詰まった木枠が部屋いっぱい、天井いっぱいにまで積み上げられて、フィオネンティーナは大満足である。
しかも資金の出所がメリヒアンヌ皇女の衣装代からというのがたまらない。幸福感でいっぱいだ。
今夜はうまい酒が飲めると、フィオネンティーナは酒の積み上げられた新たな住処を後に、司令官室へと向かった。
司令官室では今後の方針がカイルから説明された。
しばらくは様子見ということで、「取りあえず第六隊隊長のガレットに預ける」と言われる。フィオネンティーナは記憶した資料からその人物を探し出した。
ガレット・フォース。
二十五歳の堅物ーーとだけ記されたそれは、フィオネンティーナに不安を抱かせる。
騎士で堅物というのはよくあるが、そういった人物の殆どが融通が利かない。女性を大事にする騎士道精神に則った好人物は、男ばかりのアゼルキナ砦に配属されたフィオネンティーナをどう思うのか。
しかもそれが自分の部下になった場合の反応は容易く想像できる。
恐らく拒絶、反対するだろう。
それは困る。フィオネンティーはここへの配属を受け入れた時点で、任期を全うせずに都へ帰る気なんて微塵もないのだから。
アゼルキナへの配属が決定した時、フィオネンティーナにはそれを覆すだけのコネと立場があった。
魔術師は貴重だ。その魔術師自身が嫌だと言えば、無理に配属させられることなんて絶対にない。
魔術師団長もフィオネンティーナの配属を快く思ってはいなかった。覆されなかったのが不思議なくらいだ。
フィオネンティーナが敢えてそうしなかったのは、権力やコネ、そして立場を私的に利用したくなかったから。そうしたら権力で人の心を弄ぶメリヒアンヌ皇女と同じになってしまうと思った。
クインザの皇女付き問題から発展した今回の異動。
噂に過ぎなかった初めのうちは、いいかげんに自分の立場を理解しろ、周囲も甘やかすなと思って無視していた。
そうしたらなんと、お馬鹿な皇女は勅命という決定打まで使ってきた。
あれにはムカついた。
本当にムカついたので我を忘れてしまい、今振り返るとクインザに冷たくして可哀想なことをしたと思う。
あんな女が帝国の皇女として存在していいのか。問われたなら「否だ!」と声を大にして叫んでやる。
そもそも国の平穏の為にキグナス王国へ嫁ぐという役目を拒絶した時点で皇女失格だ。
国民が納めた税金で贅沢が許されるのはいったいなぜだ? 皇女として国を守ることを生まれながらに背負っているからではないのか。それを拒絶して、贅沢三昧の馬鹿皇女。
生まれの全てが自分に与えられた特権だと勘違いしているメリヒアンヌが、フィオネンティーナは大嫌いだった。
だからこそフィオネンティーナは任期の三年を務めあげ、皇女に意見してやると決意している。
それを不敬と処罰するなら受けて立ってやるし、その時の皇帝の出方によっては国を出る決断も有り得るとすら考えていた。
今回、皇帝が下した決断が娘可愛さだけのものなら、アルファーンの未来は暗い。
そもそも皇帝もこれほどまでの人ではなかったように思う。フィオネンティーナが子供のころは、もう少しちゃんとした皇帝だったような気がした。
皇帝の弟が心の病で政治から引退して、その辺りからおかしくなったような……。
だとしても、そんなことは言い訳にならない。娘に甘い皇帝も、自分の立場を理解しないメリヒアンヌ皇女も大嫌いだ。
そんなことを考えながら、アゼルキナ砦についての説明を一通り聞き終えた後。頃合いを見計らったように司令官室の扉が叩かれた。
「ガレットです」との声にカイルが「入れ」と答えると、扉が開かれて薄汚れた男が入室する。
みすぼらしいわけではない。頭からつま先まで土埃に塗れているだけだ。そのせいで短く刈られた黒髪は、赤茶けた土色に染まっている。
