その25
王命で異動してきたフィオをそう簡単に砦から出す訳にはいかない―――そう進言しようとしたカイルの言葉を拒絶したのはフィオ自身だった。
「承知いたしました、メリヒアンヌ王女さま。」
にっこり不気味な笑顔を王女に向けつつ、ちらりとカイルにも向けられた視線は「余計な事は言うな」と語っている。転んでもただでは起きない女だと、思惑を瞬時に理解したカイルは悩みつつもまぁいいかと口を噤んだ。
素直なフィオを訝しげに思いながらも、王女はふんと鼻を鳴らし豪華で歩くのに邪魔になりそうなドレスを翻して馬車に戻って行く。ドレスの裾は土に擦れて汚れていた。
可哀想に―――身を寄せ合い震える体を互いに抱きしめ合いながら置き去りにされる四人の侍女に見送られ、煌びやかな王女一行は砦を後にする。
いったい何しに来たのか、噂以上の我儘だなと砦中が呆れる中、煌びやかな馬車のすぐ後ろを騎乗したフィオとカイルが追った。
フィオだけを行かせると何をやらかすか解ったもんじゃない。正直関わりたくないし放り出しても構わなかったが、面白い何かがあるやもしれないとカイルは興味本位で町まで同行する事にした。この行動がカイルをとんでもない事態に陥らせるとも知らずに………
見た目が厳ついカイルの同行を王女は渋ったが、町までの距離に不安を感じたのだろう。離れて護衛する者らの能力はかなりのものだが、不測の事態以外で顔を見せるなと突っぱねた手前助けを求めるのも癪に障るので「好きにしろ」と勝手にさせる事にしたのだ。
離れて護衛にあたる騎士らもカイルの同行にほっと胸を撫で下ろす。突然の襲撃にあったとしても砦の司令官たるカイルが側にいるのなら、彼らが駆け付けるまでの間王女を確実に守ってもらえる。当然の様に魔術師のフィオはその数に入ってはいなかった。
長い一本道を振り返ると、遠く豆粒みたいな護衛の集団が見える。こんな状態でよくもまぁ王都から国境の地までやって来たものだとフィオは感心した。己の命をかけてまで綺麗なものしか側に寄せたくないのか、気付いていない故の横暴か。恐らく後者だったのだろうが、呆れを通り越して感心してしまいそうだ。
「お前は町で引き返す予定だろうが、あの王女相手にそう上手くいくのか?」
馬体を並べて歩かせながら面白そうにカイルが頭上より声をかける。カイルが巨体を預けるのはこれまた立派な巨体をもつ軍馬だ。足も太い。踏まれたら間違いなく綺麗に潰れると想像しながら、フィオは自身の体に合った小柄で大人しい馬に跨っていた。
「あの王女だから大丈夫なんです、クインザがいる王都にわたしを連れ帰る訳がありませんから。ここまでやって来て空振りなのを認めたくないんじゃないですか? 残されたお嬢さんたちが頑張ってくれれば二、三日は町に留まってくれると思うんですけどね。」
その間はゆっくり温泉三昧だとフィオはご満悦だ。カイルも突然の王女来訪を告げられた時は何の呪いかと愕然としたが、砦への立ち入りも門前で終了してしまった王女には少々拍子抜けしていた。なにかとんでもない事をやらかすんじゃないかと辟易していた分、肩すかしをくらって有り難い。これも日頃の行いの良さ故だろう。
「お前は風呂の事しか頭にないようだが、町まで無事に辿り着けると思っているのか?」
含みのある物言いにフィオが眉を顰めると、カイルは面白そうに口元を緩める。
「賊なんて出る訳ないでしょうに。」
確かに一本道で左右は生い茂る森と逃げ場がなく賊や追剥にとっては良い立地条件であるが、往来の主な輩がアゼルキナの騎士では歩の悪過ぎる相手だ。
他の可能性を思案するフィオにカイルは普段ならなと同意した。
「何処からともなく連れて来てんだよ、あのお姫さまが。九割方襲われるぞ、楽しみだな。」
「ああ、なるほど。」
先日マルム酒を持ってきた小太りの御者にそのまま帰れと言ったら、サイラスと二人で嘆いていたのを思い出した。
