その20
「頼むからここを開けてくれフィオネンティーナ!」
繰り返し扉を叩きつける音を無視し、フィオネンティーナは寝台でシーツを引きかぶってふてくされていた。
「わたしの苦労はいったい何だったのよ―――」
涙目になり垂れてきた鼻水をずずずとすする。
鍛練場から半泣きで逃げ出したフィオネンティーナをクインザは直ぐ様追いかけてきた。追いつかれる直前で扉を閉めそのまま籠城中だ。
鍵をかけ忘れたので入ってこようと思えば入ってこれるのだが、ドアノブを捻ろうともしない様子からクインザも悪かったと反省しているのだと伺える。だがフィオネンティーナ自ら扉を開いて許して欲しいと願っている気持ちでいっぱいでだとも解っているので、直ぐに扉を開いてやるつもりは毛頭ない。
カイルもガレットもクインザの容姿に耐性が付くのは早かった。
砦の連中はみんなそうなのか、クインザにとっても初めての状況で嬉しかったに違いない。それを素直に喜んでやれない自分に嫌気がさすが、鍛練場で楽しく談笑していた様子に嫉妬すると同時に、どう言う訳か若干の寂しさも感じていた。
ただの男であってもあれ程すぐに馴染んでいただろうか。あれはクインザだから成し得た技でもあるように思える。保身のために相手の弱みを握り、砦での居場所を掴もうとしてきた姑息なフィオネンティーナとは大きな違いだ。
本人は大した事とは捕らえていないが、持って生まれた容姿のせいでクインザがこれまでに大変な苦労を被っているのはフィオネンティーナもよく知っていた。
女好きのろくでもない男なら諸手を広げて得たい代物だろうが、クインザは異性に大した興味を示さない。平凡な容姿に生まれていたならもっと生きやすかっただろうにと―――怒っているのにクインザへの同情で心が埋め尽くされそうになる。
「済まないフィオネンティーナ、心配してくれているのは重々承知してはいるのだ」
扉の向こうから悲しげな声が響いてくる。恐らく…泣いているだろう。
ちょっと大人げなかったかとシーツから顔を覗かせ様子を伺う。
ここで出て行ってもクインザに八つ当たりしてしまうだけだなので、あくまだでも聞き耳を立てて様子を伺うだけだ。
しばらく沈黙が続いた後、扉の前からクインザが立ち去る気配がした。あれ、何処へ行くんだとフィオネンティーナは慌てて扉を開く。勝手に出歩かれて面倒を起こされてはたまらない。
「クインザっ!」
飛び出してきたフィオネンティーナにクインザは振り返ると穏やかな笑みを向けた。
泣いていると思ったのは間違いだったらしく、綺麗な顔に優しい眼差しでフィオネンティーナを見つめている。
「司令官殿に会って話を付けてくる」
「えっ?」
「説得してアゼルキナの魔術師としてやっていく許可をいただいてみせるよ」
それはフィオネンティーナがここに来てからなりたいと強く感じたものだった。
カイルは許可をしない。しかし万一にも許可したなら、クインザはフィオネンティーナを差し置いて真っ先にアゼルキナ砦の魔術師になってしまうだろう。
フィオネンティーナの体が小さく震えた。
嫌だわたし―――なんて愚かなんだろう。
「何のためにそうなりたいの?」
声が震えないよう注意を払う。クインザは眉を下げ少し迷ってから答えた。
「フィオネンティーナ、君の側にいたいからだ」
そんなに執着してどうするんだとは言い返せなかった。
男女の恋や愛とは違った執着。フィオネンティーナと違いクインザはここで居場所を見つけようとはしていない、フィオネンティーナの側に居続けようとする思いだけで行動していた。離れてその気持ちが強くなったのか、真剣な眼差しに茶々を入れる隙はない。
「いいよ、解った。案内する」
「本当か?!」
一瞬でクインザの顔がぱっと明るくなる。
クインザに心構えが出来ているのなら何を言っても時間の無駄。帰れ帰らないの繰り返しになってクインザに嫌な思いをさせてしまうだけだ。
自分に正直な幼馴染に嫉妬していた後ろめたさもある。カイルとの約束を反故にする事になり叱りを受けるだろうが、そうしなければ話は進んで行かないだろう。
司令官室の扉を叩くと返事は返ってこなかった。
しばし待ちもう一度叩くが答えは同じ沈黙。不在だろうかと扉を開くと机に足を乗せ、ふてくされた様子で腕を組みこちらを睨んでいるカイルと目が合う。野生の感か砦の騎士特有の能力か、扉を開く前に二人の訪問を知っていた様子だ。
「俺に会わせる必要はないと言ったはずだが?」
命令違反だとそれはそれは面倒臭そうに言い放つカイルに、フィオネンティーナが申し訳ありませんと詫びを入れるとクインザが一歩前に出た。
「砦の司令官にお願いがあってまいりました」
「聞く耳はもたねぇぞ」
「私をアゼルキナへ招き入れて頂きたい」
聞かないと言ったにもかかわらずクインザは勝手に話を進めた。
