その26
アゼルキナに最も近い町はそれ程小さい訳ではないが、それでも王女を宿泊させるに相応しい上品かつ安全な宿屋がある訳でもなく。王女一行は街で一番大きい宿屋を貸し切り、宿の主人らを追い出してそこを根城にして町に居座り続けていた。
もちろんクインザ捜索にあたらせている侍女らの戻りを待っている訳ではない。それどころか王女は自分の下した命令をすっかり忘れ侍女が少ないと憤慨していたりもしたし、フィオの存在もすっかり忘れ去っている。恋する乙女のメリヒアンヌ王女の視界には、アゼルキナ砦司令官・カイル=オーランドしか映っていなかった。
何が王女の心を変えたのか、それは恋と言うしかないだろう。
美しいものにしか興味がなかった王女が己の我儘の代償に命の危険に曝され、美しくないからと自らが遠ざけた人間によって助けられた。いままでの王女なら汚らわしいと憤慨した状況だったが、この国の王女はそこまで腐っていた訳ではなかったらしい。少しばかり己に都合の良い方向に解釈してしまったお目出度い頭の中で、王女とカイル=オーランドの二人は両想いだった。
賊に襲われ情けない行動しか出来なかった顔だけ近衛は見限られ、今では王女に近寄る事すら許されない。代わりに王女の側に召されたのはカイルで、王都へ共にと熱の籠った視線と体を使った実力行使で説得されながら、自分は砦の責任者で任命権は騎士団長にしかないと突っぱね続けている。
権力者の恋は時として周囲に多大な迷惑をかけるのだが、フィオはこの状況を誰よりも歓迎し満喫していた。
王女はすっかり忘れている様子だが、フィオをここまで連れて来たのは王女だ。それに司令官であるカイルも王女に捕われ動けない状況であり、フィオが勝手に砦へ戻る理由はない。
命令待ち―――それを理由に温泉三昧のフィオは、濡れ髪のままヴァルと飲み屋で乾杯していた。
王女が動かない以上護衛であるヴァル達も足止め状態。王女がカイル以外が側に寄るのを許さないので彼らの仕事は建物周辺の警護が主だ。今までとは違い使えない顔だけ近衛ではなくカイルが王女に付いているので随分と楽になったと、交代で休憩となったヴァルはフィオを飲みに誘った。
すると当然ガレットも付いてくる事になる。ガレットは王女ではなく「司令官の命令」に従うのが自分達の任務だと、勝手にヴァルらに同行して王女の馬車を追ってきたらしい。そのお陰でフィオは命拾いをしたのだが、同じく町へ留まり続けるガレットは第六隊の隊長。部下をほったらかしでいいのかと視線を向けると、水を飲んでいたガレットが「何だ?」と柔和な微笑みを向けてくる。
「二人って、似てませんよね?」
堅物なガレットに対し、社交的で誰にでも愛想良く振舞えるヴァル。顔も言われてみればって程度であるし、ガレットが優しく微笑んでいても纏う雰囲気がヴァルとは全く違う。
「騎士団でも気付かない奴らの方が多かったな。」
「吹聴したせいか俺の周りはみんな知ってるぞ?」
二人が王都で同時に騎士をしていた時期は短かかったし、ガレットは寡黙ではないが自ら進んで身の上を話す方でもなかった。反対にヴァルは聞かれなくても話のネタとして振る性格だ。
そんなヴァルが騎士団の中で才能を見出された証明とも言うべきアゼルキナに在籍する兄の話をフィオにしなかったのは、話を聞いた大抵の女がアゼルキナに身を置くガレットに興味を持つからだ。ヴァルだって出会った当初のフィオに下心がなかった訳ではない。
「ヴァルは砦勤務を希望しないの?」
「女の子がいない寂しく厳しいだけの場所に好んで行きたいとは思わないね。」
まぁ命令されれば行くけどと、ヴァルは手にしたグラスを一気に煽って口を拭った。