この道に沿って賊の根城がある訳ではないが、荷を狙って足を運ばれる可能性もあるのだろう。
「それを楽しみだなんて…嫌な事でもありましたか司令官殿?」
「それをお前が言うのか?」
「えっ、わたしで…すよねぇ。ご迷惑ばかりかけて申し訳ありません。」
確かにフィオが原因で齎された厄介事は一つや二つではないだろう。目の前の豪華絢爛な馬車がここにあるのもフィオが原因なのだから。
「そんな落ち込むな。たまには剣も振るわないと錆付くばかりだからな。それにお前の実力も見てみたい。」
あっけらかんとしたカイルの言葉にフィオはぎょっとした。
「実戦経験のないわたしに何を言い出すんですか。護衛対象は腐っても王女です、何かあってからではやっぱり不味い。わたし後ろの騎士たち呼んできます!」
慌てて引き返そうとするフィオをカイルは必要ないと引き止める。
「何かあったとしてもあいつらが駆け付けて来るまで数十秒って所だろう。俺とお前はそれまで馬車を守り抜けばいいだけの話だ。何ら難しくはない。」
「随分と余裕ですね。」
「あれは守ってやるつもりがないからな。」
カイルが顎で示した先にはメリヒアンヌ王女自慢の顔だけ近衛。本来馬車の外で護衛に努めるべき近衛の数人は王女の馬車に同乗しくつろいでいる様子だ。国王も王女が可愛いならもっとちゃんと教育しておけと声を大にしていいたい。勿論心の中で。
「一応頑張りますけど、わたしの事は戦力外と思っておいてください。」
「いつもの威勢はどうした?」
急にしゅんとなったフィオをカイルが意地悪そうに笑った。
*****
辺りが薄暗くなってきたと思ったら瞬く間に闇が訪れ、闇夜には黄金色の満月が輝いて闇をほんのりと照らしていた。
休憩も取らずに進み続けたお陰か、このまま行けば何事もなく町に到着できそうだ。ずっと馬に揺られお尻も地味に痛くなっていたフィオはほっと安堵の息を吐いた。
「行くぞリシェット!!」
「えっ?!」
突然の声にフィオが何事かと問い返すとカイルは既に馬を蹴り走りだしていた。
カイルが顔だけ近衛を押しのけ馬車の横を陣取るとほぼ同時に剣を抜き一振りする。「ぎゃっ」と声が上がり暗がりに人間が倒れた。
「うそっ、出なくていいのにっ!」
冗談はよしてくれと慌てて後を追ったフィオは、剣を片手に逃げ惑う情けない顔だけ近衛を足蹴りにして馬車から遠ざける。いつもの澄ました顔を恐怖に歪め無暗やたらに剣を振りまわされてはこっちが危険だ。
「お前は反対を守れ。遠慮なくぶっ放してかまわねぇぞ!」
笑顔で剣を揮うカイルの足元には数人の死人…だろうか? 実戦経験のないフィオは驚きで身を固くしながらも、昇降口のない反対側へと指先に意識を集中しながら回り込んだ。
確実に王女を狙った野盗の類。他国の仕業も有り得るが、それよりも今はこの危機を逃れることだけを考えなければならない。誰かを死なせてしまっても仕方のない場面にあるのだと頭では理解していたが、指先に込める力に加減を加えたのは人を殺すのがやはり怖かったからだ。
暗い森から這い出てくる賊にむかって狙いを定め魔術を解き放とうとした瞬間。フィオの後頭部に大きな衝撃が走り、指先から解き放たれた雷鳴は狙いとは全く異なる明後日の方向へ光を描いて流れ出ると、ドンという大きな音と共に着地点に大穴をあける。
「ちょっとっ!」
なんて事してくれたんだと傷む後頭部を押さえて振り返ると、覗き窓から剣を持った男の腕が伸びていた。
「賊と間違えた、済まない!」
剣は鞘付き。抜き身であれば間違いなくフィオの頭は割れていた。
「間違えたじゃないわよ、スカポンタンっ。いくら貴族でも魔術師殺しは牢屋行きだからねっ。そもそも剣も抜けない癖に賊と遣り合うなんて百万年早いのよ。お前なんか王女のドレスの中にでも隠れてろっ!」