「貴方が司令官につく以前は砦より魔術師の赴任要請が頻繁にあっていたのはご存知でしょうか。軍事国家キグナスと国境を交える砦の重要性は計り知れない。そのような砦に在籍する魔術師がたったひとりと言うのはあまりにも心許無いとは思いませんか」
「俺はちっとも思わねぇぞ」
カイルは机に足を乗せたまま自分を売り込むクインザを、まるで馬鹿にするように口の端をあげて笑った。
前任者が魔術師要請を行っていた事実は承知している。カイル自身も就任直後に無駄と解っていてもそうするべきだとセイより意見をもらっていた。
だが国家にとって大事な魔術師を辺境とも言える砦に赴任させられる訳がない。
もしもの際に王都を守る重要な砦となるべき魔術師は、王の足元で飼いならされているのが現在の常識なのだ。
セイの言葉が王弟アレクセイとしての言葉ならカイルも従わざるを得なかったが、砦に籍を置くのはあくまでもセイ=ラキスであって王弟殿下ではない。ただのセイ=ラキスとして扱うよう本人からの申し出があった時点でカイルはセイをそのように扱ってきた。途中で変更するのはセイが周囲に身分を明らかにした時だ。そうならない以上カイルは無駄な仕事を増やす気は毛頭ない。
「温室育ちは必要ない。第一その形で砦をうろつかれちゃ迷惑でかなわん」
厳しい視線はフィオネンティーナに見せるそれとはまるで違う。どう出るかとクインザを覗きこむと相変わらずにこやかな微笑みを浮かべていた。
この笑みにやられない司令官って凄いとこっそり驚愕する。さすがはアゼルキナ砦を統括する司令官、ただ者ではなかったのかもしれないと思わず魅入ってしまった。
「見た目が気に食わないから排除されるとは、随分と個人主義が罷り通る現場の様ですね」
「俺個人にそんな権限はねぇよ。重要な砦だからこそ部外者はお断りってなだけだ。砦勤務を希望するなら配属所持って出直して来い」
砦は個人の物ではないだろうとの厭味も気にする素振りは見せない。カイルの最もな意見は命令一つで左右される軍人にとっては当然の言葉だった。
「配属書なら砦の司令官殿の了解が頂けるなら、魔術師団長が即刻手配してくださいます」
「冗談抜かすな」
なにをこっちに丸投げしてるんだとカイルはフィオネンティーナを横目で睨みつけた。
魔術師団長にはクインザを砦勤務に変更するつもりはさらさないのだろうが、その判断をカイルに任せるとはいったいどんな了見だ。
ここでクインザの異動をカイルが認め、彼に万一の事でもあった日にはいったいどうなる事やら。
国王命令で移動となったフィオネンティーナはまだいい。どんな理由にしろ国の最高責任者がそれでいいと決定したのだから。
しかしクインザの砦入りをカイルが承諾した場合、何かあった時の責任は全てカイルが取らされるのは目に見えている。アゼルキナは重要な場所だが現在は隣国キグナスとに大きな問題がある訳でもない。だと言うのにどんな利益があってカイルがそんな危険を犯さなければならないのか。
「話は終わりだ、さっさと行け」
「一度の話し合いで司令官殿の了解を得られるとは思ってはおりません。幸いにもアゼルキナへの滞在許可は騎士団長より頂戴しておりますので、また明日改めてお伺いさせて頂きます」
「団長が許可しただと?!」
カイルはガタンと音を立てて机から足を下ろす。そもそも滞在許可とは何だ、そんなものが必要な程ここに居座り問題をまき散らすつもりなのかと思わず目を見開き、脳裏に浮かんだのは真っ青な瞳の英雄だった。
都合の良い事にちょうど休暇で砦を離れてはいるが、あと数日もすれば戻る予定ではなかったか? 魔術師であり神がかりの美貌を持つクインザが滞在中にあのセイが戻ってきたらどうなるか―――考えるだけでも恐ろしい。
権力を使って強要はしないが、魔術師の重要性を説いているセイはこれを好機とみなすだろう。もしかしたらフィオネンティーナが赴任してきた当初より何かを目論んでいたかもしれない。
問題がわんさか湧いてくる予感にカイルは身震いした。
「賭けをしないか」
カイルの言葉にクインザは僅かに顔を傾ける。
「賭け、ですか?」
「たとえ騎士団長の許可があってもアゼルキナはお遊びでうろついていい場所じゃない。どうしてもいたいなら己の力を示してみろ。お前が賭けに勝って実力を示せたなら、その時は俺が魔術師の赴任要請を書いてやるから配属所を持って出直せ」
「私が負けた場合は即刻都に帰れと言う訳ですね」
「賭けを飲まない場合も同じだ」
アゼルキナに見合わない力は必要ないが、それなりの力を示せば迎え入れてやろうとの言葉。突然変えられた態度にクインザはしばし考えるが答えは決まっていた。フィオネンティーナの側にい続ける為に示された光を掴み損なう訳にはいかない。
「了解しました。それで賭けとはどのような」
「なぁに、追いかけっこをするみたいなもんだ。簡単だろ?」