上戸の弟に下戸の兄。同じ血を引いていてもこれほど極端に反する物なのか。ふとガレットを見ると顔が薄っすらと赤い。
「ガレット隊長、それって水でしたよね?」
「ああそうだが?」
「ちょっと失礼します。」
フィオはガレットが手にするグラスを受け取り口に含む。含んだ水を舌で転がしながらじっくりと見分すると、ほわりとした香りと苦みが舌先に響いた。
うん、本当に僅かだがアルコールが混ざっている。
ちらりとヴァルを見やると素知らぬ風でつまみに手を伸ばしており、ガレットを見やると訝しげに眉を顰めていた。
「本当に水ですね。お酒も少しは飲んでみませんか?」
満面の笑顔でグラスを返すとガレットは冗談はよせと嫌そうに顔を顰め、戻って来たグラスの水を一気飲みする。ヴァルが水差しを取り空いたグラスに注ぐと、ガレットはそれも一気に飲み干した。そして暫くするとガレットは座ったまま瞼を落とし眠りにつく。
「相っ変わらず弱いよなぁ…」
自ら謀っておきながらしょうがないなぁと苦笑いを浮かべるヴァルは、ガレットが食べかけたつまみを自分の方へと引き寄せた。
「眠らせてどうするのよ?」
「フィオと二人で話がしたかったってのについて来たから眠ってもらっただけだよ。」
ちょっとばかし水差しに酒を注いでおいたんだと悪戯っぽく笑うヴァルに、フィオはわざと呆れたように表情を作った。
「水に異物が混入されてて気付かないって大丈夫なのかしら。」
「兄貴の体はどう言う訳か酒にだけ疎いんだ。別のものなら匂いや味でちゃんと判別できるんだけどなぁ。」
いざという時に命に関わらなければいいがと思いつつ、フィオは頬杖を付いてヴァルを覗き込んだ。
「それで何なの、話って?」
「いやぁ、あのさ。見た所兄貴に惚れられてるみたいなんで、迷惑を被ってんじゃないかと心配になってな。」
頭をかきながら視線を外して言い難そうに話しだしたヴァルに、フィオは思わず目を瞬いた。
「えっ―――」
「あ―――っ、その反応。やっぱ兄貴の片想いだな。」
やっぱりなぁと乾いた笑いを洩らしたヴァルの目は少しも笑っていない。
「いや、その…何となくそうかもとかは、感じた時があるけど…」
砦へ出稼ぎにやってくる娼婦を買わないのかと聞いた折には『お前がいるのに』発言。しかしそれは単なる言い間違いであると互いが納得して終わった。怪しかったのはつい先日。メリヒアンヌ王女の馬車が賊に襲われた際、危ない所をガレットに助けてもらったが、その後すぐに抱きしめられたのだ。
まぁ今までを思えば過保護の延長だといっても納得できる範囲でもあるのだが。
「お前さ、兄貴に付き纏われてるだろ。」
「えと…」
「やっぱそうか、そうなんだな。すまんな。」
付き纏いというか、やたらに面倒見がいいのは出会った当初からなので諦めてはいるが、ヴァルはフィオの表情を読んで申し訳なさそうに頭を下げてくる。そして更にガレットにまつわる衝撃の過去を暴露した。
「兄貴は惚れた相手に付き纏う習性があるっていうか、常に監視していないと安心しないらしいんだ。それを無意識にやらかしやがるから、最初の内は兄貴にも惚れた自覚がないだけに気味悪がられるだけでさ。自分の気持ちに気付いてまっとうな交際を申し込もうって頃には、徹底的に相手に避けられるって悪循環を繰り返してきたんだ。」
惚れた相手を監視?
無意識に監視って…恋心を抱いた異性を、影でこっそり盗み見ているというのかあの巨体で?!
「―――当然だと思うわ。」
想像して身震いしながら、隣でぐっすりと幸せそうに眠っているガレットから僅かに距離を取る。
それって犯罪にはならないのだろうか?