王女にいい所を見せようとうしたのだろうが、外に出る勇気もなかったのだろう。あわてて誰彼構わず剣を振ってみても慌て過ぎて鞘ごとだなんて…いくら顔だけの阿呆でも阿呆さ加減に限度があるだろうに―――
「きゃあぁっ!」
憎しみのあまり心の内で暴言を吐いていた矢先、今度こそ本物の抜き身の剣がフィオに振り下ろされた。それは上手いこと避けはしたが次々に剣がフィオに向かって振り下ろされてくる。
応援はまだかと視線を向けると、フィオの誤爆により開けられた大穴に阻まれ馬が立ち往生しているのが目に映った。
「うわっ、最悪!」
味方の進路を塞いでどうするんだ。さっきの阿呆な顔だけ護衛、絶対許さないぞと悪態を吐きならが何の役にも立てずに剣から逃げ惑うのが精一杯だった。時折指から雷鳴を放ちはするが、集中できない状況では相手に命中させても膝をつかせるのが精いっぱいだった。
馬を諦め自らの足で走り出たヴァルを含む本来の護衛が目の端に写り込みほっとした瞬間、馬車から悲鳴が上がりそちらへ目を向けると、王女が乗る馬車が横倒しにされ賊の一人が白い腕を引き上げるのが見えた。
「やばいっ!」
走り寄る護衛に早くと念じながら襲い来る敵を迎え撃つ。もう一度馬車へ視線を移すと白い腕を掴んだ男がカイルによって腕を斬り落とされる場面を目撃してしまった。
腕を切られるのも怖いが、何よりも怖かったのはそれを笑いながら愉快そうにやってのけるカイルの姿。ブルリと震え上がったフィオの目に、カイルが馬車から王女を引っ張り上げ小脇に抱えて逃げ出す姿が映る。
それとほぼ同時に余所見をしてしまったフィオめがけて剣が振り下ろさせた。咄嗟の事にその軌道を無抵抗で受け入れるしかなかったフィオが瞬きをした瞬間、周りを取り囲む賊が血飛沫を上げばらばらと地面に落ちる。その血飛沫の向こうには王女に駆け寄って行く護衛たちの姿。
「怪我は?!」
腕を引かれ怒鳴りつけるような声が頭から降り注ぎ、恐ろしく鋭利な灰色の眼光がフィオを見下ろしていた。
「ガレット…隊長?」
何でこの人がこんな所にいるんだと首を傾げるフィオに再度同じ言葉が落とされ、掴まれた腕に力が込められる。
「怪我はないのかっ?!」
「あいたっ、痛いですガレット隊長っ。怪我はないけど腕が折れるっ!!」
「そうか…怪我はないのか―――」
「ぎゃぁっ!!」
鋭利だったガレットの目が安堵に緩んだかとおもうと、フィオの腕を潰しかねない程の力で掴んでいたガレットの手が、そのままフィオへと回され抱きしめられた。
「よかった、お前が無事で―――」
よかったとフィオを抱きよせ心底安心したように呟かれる。じくじくと疼く腕の痛みに堪えながら、なんだこれは、まるで恋人同士の様じゃないかとフィオは焦ってもがいた。
何とかしなければ…こんな所を司令官に見られたら何を言われるか解らない。必死にもがいてガレットの胸に押し付けられた頭をずらすと、どう言う訳か我儘王女に抱き付かれ腰を抜かしたカイルの姿が目に飛び込んできた。
*****
久々の戦闘を楽しんでいたカイルの後ろで馬車が倒された。王女の護衛の到着が遅れているのはフィオの魔術のせいだったが、一人でも余裕だったので反対に良くやったとさえ思えてくる。賊に囲まれ脅える悲壮感丸出しの王女の声をざまぁ見ろとばかりに楽しんでいたが、流石に馬車を倒され護衛対象を危険に曝してはそう楽しんでもいられなくなった。
倒された馬車の中から王女を引き上げると蒼白で、涙で化粧がはげ落ち化け物のようになっていた。それを小脇に抱え安全な場所まで下がると遅れていた護衛が到着し、賊を取り押さえ一気に掌握した。
さてと、お小言でも聞いてやるかと王女を地面に立たせ跪いたカイルに、わなわなと肩を震わせた王女が飛びかかる。
「わたくしとっても怖かったですわオーランド様っ!」
突然の出来事にカイルは後ろに尻餅をつき、周囲は目が点になって動きを止めた。
オーランド様?