カイルはフィオネンティーナに顎を向けるとガレットを呼んでくるように言いつけた。
*****
フィオネンティーナはカイルの命令でガレットを呼びに出る。クインザはカイルの存在など忘れたように閉じられた扉を黙って見据えていた。
「随分と御執心なようだな」
魔術師団長どころか騎士団長の手までも煩わせるとは。クインザがどれ程神々しく美しいと言っても、アルファーン帝国の騎士をまとめ上げる団長がそれに惑わされるとは思えない。カイルをからかう為の材料にはするかもしれないが、王命でフィオネンティーナが配属させられている状況でさすがにそれはないように思われた。
貴重な魔術師を動かすには煩い輩が多すぎる。
カイルの問いにクインザは正面を向いたものの、先程までの笑顔が嘘の様に何も答えようとはしない。
「心配せずともリシェットなら強かにやってるぞ」
「その原因を作ったのは私です、貴方には理解できない」
強かにやっているから大丈夫だとかいう問題ではない。フィオネンティーナをこんな場所に追いやった自分の不甲斐なさに苛立つし、彼女の側にいられない状況も耐え難いのだ。女々しい想いだが、それを目の前の男に理解してもらおうとは微塵も思わなかった。
「メリヒアンヌ王女の懐も案外悪くないやも知れんぞ」
意地悪く笑うカイルにクインザは深い紫の目を細める。鋭く突き刺さる眼光を向けられ、自虐趣味はないのだが心地よい気分になるのは何故だろうか。
女神の如く完璧な美貌を誇るだけあってその顔で睨まれると威圧感が半端ない。しかし敵と斬り合い殺しあう経験を持つカイルもその辺の騎士とは違っていた。
そんな目を向けられると更に煽りたくなる。経験豊かな騎士を相手に苛立ちを秘めた眼光では勝機はないに等しい。
「それなら貴方が懐に入ればいい」
クインザの言葉にカイルは声を大にして笑った。
「めでたくも俺はこの形で失格したんだ!」
顔がいい奴が不便被る様は何とも愉快だと笑うカイルに、クインザは秀麗な顔を顰める。それでも損なわれない美貌にざまぁ見ろと心の中で悪態を付くカイルは、そこいらのガキと何ら変わらなかった。
*****
鍛練場へ駆け足で向かいながらフィオネンティーナは自分が訓練を無断欠席した状態であるのを思い出す。司令官に対する命令違反と訓練の無断放棄。どちらも重くはないだろうがそれなりの罰は受けるだろう。
それに気付いたフィオネンティーナは足取り重く、だがカイルがどんな賭けをするつもりなのか考えを巡らせながら鍛練場に踏み込むと、一隊と六隊の見慣れた連中が走り込みを続けていた。
その列からガレットが抜け出すと物凄い速さで走り寄ってくる。砂を蹴る音と気迫に唖然としていると、目の前で走りを止めたガレットから風が巻き起こった。
「大丈夫だったか―――」
フィオネンティーナの様子を素早く観察し、一人安堵の息を吐くガレットにフィオネンティーナは苦笑いを浮かべる。
恐らくクインザと一緒だと思っていたフィオネンティーナが、一人でここへ来たので何事かあったのだと心配したのだろう。
「司令官殿がお呼びです」
何だ司令官と一緒だったのかと、胸に手を置き先程よりもさらに大きな安堵の息を吐いたガレットにフィオネンティーナは、クインザがいなくなったらまたこの人の付き纏いが始まるのかと、有り難い様な有り難くないような思いに駆られた。
賭けがいったい何なのかは解らないが言い出しのはたカイルだ、余裕で勝つ気に違いない。どちらに勝って欲しいかと言えばまぁ己の欲の為にはクインザだろうが、そうなると大きな問題もフィオネンティーナが抱え込む事になる。クインザが負けたとしても何もなかった事にしてしまえば日常は変わらない。今後クインザにはメリヒアンヌ王女の毒牙にかからぬ様に、気合を入れ直し頑張ってもらうしかあるまい。
「三角関係の縺れか?」
「ラキス隊長を入れて四角だろ」
そんな声を遠くに聞きながら、フィオネンティーナはガレットと共に二人が待つ司令官室へと戻って行く。そうして再び司令官室の扉をくぐると、神々しいまでの美貌を湛えた幼馴染がカイルを睨みつけているといった不思議な光景を目の当たりにした。
いつも泣くか笑っているか、もしくは穏やかな表情しか見せないクインザにしては珍しい光景に、自分がいない間に何があったと首を捻る。
「お呼びと伺いましたが?」
フィオネンティーナより先に入室したガレットはその光景を無視して直立不動で腕を後ろに回した。それを合図とばかりにカイルはふっと笑って意味ありげな視線を一瞬フィオネンティーナに向けてからガレットを見る。
「本日午後より第六隊には演習に入ってもらう。標的は魔術師クインザ=バレロ。ガレット、今回はお前も攻めに回れ」
リシェットお前もだと、カイルはフィオネンティーナではなくクインザを見据え、気味が悪いほどにこやかに笑って言い放った。