ガレットは入室するとフィオネンティーナへ灰色の目を向けるが、一瞥しただけでカイルを真っ直ぐに見据えた。
司令官であるカイルを筆頭に、自分を見た砦の男達の驚き様を味わってきたせいで、ガレットの無反応にフィオネンティーナは驚かされる。
さすがは堅物。想像よりもちょっとだけ好印象だ。
「お呼びと伺いましたが?」
「戻ったばかりで悪いな」
カイルは座ったまま椅子を後ろにずらして足を組み替え、腕を組んでガレットを見上げた。カイルほどではないが、ガレットもかなり背が高い。
埃だらけの体は詰襟の制服ではなく、動きやすく作られた、なんの飾りもない薄茶の隊服だ。
任務に付いていたのだと分かって、フィオネンティーナはここで初めて自分がキグナスと国境を交えるアゼルキナ砦に来たのだと実感させられた。
「また妙なのを押しつけるつもりですね」
直立不動で前を見据えたまま、落ち着いた口調で訪ねるガレット。フィオネンティーナは、妙とは自分のことかと理解し、カイルは愉快そうに喉を鳴らした。
「まぁそう言うな。お前以外に預けられる奴はいない」
「セイがいるじゃないですか」
「冗談はよせ」
カイルが真面目な目つきのガレットに眉を潜め、フィオネンティーナは「セイとは誰だ?」と記憶をたどって資料を頭に浮かべた。
「紹介するリシェット、彼がさっき話したガレット・フォースだ。生真面目で曲がったことが嫌いな奴で、一度こうと決めたら違えることは絶対にしない。男ばかりのアゼルキナでも馬鹿騒ぎに加わるでもなく、いつも一歩引いたところから冷静に辺りを見ている。女関係も硬い。お前の面倒をみるにはうってつけだと思わないか?」
そう言われても……。
こうして紹介されると確かにうってつけだと思うが、何しろ堅物だ。ここにいては駄目だとフィオネンティーナの為を思って追い出されるのは困る。
返答に困っていると、「そのお前から冗談にもセイの名が出るとはな」と、カイルがガレットを睨みつけていた。
「お言葉を返すようですが、こういった形の相手を自分には上手く使える自信がありません」
「うん? まぁ、こういった形だからセイは論外だろう?」
カイルが首を傾げたので、フィオネンティーナも同じく首をかしげてみせる。するとカイルは咳払いした後、「とにかく」と続けた。
「彼女はお前に任せる。彼女はフィオネンティーナ・リシェット。見ての通り魔術師だ」
「かの……じょ?」
直立不動で前を見据えていたガレットが、首を回して顔だけを向けたので、フィオネンティーナは直接の上官になるガレットに挨拶をしようと背を正した。
けれどガレットが、灰色の目を怪訝に細めて凝視するのはフィオネンティーナの顔ではなく、そのもう少し下に位置する場所で。
なんだか変だなと思っていると、ガレットがおもむろに右手を伸ばした。
握手かと思い、フィオネンティーナも右手を伸ばしたが、その手をガレットの腕がすり抜けた。
すり抜けたガレットの手が、フィオネンティーナの左胸をがしりと鷲掴みにする。
驚いて息を呑む間に、ふにふにと二度、感触を確かめるかに動かされた。
「……本物?」
あまりの驚きにフィオネンティーナは声も出せず、盛大に息を呑んだその直後。
目の前にあったガレットの巨体が視界から消えた。
ガレットがフィオネンティーナの胸を鷲掴みにした瞬間、カイルが机を飛び越えて、ガレットの頬を渾身の力で殴り付けたのだ。
殴られたガレットは吹っ飛んで壁に激突。
フィオネンティーナは別の意味で息を呑む。
ガレットの頬は赤く腫れ、口からは血が流れていた。
それでもガレットは痛みを訴えるでもなく、唖然とフィオネンティーナを見つめていた。
目の前で、しかも鍛え上げられた男が、渾身の力で人を殴る様を生まれて初めて目撃した。