そんなフィオの行動に焦ったヴァルが慌ててフォローを入れてきた。
「あくまでも無意識でだから!」
「無意識だからって許される訳じゃないよね。」
「いやいや、ちゃんと惚れてるって自覚したらそれがなくなるんだよ。」
「え―――っ、本当に? あ、でもそれならガレット隊長、わたしに惚れてる訳じゃないわよ。」
「何で?」
そんな筈はないと不思議そうに見やるヴァルに、フィオは自慢気に指を突き立て笑顔で答えた。
「今の今だって付き纏われてるもん。っていうか、出会った初日からこんな感じだったから、惚れてる惚れてないのどっちにしても、もともと女性に対してこんな感じの行動をとるんじゃない?」
お前は女だからと口と態度で主張されるのだ。明らかな特別扱いはフィオが女であるから齎される差別だと認識している。それがフィオを守りもするし縛りもしていた。
「いいや、兄貴は惚れてもいない女に声をかけたりしない。」
ヴァルは自信満々にフィオを否定する。
「砦で俺がお前に話しかけた時、兄貴の奴血相変えて突進して来たからな。その時ピンと来たんだ。」
「だってわたしに何かあればその責任はガレット隊長が取らされるんだもの。多少は仕方ないわよ。」
「兄貴は自分の体裁なんか気にする様な男じゃないよ。確かに部下の面倒見はいいらしいけど、生死のかかった世界では女だからって手を抜かないさ。フィオに惚れてないなら他の奴らと同じ扱いをしている筈だ。どうだ、同じように扱われているのか?」
「それは―――」
言葉に詰まったフィオに「そらみろ」とヴァルは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「でもヴァルが言う様な犯罪紛いの付き纏いは受けていないわ。あくまでもちょっと過保護かなって程度だもの。それで随分助けられているし。比較する女性が他にいないからちゃんと測れないけど、正直いってクインザに比べたらガレット隊長なんて真っ当な人間の部類にしか入らないわよ。」
「あの男と比べたら誰だって真っ当な人間だよ。クインザはフィオに対する執着が尋常じゃないからな。」
そうかフィオの側にはあいつがいたんだったと、まるで寄生虫の様にフィオに付き纏う人間離れした美貌の魔術師を思い浮かべる。
自分達がこんな辺境の地にいるのも王女がクインザを追って来たからだったが、今はそれよりも不憫な性格が災いして春が訪れたためしのない兄の方が先決だ。
「あのさぁ。お前が嫌じゃなければ宜しく頼むよ。フィオなら兄貴のことを魔術師様が相手にする様な身分じゃないとか言わないだろ?」
「何よそれ。そもそもヴァルが言う様な付き纏われ方はされていないから。」
惚れられてなんかないと眉間に皺を寄せるフィオに、いいやとヴァルは自信満々に首を振った。
「それは自信がある。兄貴は間違いなくお前に惚れてるって。こないだだって仲良く抱擁してたじゃないか。」
「仲良くなんてっ―――!」
見られた羞恥に顔が熱くなるのを感じ言葉が詰まった。
「抵抗しなかったって事は、満更でもないだろ?」
「馬鹿力に抵抗できなかっただけよっ!」
砦の連中どころか目の前のヴァルにだって腕力で敵う訳がないのだ。非力な女なんだぞと声に出しかけて、そうしないで欲しいと自分からガレットに意見したのを思い出し言葉を飲み込んだ。女だからと言われるのを嫌がったのは誰でもない自分自身。
「ヴァルがどう思ったって本当に違うから。いくら兄弟でも弟が兄の代わりに告白してくるなんておかしいでしょう?」
「借りは作っとくべきだって思わない?」
「それは強く思うけど、絶対おかしいって。」
この話はおしまいだと言わんばかりに目を細めヴァルを睨みつけてから酒を煽る。ヴァルも肩を竦めると話を変え、フィオが砦でどのように過ごしているのかなど夜遅くまで近況を語り合った。