それはいったい誰だとカイルはきょろきょろするが、ここにオーランドの姓を持つ人間は自分以外に存在しない。それでも自分以外のオーランドを探していると、体に回された腕に力を込められた。
「オーランド様が命をかけてお守りして下さらなければわたくしは今頃―――ああ、わたくしの為にオーランド様を危険な目にあわせてしまって。わたくしはどうやって償えば宜しいのでしょうか。」
醜いものがいらぬ事をしおってと罵倒されるでもなく、それとは逆にカイルに抱き付きおいおいと涙を流す王女に唖然とする。
「あの、王女…頭でも打たれましたか?」
カイルがそんな失礼な質問をしても誰一人として文句をいう者は存在しなかった。侍女や王女お気に入りの顔だけ近衛もいったい何がどうなったのだと、ここにいる者全員がそう思っていたのだから。
そんな周囲に反し、王女は首がもげるほどに頭を振って全力で否定し、潤んだ瞳でカイルを見上げる。
「いいえっ、わたくしはオーランド様のお陰で全くの無傷でございます。あなた様の愛がわたくしを守り抜いたのです!」
完璧な恋する乙女の目だった。
カイルの脳裏には嫌な予感しか浮かばず、恐れから背中に冷たい汗が大量に流れる。剣先を喉元に付き付けられ死の淵に瀕した時以上の緊張だった。
この状況から逃れようと無意識に体が後退するが、その分意識を持って王女がにじり寄ってくる。
「全ては任務に忠実に従っての事。王女をお守りするのはここに集う全ての臣下が負った使命に御座います。ほらっ、王女お気に入りの近衛らにねぎらいの言葉をお掛け下さい!」
その妙な色気はお前のお気に入りにでも振りまいておけと、遠慮も何もなく王女を掴み上げ体ごと顔だけ近衛らに向けて押し付ける。が、王女はお気に入りである見目麗しい男らに白い軽蔑の視線で一瞥しただけで、直ぐ様潤んだ恋する乙女の目をカイルに向けて縋りついて来た。
「うわぁっ!!」
完璧な逃げ腰のカイルを非力な筈の王女が捕まえ離さない。
「わたくし、あのような情けない者達にかける言葉など持ち合わせておりませんわ。先程までのわたくしの目は節穴でした。オーランド様が賊より命がけでわたくしを守り、その逞しい腕に優しく抱きしめて下さった事でやっと目覚める事が出来たのです。」
「一生目覚めなければ良かったんですよっ!」
そもそも優しく抱き締めてなどいない。多少の恨みを込め荷物のように腕に抱えて余分に振りまわしたりもした。まさかそのせいで頭の中がおめでたく咲いたのではないだろうかと、カイルは己の取ってしまった行動を深く後悔する。
「これからはオーランド様がわたくしの側にあり、常にお守りくださいませ。」
「いえいえいえいえっ、そもそも俺には王女の近衛に着任当日解雇された過去があります!」
「まぁ…そんな事が。当時の愚かなわたくしを思い切り殴り飛ばしてやりたいですわ。」
「俺もそうしてやりたい、じゃなく! 一度近衛を解任された男を側に置くなど王女の名を貶めます!」
良く解らないいい訳で否定するカイルに、王女は首を傾げて「そうなのかしら?」と呟き思案するが、妙案を思いついたようにぱっと輝き頬を染めた。
「ではわたくしの婚約者として―――」
「誰がなるかっ!」
鬼の形相で怒鳴りつけるカイルに怯むでもなく、王女は微笑みながら暴走し続ける。カイルも不敬がどうとか考えられない程、この状況に辟易し全力で逃げに入っていた。
「人前であのようにわたくしを抱き締めておいて、今更照れる必要なんて御座いませんのに―――」
いやですわオーランド様ったら…と、頬を染める王女を前にカイルの全身に鳥肌がたった。
「いやいやっ、抱きしめてないし! そもそも王女と俺ではいくつ離れていると思ってるんですかっ。それに俺は平民出です。王女を降嫁させられる身分など持っておりません!」
「陛下はわたくしに甘いの。行き遅れと囁かれるわたくしの嫁ぎ先が決まったと大喜びなさいますわ。」
いやいや、絶対にそれはない。王女が他国に嫁がない場合は臣下に降嫁されるが、その相手として選ばれるのは公爵家か悪くても侯爵家が相手だ。アゼルキナ砦の司令官と言えど庶民出のカイルなどに嫁に出されるなんて事態は国が潰れても絶対に有り得ない。
しかし夢見る乙女からそんな常識は綺麗さっぱり消え去られていた。
「俺には離婚歴がっ!」
「それはよかった。別れさせる面倒が省けるというものです。」
にこりと微笑んだ恋する乙女は最強で、誰一人としてこの状況を打破できる人間は存在しなかった。ガレットから逃れたフィオは目の前の光景に瞳を爛々と輝かせ、これからどうなるのかと心躍らせ面白そうに様子を伺っていた。