フィオネンティーナは殴る怖さと殴られた痛みの両方に怖れをなし、両手で口を覆って、驚愕に目を真ん丸に見開く。
殴ったカイルは拳を握り締めたままガレットを冷たく見下ろしていたが、一拍置いた後、機敏に向きを変えるとフィオネンティーナに頭を下げた。
「大変申し訳ない!」
「部下の不始末は上官である自分の責任だ」と頭を下げるカイルに、フィオネンティーナはとんでもないと慌てふためく。
「司令官殿に頭を下げられても困ります!」
「いや、こいつの行動を読めなかった俺の不手際だ」
二人のやり取りに我に返ったガレットが、ものすごい勢いでフィオネンティーナの足元にやってきたかと思うと、両手を突いて頭を床に擦りつけた。
「謝って済まされることでないのは百も承知。煮るなり焼くなり好きにしてもらって構わないので、どうか詫びを受け入れてくれ」
ぎょっとしたフィオネンティーナだったが、「本当に申し訳ない」と土下座するガレットを見下ろしていると、そういえば同じようなことがあったなと、髪をかきあげながらクインザを思い出した。
「司令官殿、ガレット隊長。お二方とも顔を上げてください」
「もういいですから」と、フィオネンティーナは苦笑いを浮かべた。
確かに驚いたが、減るものでもないし実害もない。ガレットは女性に対してしてはいけないことをしたけれども、あの触り方は性的なものではなかったと理解している。
人が目の前で殴られ吹き飛ぶ様に驚きが塗り替えられてしまったのだ。
「ガレット、貴様は鍛練場二百周だ。さっさと行けっ!!」
カイルは土下座するガレットを足蹴りにし、「やはり三百周だ」と言いながらフィオネンティーナから彼を引き離した。
ガレットはフィオネンティーナに許しを請いながら、最後にもう一度深々と頭を下げると、「また後ほど詫びに伺います」と言い残して執務室を後にした。
ガレットを追い出したカイルは大きく肩で息を吐くと、本当に申し訳なかったとフィオネンティーナに謝る。
「俺の人選ミスだ、お前には別の奴をつける」
せっかくの申し出ながら、フィオネンティーナは直ぐにそれを否定した。
「混乱を招いたわたしにも責任があります」
ガレットの様子からして、フィオネンティーナを女装癖のある魔術師と認識したのだろう。
先ほどガレットが「セイ」と呼んだ男が何者なのかも思い至った。彼が大変な女好きだとの情報も勿論頭に入っている。
もしフィオネンティーナを初めから女だと認識していたなら、堅物な筈の男がセイを薦めるわけがない。
胸を揉まれても、それ以外はなかなかの好印象。
更にはああいう輩に作った貸しは、何倍にもなって返ってくると決まっている。
悪い意味で堅物が気になっていたが、今はよい意味で堅物でよかったと思えていた。
「お前にはなんの非もない。あんな事態を目撃した以上、ガレットに任せるつもりはなくなった」
「お言葉ですが、司令官殿はガレット隊長が適任とお考えになったのでしょう? 不手際があったからと、今から二番手を紹介されても不安です」
「しかし……」
「上へ訴えたりする気はありませんのでご安心ください。優秀な方なのでしょう、ガレット隊長は?」
だから早々にフィオネンティーナから引き離した。彼がよからぬことを言い出す前に。
さすがは司令官だ。急な面倒事にも的確な対応は、重要なアゼルキナ砦を任せるに値する人で間違いないようだ。
にっこりとほほ笑むフィオネンティーナにカイルは不安を覚えている様子だが、さて彼はどうするか。
「彼以外の人だと不安要素があるのですよね?」
「なんとまぁ物わかりのいいお嬢さんだ。こっちが戸惑う」
カイル葉頭をくしゃくしゃと掻きむしった。
「まぁ……とにかく。何かあったら俺に言え」
心底嫌そうに眉を潜めたカイルに、フィオネンティーナは満足して「承知いたしました」と答えた。