*****
フィオが温泉と酒に溺れる日常に慣れ親しみ、ヴァルたち護衛が何時になったら王都へ向けて出発出来るのかと退屈な時間に辟易していた頃。
精神的に満身創痍のカイルにやっとのこと救いの天使が現れた。
勿論フィオではない。フィオは王女に存在を忘れられているのをいい事に温泉三昧の日々を満喫していただけで、王女の攻撃に日々精神をすり減らしやつれていくカイルの存在を半ば忘れ去っていたのだから。
かの人は実際の見た目は天使とは到底いい難い激太りした中年の王弟である。若い頃はそれは見事な貴公子ぶりで世間を騒がせたが、愛する妻を失ってからは癒やしを妻の好んだ甘いお菓子に求めてしまったせいで、今も激太り続行中のメリヒアンヌ王女の叔父であり、美しい物好きの王女にとっては天敵ともいえる存在であるシュメル公爵だった。
「その脂ぎった顔でわたくしに近付かないで下さいませっ!」
悲鳴を上げカイルの後ろにすっぽりと隠れた王女だったが、王女の甲高い悲鳴と暴言にもめげずにシュメルは重い体を揺すってカイルの後ろへ手を伸ばす。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
醜悪な天敵に触れられそうになり、王女はついにカイルから手を離すとシュメルから距離を取る為に部屋の中を逃げ惑った。
「いい加減にせぬか、この馬鹿娘が。そなたのせいでどれだけの人間が迷惑を被っているか解らぬとは救いようのない阿呆だな。私とてこの様な地までそなたを迎えになど来とうはなかったが、陛下たっての頼みであれば断れまい。そなたが追いまわしておった魔術師はとうの昔に王都へ戻っておるぞ。」
まったくお前には呆れるばかりだと盛大に溜息を落とす叔父を、王女は精一杯の虚勢で睨みつけた。
「それが何だとおっしゃるのです? 叔父とはいえ真実の愛に目覚めたわたくしの邪魔をする権利はありませんわよっ!」
「何が真実の愛だ、戯け者。一国の王女としての役割を果たせぬそなたの戯言など聞く耳持たぬわ。」
言うが早いか、その巨体からは到底想像できない俊敏な動きで王女を捕まえ拘束する。ぬるりと汗ばんだ手が素肌に触れ、王女は「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」と断末魔ともとれる悲鳴を上げそのまま白目をむいて気を失ってしまった。
「まったくもってけしからん娘よの。」
シュメルは僅かな運動で零れる様に噴き出た汗を拭うと、ふうと息を付いて膝をついたカイルに向き直った。
カイルがまだ若造と呼ばれた頃、シュメルは騎士団に属し雄々しく剣を揮う、カイルが心から敬う公爵だった。
貴族や庶民関係なく実力のある人間を見極め厳しく指導するシュメルは、カイルら庶民出身の騎士からは絶大な人気を誇っていたのだ。
「カイル=オーランド。覚えておるぞ。砦の司令官とは随分出世したのもだ。私の目に狂いがなかったと思うと嬉しく思うぞ。」
「有り難きお言葉痛み入ります。今の私があるのも全ては閣下のご指導ご鞭撻のお陰。」
「剣を捨てた私には痛い言葉だな。」
シュメルは意識を失ったメリヒアンヌ王女を抱え上げると長椅子に横たえながら自虐的に笑った。
「けしてそのような―――」
はっと顔を上げたカイルに対しシュメルは「よいのだ」と言葉を遮る。
「王女が発端で色々と迷惑をかけていたようだな。陛下に進言すべき立場にありながら放置した私にも咎がある。妻を失ってから全てにおいてやる気が持てなくてなぁ…すまぬ、許せ。」
「閣下―――!」
そんな事はないと言いかけるが、臣下に頭を下げるシュメルにカイルは言葉を飲み込むと跪いたまま深く首を垂れた。
かの人が何物にも代えがたい奥方を失ったのは国家の損失ともいえよう。そんな思いを抱きながらもこの現状から解放された幸福感に、カイルはシュメルに対して深く深く深―――く、感謝し、長々と首を垂れ続けた。




